絵を描いていく様は、どこか機械を組み立てるのに似ている。
一つ、一つ、パーツを付け足して、そして完成する。
けれど機械と違って、絵は有機的で、そこにあるだけで温かみを感じさせる。
宿舎代わりになっている第五警備隊本部の二階の一室。そこで暮らしている瀬奈の部屋には、いつもどこかに絵があった。最近、瀬奈はよく油絵を描いている。彼女の幼馴染が亡命してきてから、彼女は協会の依頼を多く引き受け始め、それで得た給料で買ったものだ。
イオリは機械士である為によくオイルを使うので、彼女の部屋にこもる油絵の具の匂いは嫌いではなかった。それでも、ちょっとだけ驚く。
幼馴染である為に、小さい頃に何度か入ったことのあるカエデの部屋だと、いつも花のような甘い匂いがしていたから。カエデから聞かされていたのもあって、女の部屋っていうのは、みんなそういうもんなんだと思っていた。
部屋の一番奥、窓際にはイーゼルがあり、その上にある絵はコバルトブルーをしていた。どこかの港の光景らしく、小型船がいくつも浮かんでいる。
すぐに、それが瀬奈の故郷なのだと悟った。何故なら、そんな景色の場所など、この国には存在しないから。
「おーい……」
一応ノックしたのだが、部屋の主は机の方にうつぶせになった格好でぐーすか眠っている。今日の起こし担当はイオリだった。それで声をかけてみるも反応がないので、扉を開けたまま戸口で戸をもう一度手の甲で叩く。
コンコン、と音が鳴る。
しかし、やはり瀬奈は起きない。
瀬奈は寝起きが悪い。機嫌が悪くなるタイプの悪さではないが、ぼーっとしたままなかなか目が覚めない。
たいていの場合、ベッドで半分だけ身を起こしてぼーっとしているところに声をかければいいのだが、今日はぼーっとする以前にまだ夢の中らしい。
ちょっとだけ悩んでから、仕方がないので部屋に入ることにした。
「おーい、朝だぞ、起きろー」
イオリはやる気なく声をかけ、軽く瀬奈の肩をゆする。
それでようやく瀬奈が起きた。
むくりと起き、どこか焦点の合っていないぼんやりした目をイオリに向け、寝ぼけた声で挨拶する。
「おはよー……」
こちらも相当やる気がない声だった。
そうして瀬奈は目をこすりながら小さくアクビをする。小柄な体格も手伝って、どう見ても小動物にしか見えない。
イオリはちょっと呆れて、それから再び絵に目を向けた。
「お前ってすげーな」
あのコバルトブルーの絵を見ながら呟くと、瀬奈はぼんやりと目を瞬く。
「何で?」
「筆一本で、あんなの描ける」
「ありがとう。でも、描くのが好きなだけだから、そんなすごくないよ」
謙遜しているわけでもなく、瀬奈は本当にそう思っているようだった。それから、イオリを見る。
「私はどっちかというと、イオリみたいに機械を組み立てられる方がすごいと思うな」
「そうか?」
イオリは首をひねる。
学校で習って、マニュアルさえ見れば誰でも出来るようになることだ。
「うん。だって、人の役に立てる」
瀬奈はにっこり笑った。
「………」
思わぬ不意打ちだった。そんな短い一言が、いやに胸に響く。
イオリは物心ついた頃から機械が好きで、その仕組みが面白くて、組み立てて動くようになるのが楽しくて、それで夢中になっているうちにいつの間にか機械士におさまっていただけだった。とりたてて、社会に貢献したいとかいうような崇高な目標は何もない。
それでも、自分のしていることは誰かの役に立てているらしい。
そういうことをさらりと口にしてしまえる瀬奈は、ある意味すごいと思う。
「……飯出来てっから、とっとと下りてこいよ」
何となく気恥ずかしさを覚えて、礼の代わりにこんな言葉が出た。そのまま踵を返す。
うん、という返事が後ろで聞こえた。やはりまだどこか眠そうな声。
イオリは階段を下りながら、やけに動悸がするような気がした。
「……なんだ?」
眉を寄せ、不思議に思う。
それに、妙に心がすとんと落ち着いている。
訳が分からなかったが、すぐに気を反らして食堂の方へと向かう。
どうやら自分は恋に落ちたらしいと気付いたのは、もう少し後でのことだった。
――きっかけというのは、案外予想もしない所で身を潜めているものらしい。