虹色のメロディ編 第五部 虹色の終息編

二十章 虹色のメロディ 

 それは音のような歌だった。
 イリスBは両手を組み、まるで劇場の歌姫のように朗朗と歌う。
 虹の女神イリスの名を冠したアンドロイドが紡ぐ、虹色のメロディ。
 パソコン画面には、平原にかかる二つの虹の写真が表示されていた。
「くっ、なんだ、この声は……!」
 イオリは両手で耳を塞いだが、無駄だった。
 足から力が抜けて、イオリ達はその場に膝をつく。
「コンピュータウィルスが都市中に巡るまでは、邪魔はさせん」
 ニノは笑った。
 彼の耳には耳栓がされている。
 照明が消え、端末の明かりだけが部屋に残る。
 瀬奈の座っていた椅子が動いて、拘束を外した。
 その場に立っているのは、ニノとイリスB、そしてイリスAだけになった。
「お父様……」
 イリスAは突っ立ったまま、事態を見ている。
 右の画面に、外の様子が映し出された。
 次々に消えている都市の明かり、信号機の光が消え、止まる空遊車。第六都市フィースに住む人々のコンピュータはウィルスが感染すると、二つの虹の写真が表示されてフリーズする。
 警備隊の詰所や、都市を動き回るロボットも止まった。
 まるで時が止まったかのような第六都市フィースの光景に、ニノは良いデータが得られたと笑う。
「お父様、やめて下さい! ユーリエ・オラニスはこんなことは望まない! あなたは病院の機能まで停止させるつもりなんですか? それではユーリエを医療ミスで殺した医者と何にも変わらない!」
 イリスAは叫んだ。およそアンドロイドが出したとは思えない、悲痛な声だった。
「うるさい、黙れ! 貴様に何が分かる。たかがアンドロイドの分際で!」
 ニノは怒鳴り返す。
「分かります! だって私は、ユーリエ・オラニスの脳の半分を所有しています。ここには記憶がある。彼女にあるのは病気の辛さと楽しい思い出、そして治療費を稼ぐために働く父親への罪悪感と気遣いだけです。――医者に仕返しとか、国に復讐なんて、少しも抱いていません」
「うるさいうるさい! 黙れ!」
 とうとうニノは、イリスAへと銃口を向けた。
 そして、発砲音が響いた。


 尻もちをついた姿勢で、イリスAは唖然とした。
「セナ? どうして、あなたは気絶していたはず」
「うるさいから目が覚めたの。何で撃たれそうになってるの? いくらあなたでも死んじゃうでしょ、逃げなきゃ駄目じゃない!」
 イリスAに飛びついて、床に押し倒した格好で、瀬奈は怒った。
 ハッとしたイリスAが瀬奈と体勢を入れ替えて、右手を押し出す。握られた拳から、銃弾が落ちた。
 イリスAは瀬奈を左脇に抱えると、さっとその場から離れる。足元の床を銃弾がえぐった。
 カチッカチッと軽い音がする。ニノが舌打ちした。弾を出し尽くしたらしい。
 瀬奈は抱えられた格好のまま、イリスAに問う。
「あんなに回答権限がないとか言ってたのに、随分しゃべるじゃないの。こっちが本当なの?」
「本当とは? 回答権限がないことは話せないのに代わりありません」
 イリスAがそう答えた時だった、弾を追加したニノが再び銃を構えた。
「後ろにいて下さい!」
 イリスAは瀬奈を背後に庇って、両腕で体をかばった。
 ニノが銃を打つ。
 それはそのままイリスAに直撃するかに思えたが、直前でぴたりと動きが止まった。
「動けなくても、〈金属〉のハティンは使えるんだよ!」
 床に手をついて体を支えたまま、クライトが吠えた。
 ニノの足元を突き破って飛び出した金属が、ニノを捕える。あっという間に捕縛する横で、イリスBが歌を止めて叫ぶ。
「お父様!」
 コードを外すと、イリスBはクライトをにらみつける。
 そしてクライトへと大きな跳躍とともに飛びかかった。機械人形さながらの恐ろしい動きに、瀬奈は冷や汗をかく。
「クライトさん!」
 しかし宙でイリスBは動きを止めた。部屋の壁から飛び出してきた金属片がぐるぐると飛び交う中、宙に浮かんでいる。
 イリスBは首を傾げる。
「何故。動けない。解決策を検索。エラー。原因を検索。エラー」
 機械的な声が、エラーを連続で告げる。
 イリスBの歌が止まったことで、体の力が戻った面々は、すくりと立ち上がった。
 フォールがイリスBを銃で撃った。手足が力なくだらりと垂れる。
「関節を維持する機関を破壊した。あとは……イオリ!」
「了解っす、隊長!」
 クライトがイリスBを床へと下ろすと、イオリが駆け寄って、イリスBの首の後ろにある仮停止ボタンを押す。
 静かになったのを確認すると、イオリは今度は端末へと飛びついた。
 すさまじい勢いでキーボードを叩いて、プログラムを検証し始める。
「ははは、無駄だ! さいは投げられた! ばらまかれた水はもう元には戻らない」
 金属片に拘束されたまま、ニノが狂ったように笑う。
「うるさいわよ、狂博士。睡眠薬でも投与していいかしら?」
 カエデが氷のような眼差しでニノを見下ろし、フォールを振り返る。
「駄目だよ、カエデ。起きていてもらわないと困る」
「そう、残念。そうだわ、セナ! 大丈夫なの?」
 カエデは瀬奈のもとに駆け寄ってきた。
「大丈夫よ、頭が痛いくらい」
 いつもの優しいカエデに戻ったので、瀬奈はほっと息をつく。イオリがカエデを怖がっている理由が少し分かった気がした。
 イリスAは瀬奈の額に手を触れた。
「三十九度四分は大丈夫な熱ではありません。情報を引きだすのに脳に負荷がかかったのでしょう。安静にしていなければ」
「こんな状況でゆっくりしてられないわよ。ねえ、このコンピュータウィルスってどうにか出来ないの? ユーリエ・オラニスの記憶を持つなら、胸が痛むんじゃない?」
 瀬奈が助けを求めると、イリスAは頷いた。
「ですが私には権限がないのです」
「またそんなこと言ってるの?」
 カエデが眉を吊り上げる。
「いい加減にしなさいよ、イリス。どっちつかずが一番嫌われるの。あの狂人か、私達、どちらを選ぶのか、今、決めなさい」
 イリスAは青の双眸でじっとカエデを見つめ、ハッと目を見開いた。
「分かりました。お父様――前マスターは私を廃棄しようとしました。それは私の所有権限を放棄することと同一です。セナ、あなたに頼みがあります。私の新しいマスターになってくれませんか?」
「へ? 私!?」
 瀬奈が床に座り込んだまま、唖然とイリスAを見つめる。
「でも……イオリとか、フォールさんとかクライトさんとか、あなたを上手いこと扱える人がいっぱいいるでしょ?」
 困惑して問うと、イリスAは首を横に振る。
「人間がいいと言った私を、最初に認めてくれたのはあなたです、セナ。そして先程も、あなたは私を人として扱ってくれました。私は私を大事にしてくれる方と共にいたい」
 クライトが笑った。
「こりゃあ驚いた。アンドロイドのくせに、本当に人間みたいなことを言いやがる。機械が人間を選ぶとはね」
 肩をすくめると、クライトは言う。
「いいぜ、セナちゃん。君が次の所有者になるといい。それでこの事態が解決するんなら、こちらとしてもありがたい」
「そ、そんな軽く決めていいんですか?」
 瀬奈の方が困ってしまう。
 カエデは瀬奈の腕を掴む。
「セナ、覚悟を決めて。この頑固なアンドロイドの言う事を聞かせるには、やっぱりあなたしかいないわ」
「カエデまで……」
 瀬奈はイオリの方を見た。機械のことなら彼に訊くのが一番だ。
「イオリ、どうしよう」
 イオリは手を止めて振り返る。
「セナ、お前が決めろ。どっちを選んでも、俺は最善を尽くす」
 力強い言葉に、背中を押された。瀬奈は大きく頷く。
「分かった。それなら……イリス」
 瀬奈はイリスAへ右手を差し出す。イリスAはその手を不可解そうに見る。
「私には家族がいないの。あなたもそうなんでしょう? だから、私と新しい家族になってくれませんか?」
 その場に正座して、瀬奈は改まって向き直る。
 イリスAの青い目が見開かれ、それが緩く笑みのような形になる。人間だったら、泣き笑いだったかもしれない表情だった。
「だからあなたがいいのです。ありがとう、この機械としての命が尽きるまで、あなたと、その子孫を守ると誓います」
 イリスAは瀬奈の右手を両手でしっかりと握った。
「よろしくお願いします、マスター」
 そう言った瞬間、イリスAの手がふわりと輝き、青い目が光った。
 イリスAの動きが止まり、機械的な音声が口から零れる。
「セナ・モリサトの生体情報をインストール。前マスターの情報は削除。プログラムを書き換えています。変更終了まで残り三十秒……十秒……三、二、一。インストール完了しました。新規プログラムを実行いたします」
 ブウンと機械の駆動音がして、再びイリスAの青い目が光った。そして、頷く。
「登録完了しました。マスター、ご命令をお願いします」
 瀬奈は苦笑いを返す。
「マスターじゃなくて、セナでいいわよ。命令ではなくお願いするわね。前のマスターのしでかしたことの尻ぬぐいを手伝ってちょうだい」
 イリスAはどこか愉快そうに微笑んだ。アンドロイドとは思えない自然な笑みに、カエデはたじろぐ。
「承知いたしました。お手伝いいたします」
 イリスAはすくっと立ち上がると、イオリのいる端末へと歩いていく。
 それに焦ったのはニノである。
「こら、やめろ! ユーリエ!」
「その命令はエラーです。現在の所有権はセナ・モリサトにあります」
「くそお、やめろ! やめろと言ってるだろう!」
 ニノはじたばた暴れるが、巻き付いている金属片はぴくりとも動かない。
 イリスAは無視して、端末から出ているコードを指先に繋いだ。
「どうする気だ?」
 イオリの問いに、イリスAは淡々と返す。
「私が薬だと言ったことを覚えていますか?」
 その返事に、イオリは目を見張った。
「お前は、このプログラムのワクチン……。アンチウィルスソフトだってことか!?」
 彼の叫びに、フォールはなるほどと頷いた。
「ウィルスを作るなら、それを解除するソフトも同時に作る。科学者なら必ずそうする。狂っていても博士なら同じことってわけか」
「いやあ、危険だからとスクラップにしなくて良かったな」
 クライトが冷や汗をぬぐう仕草をする。
 イリスAは微笑み、一同を見回す。皆、力強く頷いた。
 イリスAはすうと息を吸い込む。

 ――そして、虹のように美しい歌が、電子の海へと響き渡った。

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