虹色のメロディ編 番外編

幸せな時間 

「料理ぃぃっ?」
 ホームルームで担任教師の告げた言葉に、めいっぱい顔をしかめて、アンジェリカは低い声で毒づいた。彼女の不満はホームルームの時間が過ぎても治まらず、休み時間に瀬奈の元までやって来てブーイングした。
「さいっあく。料理ですって! そんなの、調理ロボットに任せてるから、したことすらないわ! っていうか、必要性が全く感じられない!」
 盛大な文句に、瀬奈は苦笑する。……それを自分に言われても困るのだが。
 しかし料理はロボットに任せればいいだなんて、流石は科学の発達している国ならではだ。いや、世界か?
「でも、包丁を握ったことくらいあるよね?」
「ないわ」
 きっぱり返されて、瀬奈は口をつぐむ。が、すぐに思い直して付け足す。
「卵を割ったことくらいは……」
「ないわよ」
「………ええと」
 瀬奈はかなり悩んで、料理になるか分からないものの問う。
「インスタントコーヒーを淹れるのは?」
「それくらいは出来るわ。カップに粉を入れて、お湯を注ぐだけじゃないの。お湯はポットで沸くでしょ」
「そ、そうだね……」
 なるほど、鍋すら使ったことがないのか。
 かなりの前途多難だ。大丈夫なのだろうか、一週間後の調理実習は。
 アンジェリカがこうなら、こういう生徒は多いのだろうと思われた。身に着けているべきスキルだからと、アカデミー側が年に二回開いている調理実習らしく、今回作るのはクッキーらしい。
 クッキーを作るという時点で、調理実習というより菓子を作るお楽しみ会という感じが否めない。
 瀬奈は渋面で思案していたものの、結局、良い案が思いつかない。困った末、応援することにする。
「まあ、でも頑張ろうよ。作ったら、家族などの大切な人にあげるようにって先生が言ってたじゃない? 彼氏さんにあげなよ。喜ぶと思うよ?」
 瀬奈の取り成しの中身が気に入ったらしく、アンジェリカの機嫌はころりと直る。
「それはいい考えね。きっと驚いて、私のこと、もっと好きになるわ」
 にやりと微笑むアンジェリカ。
 確かに、今まで料理のりの字も接点のなかった人の手作りを渡されたら、驚くことは間違いないだろう。瀬奈は頷いて笑顔を返しつつ、心の中で呟いた。


 一週間後の調理実習は、想定よりもまともに終わった。クッキーだから、材料を混ぜて、こねて、型をとって焼くだけだったからだ。
 初めに調理器具の名前の説明から始まって、分量の測り方まで説明した。教室の大半の生徒が、きょとんとした顔でそれを聞いているのだから、かなり可笑しい光景だった。アカデミー生は機械に強いのに、調理器具の名前すら知らない人がほとんどだなんて面白い話だ。
「だからびっくりしたよ。ロボットに任せ過ぎじゃないの、この国の人達」
 瀬奈はスープ入りの鍋をお玉でかき回しながら、調理台でレタスみたいなリーフ系の野菜をちぎっているイオリに言った。
 今日は瀬奈の部屋で一緒に夕食を摂るつもりで、こうして料理なんてしている。イオリの部屋だと、最低限の調理器具くらいしか置いていないので不便なので。
「確かにそうかもしんねえが、俺も似たようなもんだな。作るより弁当を買っちまうし。実家じゃたまに母親が作る以外は、調理ロボット任せだ。手料理を作る奴の方が少数派だぞ?」
「カエデだって作ってるじゃない」
「あいつも少数派。父親が医者っていうのもあって、栄養管理にうるさいんだ。自分で作った方が管理しやすいってさ」
「ふーん」
 そうなのだろうか? でも、カエデは料理をする時に楽しそうに鼻歌を歌っていることが多いから、きっと楽しみの一つなんだと思う。
 瀬奈は野菜のごった煮が入ったスープの味見をし、満足すると、火を止めた。器を探し、盛り付ける。
 ちょうどイオリがリーフ系の野菜を皿に盛りつけた上に、スライスした紫色のトマトみたいな野菜を盛りつけたところだった。
「美味そうだろ?」
 すごく満足げに頷くイオリ。
 紫色のトマトを見ておいしそうというのだから、この国の人――というより世界的なものなのかも?――の色彩感覚はどこかおかしい。前にケーキ屋でも薄々感じていたけど、やっぱりそうだ。
「そ、そうだね」
 しかし折角盛り付けてくれたのだから、ここは笑っておく。日本人お得意の“ごまかし笑い”ってやつである。
 気付かなかったイオリは、そうだろうと大きく頷いた。


「それで?」
 食後、お茶を飲みながら、立体画面に映し出される放送番組を見るともなしに見ていたら、ふいにイオリが切り出した。
「何?」
 首を傾げると、じっとダークブルーの目がこっちを見た。相変わらず綺麗な顔立ちだが、目の色が中でも綺麗だなあと意識の隅で瀬奈は考えた。夜色の目っていうやつだ。瀬奈みたいな、中途半端に茶色みがかった黒目よりずっと綺麗に思える。だが、そんなのは今更だ。瀬奈の地味な外見は元からだし、イオリの綺麗な外見だって元からだ。
 瀬奈の返事が気に食わなかったのか、イオリの口が若干への字になった。イオリの元来さっぱりしている性格も手伝い、ストレートに訊いてくる。
「調理実習のクッキー、勿論くれるんだよな?」
 瀬奈は目をしばたたき、珍獣でも見るみたいにイオリを凝視する。
「え、欲しいの?」
 味はおいしいが形が悪く、家族もいないから後で自分で食べようと思っていた。
「……俺以外に、大切な人ってのがいるんなら別にいいけど」
 イオリの声が二段階ばかりトーンダウンした。これは確実に拗ね始めている。瀬奈は慌てて弁解する。
「いや、いないよ。家族はいないし……、自分で食べるつもりだっただけ。そうだよね! アンジェリカにすすめたんだから、私もそうすりゃいいのよね!」
 自分のことになると、うっかりしてしまっていた。
 瀬奈は席を立つと、自室に置いているトートバックから紙袋入りのクッキーを持ってきて、イオリの前に置く。
「形は歪だけど、味はおいしいから。文句言わないでねっ」
 先回りして付け足す。イオリは恨めしそうにこっちを半眼で見た。
「……時々思うんだが、お前、一体俺のことを何だと思ってるんだ?」
 瀬奈はうっと言葉に詰まり、僅かに気まずくなりつつ、正直に言う。
「口が悪いし、ことあるごとに茶化すって思ってるかな」
 イオリは肩をすくめた。
「あながち間違っちゃいないが、礼ぐらいは弁えてる。俺の家、そういうのに厳しいんだよな」
「へえ〜」
 イオリの実家ってどんな感じなんだろう。物凄く興味をひかれた。両親もイオリみたいに不機嫌そうにしていることが多いのだろうか。かなり好奇心を刺激されたものの、それは脇に置いておく。
「まあそれは置いといて。ね、食べてみてよ」
 瀬奈が浮き浮きしながら食べるように促すと、イオリもつられて楽しそうにクッキーを摘んだ。一口サイズのクッキーを口に放り込む。サクリと軽快な音が聞こえた。
「お。確かに美味い」
「でしょ!」
 瀬奈は満面の笑みで頷いた。
 調理実習とはいえ、作った物をおいしいと言われれば嬉しいに決まっている。
 心がぽかぽかする。幸せってこういうことなのかもしれない。
 安い幸せだとは思うが、勘弁して欲しい。家族と生き別れてしまっている今、彼氏の存在は意外に大きいのだ。
 にこにこと瀬奈が笑っていると、イオリは眩しいものでも見るみたいに目を細める。そして、急に席を立ってこちらに身を乗り出し、左の頬に軽く口付けた。
「!?」
 仰天し、瀬奈は左頬に手を当て、椅子の上で思い切り後ずさった。
「ななな、なっ」
 何すんの、と言いたかったが言葉にならない。赤くなってうろたえる。まだ付き合いだしたばかりで、せいぜい手を繋ぐとかその程度くらいしかしていないのだ。
 一つの動作で瀬奈を混乱へと叩き落した本人は、してやったりと言わんばかりの様で口端を引き上げる。そして、まだ数枚のクッキーが入っている紙袋を軽く上へ持ち上げ、とろけるような笑みを浮かべた。
「クッキー、ありがとな」
「……ど、どういたしましてっ」
 そんな風に笑われては文句が言えなくなるではないか。
 瀬奈はしどろもどろでどうにかそう返し、視線を横へと反らした。
 

 ……end.


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