前触れもなくつぶやかれた言葉に、イオリは図面から顔を上げて声の主を見た。
先程まで文字の書き取りをしていた瀬奈が、いつの間にか窓辺に立って外を見ている。窓から見える大通りを、時折
「何がだよ」
違う世界からやって来たというこの少女は、時折こういうことをつぶやく。食材が出身地と似ているとか、エアバイクに車輪がないこととか、そんなことを前は不思議がっていた。食材はともかく、バイクは技術力の問題であるように思ったが。
「あれ、声に出てた?」
イオリの問いかけに、意外そうに振り返る瀬奈。無意識の内につぶやいていたらしい。
「思いっきり」
イオリは肯定し、小テーブルの端に置かれたマグカップへと右手を伸ばす。
第五警備隊の受付、もといリビングのソファーはイオリの定位置だ。一応寝に帰るだけのアパートと、宿舎扱いになっている二階の部屋にも机はあるしで、特にここで仕事をする必要性はないのだが、どうにも落ち着くのだから仕方がない。それに台所が側にあるから休憩にももってこいだ。
「それで何が不思議なんだ?」
コーヒーを一口飲み、イオリは半分暇つぶしのような気分で瀬奈に問う。
「うーんとね、違う世界だとやっぱり見える星座も違うんだなって思っただけよ。あっちじゃ今の時期にはさそり座が見えるから。ここでは見えないけど」
「さそり座?」
イオリは初めて訊く星座名に興味が湧いた。自分の知らない話を聞くのは、例え外国の話だろうが異世界の話だろうが面白いものだ。
瀬奈は何と説明すれば分かりやすいかと悩み、そつなく答えることにした。
「赤い星が一番目立つ星座なの。私の国だと夏に見えるわ」
「赤い星ね…。矢星みたいなもんか?」
「ヤボシ?」
瀬奈はきょとんとイオリを見、説明を促す。
「弓星と対になってるやつで、そっちも明るいのが赤い星なんだよ。説明するより見た方が早いな」
イオリは言って窓辺にやって来ると、「街の中じゃ見づれーけど頑張って見ろ」と無責任なことを言いながら空を指差した。
「……どれよ?」
瀬奈も同じように空を見上げた姿勢で、眉を寄せる。
「だから、あの赤いやつ」
イオリはほらあれだよあれ、と空を指差す。
瀬奈はその指先にあるだろう場所にじっと目を凝らした。そうすると、だんだん目が慣れてきて、イオリの示している星がようやく分かった。
「ようやく分かったみてえだな。ま、説明を加えておくと、あの星は大体この時期から冬の初めまで西の空にある。夜中に迷子になったら探してみるんだな」
まあ探した所であんたが戻ってこれるかは不明だけど。
そう失礼な言葉を付け加え、イオリはさっさとソファーに戻った。
「余計なお世話よ」
案の定思い切り睨まれた。
しかし瀬奈はすぐに空に視線を戻し、機嫌良くつぶやく。
「でもこっちの星も綺麗ね」
「まあ俺の世界の星だからな」
イオリが自信を持って言うと、瀬奈は小さく吹き出し、ただ一言「そうだね」と付け加えた。
…end.
※話中の矢星についてですが、実際に「矢座」というものがありますがそれとは違いますので注意。