「僕が思うに、君は空落人(そらおちびと)じゃないかと思うんだ」
瀬奈の事情を聞いた後、フォールという名の、第五警備隊(フィフス・ガード)の隊長を勤める男性が唐突に切り出した。
留置所のあった建物は、第五警備隊という組織の本部が置かれている場所らしい。そこの応接用ソファーでコーヒーを一杯飲み、落ち着いた瀬奈は、カップを両手で持ったまま、きょとんと目を瞬いた。
彼の言っていることがよく分からなかったので、半分程残っているコーヒーを見下ろす。
これはさっきの赤髪の少女――カエデが淹れてくれたもので、コーヒーは故郷のものとほぼ変わらない味だ。カエデは医務係をしているらしく、怪我が治ったイオリを念のためにと診察していた。
(空落人? なんだろ)
結局分からなかったので、瀬奈はおずおずとフォールを見上げた。彼は先程から瀬奈の座るソファーの傍に立ち、両腕を組んで難しい顔をしている。そんな顔をしなければ、焦げ茶色の髪と目が優しそうな外見によく似合っていて、面倒見の良いお兄さんという雰囲気だ。今はちょっと怖い。
「何を言い出すかと思えば……、あれは伝説だろうが」
第五警備隊副隊長のリオが呆れた視線をフォールに投げた。緑色の長い髪という、故郷ではお目にかかれない色合いの髪を持った彼女は、切れ長の目を苛立たしげに細めている。フォールの言葉は、彼女にとって余程突拍子のないことだったのだろう。
だがフォールは至極真面目な顔で、「そうかな?」と首を傾げた。
「伝説というのは、本当にあったことを元にして書かれていることが多い。だから、そう否定する理由もないだろう?」
「だからといって、全部鵜呑みにするのも馬鹿げていると思うがな」
リオもまた冷静に言い返す。
真剣に議論する二人に、瀬奈は恐る恐る口を挟む。
「……あのー」
「何?」
フォールはすぐに瀬奈を振り返る。人当りの良さそうな笑みで続けるように促され、瀬奈は遠慮せずに質問した。
「空落人って何ですか? 伝説って?」
「ああ、ごめんごめん。空落人っていうのは、その言葉の通り、空から落ちてきた人のことだよ。大昔にもね、君みたいに空から落ちてきた人がいたらしいんだ」
「えっ」
瀬奈は驚きに目を見開き、フォールを凝視する。
「千年前の伝説上、だがな」
瀬奈の右隣に座るリオが付け足し、呆れたようにソファーに背を預ける。
「千年前……」
途方もない年数だ。瀬奈は呆然と宙空を見つめる。フォールは楽しげに語る。
「空落人は変わった力を持っていたんだよ」
「それが、さっき話した『異能』のことだ。その空落人は〈浄化〉のハティンを持っていたという話だ」
「空落人が来るまで、この惑星に住む人間は誰もハティンを持たなかったんだって。そのことから、今いるハティナーは、全員、彼の血を引いていると云われてるんだ。これは始まりのハティナーについての伝説だよ」
交互に説明してくれるフォールとリオの顔を見比べながら、瀬奈は、イオリと違って二人は親切だなあと心の底から思った。
フォールは瀬奈が話についてきているかを確認するようにじっと見た後、どうして瀬奈が空落人だと思うのかという理由を話した。
「君が空から落ちてきたという話に、突然使えるようになったハティン。全く知らない世界や常識のことといい、君は彼と共通点が多い。僕はこの推測が妥当だと思う」
確かに似ているなあと、伝説の人に瀬奈は思いを馳せる。そこでふと、疑問を覚えた。
「『彼』ってことはその人、男の人だったんですか? それに、その話を聞いてると、何だか帰れなかったように思えるんですけど」
瀬奈の問いに、フォールは首肯を返す。
「そうだね。男の人でね、名前は確か……」
「ユキナリだ」
リオが会話を引き継いだ。
「彼はとても力の強いハティナーだったから、帰ろうと思えば帰れたらしいが、こちらの恋人と別れられずに居残ったという話だ。
彼が落ちたという場所は隣国のラトニティア王国でな、そのせいでハティナーはあっちの国の方が多いらしい。多いといっても千人に一人いるかいないか、だが」
「だからね、ハティナーは手厚く扱われるんだ。存在自体が稀有だから、見つけたら保護しなくてはならないことになってる」
「保護って、まさか牢屋に入れられたりするの?」
瀬奈はさっき留置所に入れられたことを思い出して顔色を変えた。フォールは苦笑する。
「ああ、それはないから安心して。……全く、普通、女の子を問答無用で留置所に入れたりなんかしないよ? イオリは本当に考え無しだよねえ。見なよ、この子、怖がってるじゃないか」
「……悪かったな」
瀬奈の向かいのソファーに座っているイオリは、フォールの言葉に眉を寄せ、ぼそりと謝った。だがそのままぷいとそっぽを向いた。フォールの苦笑がますます深くなる。
「ごめんね、セナさん。イオリは本当は良い奴なんだけど、目付きが悪くて口も悪いから、よく誤解されちゃうんだよ」
「フォローになってねえよっ」
フォールに抗議の声を上げたイオリだったが、フォールに睨まれてすぐに口をつぐんだ。どうもイオリはフォールに弱いらしい。
「大体、普通上から落ちてきたら疑問に思うでしょ。そこから感性がずれてると思うんだよね」
「……仕方ねえだろ、どこかの二階からでも落ちたのかと思ったんだからよ」
イオリはぼそぼそと言い訳したが、フォールには聞き流された。
「ま、そういうことだからセナさん。しばらくここで過ごすといいよ。君のハティンは〈治癒〉みたいだし。とても役に立つ、良いハティンだから、いてくれるとこっちも助かるな。職業柄、とても怪我が多いからね」
「……はあ」
にこやかに話を進められ、瀬奈は放り出されるよりはありがたいと思いながら頷いた。
「こっちも君が帰れるように方法探すよ。もちろん、君も探してくれて構わない」
フォールはそこまで言い、思いきりニコッと笑うと、イオリの腕を引っ張って自分の前に押し出した。自然とイオリが瀬奈の目の前に立つことになる。よろけながら驚いているイオリの肩を、フォールはポンと叩く。
「それから、何か困ったことがあったらイオリに訊くといい。大丈夫、ちゃんと丁寧に教えてくれるさ」
「はあっ!?」
イオリの抗議の声にフォールは「もちろん引き受けるよね?」と笑顔で凄んで無理矢理頷かせ、再び瀬奈に笑みを向ける。
「ほら、良いって。よろしくしてやってよ」
「…………はあ」
ここまで言われては、さすがに嫌だとは言えず、瀬奈はしぶしぶ頷いた。
*
翌朝。眩しい朝の光が顔にかかり、瀬奈は眉間に皺を寄せた。
「うーん……眩しい……」
うなるように呟いて、光から顔を背けるようにしてごろりと寝転がる。しばらくの沈黙の後、のろのろと半身を起こす。目は思いっきり閉じていて、半分夢の中にいるのが分かる有様だった。
「おはよう、セナ! 今日も良い朝ね!」
その時、明るい声とともにバタンと勢いよく部屋の扉が開いた。ぎょっと目を開けた瀬奈は、戸口に立つふわふわな赤い髪の少女を見つけてたじろいだ。
「えっ、誰? あれ、ここは……?」
見知らぬ人間に、見覚えの無い部屋。寝起きなこともあってパニックに陥りかけた瀬奈に、赤髪の少女は小首を傾げ、優しい笑みを浮かべる。
「あらもう忘れちゃった? 私の名前はカエデよ。カ・エ・デ。寝惚けてるみたいだから付け足しておくと、ここはヴェルデリアのフィースよ」
「ヴェルデリア……、フィース……」
瀬奈は言葉を繰り返し、そこで完全に目が覚めた。
「あ――っ!」
叫んで立ち上がると、瀬奈は窓の外を見て、室内を見回し、最後には両頬に手を当てて呟く。
「夢じゃなかったんだ」
残念すぎて、声も沈んだ。
落ち込む瀬奈に、カエデはきっぱりと頷く。
「そうね、夢じゃないわ。現実よ」
カエデはそう言うと、窓に近付いて大きく開け放し、手に持っていた着替えを瀬奈に差し出した。
「これ、着替えね。うちの制服の予備で悪いんだけど、あなたのサイズが合いそうな服ってこれしかなくて。着たら下に降りてきて。朝御飯が出来てるから」
「あ、はい……」
瀬奈は頷いて、着替えを受け取る。昨日に引き続き灰色の制服を着るつもりだったが、せっかく用意してくれたのだからこちらを着ようと、服を見下ろす。白いTシャツと黒いベスト、黒い半ズボンだ。手触りは良い。
「似たようなタイプで良かったら、他にもあるから、着替えは気にしなくていいわよ。下着だとかは出来るだけ早く買ってくるわね」
カエデはそう言うと、満足そうに笑って部屋から出ていった。
今度は静かに閉められた扉を見つめ、瀬奈は大きくため息を吐いた。ベッドに背中から倒れこむ。そして、ぼんやりと天井を見上げる。
「これからどうしよう……」
視界に納まった窓から覗くのは、晴れ渡った青空だった。
「この世界の空も青いんだ……」
そういえばここに落ちてきた時も空は青かったと思い出し、瀬奈はどうにも不思議な気持ちでつぶやいた。
着替えを終えて階下に降りると、香ばしい匂いが漂ってきた。それが卵とハムの匂いであると気付いたのは、テーブルに並べられたハムエッグを見つけた時だった。
「こっちにもハムエッグってあるんだ……」
瀬奈は妙に感心して、テーブルの朝食を見つめる。ただ瀬奈の家の食卓と違うのは、白いご飯ではなく籠に詰められたパンが置かれている点だった。
(ご飯ってあるのかなあ)
ふと、そんなどうでもいい疑問を持ち、首を傾げる。
「……おはよ」
その時、イオリが眠そうに短い金髪を掻き混ぜながらリビングに入ってきた。そして、テーブルの前に立っている瀬奈を見てふと真面目な顔になり、視線を明後日の方に逃がしながらぼそりと言った。
「昨日は悪かったな」
「え?」
一瞬何を言われたかが分からなくて、瀬奈がぽかんとして聞き返すと、イオリは気まずげな顔になってぶっきらぼうに「二度は言わないからな」と返した。
「……?」
瀬奈は少し考え込み、どうやら彼は昨日の暴言に対して謝罪したようだと気付くと、少し笑顔になった。
昨晩フォールが言っていた通り、もしかしたら良い人なのかもしれない。今の所はよく分からないけど。
「全く素直じゃないんだから」
台所から朝食の乗ったトレーを運び込みながら、カエデがクスクスと笑う。
「うるせえ」
そんな彼女をイオリはじろりと睨み、そのまま席の一つについて朝食を食べ始めた。
「セナ、好きな所に座って食べて」
カエデに言われ、瀬奈はしばし逡巡した後、端っこの席に腰を降ろした。
(何だかお世話になっちゃってるけど、いいのかなあ……)
瀬奈はどこか罪悪感めいたものを感じながら、とりあえず言われた通りに食べ始めた。
卵とハムの味は、やはり元の世界と同じ味だった。
*
「改めまして、自己紹介をしようと思う。僕はフォール・ダン・マシアス。ここ、第五警備隊の隊長だ」
朝食後、リビングのテーブルに座る全員を見回し、フォールはそう切り出した。
「私はリオ・ユーリゼンだ。よろしくな、セナ」
豊かな緑色の髪が印象的なリオは立ち上がると、男勝りに微笑み、瀬奈に右手を差し出した。
「あ、よろしくお願いします」
反射的に手を握り返し、瀬奈はぺこりと頭を下げる。顔を上げると、リオは軽く首を横に振った。
「そんなに畏まらなくていい。リオと呼んでくれ」
「はい」
瀬奈が頷くと、リオは席に座り直す。今度はカエデが身を乗り出す。
「私はカエデ・ジーナスト。私もカエデって呼んでちょうだい。よろしく、瀬奈」
「よろしく、カエデさん」
瀬奈が言って、差し出された手を握り返そうとした時、ひょいと手を上げられて空振る。
「?」
驚いてカエデを見ると、カエデは「駄目駄目」と右手を振った。
「『さん』はいらないわ。カエデでいいのよ」
初対面の人にいいのかなあ、と瀬奈は不安に思ったが、本人がそう言うので仕方なく言う通りに頷く。
「分かった、よろしくカエデ」
「うん、それでいいのよ」
カエデはにこにこと微笑みながら、今度こそちゃんと握手してくれた。
どこか大人びた雰囲気に、瀬奈は近所に住んでいたお姉さんを思い出す。彼女はいつもこんな風に温かく微笑んで、『いってらっしゃい、瀬奈ちゃん』と瀬奈に朝の挨拶をしてくれたものだ。
「イオリ・レジオートだ」
その後、ぶっきらぼうにイオリが自分の名前を述べた。第五警備隊は、残るは牢屋番のバーンズという中年男だけらしい。が、彼は仕事中に持ち場から離れるのを面倒がるので、上の階にはほとんど来ないとのことだった。
そして、残るは瀬奈である。
「えと、私は森里瀬奈です。どういうわけか違う世界に来ちゃったみたいです。帰れるまでよろしくお願いします」
瀬奈は言って、ぺこりと頭を下げる。
「敬語」
そこでイオリが不機嫌に言った。
「はい?」
イオリの言葉の意味が分からなくて目を丸くすると、イオリは言葉が足りないと思ったのかもう少し付け足した。
「敬語はやめろ」
イオリの言葉に、その場の全員が頷いた。
「そうだよ、仮にもセナはここではお客様なんだから。気を遣わなくていいんだよ」
「そうだ。部下ならともかく、一般人がそんな言葉遣いで話しかけなくていい」
フォールとリオが口々に言い、瀬奈はますます困惑する。
「でも、お客さんだったら尚更敬語使うべきなんじゃ……」
「まあそうなんだけど、君の場合はただのお客さんとは言えないんだ。君はハティナーだから、国から保護されるべき存在で、本来ならもっと丁重に扱わなくちゃいけないくらいなんだよ。だからせめて砕けた話し方をして欲しいんだ。僕らが気を遣わせてるみたいに思われると結構困るから」
「え? そんな、気を遣うなんて当たり前だし、それにこれでも十分良くしてもらってるのにっ」
フォールの言い分に、瀬奈は焦って両手を振る。これ以上迷惑をかけたくない。フォールは頷いた。
「うん、君ならそう言いそうだと思って、普通の民間人扱いさせて貰ってる。構わないかな?」
「もちろん!」
フォールの質問に、瀬奈は力強く頷いた。
「良かった」
フォールはほっとしたように笑い、それから付け加える。
「昨日は突然だったからカエデの部屋を使ってもらったけど、今日はちゃんと別室を用意しておくよ。君の身の振り方が決まるまで、そこを自由に使っていい」
瀬奈はそんなにしてもらっていいのかという不安と、親切にされるありがたみで半分泣きそうになりながら頭を下げる。
「あ、ありがとうござ……」
「敬語禁止ね」
フォールは笑顔で口を挟む。
「ありがとう、隊長」
そしてにこりと笑うと、無愛想なイオリ以外、皆が笑顔を返してくれた。