虹色のメロディ編 後日談 ミス・ヒーラーと、一目惚れをした男

ミス・ヒーラーと、一目惚れをした男 01 

「今日の患者はこの方です」
 いつものように、ハティナー保護協会の管理員、テリー・オーウェンが、患者を紹介した。
 病院のベッドに横たわる青年に、瀬奈は声をかける。
「よろしくお願いします」
「……よろしくお願いします」
 弱弱しい声が返ってきた。
 白い入院着の青年は、見るからに疲れ切っている。
 灰色の髪はくすみ、元は青だったという目は黄色ににごっていた。瀬奈と視線が合うことはない。失明寸前だと聞いている。
 瀬奈は治癒のハティンという稀有な能力をもつ。顔を覚えられると身の安全にさしさわるので、同席者は皆、あらかじめ目隠しするのが依頼を受けるための条件だ。
 患者である青年を除き、保護者は目隠しをして、不安と期待をないまぜにしたような表情で、隅の椅子に座っていた。
 青年が目隠しをしていないのは、必要が無いからだ。病気で目が見えなくなる寸前のため、瀬奈が治療しに来たせいだ。
 瀬奈は力が強いハティナーなので、現在の医療では不治とされている病気でも治すことができる。
 しかし万能ではない。死者を蘇らせたり、欠損したものを再生することはできない。それに、患者の症状が重いほど瀬奈にも負担がかかるので、その分だけ依頼料は跳ね上がる。それでも、なんとしても助けたい一心で依頼する者は後を絶たない。
 もしもの事態のために、瀬奈自身も色鮮やかなかつらを被り、その上からフードで覆い、仮面で特徴を隠している。
 他にも決まり事があった。瀬奈の精神的な負担を除くため、依頼者とは深く関わらないことになっている。協会が決めた相手を治療して、報酬をもらう。それだけだ。
 瀬奈は誰でも助けたい聖人ではないし、自分の生活で手一杯なごくごく普通の一般人だ。協会のサポートの厚さにはとても助かっていた。
「では始めて下さい」
 もう一人の管理員の青年、カジ・ノリスが言った。
「はい、では始めます」
 瀬奈は青年の目を両手で覆うようにして、治癒のハティンを使った。
 十分くらい、その状態で能力を使う。瀬奈が疲労を感じ始めた時、ようやく手から溢れる光が消えた。完治の合図だ。
「終わりました」
 瀬奈が告げると、青年は呆然としていた。
 にごっていた目は、美しい青を取り戻している。
「す、すごい。見える。あんなに痛かったのに、なんともない……。あの、ありがとうございました! 良かったら名前を」
 感動で泣きそうな青年の頼みは、もちろん断られた。
「それはできない決まりです。では、帰りましょう、ミス・ヒーラー」
 仕事中、瀬奈はミス・ヒーラーというあだ名で呼ばれる。本名を呼ぶと、瀬奈の生活に支障が生じてしまうせいだ。
「はい……」
 頷いた瀬奈は、立ち上がろうとしてふらついた。慌ててカジが腕を取って支える。
「大丈夫ですか? 今日は難病でしたからね、負担が出ている。休まないといけませんね」
「すみません」
 瀬奈は謝ったが、目の前がぐらぐらと揺れており、たまらず椅子に座り直した。
「失礼します、運びますね」
 カジがひょいっと瀬奈を腕に抱える。
「さあ、戻りましょう」
「すみません、カジさん。あの、お大事に」
 たまにあることなので、瀬奈は驚いたものの、すぐにカジの親切を受け入れた。カジに謝ってから、患者に声をかける。彼の白い肌が紅潮する。
「はい! ありがとうございました、ミス・ヒーラー」
「ありがとう。息子の命の恩人です」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
 青年の両親が必死に頭を下げて礼を言う。
 嬉しそうな彼らを見ると、頑張って良かったなと瀬奈はいつも思う。
 そして、瀬奈は今日も依頼先を後にした。
 いつもなら、そこでもう会うこともないはずだった。

     *

 虹のメロディー事件から季節は廻り、瀬奈は十九歳の春を迎えていた。
 フィース機械工学アカデミーの二年生として、今日も分厚い教科書を入れた横掛け鞄が揺れ、歩くたびにカパカパと音を立てている。
 通りを歩く瀬奈の傍らには、事件以来、一緒に暮らしているアンドロイドのイリスがいる。
「今時、紙の本を持ち歩くなど流行りませんよ、マスター」
「電子書籍は参考にしにくいんだもの」
「せめて私が持ちます」
「自分の荷物くらい、自分で持つよ」
 出かける前にも、鞄を誰が持つかで一悶着したところだ。瀬奈はイリスを見上げる。
「イリスは私のボディーガードなんでしょう? 重い荷物を持っていたら、何かあった時に動きにくいじゃない」
「私の腕力は、三トンまで対応できます。こんな鞄一つ、どうってことありません」
「でも駄目」
「マスター」
 機械なのに、イリスの青い目は恨みがましく見えた。瀬奈は噴き出す。
「あ、ほら、着いたわ。それじゃあね、イリス。第五警備隊の皆によろしく」
「帰りにも迎えにまいりますので、お帰りの前にご連絡ください、セナ」
 イリスはそう言ったが、瀬奈が校舎に入るまで、その場を動く気はないのを瀬奈は知っている。ロボットだけあって、融通がきかない面もあった。
「おはよう、セナ」
 その時、正門前にホバー・バイクが停まって、後部座席から降りたアンジェリカが声をかけてきた。瀬奈の友達だ。
「アンジェリカ、おはよう」
 頭に被っていたヘルメットを外すと、ふわふわのウェーブをえがいた薄茶の髪が零れ落ちた。編み込みをして、頭の横に赤いリボンのバレッタでとめている。化粧をしているものの、うっすらだ。元々の顔がくっきりした目鼻立ちの美人なので、手を入れ過ぎると逆に老けて見えると前に嘆いていた。
 ヘルメットを座席下の収納スペースにしまうと、送ってくれた彼氏に軽く投げキッスをする。彼は手を振り、瀬奈には一瞥もくれずに去っていった。
「相変わらず、彼氏さんはアンジェリカにベタ惚れなのね」
「まあね。私が良い女だから当然よ。あら、あなたのアンドロイドは、今日も律義なのね」
 冗談なのかよく分からないことをアンジェリカは返した。
 イリスは淡々と指摘する。
「ええ、確かにあなたは美人です。顔の黄金比が素晴らしい」
「機械に褒められるって最高ね!」 
 アンジェリカはたちまちご機嫌になった。
「瀬奈のパーツは平凡ですが、比率はそう悪くないかと」
「言わなくていいから!」
 イリスの言葉に、瀬奈は即座に言い返す。イリスはときどき失礼なのだ。恐らくわざと言っている。
 アンジェリカはお腹を抱えて笑っていた。
「ジョークまで言えるなんて、すごいわね。さ、行きましょ、セナ。昨日の課題について、話しあいましょ」
 イリスがすかさず身を乗り出した。
「課題があったんですか? 教えますのに」
「だって、イリスの説明って簡潔すぎて、逆に意味が分からないんだもん」
「やはり知能がいささか低いようで」
「もうっ、うるさいってば。分かってることを言わないで」
 瀬奈はむくれた。アンジェリカは呆れを込めて口を出す。
「そこで否定しないのが面白いわ」
 そして、イリスに手を振り、アンジェリカは瀬奈を促して正門から中へ入ろうとした。警備員に生徒手帳を見せて、セキュリティーを通り抜けてからでないと、出入りできない。
「ミス・ヒーラー?」
「え?」
 ふと後ろから呼びかけられて、気を抜いていた瀬奈はつい振り返ってしまった。
 灰色の髪と青い目を持った背の高い青年が、歩道に呆然と立っていた。
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