虹色のメロディ編

エピローグ 

「わざわざ来てくれたんだ、ありがとう」
 病院の玄関で、瀬奈は待っていたイオリに礼を言った。
「どういたしまして。つーか、彼女が退院したら、普通は迎えに来るだろ」
 イオリはそう言って、瀬奈の手からボストンバッグを取り上げた。瀬奈はそうかなあと返す。
「熱があった以外は大したことなかったし、検査もクリアしたのよ。別に良かったんだけど……分かった、にらまないで。来てくれてありがとう!」
「最初からそう言っておけばいいんだ。こっち、副隊長が空遊車を出してくれたんだ」
 駐車場に行くと、第五警備隊のワゴンが置いてあった。
 イオリはバッグを後部座席に置いて、瀬奈とともに後部座席に座った。
「副隊長、ありがとう」
「うん。体調はどうなんだ?」
「もう平気。脳に障害もないって」
「良かった。すっごい心配してたんだぞ、セナ」
 リオは運転席から手を伸ばして瀬奈の頭を軽く撫でると、シートベルトを締めてエンジンをかけた。
 空遊車が滑るように走り出す。
「それで……ニノ・オラニスはどうなったの?」
 一週間、入院していた瀬奈は、あの後のニノの処遇を知らなかった。
 瀬奈の問いに、リオは淡々と返す。
「死刑は間違いないよ。だけど、余罪がたくさんあるからねえ、裁判が山程ある。死刑にかけられる前に、病気で死んでしまうかもな」
「ニノは不治の病に侵されてるらしい」
 イオリが付け足した。
「そうなの……」
 瀬奈はどう反応すべきか迷った。
 娘の死が許せず、凶行に走ったニノだけれど、原因を思えば辛い。だが、彼のした犯罪は許せるものではない。
「完成品の方は、危険だからスクラップに決まった。悪い奴は刑務所に入って、一安心だ」
 そう言ったリオだが、溜息を吐いた。
「もっとスッキリするかと思ってたけど、なんか後味が悪いよな」
「そうね。私……気付いちゃったのよね」
 言うべきか迷っていたが、瀬奈は結局口にした。
「ニノ・オラニスは、復讐するかずっと迷っていたんじゃないかって」
「俺も思った」
 意外にもイオリも肯定した。
 バックミラー越しに、リオが眉間に皺を寄せているのが見えた。
「どういうことだ?」
「だって考えてもみてよ。復讐するつもりだったら、試作品にコンピュータウィルスのワクチンを入れるかな。順番が逆だと思うの」
 試作品であるイリスAにはワクチンを入れ、完成品であるイリスBにはウィルスを入れていた。
 だから瀬奈にはそれが、ニノがためらっていた証拠のように思えたのだ。
「たまたまかもしれないだろ」
 リオは苦い顔で言った。
「そうかもしれない……。でもそれを知ってるのは、博士だけだ」
 イオリはそう言って、瀬奈をなぐさめるみたいに肩を叩いた。


 第五警備隊の本部に顔を出すと、フォールやカエデが仕事の手を止めて集まってきた。
「セナ、戻ったのね。お帰りなさい」
「ただいま、カエデ」
 瀬奈は照れながら、カエデとハグをした。
「すっかり顔色も良くなったみたいだね。安心したよ」
 フォールはにっこりと穏やかに笑い、キッチンの方へ行く。
「そこで待ってて、君の好きなペカナジュースを用意してあるから」
「ありがとう、隊長」
 瀬奈は待合室のソファーに座った。
 フォールが用意してくれたジュースを飲みながら、入院中の検査の話をしていると、奥の作戦室からクライトが顔を出した。瀬奈を見つけて眉を跳ね上げる。
「ちょっと、先輩。セナちゃんが戻ったんなら声をかけてくださいよ。朝から待ってたのに」
「えっ、待たせてしまってすみません!」
「君はいいの」
 慌てて立ち上がって謝る瀬奈に、クライトは優しい笑みを向けた。そんなクライトをイオリがにらみ、さりげなく瀬奈の隣に座った。
「セナちゃんにプレゼントがあるんだよ。ほら、こっちに来い」
「はい」
 作戦室から出てきたのはイリスAだった。待合室の方に入ってくると、瀬奈の前へやって来る。
「マスター、退院おめでとうございます」
「イリス!」
 瀬奈は驚いてクライトを見た。
 彼の話だと、イリスは第一警備隊で厳重な検査を受けないといけないと聞いていた。クライトはにやりと笑う。
「検査は終わったよ。色々と高性能で問題はあるが、〈虹色のメロディ〉についてはワクチンしか持ってないし、勝手に他人の機械を操作するのも特例を除いて禁止することで決定。破ったら今度こそスクラップだ。――でも、そんな真似はしないんだろ?」
「ええ、もちろんです」
 イリスは頷いた。
 瀬奈は目を潤ませる。
「そうなのね、良かった! スクラップにされたらどうしようかと思ってたの。ありがとう、クライトさん!」
「はっはっは、どういたしまして。ただし、半年に一度は第一警備隊にメンテナンスに連れてくること。もちろん君がね。その時は顔を出してくれよ」
「はい! そうします!」
 あまりの嬉しさに瀬奈はイリスの右手を取って、その場で飛び跳ねてしまう。イリスはそれを見てぎこちなく体を揺らした。
 喜ぶ瀬奈に対し、イオリやフォール、リオはクライトに白い目を向ける。
 それを口実に瀬奈に会おうなんていう姑息な真似をしたと、すぐに気付いたからだった。
「でも……特例って?」
 瀬奈の問いには、フォールが答える。
「セナさんを危険から守る時と、警備隊の仕事に協力する時だよ。〈治癒〉のハティナーなんて貴重な能力者だから、専属で護衛が必要だろうってこともあって、今回の措置が認められたんだ。ありえないけど、セナさんも悪用しないように気を引き締めて、イリスの保護者になるように」
「は、はい、分かりました」
 瀬奈はびしっと背筋を正して頷いた。
 真面目な反応に、皆笑いを零す。
 その時、イリスAが口を開いた。
「安心して下さい、セナ。自分のメンテナンス代は自分で稼ぎますので」
「助かるけど、そんな心配しなくても……。私も頑張るよ」
「いいえ、あなたに早死にされる方が困るので、どうぞお気遣いなく」
「そ、そう……」
 金銭感覚がしっかりしたアンドロイドである。
 瀬奈は苦笑いをしたものの、改めてイリスAと握手をかわす。
「これから家族としてよろしくね、イリス」
「こちらこそよろしくお願いします、セナ」
 笑い合ったところで、カエデがパンパンと手を叩いた。
「一段落したところで、セナの快気祝いをするわよー! 皆、こっちに来て。特にセナ、ご馳走用意したから、たくさん食べていって」
「わあ、やったー! カエデの料理っておいしいから嬉しい」
 歓声を上げ、瀬奈はパーティーを楽しんだ。

     *****

 週末のその日、前に約束した平原ツアーに参加していた瀬奈は、イオリと並んで歩いていた。
 周りには友達同士やカップル、親子連れもいて、平原の散策をそれぞれ楽しんでいる。
「護衛が出来たのは嬉しいけど、一つ誤算だったことがある」
 イオリはどこかうんざりしたように言った。
「誤算? 何が?」
 足元の花に気をとられていた瀬奈は、イオリを振り返った。
「お前の送り迎えといい、ずっとイリスが傍にいるからいちゃいちゃ出来ない」
「は!? 何よそれ」
 瀬奈は笑ってしまったが、少し感じていたことでもあった。
 イリスは真顔で「私のことは気にせず、いちゃいちゃしてきてください」なんて言って、イオリの部屋の扉前で待っていたりする。
 とてもではないが気にしないでいるのは難しい。
 イリスには留守番を頼んだので、今日は久しぶりに瀬奈とイオリの二人きりだ。周りに観光客はいるが。
「でも、一緒にいるのに仲間外れにするなんて、良心が痛むわ」
「そこだよ。お前、家族の前でいちゃつけるか? 無理だろ。あいつにはもう少し気遣って、フェードアウトしてもらわねえと」
 イオリは金髪を右手でがしがしとかいてうなった。イリスを人間として扱う発言に、瀬奈は頬をほころばせる。
「イオリがいる間、お出かけしてもらうってこと?」
「それもありだけど、自分の部屋にいてくれるとかさあ。なんかあるだろ、家族ならではの気遣い方ってやつが」
「そもそも家族がいる時にいちゃいちゃしないでしょ」
 子どもみたいなことを言うイオリがおかしくて、瀬奈は噴き出した。
「イオリのお兄さんはどうしてたの? モテるんでしょ?」
「兄貴が家族の意向なんか気にするわけねえだろ。両親が留守がちなのをいいことに、俺のことなんか無視して、リビングに彼女といたりするよ。あの気まずさ、分かるか? 入った瞬間に回れ右だ。あんな綺麗な回れ右、警備隊の訓練でもなかなか決まらないね」
「あははは、おかしすぎるわ。そのイオリ、見てみたい!」
「お前なあ、笑いごとじゃねえんだぞ。本当に迷惑なんだからな」
 空をあおいで、イオリは溜息を吐いた。
「はいはい、分かったから、こんな日くらい眉間のしわは伸ばしてよね」
 瀬奈がイオリの眉間を指先で押して笑うと、イオリの機嫌が戻った。
「そうだな」
 少し考える仕草をして、イオリは紙片を取り出す。
「なあ、セナ。相談があるんだけど」
「何?」
「次はこれに行こうぜ」
「二泊三日で旅行? はい、却下」
 瀬奈は紙片をイオリの手に押し返した。
「なんでだよ、いいじゃねえか、旅行くらい」
「一年くらい付き合ってから言いなさいよ。あんた、確実にお兄さんの血が流れてるわよ」
「なっ、俺は兄貴みてえに四股かけて修羅場になったりはしねえぞ!」
「……お兄さん、最低ね」
「だから迷惑な兄だって何度も言ってるじゃねえか」
 ちぇっと言いながら、イオリは紙片をぞんざいにズボンのポケットに突っ込んだ。
「私はここで暮らしていくのに手いっぱいなんだから仕方ないでしょ。それとも責任とってくれるわけ?」
 これくらい言っておけばたじろぐだろうと、瀬奈は牽制したが、イオリはあっさりと返す。
「結婚するって意味なら構わねえぞ」
 瀬奈は絶句して、顔を赤くした。イオリは不思議そうにする。
「なんでそんな変な顔をしてるんだ?」
「あ、あんた、そこまで私に本気だったわけ!?」
「お前こそ、俺のことを全然分かってねえな。軽々しくそういうことを言うんじゃねえよ。かっさらうぞ」
「な、な、な……っ」
 瀬奈は口をパクパクと開閉させる。イオリは笑いながら瀬奈を抱きしめた。
「本当、可愛いよなあ、お前」
「ちょっとイオリっ」
 慌てた瀬奈は、ふと、近くで七歳くらいの子どもが瀬奈達を見ているのに気付いて、照れが臨界点を突破した。
 持っていた鞄でイオリを叩くと、だっと駆けだす。
「公共の場で、甘いの禁止!」
「だから旅行に行こうって言ってるのに。おーい、待てよ、セナ!」
 ばたばたと駆ける瀬奈を笑いながら、イオリがゆっくりと歩いてついてくる。
 風が平原の草を揺らして通り過ぎていく。
 明るい日射しの下に、笑い声が響いていた。


 ……終わり。


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