虹色のメロディ編 番外編

よく効く薬 

「これは、まごうことなき風邪ね」
 殺風景で生活感のない、アパートの小さな一室に、カエデの容赦のない言葉が落ちた。
「………そんなこと、言われなくても知ってる」
 ベッドで見事に撃沈しつつも減らず口を叩くイオリを、カエデは一笑する。
「病人は黙ってなさい。全くもう、体調不良につき休むなんて言うから、不気味なあまり飛んできちゃったじゃないの。イオリは身体が丈夫なのと顔だけが取り柄なんだから、気をつけなさいよ」
「……うるせー」
 色々と突っ込みたいところはあったが、イオリにはそれを口にする元気がない。
 カエデは無視して喋り続ける。
「そういう、普段元気な人の方が、いざ風邪になると重傷になるのよねえ」
 医療用の小型スキャナーを鞄にしまいながら、カエデはやれやれと呟く。患者にかざすだけで、スキャニングして体温や血圧などを読みとる機械だ。念の為、肺に疾患がないかもスキャンしてみたが、特に異常は見当たらないので風邪と断定したのだった。
「とりあえず、本部に帰るわ。後で薬を届けるから、ちゃんと飲むように」
「……おう」
 そこでカエデはにんまりと楽しげに笑う。
「それから、よく効く薬もつけておくわね」
「……ああ、サンキュ」
 熱でぼんやりしている頭では、カエデが何を言っているのかまでは理解出来ず、ひとまず礼を言うイオリ。
 カエデは今にもスキップしそうな程楽しそうにイオリ宅を後にした。 
 こういう時、医者が幼馴染だと便利だな、などと思いつつ、イオリは布団を首の上まで引き上げる。
 頭は熱いのに、身体は寒いなんておかしな事態だ。あーだるい。
 たまっている仕事が頭を横切り、それを片付けることにげんなりしつつ、眠りにずるずると沈んでいった。


 リリリーン
 澄んだ鐘の音に、意識が浮上する。
「………?」
 なんだろうと瞬きを一つ。
 リリリーン
 また鐘の音が響き、それが訪問者を告げるチャイムの音だと気付く。
「ったく、誰だよ……」
 枯れた声で文句を呟きつつ、渋々ながら起き上る。
 ベッドに半身を起こした状態で、ベッド前のソファーの向こうに置いている映像モニタのスタンドに声をかける。
「コンピューター、訪問者の映像を出せ」
 ピピッ
 スタンドから電子音が響き、パッと立体画像が浮かび上がり、訪問者を映し出す。
「え……」
 映像に映し出されている人物を見て、イオリはぽかんとする。
 右手に紙袋を、左手にビニール袋を持った瀬奈が、じっとインターフォンを見つめている。かと思えば、顎に手を当ててうつむき、少し不安げな顔をした後、そわそわと通信機を取り出して見下ろしたり荷物を見下ろし、もう一度、インターフォンの呼び出しボタンに手を伸ばす。
 リリリーン
 なんでこいつがいるのだと疑問符を浮かべつつ、今度こそ応答する。
「はい……」
 声を出す元気がないので、かすれた声で呟く。
 すると映像の方の瀬奈がパッと顔を上げた。口を開きかけたがすぐに閉じ、一度息を吸い込んでからそろりと問う。
「イオリ・レジオートさんのお宅でしょうか?」
「そうだけど。何でセナが来るんだ?」
 思わず問うた言葉に、瀬奈はあっさりとお見舞いだと返した。


「お邪魔しまーす。はい、これ、第五警備隊の皆からお見舞いね。えーと、スポーツドリンクでしょ、水でしょ、それからアイスシートね。あと、これはカエデから預かってきた薬!」
 ベッド前の小テーブルに紙袋の中身をポンポンと並べながら、瀬奈は抑えた声で言う。
「風邪なんて聞いてびっくりしちゃった。聞いてたよりずっと具合悪そうだけど、大丈夫……じゃないわよね」
 問おうとして、そのまま自分で結論を出す。それから、ベッドに腰掛けたままのイオリに言う。
「私のことは気にしなくていいから、寝てなよ。顔色悪いよ」
「だから、なんでお前が来るわけ?」
 じとっと半眼で問うイオリ。
 熱が上がってきた気がした。クラクラと目眩すら覚える。
 瀬奈はムッと眉を寄せる。
「そりゃあイオリはカエデの方が良かったんでしょうけど、そのカエデに頼まれちゃったんだから仕方ないでしょ。他の皆も忙しいのに、こうしてお見舞いの品を用意してくれたんだから、我慢してよ」
 今度はイオリがむすっとする。
「ガキじゃねえんだから、同僚が見舞いに来ないくらいで怒るかよ……。ゴホゴホ」
 きっちり言い返しつつ、咳をする。
 カエデの奴、妙な気を回しやがって。俺がこいつに片思いしてるの知ってるからって、余計な真似を……。
「ああもう、だから寝てなさいってば。ご飯くらいなら作ってあげるから。あ、大丈夫よ、ここでの病人食のレシピならカエデに聞いてきたから。台所借りるわね」
 瀬奈はにこっと笑い、ビニール袋を持って部屋を出て、玄関から部屋への廊下にあるキッチンに向かう。
(くっ……)
 余計な真似をするカエデが憎たらしいが、それ以上に瀬奈の手料理を食べられることは単純に嬉しかった。
 まあそれはそれとして、一言文句くらい言っておこう。
 瀬奈がキッチンにいるのをいいことに、通信機でカエデに連絡を取る。
「カエデ、てめえ余計なことしてんじゃねー」
『あら、なあに。病人なイオリ君。一人じゃまともにご飯も作れないと思って、気を回してあげたんじゃないの。それに私が忙しいのは本当よ。さっきまで急患の対応してたんだから』
 穏やかな声で刺々しい言葉を発するカエデ。にこにこという笑みまでイオリの脳裏には浮かんできた。
『それにセナなら料理は普通に出来るから、期待していいわよ。今時珍しいわ。ロボット任せで包丁なんて持ったことのない子が多いのにね。ま、セナの故郷には調理ロボットなんてないらしいから、当たり前なんでしょうけど。イオリも、これに懲りたら調理ロボットを家に置いておくことね』
「………っ」
 ぐうの音も出ないとはこのことだ。
 第五警備隊本部にいることが多いので、家に調理ロボットなんていても邪魔になるだけだから置いておらず、お陰でこうして寝こんで絶食かもしれないという窮地に立たされているわけだ。
 カエデはクスクスと楽しげに笑って言う。
「つけた薬、よく効くでしょう?」
「〜〜〜っ、うるせえっ!」
 イオリは通話を遮断する。
 ほとんど文句も言えないどころか、からかわれて終わっただけだった。くそー、カエデの奴、覚えてろよ〜っ。
 内心で歯がみしてみたものの、あの一見穏やかでいて実は怒らせると物凄く恐ろしい幼馴染に報復出来るはずもなく、不貞寝に走ることにする。


 本気で寝るつもりはなかったのだが、気が付けば寝ていたらしい。
 部屋の中はまだ見える範囲ではあるものの、薄暗くなっていた。
(喉乾いた……)
 そういえば、瀬奈が第五警備隊の皆からの差し入れを持ってきていてくれていた。イオリはベッドのすぐ脇にある小テーブルの方を見る。
「!」
 ぎょっと目を見開く。
 テーブルの向こうにあるソファーで、瀬奈がソファーにもたれたままこくりこくりと舟をこいでいる。
 きっと料理だけ残して帰っているだろうと思っていたので、まさかの事態に軽く動揺する。
 思わず身を起こすと、ぺとっと膝に何か落ちた。冷蔵庫で冷やすだけで使えるアイスシートだ。額に残る少しのべとつき感に、寝ている間に額に貼られていたことに気付く。
 何とも言えず瀬奈を見ていると、
「くしゅんっ」
 瀬奈は小さくくしゃみをして、その反動で起きた。
「うう、さむぅ……」
 両腕をさすりつつ顔を上げた瀬奈は、ぼうっとした表情でイオリの方を見る。
「…………」
 しばらく沈黙が落ち、一分くらい過ぎたところでハッと気付いたようだ。
「あれ、起きたんだ」
「……お、おう」
 そういえばこいつ寝起き悪かったな。イオリは遅れて思い出す。
「薬飲む前に寝ちゃうからさあ。待ってなさいよ、ご飯あっためなおすから」
 ふああと一つ欠伸をしてから、瀬奈はけだるげにキッチンの方に行ってしまう。そしてしばらくした後、深皿によそったご飯を盆に乗せて運んできた。
「はい、野菜入りスープパスタ。味付けは薄めにしといたから」
 具合が悪いと味付けの濃いものや匂いの強いものは拒否してしまうことが多いから、そういう状況を慮っての言葉だろう。
「……悪いな」
 待たせた上に嫌な顔一つせずに料理を出してくれる瀬奈に、申し訳なくなって一言謝る。瀬奈はきょとんとした後、首を傾げる。
「別に、温め直すくらい手間じゃないわよ?」
 そういう意味で言ったわけではないのだが、どうやらそっちでとったらしい。
「それならいいけど」
 いちいち説明するのも面倒だったので、そういうことにしておく。
 イオリは小テーブルに置かれた料理に向き合う。湯気をたてているパスタはおいしそうに見えた。昼食を食べずに寝てしまったから空腹を感じていただけに。
「……うまっ」
 何が普通に料理が出来る、だ。普通どころかとても美味いではないか。
 通信機での会話を思い出して内心で呟きつつ、フォークでパスタをすくいあげて口に運ぶ。
「食欲はありそうだし、これならすぐに良くなりそうね」
 湯気の向こうで瀬奈が穏やかな表情を浮かべている。病人を労わる目そのものだ。
 そんな眼差しを直視してしまったせいで、かあと頬に血が昇る。またクラクラしてきた。
「あれ? 顔が赤くなってきたわね。熱が上がってきたのかな」
 瀬奈は心配そうな顔をして、ソファーを立つと側に寄って来て、イオリの額に手を当てた。ひんやりとした柔らかい手の感触にイオリは硬直する。
「うーん? やっぱり熱いような……。食べたら薬飲んで寝なさいよ。不安なら一晩くらいついてるから。明日、アカデミーは休みだし……」
「お前な、若い男の一人住まいに泊まり込む気かよ!」
 つい、喉の調子が悪いのを忘れて声を張り上げてしまった。
「あ、そっか。イオリは嫌よね。それなら朝ご飯だけ作っておいておくわね」
「そういう意味じゃねえ……」
 この鈍感女……。
 イオリは一気に脱力した。
 瀬奈は不思議そうにイオリを見て、それから納得したような顔をし、あははと笑い飛ばす。
「やだなあ、私がイオリの寝込み襲ったりするわけないじゃない。私のハティンは治癒で、攻撃系じゃないから安心してよね」
「そうじゃなくて……。はあ、もういい」
 更にずれたので面倒くさくなり、イオリは会話を切り上げた。
 残りのご飯を食べると、瀬奈が用意してくれた水を飲んで、薬を流し込む。そして、言われるままにベッドに横になると、あっという間に睡魔がやって来て、イオリは再び眠りに落ちた。


 ぐっすり眠った翌朝。
「あはは、ごめーん、気が付いたら寝てた〜」
 ソファーで寒そうに縮こまって寝ている瀬奈を脱力感満載の気分で起こすと、瀬奈は三分程ぼうっとした後、ぺろりと舌を出して謝った。
「お前、俺だからいいけど、他の奴に同じ真似するなよ。特に男に」
 イオリは真面目に言う。
 それはもう真剣に。
 イオリなら好きな女が同じ部屋にいて夜になろうと、何とか耐えられるし、耐えられなくてもそれはそれでなし崩しに付き合う方向に持っていくからいいとして、他の奴にそれをされると腹立たしい。
 しかし分かっていない瀬奈は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「看病中に爆睡なんて、ほんと失礼だよね。ごめんね」
「だから、そういう意味じゃねえ……」
 もういい。こっちが気を付けておくからそれでいい。
 よく効く薬は自分にだけで充分だ。
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