「やっぱりそうだ、ミス・ヒーラーですよね? あの日以来、お会いしたかったんです。ああ、今日はなんて素晴らしい日だ!」
頬を紅潮させ、感動で目を潤ませた青年に手を取られ、ぶんぶんと振り回される。瀬奈はその勢いに翻弄され、冷や汗をにじませた。
「あ、あの、人違いだと思います」
間違いではない。瀬奈がそのミス・ヒーラーだが、肯定するわけにはいかない。
「そんなわけがない。僕は声を聞き間違えたりしません!」
「いえ、その、あの」
瀬奈がものすごく困っていると、イリスが青年を瀬奈から引き離した。瀬奈を背中にかばい、じろりと温度の無い目を向ける。
「何者ですか? 私のマスターに、手を上げないでください」
「手を上げるなんて、そんなまさか。悪意のある言い方はよしてください」
青年は心外だと顔をしかめ、イリスをにらんだ。
こうちゃくする場に、瀬奈は焦る。早く教室に行きたいのに、身動きがとれない。するとアンジェリカが呆れ顔で口を挟んだ。
「お兄さん、こんなナンパのしかた、良くないわよ。あんまりしつこいと警備隊を呼ぶからね! この子の彼氏は警備隊員なの。甘く見たら痛い目見るわよ?」
「アンジェリカ」
フォローを入れてくれるのはありがたいのだが、警備隊の名前を出されると困る。
(また厄介事ってイオリに怒られちゃう)
瀬奈がおろおろしていると、とうとう門にいる警備員が出てきた。
「こちらの生徒さんですよね、お困りですか?」
「この人がしつこくて!」
アンジェリカの訴えに、警備員の男はうさんくさそうに青年を見る。しかし、すぐにその目つきが変わった。
「おや、あなたはアンダーソン教授の息子さんではないですか」
親しげな態度になったものの、警備員は厳しく声をかける。
「研究協力のためとはいえ、アカデミーの生徒さんに迷惑をかけてはいけませんよ。最悪、出入り禁止にします」
「申し訳ありません。同じアカデミーなら、急ぐことはないですね。また会いましょう、ミス・ヒーラー」
まずい事態だと悟ったのか、青年はあっさりと引く。そして瀬奈に丁寧にお辞儀をしてから、セキュリティーを通り抜けてアカデミー内へと入っていった。
「あの人、アンダーソン先生のご子息なんですか?」
瀬奈は恐る恐る警備員に問う。
アンダーソン教授は、設備が専門の機械師で、やり手の研究者だとアカデミー内の噂で聞いたことがある。ただ、瀬奈はアンダーソンの授業をとっていないし、彼はほとんど研究室から出ないので、顔は知らない。
「ええ、そうですよ。もし困ったことがありましたら、またご相談ください。校内には監視カメラもありますし、証拠が必要ならそちらで押さえていただけます。必要でしたら、事務所とこちらに申請してくださいね」
警備員は丁寧に言って、スキャナーをかざして危険物を持っていないかチェックしてから、瀬奈とアンジェリカを中へ通す。
瀬奈の隣を歩きながら、アンジェリカは鼻白んで言う。
「ミス・ヒーラー? ナンパにしては奇妙な声のかけ方ね。優秀な研究者って、変人が多いって聞くし、瀬奈も気を付けなきゃ駄目よ。防犯ブザーって持ってる?」
「え? うん、もちろん」
警備隊の面々にも確認されるし、ハティナー協会からも支給されている。
「使い方は?」
「鳴らして、すぐに手の届かない近場に投げる」
「そうよ。おとりとして使うの。怖い時って声が出ないから、持っていたほうが安心だわ」
「アンジェリカ、使ったことがあるの?」
やけに詳しいので、瀬奈はアンジェリカをちらっと見る。彼女は渋面になっていた。
「付き纏いにあったことがあるわ。私って、軽く見られるみたいなの。彼氏は途切れないけど、付き合っている時はその時の相手だけよ。失礼しちゃうわよね」
「へえ、立派だねえ。途切れないってすごい。何歳から?」
「初めての彼氏が十二歳の時だから、それから」
「アンジェリカ、すごい。最強だね!」
アンジェリカはふふっと笑う。
「私、セナのそういうとこ、好きよ。普通は、自慢だとか嫌味だとか言うんだから」
「そうなの? ピンとこないなあ」
瀬奈は首をひねったが、アンジェリカは機嫌が良さそうに目を細めているので、つられて笑みを浮かべる。
教室に入ると、ホームルームまであと少ししかない。瀬奈はがっかりした。
「あーあ、時間がぎりぎりになっちゃった。課題について話し合いたかったのに」
「ナンパなんて貴重な体験したんだもの。しかたないわ」
「「えっ」」
なぜか近くにいた男子生徒が驚いてこちらを凝視するので、瀬奈はきょとりと見つめ返す。
「おはよう。どうかした?」
「え、いや、別に」
よく分からない態度を不思議に思ったものの、瀬奈は「まあいっか」と自分の席に行く。
「セナって罪作りよねえ」
アンジェリカの呟きが謎だ。
首をひねりながら、瀬奈は通信機を取り出して、手早くイオリにメールを打つ。朝の件について書いて送ると、すぐに返事がきた。
――危険性は?
瀬奈も返信を書く。
――悪意は無いみたい。勘違いだって、誤魔化しておいたわ。でも彼は声を聞き間違えないって言ってた。
――了解。それなら副団長に相談して、協会に連絡取ってもらう。帰りは迎えに行くから、勝手に帰るなよ。
――分かった。
瀬奈はメール画面を閉じて、微かに笑みを浮かべる。
こういう時、彼氏が警備隊員だと心強い。慌てずに冷静に対処を考えてくれるので、ありがたい。
それからいつも通りの一日を終えた。
放課後、アンジェリカやレクとともに校舎を出ると、玄関で朝の青年が待っていた。
「ミス・ヒーラー」
笑顔で手を振る青年を目にして、瀬奈は困惑する。レクがけげんそうにして、瀬奈の横顔を見る。
「セナ、どういうこと? 警備隊の友達?」
「知らない人よ」
「危なくない?」
「イオリに連絡済み」
レクは瀬奈がハティナーだと知っている。前に事件に巻き込んだことがあったせいだ。だから、堂々とヒーラー呼ばわりする彼を知人ではないかと思ったのだろう。
二人がこそこそと会話していると、事情を知らないアンジェリカが不愉快そうに青年に怒る。
「ちょっと、しつこいわよ!」
「声をかけるのは犯罪?」
青年も負けていない。
「名前も知らない相手なんて、信用できるわけないでしょ」
「あ、そうだね。では、はい。名刺をあげるよ」
青年はジャケットから名刺ケースを取り出すと、名刺を一枚ずつ配った。
アンジェリカは名刺を眺めて、驚きに目を丸くする。
「ウィリアム・アンダーソン? ヴァイオリニストって書いてあるけど、えっ、まさか、あのウィリアム・アンダーソン? 嘘! 重病で引退したはず。でも顔が同じだわ!」
アンジェリカが不審から一転、興奮した様子を見せる。
瀬奈はあいにく音楽には詳しくない。ヴァイオリン奏者ということくらいしか分からないので、レクに問う。
「レク、知ってる人?」
「俺がそういうのに詳しいと思う?」
「……思わない」
「そういうこと」
レクも知らないようだ。
「もうっ、あんた達、少しは芸能ニュースも見なさいよ」
アンジェリカは呆れ混じりに言い、またウィリアムに視線を戻す。
「お嬢さんの言う通りだよ。この間まで、原因不明の難病で失明寸前だったんだ。でも、ハティナー保護協会に多額の寄付をして、ミス・ヒーラーに治療してもらったんだよ」
失明寸前? 治療?
なんだか最近、そんな仕事をした気がする。
瀬奈は冷や汗をかきながらも、平静な態度を装う。
「そう言われても……人違いです」
「分かった、そういうことにしておこう。じゃあ代わりに、僕と付き合ってくれないかな」
「どこに?」
瀬奈が問うと、アンジェリカとレクが噴き出し、ウィリアムは頬をひくりと引きつらせた。
「ちょっと、セナったら。お約束のボケをかまさないでちょうだい。彼は交際してと言ってるのよ」
「え? あ、そういう意味か。いえ、お断りします。私、すでに彼がいるので」
理解したが、すぐに断った。
「少しも考えずに振るの?」
「気を悪くされたなら申し訳ないですけど、相手がいるのに考える必要はないでしょ?」
瀬奈としては至極まっとうなことを言っているつもりだが、ウィリアムは悲しげに眉尻を下げている。これでは瀬奈が悪役みたいだ。
その時、ウィリアムの後ろから金髪の青年が問いかけた。
「あんたが不審者?」
「あ、イオリ」
瀬奈はまさに話題に出していた彼氏の名を呼んだ。
イオリ・レジオート。十九歳という若さで、第五警備隊の主任機械師をしている少年だ。白いシャツに、黒い袖なしベスト、黒いズボンにスニーカーという服装で、腰には警棒を下げている。
短い金髪に、不機嫌そうに歪めている目は夜のようなダークブルーだ。白い肌をした、綺麗な顔立ちをしている。すらりと背も高く、まるでモデルか俳優のようなのだが、不良じみた雰囲気なので、近付きにくさはあった。
「警備隊? 話しかけただけで通報したの? ひどいな」
ウィリアムはさすがに気分を害したようだったが、レクが否定した。
「違うよ。彼は、セナの彼氏」
「どうも。イオリ・レジオートだ」
イオリがあいさつして右手を差し出したので、ウィリアムも握手を返す。
「ウィリアム・アンダーソンです。よろしく、レジオートさん」
手を離すと、イオリは率直に問う。
「それで、アンダーソンさん。朝から絡んでるらしいけど、うちの彼女になんの用?」
「彼氏のいる女性としゃべると、違法だったっけ」
ウィリアムは皮肉を返す。
どう見ても良い家の坊ちゃんという雰囲気だが、精神的にタフだ。普通は警備隊が出てくると、少なからずビビる。
イオリは冷静な態度で、言い返す。
「門の前で訳の分からんことを言いながら話しかけるのは、迷惑行為だ」
「探していた人を偶然見つけたから、つい興奮しちゃったのは認めるよ。申し訳なかった」
ウィリアムがあっさりと非を認めて謝ったので、瀬奈はほっとした。
だが、次の瞬間、空気にピシッとひびが入る。
「彼氏ってこの程度なんだね。チャンスありそうだなあ。また偶然会った時はよろしく。今度は名前を教えてね?」
ウィリアムは瀬奈にウィンクしてから、校舎の中へと戻っていった。遠くから白衣の先生がウィリアムに手を振っている。
「あ、あの先生がアンダーソン教授だよ」
レクが教えてくれた。アンジェリカがそれに付け足す。
「音響設備の開発協力で、絶対音感を持つ息子を助手にしてるって話ね」
「えっ、詳しいね」
瀬奈はアンジェリカの顔を見る。
「まあ、朝にあんなことあったから、周りに聞いてみたのよ」
どうやら心配してくれていたらしい。
「ありがとう、アンジェリカ」
「どういたしまして。でも、どこで彼みたいな大物芸能人と知り合ったの? 病気で引退するまでは、人気すぎてチケットもなかなか取れないので有名だったのよ。ほら、あの甘いルックスに、スマートな容姿。天才ヴァイオリニストってだけじゃなくて、自分で曲も作って、更には弾きながら踊ったりもするエンターティナーよ」
口早に語られるウィリアムの情報に、瀬奈は困り果てる。
「そう言われても、分かんないのよね」
「彼はこの程度とか言ってたけど、容姿だったら、二人とも素晴らしいと思うわ」
アンジェリカの指摘に、瀬奈は首を傾げる。
「別に私、イオリのこと、容姿で好きになったわけじゃないし。だからそんなに怒らないでよ、イオリってば」
「この程度呼ばわりされて、腹の立たない奴がいたら、是非お目にかかりたいもんだぜ。言っておくけどな、セナ。俺だってこの間、首都開催のロボット設計コンクールで三位に入ったんだ」
イオリが実績の話をし始めるので、瀬奈は困惑する。
「すごいと思うけど、イオリってば何か勘違いしてない?」
「何を」
「結果を出そうが出さなかろうが、機械師であろうと無職だろうと、別にどうでもいいわよ。イオリだから好きなだけだし」
「……う」
鼻が詰まったような声を出して、イオリはそっぽを向いた。
アンジェリカがにやにやする。
「ふふっ、これは照れるわ」
「セナってストレートだなあ。俺もこんなふうに言ってくれる彼女が欲しい。アンジェリカ、お邪魔みたいだから行こうぜ」
うらやましそうにレクが言い、アンジェリカとともにその場を離れる。
「そうね。じゃあ、また明日ね。ご馳走様」
「うん、また明日」
ご馳走様?
よく分からない表現を不思議に思いながら、瀬奈は二人にあいさつを返す。すると正門にイリスを見つけた。イオリの腕を軽く叩く。
「あ、イリスが来てるよ。行こう、イオリ」
「お前ほんっと……はあ、まあいい。行こう。くっそ、ここがアカデミーじゃなければ」
隣でぶつぶつ言っているイオリが謎だが、瀬奈は正門に向けて歩きだした。