白浄花の輝き編 第一部 出会い

三章 ヴェルデリアという国 

「まず、ヴェルデリアはこのメルカシア大陸の東の端に位置してる。で、この中央山脈を挟んだ西にある国がラトニティアだ。その更に西には、灰色砂漠が広がってる」
 食堂の大テーブルの上に広げた地図を覗き込み、イオリは指で示しながらそう説明した。
「へえ〜、本当に違う世界なんだ」
 瀬奈は地図を眺めてみて、改めて再認識した。目の前の地図には、地球のものとは全く違う大陸がえがかれていた。
 今、瀬奈はこの世界についての勉強中だ。イオリに教えてもらっている真っ最中である。
 昨日こそ瀬奈の世話役を引き受けるのを嫌そうにしていたイオリだったが、一度了承したら、(ただしフォールに半分無理矢理にさせられたのだが)、面倒臭そうではあるが嫌がらずに何でも教えてくれた。教師としてはちょっと厳しいが。
「お前、本気で何も知らないんだなあ」
 イオリは瀬奈をまじまじと見て、呆れた調子で言う。
「そうだって、昨日から何回も言ってるでしょ」
 瀬奈はそんなイオリを軽く睨む。他のメンバーに対しては気を抜くと敬語を使いそうになる瀬奈だが、この少年に関しては普通にタメ口になる。同級生くらいだからだろうか、それとも、ただ単にイオリの態度の悪さからだろうか。たぶん、後者だ。
 イオリはひょいと肩をすくめ、「何か質問は?」と訊いた。
「うーん、そうだなあ……。あのさ、この国の裁判って『国民』じゃなきゃ受けられないってあのオジサンが言ってたけど、本当なの?」
「オジサン?」
 イオリが怪訝な顔をするので、瀬奈は思い切り眉を吊り上げて答える。
「あの、牢屋番の、おしゃべり好きな人のことっ!」
 それで分かったらしい、イオリはブッと吹きだした。
「ははっ、バーンズさんのことか? おしゃべり好きね……、確かにそうだな」
 イオリはにやにや笑って肯定する。
「で、裁判は?」
 瀬奈が答えを急かすと、イオリはまだ笑ったまま言う。
「そうだよ、あのオッサンの言う通りだ。大体、国民じゃない奴が受けられるわけないだろ?」
 何を当然なことを訊くんだ、とイオリは少し顔をしかめた。仕方がないので、瀬奈は自国の裁判について話して聞かせることにした。
「へえ、そんなとこがあるのか? ふうん、確かにそっちの方がいいよな。『平等主義』ってやつ? 公正でいいじゃねえか」
 それを聞いたイオリは驚いた顔をした後、しきりに感心していたが、「でも今のこの国じゃ無理だな」とぽつりとつぶやいた。
「えー? 何で?」
「上の奴らの隣国嫌いが激しいんだ」
「上の奴らって?」
 瀬奈の問いにイオリは眉を寄せてしばし考え込み、側に置いていたメモ用紙に何やら図を書き始めた。
「ほら、よく見てろ」
 イオリが図を描いたメモをこちらに差し出してきたので、瀬奈はそれをじっと見つめる。イオリはボールペンの先で指し示しながら説明する。
「うちの国のトップは、この六つの都市の市長だ。分かるか?」
「うん」
 イオリは頷き、メモ帳に書かれた簡単なヴェルデリアの地図の首都にあたる都市を示す。
「それで、そいつら全員がこの都市に集まって六長会議を開いて政治を動かすってシステムになってるんだ。ちなみに、市長は各都市での投票で決まる」
「へえ」
 代表を投票で決める手法は日本と一緒なんだな、と瀬奈は心の中で呟く。
「つまり、そいつらが隣国嫌いだから、この国はなかなか変わらない、ってわけ」
 イオリのあまりにも大っぴらな態度に瀬奈は呆れ、首を傾げる。
「ねえ、じゃあそもそも何でラトなんとかと仲が悪いの?」
「ああ、それか。確かこっちの国が戦争で勝って、あっちの国宝を奪い取ってからかな。五十年くらい前の話だ」
「戦争って……、何でまた」
 びっくりする瀬奈に、イオリは特に気に止めずに口を開く。
「資源関係の貿易争いが戦争に発展したんだよ」
 どこか他人事のように返すイオリ。
 瀬奈がそれを指摘すると、まあ実際どうでもいいし、とイオリは答えた。
「商業争いが原因で国家間の争いがずっと続いて、辟易してるのは俺達市民なんだよ。いい加減友好国にでもなりゃいいって思ってるくらいだ」
「イオリ」
 そこまで言ったところで、カエデがカウンターから厳しい声で咎めた。声だけでなく顔付きも厳しいものになっている。
 イオリはカエデに短く謝り、瀬奈に語調を強めて言う。
「さっきのは忘れてくれ。こんなことを外で言ったら反逆罪で逮捕されるから言うんじゃねえぞ」
 イオリは言って、地図とメモを片付けると、「じゃあ今日はこれまでな」とさっさと席を立ってしまった。
「あ……、ありがとう」
 瀬奈は慌てて礼を言ったが、イオリに聞こえていたかは分からなかった。
 どこか不機嫌そうなイオリの背中を見送り、瀬奈はリビングに残ったまま、首をひねる。
「うーん……」
 自分はまた何か彼を怒らせてしまったのだろうか。
 瀬奈は自分が何か悪いことを訊いたかどうかで悩み始める。
「違うわよ、セナ。あなたのせいでイオリは不機嫌になったわけじゃないわよ」
 見かねたカエデが考え込む瀬奈に柔らかく言った。
「ええ? じゃあ何で?」
 問い返す瀬奈にカエデは困ったように眉尻を下げる。
「イオリね、いろんな所を見て回りたいらしくって。それで国同士が喧嘩しているのが気に入らないらしいのよ。ほら、その地図の通り、この国って大陸の端にあるでしょ? だから他の所に行くには絶対にラトニティアを通らなきゃならないの。分かるかしら?」
 瀬奈はさっきの地図の形を頭に思い描き、頷いた。
 確かに、この国はメルカシアという大陸の東端にあった。他にも大陸はあるのだが、陸路の方が安全だという。船は移動手段として発達しているそうだが、外国行きとなると、どうしてもラトニティア王国近海を通ることになり危険な為、貿易船か国の所有船しか使えないらしい。一般人が乗るスペースはないというわけだ。
「瀬奈は飲み込みが早くて助かるわ」
 考えを巡らす瀬奈に、カエデは柔らかく微笑んだ。

         *

 その日のお昼過ぎ、瀬奈はイオリについて街に出た。
 イオリが街を巡回する時間だというので、カエデがついていって街を見てきたらどうかと提案したのだ。
 イオリは一瞬眉をひそめたものの、結局了解してくれた。何だかんだで他人に甘い人なのかもしれない。
 そうして出てみた街は、やはり瀬奈にとって異質なものだった。壁の色は昨日の見間違いなどではなくて青灰色をしていたし、電灯には明かりこそ点いてはいないものの、何か丸いものがふよふよと浮かんでいる。
 ただ昨日は気付かなかったが、街の中には綺麗に飾られた店が多いように見えた。瀬奈は巡回で周囲に視線を配りながら歩くイオリの後ろをついて回りながら、好奇心に目を輝かせた。
「ねえねえ、あれ何? あの球体!」
 瀬奈はある店のショーウィンドウに置かれた丸い物体を指差してイオリに問う。
「ああ、あれはザナルカシア儀だよ」
「ザナルカシア?」
「この惑星の名前。分かりにくけりゃ世界名とでも思えばいい」
 イオリは律儀に教える。
 瀬奈は礼を言い、また周囲を見回す。いろいろと見知らぬ物に溢れていて、とても興味をそそられる。
「すごいすごい! あれって風船かなあ? あーっ、あっちにお菓子屋さんがあるっ。すごーい、あれ何? 何か画面が浮いてるよ!?」
 瀬奈があまりに騒いでイオリの服を引っ張るせいか、最初は丁寧に教えていたイオリでも、最後にはとうとうキレた。
「だーっ、うるさいぞ、お前! ちったあ静かにしろ!」
「わあっ」
 通りの真ん中で突然立ち止まって叫んだイオリに驚いて、瀬奈は小さく悲鳴を上げる。
「だって……気になるんだから仕方ないじゃない?」
 またまた不機嫌になりつつあるイオリの顔を見上げて、瀬奈はごにょごにょと言い訳する。彼の言う通り、ちょっとはしゃぎすぎた気はするけれど。
「お前にはそうかもしれないけどな、俺は仕事中なの。そこを理解しろ、ったく……」
 悪態をつくイオリを、瀬奈はじーっと見る。
「仕事仕事っていうけど、そもそも警備隊って何なわけ? 警察か何か?」
「……ケイサツって何だよ?」
 半眼で見下ろしてくるイオリに、瀬奈は少し考えて答える。
「えーっと、治安を守ったり、犯罪者を捕まえたり、交通違反者を捕まえたりとかする人達のことだよ。私の国の」
「何だ、それじゃ俺達の仕事そのまんまじゃねえか」
 ふうん、と頷くイオリ。
「へえ、じゃあ何で第五警備隊っていうの?」
 イオリははあーっと大きくため息を吐き、グシャグシャと短い金髪を右手で掻き回す。
「だーかーらー。俺は今、巡回中なんだって」
 うるさそうにそう返し、イオリはしばらく「あー」とか「うー」とか唸っていたが、やがて観念したように肩を落とした。
 不思議そうにその様子を見ている瀬奈に、イオリはため息混じりに言う。
「……分かったよ、教えればいいんだろ。教えれば」
 投げやりに言い捨て、さっさと道の端の方へと歩き出す。そして細い路地に入って、家の壁に寄りかかると、慌ててついてきた瀬奈をじろりと半眼で見た。
「何で第五警備隊っていうかだったよな?」
「そうそう」
 瀬奈はこくこくと頷く。
「そうだな。それを説明する前に、まず、うちの国は二つのエリアに分かれてるってことを教えとく」
 イオリは通りを流されていく人込みに視線を投げながら言う。
「二つのエリア?」
 また難しいことになってきたな、と瀬奈は眉を寄せる。
「そう。俺達警備隊が守ってる平原部にある地帯と、森のある地帯の二つのことだ。森の方は他の組織が守ってるってことだけ言っとく。これ以上言うとややこしいからな」
 いいな? と訊かれて、瀬奈は強く頷いた。あまりややこしくなっても覚えきれる自信はない。自慢ではないが、瀬奈はあまり勉強が得意な方ではないので。
「で、その警備隊だけど。警備隊は全部で五つの部隊に分かれてる。まず、首都ヴェルタートを守る第一警備隊、それからイオル、ドーラっていう二つの都市を管轄してる第二警備隊、バーレの管轄の第三警備隊、ウルの管轄の第四警備隊、そして最北の都市フィースの管轄の我らが第五警備隊だ」
「……」
 いっぺんにたくさんの都市名を言われて、瀬奈は閉口する。
 それに気付いてイオリは「戻ったら地図で確認しとけ」と言い、更に続ける。
「その中で、第一警備隊が一番権力を持ってる」
「じゃあ第五警備隊は?」
 瀬奈が何気なく問うと、イオリの目がどこか遠くを向き、寂しげな顔になった。
「…………一番下っ端だ」
「……」
 どうやら悪い事を訊いたらしい。
 瀬奈は何と返すか数秒悩みに悩み、結局謝ることにした。
「……ごめん」
「ああ、いいんだ。分かってるんだよ、俺達が何で下っ端にいるかくらい。何か個性的な奴らしかいねえからだって、な……」
 どこか影の薄くなった様子でつぶやくイオリ。分かってると言っている割に、かなり気にしているらしいことは間違いなかった。
(個性的ってどう個性的なんだろう)
 そう訊いてみたい衝動に駆られた瀬奈だが、ぐっと抑える。これ以上、イオリを落ち込ませるのも気の毒だ。
 瀬奈は話題を変えようときょろきょろと足元に視線を走らせ、そこでふと気になっていたことを思い出した。
「ねえ、ところでさ。話変わるけど、どうしてハティナーって保護されるの?」
「ああ、それか……」
 イオリが答えようとしたその時、通りの方で女性の悲鳴が上がった。
 途端にイオリは背中を壁から離す。
「喧嘩か?」
 通りから聞こえてくる男性二人の怒鳴り合いに、イオリはちっと舌打ちする。
「ちょっと行ってくるから、お前はここで待ってろ。いいな、動くんじゃねえぞ」
「え!? ちょっと……」
 それだけ言い残して踵を返したイオリに瀬奈は焦ったが、追いかけようにも通りに出たら人込みに流されるだろうことは簡単に想像がついたので、そのままそこに残ることにした。
「……はあ」
 街の喧騒から取り残されたような、その路地に立ち尽くし、瀬奈はため息を吐く。壁に背を預け、空を振り仰いだ。
 昨日から何度も見ている空が屋根に切り取られている。
 ――ここは知らない場所なんだ。
 なぜか、その時初めてそんな感覚が身体をよぎった。
 頭では理解していても、身体の方はまだ理解出来ていなかったらしい。
 瀬奈は自分の順応の良さを、ここに至って初めて呪ったのだった。
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