白浄花の輝き編 番外編

こんな二人 

 ツルルルル… ツルルルル…
 
 個人用の通信機の着信音に、第一警備隊医務課の片隅にあるデスクでカルテを見ていたソイ・サックスは顔を上げた。今は真夜中。知り合いは皆寝ているだろう頃合いだ。
 誰からだろうと電子板を覗き込むと、<カエデさん>という文字が浮かんでいた。
 ソイは慌てて電話に出た。彼女からの電話なんてあまりないのだ。お互い忙しいので、自ずとメールのやり取りになるか、直接会うかくらいしかしていない。
「はい、ソイです」
 生真面目な声で出たソイに、カエデはつい小さく吹き出した。
「相変わらずね」
 そう言うと、不思議そうに「何がです?」と聞き返されたので、カエデはくすくすと笑いながら言う。
「敬語」
 その指摘に、ソイは「あ…」とつぶやき声を漏らした。彼の敬語は仕事柄というのもあるが、性格も原因して全然治らないのだ。
「仕方ないでしょう、直りませんよ、この口調は」
 ソイが気まずげに言うと、カエデは通信機越しに頷いた。
「ええ、分かってるわ。もう一年の付き合いだもの」
 落ち着いた声でそう返し、「今、何してたの? もしかして寝てた?」…質問を付け加える。
「いえ、昨日運ばれてきた患者の記録を見てました。なかなか容態が安定しないので、心配なんですよ。カエデさんの方は大丈夫ですか? また根を詰めていたりしていないでしょうね」
 心配そうに訊かれ、カエデは苦笑する。根を詰めているのは明らかにそっちの方だろう。
「私の方は平気よ。最近は中央の警備が強化されてるせいか、地方は治安が納まってきてるわ。ま、こっちの本部の医務係は私だけだけど、病院も近いから……、って、私のことはいいのよ。ねえ、どうだった?」
「どうだった、とは?」
 ソイはカルテに目を通しながら、一瞬目を瞬いた。文法の繋がりがおかしすぎる。
「だーかーら、セナのことよー。今日、会ったんでしょう? 怪我とかしてない? ショックとか受けてない? 大丈夫かしら」
 ソイは電子カルテの電源を切り、机の上に置くと、苦笑混じりの息を吐いた。
「…カエデさん、そういうことは本人に尋ねた方が良いと思いますよ。まあ怪我は今の所していませんし、テロ被害者へのショックは受けてはいたようですが、仕事には専念してますから、大丈夫だとは思います。あ、でも一度建物の残骸が降ってきて、下敷きにされかけました。怪我人はゼロでしたが、ある意味奇跡に近かったですね」
 ソイの言葉をふむふむと聞いていたカエデは、最後のくだりに来て眉をひそめた。一歩間違っていたら死に掛けていたかもしれないのに、あまりに淡々としていたせいだ。
「……ちょっと待って、それってあなたもそこにいたのよね?」
 低い声で問われ、ソイは自分が墓穴を掘ったことに気付いた。出来事を振り返りながら喋っていたせいで、口を滑らせたらしい。
「ええ、と。まあ、そんなとこです」
「…………」
「……カエデさん?」
 ソイは恐る恐る、年下の彼女の名前を呼ぶ。沈黙が恐ろしい。
「……そんなとこってあなた…、自分のことでしょう? 他人事みたいに言わないで! 全くもう、ほんとそういうとこの神経が欠落してるんだから! 命は大事にしなくちゃ駄目よ!」
「………ハイ」
「分かればよろしい」
 大人しく頷くと、カエデは満足したのか調子を和らげた。
「そういえば、あなた寝てないんじゃない? 声が疲れてるみたいだけど…」
「ええ、まあかれこれ三日程徹夜してます」
 ソイは指折り数えて返答する。
 通信機越しに、カエデが絶句したのが分かった。あ、まずい。またやってしまった。
 ソイはそっと通信機を耳から遠ざける。
 次の瞬間。
「さっさと寝なさい!!」
 カエデの叫び声が聞こえ、通信機はブツリと音を立てて切れた。
「…………」
 ソイは通信機を無言で見下ろし、僅かに微笑を浮かべた。
 三歳年下の彼女のはずなのに、こういうところはまるで姉か何かのようだ。
 まあ、心配してくれている証拠だから、嬉しい事である。
「さて、じゃあ彼女の言う通りにしましょうか」
 一言つぶやき、机の電気を消すと、仕事部屋を後にする。警備隊本部の廊下には、薄暗い灯りが灯っており、静けさに満ちていた。


 おわり。


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