イオリが喧嘩を止める為に路地裏を離れてから十分ほどが経った。彼はまだ戻らない。
余程手こずっているのだろうかと思いながら、瀬奈は靴の爪先でこつこつと地面を叩いた。手持無沙汰なせいで、だんだん退屈になってきた。
ぼんやりと地面を眺めていると、ふと視界の端を真っ白な何かが通り過ぎた。
「あ」
瀬奈はその生き物に目をとめて目を丸くした。路地の奥からふらふらとした足取りで歩いてきたそれは、地球でいうところの猫に見えた。いや、どこから見ても猫だ。
(こっちの世界にもいるんだ)
朝食のハムエッグよろしく感慨をこめて眺めていた瀬奈だったが、ふいに瀬奈は猫の様子がおかしいことに気が付いた。
「あんた、怪我してんの……?」
真っ白でふわふわの毛が赤く汚れている。ちょうど背中辺りで、痛々しい。
まるで石でもぶつけられたかのような怪我だ。
独り言のように聞いてみたが、当然、猫からの返答があるはずもない。瀬奈は数瞬ためらったが、結局、そろりと猫の側にしゃがみこんだ。
「手当て、した方がいいよね?」
誰にともなくつぶやき、ポケットからハンカチを取り出して猫に手を伸ばす。
瀬奈の右手が猫の傷口に触れた。その瞬間、フワリと温かな光が傷口を包み込み、それが消えると猫の怪我は完治していた。
「あ……」
自分が〈治癒〉のハティンを持っていることをすっかり忘れていた瀬奈は一瞬呆け、右手を見つめた。
とりたてて特におかしな点はない、普通で健康的な右手だ。
「何で治せるんだろう……?」
瀬奈は首を傾げる。
傷口に触れる。それだけで怪我を治すことが出来る自分が不思議だ。
――ニャア
考えに沈み込んでいた瀬奈はハッと足元を見下ろす。猫は瀬奈の足元に座り、もう一度可愛らしく鳴いた。そして、瀬奈の足元に擦り寄り、瀬奈の周囲をぐるりと回ると、とてとてと路地の奥に姿を消してしまった。どうやらお礼を言ったらしい。
「へへ」
自分以外の誰かを助けられるという事実が嬉しい。瀬奈は顔を綻ばせて猫の消えた路地の奥を見つめた。
しばらくそうして突っ立っていた瀬奈だったが、ふと背後から砂を踏むザリという靴音を拾い、パッと表情を明るくして振り返った。
「イオリ、用事終わったの?」
だが、そこに立っていたのは予想と違う人だった。瀬奈は目を丸くする。
彼らはどう見ても人相が悪い。一人は茶色の髪と糸目の男で右頬に切り傷がある。そしてもう一人は、背が高く体格のがっしりした焦げ茶色の髪と深緑の目をもっている。どちらも三十代半ば程の男だ。
「あ、すみません。間違えました」
瀬奈は素早く謝った。彼らがここを通るのを邪魔したのだと思い、カツアゲされたらどうしようと不安になる。二人は無言でこちらを見つめている。
「あの……?」
意味不明な態度だ。人相の悪さもあって不気味である。
他に自分が何か悪い事でもしたのだろうかと考えてみるが、思い当る節は無い。絶対に知り合いではないから、どこかで迷惑をかけたということもないだろう。
チンピラのような人とまともに掛け合ったことのない瀬奈はひどく困惑して、思わず少し後ずさった。
「ハティナーだな?」
大柄な男が、糸目の男に確認するように訊く。
「ああ、猫の怪我治してたのを見たぜ」
糸目の男が短く答える。
二人は無言のまま視線を交わすと、瀬奈の方に近付いてきた。
「???」
意味不明な彼らに瀬奈は目を白黒させる。
逃げた方がいい。頭の隅で警鐘が鳴っているのだが、こんな時に限って足が竦んで全く動けなかった。
*
「待たせたな、終わったぜ。……と、あれ?」
ようやく喧嘩の仲裁を終え、瀬奈を待たせている路地に戻ってきたイオリは、そこに瀬奈がいないのに気付いて僅かに首を傾げた。
「あれ、ここじゃなかったっけ……?」
路地を間違えたかと思い、振り返って通りを確認する。目印にしていた建物が目の前にあったので、間違えたわけではなさそうだ。
(先に帰ったのか……?)
もうかれこれ三十分近く経っている。瀬奈が痺れを切らして帰ったとしてもおかしくはない。
「仕方ねえな」
念の為に本部に確認を取ろうと、イオリはズボンのポケットから小型通信機を取り出し、本部へコールした。
「はい、こちら第五警備隊本部」
しばしのコール音の後、ソプラノトーンの声が通信機から聞こえてきた。医療班兼待機係のカエデだ。
「カエデ、俺だよイオリ。セナ、そっちに帰ってるか?」
壁に寄りかかりながら通信機越しに問うと、カエデが困惑した声で返す。
『え? セナならまだ戻ってないわよ』
「何っ?」
予想外の返答だ。イオリは思わず背を浮かす。
『もしかして迷子にでもなったの?』
「ああ、そうみたいだな。待たせてた場所からいなくなったんだよ」
イオリは苦々しく言う。
(何でじっとしてないんだ、あの女……)
これからこの街を探し回らなければならないかと思うと、うんざりしてしまうイオリである。第六都市であるフィースは歩き回るには広すぎるのだ。
『そっか、オーケー。だったらどこにいるか検索しようか?』
「は?」
どこか嬉々として返ってきたカエデの言葉に、イオリは意味が分からず眉を寄せる。
『ふふ、こんなこともあろうかと、セナの服に発信機を仕掛けておいたのよ』
「…………」
恐らくにこにこと微笑んでいるのだろうカエデを想像し、イオリは頬を引きつらせる。
「カエデ、お前なあ。やって良いことと悪いことってのが、この世には存在してるんだって知ってるか?」
プライバシー侵害だ、というニュアンスを込めて言うが、返ってきたのは明るい声音だった。
『もちろん。でも結果オーライだから万事オーケーよ。ちょっと待ってて、今から作戦室に行って検索してくるから』
「…………」
カエデにかかれば違法も全部合法になりそうだと、通信機越しに聞こえてくる軽快な足音を耳で拾いながら、イオリは疲れたようにため息を漏らすのだった。
『検索結果を報告するわね』
五分もかからずに作戦室から戻ってきたカエデは、ハキハキとした口調で切り出した。
『セナは今、西区三ブロックの廃ビルにいるみたいよ』
「は? 何でまたそんなとこに?」
イオリは思い切り顔をしかめて疑問をぶつける。
それにカエデも渋い声で返答をよこす。
『知らないわよ、そんなこと。検索したらそこが出たんだから』
「……そうか、ったく仕方ねえな。迎えに行ってくる」
イオリは原因追及を諦め、解決の為に行動に移ることにした。だが、通信を切る前に、カエデが心配そうな声で続けた。
『何か嫌な感じがするわ。イオリ、セナのことをちゃんと見つけてあげてね。迷子になってるんだったら、きっと心細いはずだもの』
「大丈夫だって、ちゃんと見つける。隊長に任されてるんだぞ。あいつに何か起きたらこっちの身が危険だしな」
ちゃかして言うと、『イオリっ!』と、案の定怒声が返ってきた。
イオリはふんと笑い、すぐに真面目な顔になって問う。
「隊長とリオはまだ帰ってきてないんだろ?」
『ええ。二人で他の事件を解決してるところ。残念だけど、北区の端だから応援は期待しない方がいいわ。厳しいなら支部に頼んで』
カエデもまた真面目な声で返答する。
実は二人は幼馴染み同士で、気心が知れているせいか、すぐに相手の出方をつかめるのである。そのお陰で、恐らく他の人となら間違いなく喧嘩になるであろう口をイオリがきいても、大抵スルーされている。カエデの方が一つ年上なのも理由の一つかもしれない。
「そうか、俺一人じゃ解決が無理そうならそうする。念の為、通信回線を開いといてくれるか? 何かあったら連絡する」
『了解。頑張ってね。セナのこと、ちゃんと見つけなさいよ』
カエデはまるで姉のような口調で諭すと、通信を終了した。
ブツリと音を立てて切れた通信機をズボンのポケットに入れ、イオリは廃ビルの方へと走りだした。
*
――何でこんなことになっちゃったんだろう。
瀬奈は大いに不満を感じながら、そう思った。
あの後、何故か先程の悪人面の二人組に捕まった。そして今、ボロボロのビルの一室に閉じ込められている。
「何で私が捕まらなきゃならないのよっ」
一人でぷりぷりと怒って、縛られた両手の縄を解こうと擦ってみる。ご丁寧なことに足まで縛られていたりするから、非常に厄介だ。
「絶対、逃げてやる。こんな汚くて狭い所、ごめんよ!」
瀬奈が文句を言いながら、身体全体でもぞもぞと暴れていると、瀬奈の向かい側の壁に背中を預け、縛られた格好で座っていた子供二人のうち、少年の方が呆れたような視線を投げてきた。
「お姉さん、元気だねー」
まるで天気でも語るようなのんびりした口調での呼びかけに、瀬奈はぴくりと片眉を跳ね上げる。
「当たり前じゃないっ、あんた達は何で逃げようとしないのよ?」
どう見ても二、三歳は年下であろう少年と少女に、瀬奈は大人気なく怒鳴る。
「だって、確率的に考えて、今逃げても絶対捕まるもん。な、ヒル?」
「ねー」
少年に問われ、少女はうんうんと頷く。本当に捕まっているのかと問いたくなるくらい、妙に余裕に溢れている。
二人は本当に瓜二つの顔立ちをしていた。たぶん双子なんだろう。
同じ灰色の髪をした彼らは、少女は胸元まで伸ばしてそのまま背中に流し、少年は短く切っている。髪型を同じにしたら、きっと見分けがつかないだろう。
(いや、そうでもないか)
瀬奈は思いなおす。
よく見ると少年の目は水色で、少女の目は深緑だ。一番目立つ場所が大きく違っているから、まず間違えることはないだろう。
もちろん、どちらが少女で、どちらが少年かを知っていれば、の話だが。
瀬奈は暴れるのをやめ、大きく深呼吸をして心を落ち着けてから二人に問う。
「ねえ、私、森里瀬奈っていうの。あんた達は?」
「僕はヨルだよ。双子の兄貴」
「私はヒルよ。双子の妹」
二人はすぐに返事をした。
そして同じ顔を見合わせて、不思議そうに目を輝かせて囁き合う。
「ね、聞いた? モリサトセナだって、変わった名前ね」
「うんうん、変な名前だよね」
そして本人の前で堂々と、瀬奈の名前が変だと騒ぎ始めた。
当の瀬奈はひくりと頬を引きつらせ、額に軽く青筋を浮かべて言う。
「違う! 名前はセナ、苗字がモリサト! 変変言わないでよ!」
瀬奈の抗議の声に、二人は同時に残念そうな表情になる。
「「えーっ、つまんなーい」」
そうして声を揃えて言った時、部屋の扉が突然ガタンと大きな音を立てて開いた。
「うるせえぞ、お前ら!」
怒鳴り込んできた男に驚き、三人は揃って身を竦ませる。
戸口の茶髪をした糸目の男はそれを満足そうに見て、ふんと鼻を鳴らした。
「てめえら、捕まってるってことを忘れているようだな? 静かにしねえなら、猿ぐつわも噛ますぞ?」
十分にドスの効いた声に、瀬奈は背筋が冷たくなった。こんな風に呼びかけられたのは初めてで、異様に怖く感じてしまう。
静まり返った三人をにやにやと下卑た笑いを浮かべて見下ろし、男は続ける。
「こんな奴らがハティナーなんてな。ただのガキじゃねえか。ま、俺としては、高く売れるから都合が良いんだけどよ?」
男の言葉を聞きとがめて、瀬奈は恐る恐る問う。
「売るって……どういうこと?」
男はますます嫌な笑みを深め、大げさに肩をすくめてみせる。
「おや、世間知らずのお嬢ちゃんが紛れてたみてえだな。売るって言ったらそのままの意味だ。お前らハティナーは珍しいから、金持ちに高値で売れるのさ」
「…………」
瀬奈は驚きに目を丸くして、息を飲み込んだ。
売れる? ハティナーが? それってつまり、人身売買?
絶句している瀬奈をそのままに、男は出口へと踵を返す。
「いいな? てめえら、静かにしてろよ」
それだけを言い残し、男は部屋を出ていった。
ガチャリと鍵の閉まる音がして、靴音が遠ざかっていく。
「ねえ、お姉さん大丈夫?」
すっかり男の足音が遠のいたところで、真っ青になって硬直している瀬奈にヨルが小さな声で訊いてきた。
「あ、うん……。何とか」
瀬奈はぎこちなく返答する。
銃を普通に撃ったり、隣国とは仲が悪かったり、人身売買はあったり。このザナルカシアという世界は滅茶苦茶だ。いや、違う。ヴェルデリア国がたまたま治安が悪いのかもしれない。だからって人身売買なんてあんまりだ。
瀬奈は呆然と座ったまま、泣きそうな気持ちで思う。
(家に帰りたいな……)
安全で温かい我が家が今ほど恋しいと思うことはない。
「何か嫌だよね、こういうの」
静まり返った室内に、ヒルの声がぽつりと落ちた。
「え……?」
反射的に顔を上げた瀬奈は、深緑の目で床を睨みつけているヒルを見た。彼女は本当に悔しそうに顔を歪ませている。
「ハティナーだからってさ。私達も人間なのに。売ったりとか買ったりとか、まるで物みたいに、酷いよね……」
「ヒル……」
ヨルが複雑そうな表情で隣の妹を見る。
それを聞いて、瀬奈はほっとした。
こちらの世界には悪い事を考えてる人だけじゃなくて、それに巻き込まれる善良な人もいるのだと、そんな当たり前なことに気付けたからだった。
「確かに、酷いわよね」
瀬奈は何だか元気が出てきて、ぼそりと強気の声でつぶやいた。
「お姉さん?」
ヨルが恐々と呼びかける。
そんな彼に瀬奈はにこりと笑いかけ、
「こんな理不尽なところからは、さっさとおさらばしようと思わない?」
どこか不穏な陰を浮かべる瀬奈に、双子は苦笑いになる。
((何か怖いよ、笑ってるのに……))
さすがは双子であるだけに、その時迂闊にも同時にそう思った彼らであった。
*
「で? どうやって逃げるつもりなの?」
一瞬瀬奈に恐怖を覚えた双子達であったが、すぐにそれは好奇心へと取って代わられた。ヒルがワクワクと目を輝かせて訊いてくる。
「どうやってって、どうしよう」
瀬奈は少し考えて、こてりと首を傾げた。逃げようとは決意したものの、方法が思いつかない。
「「なーんだ……」」
すると、双子は揃って残念そうに肩を落とした。
瀬奈は気を取り直し、そんな彼らを励ます。
「でも、大丈夫よ! この縄さえどうにかすれば、の話だけど……」
つぶやいて、瀬奈は困ったように両手を持ち上げた。手の縄さえ取れれば、足の方を外すのは簡単なのだ。
「それだったら、僕が切ろうか?」
少し考え込んだ後、ヨルが提案する。
「え?」
聞き返す瀬奈に、ヨルは何事かを考えながら答える。
「脱出が成功する確率はざっと十パーセントってとこだけど、このままここでじっと捕まってるのもムカツクし」
「そうよそうよ。ムカツクわ、あの細目! ねえ、ヨル。せっかくだから仕返ししていこうよ。出入り口を塞いで警備隊を呼ぶとかさ」
ヒルがにやりと悪い笑みを浮かべる。ヨルは楽しそうに頷く。
「あ、それいい! そうしよ、そうしよ!」
「決定ね!」
「うん!」
盛り上がる双子に、瀬奈は恐る恐る口を挟む。
「あの〜、何をそんなに盛り上がってるの?」
すると、双子はまさしく悪戯小僧の笑顔を浮かべて同時に答えた。
「「逃亡と、仕返しについて」」
「…………」
……止めた方がいいのかな?
瀬奈は本気で悩んだが、別にあの悪党二人がどうなろうと知ったことじゃないし、と考え直した。
「まあ取りあえず、逃げない?」
切ってくれるんでしょ? と言外に込めて、瀬奈は双子にそう問いかけた。
「じゃあお姉さん、じっとしててね。動くと危ないから」
「うん」
ヨルの言葉に瀬奈は首を傾げながら大人しく頷く。
さっき縄を「切る」と言っていたけれど、一体どうやって「切る」つもりなのか。ヨルがナイフか何かを持っているようには到底見えない。
そのままじっと両手を前に差し出していると、ふと室内に風が巻き起こった。
ヒュッ
何か鋭い音がして、瀬奈の手首の縄がぷつりと真ん中から切れて落ちた。
「!」
瀬奈は何が起こったのか分からず、呆然と両手を見下ろす。
「僕、〈風〉のハティナーなんだ」
驚いている瀬奈に、ヨルはどこか照れたように言った。
「驚いた? すごいでしょ?」
なぜかヒルの方が自慢げに訊いてくる。
瀬奈は大きく頷いた。
「うん、すごいっ! こんなの初めて見たっ。ハティナーってすごいんだね!」
目を輝かせて絶賛する瀬奈を、双子は呆れたように見やる。
「「でも、お姉さんもハティナーじゃん」」
「あ……。そうだった」
言われて、そういえばそうだったと思い出す。
「私、昨日ハティンを持ってるのに気付いたの。だから、つい忘れちゃって」
えへへとごまかし笑いを浮かべる瀬奈。双子は「なるほど」と声を合わせてこくこくと頷く。
「?」
瀬奈はその反応に疑問を感じ、二人を交互に見つめる。
「いや、だって、ハティナーが人身売買されるのなんて、ハティナーの間じゃ常識で、それを知らないなんて変だなって思ってたんだ。それなら合点がいくよ」
ヨルが言い、ヒルも肯定する。
「そんなもんなの? うん、今度から気を付けるわ」
けろりと宣言する瀬奈に双子は顔を見合わせる。そして「心配だな」「心配だね」と本人の前で失礼にもそうつぶやいた。
「ま、いいか。……とりあえず、僕らの縄も外してよ。僕らのは距離が近すぎてハティンじゃ危ないんだ」
ヨルは疲れたようにため息を吐いた後、瀬奈に向かって両手を差し出した。
「あ、ごめん」
瀬奈は急いで足の縄を解くと、双子の縄を外しにかかった。
*
縄を外し終わり、さてこれから逃げ出すか、と三人が気合を入れて無言で頷きあった時、唐突に天井からガタガタと何かが鳴る音が聞こえてきた。
「何? この音……」
ヒルが不安げに顔を曇らせて、さっとヨルの袖を握る。
「ばれちゃったのかな?」
瀬奈も不安になって、鍵のかかった扉と天井を交互に見る。
「まさか天井から見張ってたとかないわよね…?」
瀬奈が不気味に思って疑問を呟くと、ヨルが馬鹿にしたように鼻で笑った。
「そんな誘拐犯がどこにいるんだよ? それじゃただの変人だろ?」
「う……」
瀬奈は言葉を詰まらせた。
(何だってこの子供は頭が良くて口が達者なんだろう。さっきだって成功確立暗算してたみたいだったし)
ガコン
天井の音は、何かを外したような音と同時にやんだ。
三人は何が起きてもいいように壁際に身を寄せ、緊張とともに天井を見上げる。
すると、天井を走っていた通風孔の柵の一部が外れ、金髪の少年が顔を覗かせた。
「よう」
軽く挨拶して天井から音もなく降り立った少年に、瀬奈は愕然とした後、頭を抱えた。
「ああああんた、何やってんのよ。そもそも何で通風孔から現れるの? そこ道じゃないわよ、パイプよ?」
「当たり前だろ、何寝言言ってんだ? 起きてるか?」
失礼にもイオリが本気で疑わしそうに瀬奈の顔の前で手の平をひらひらと振るものだから、瀬奈はさすがに腹が立ってぺしりと手の平を払いのけた。
「起きてるし、寝言じゃないよ!」
むーっと頬を膨らませて睨みつける瀬奈の様子に、イオリは呆れたような顔をした後、いつもの不機嫌顔になって上から睨み下ろしてきた。
「お前さ、あそこで待ってろって言っただろ? なのに何でこんな辺鄙な所にいて、その上閉じ込められてんだ? おかしいだろ、普通に」
「そんなこと知らないよ! 怪我してる猫を助けたら、何でかあの人達に捕まったんだもん」
瀬奈は更に眉を吊り上げた。そうだ。何もかもあいつらが悪いんだ。お陰でまたこの少年に怒られるはめになっている。
イオリは少し空気を和らげて問う。
「どうしてハティナーが保護されるか分かっただろ?」
「嫌ってくらい分かったわよ!」
瀬奈は恨み深げにイオリをねめつけて返す。最初から教えてくれていれば少しは注意したのだ、自分は。教える順番が明らかに間違っていると思う。
「ねえねえ、お姉さん。この人誰?」
「警備隊の服装してるけど、隊員?」
剣幕な雰囲気になってきた二人を止めたのは変わり者の双子達だった。
「そうだ。俺は警備隊員のイオリ・レジオート。あんたらも捕まったくちか?」
双子は大きく頷いて、それぞれ自分の名前を名乗った。
「僕、双子の兄でヨルだよ」
「私、妹のヒル」
イオリはそうか、と頷いて、大きくため息を吐く。
「じゃあお前らも一緒に逃げるぞ」
「え? どうやって?」
思わず聞き返した瀬奈に、イオリは無言で天井の通風孔を指差した。
「ええ、そこからっ!?」
目を丸くする瀬奈に、イオリは憮然として返す。
「そこ以外にどうやって安全に逃げるんだよ? あの〈オル&ダズ〉から」
「はい? オルアンドダズ? 何のことよ、一体?」
ぽかんとする瀬奈。
すると横から「あー、私知ってるー!」と明るい声でヒルが挙手した。
「あれでしょ? 兄弟でやってるハティナーのブローカー。えっと、たまに誘拐もやってるとかいう。有名な人達よね?」
無邪気に言うヒルに苦笑しながら肯定するイオリ。
「そうだ。裏で有名な怖いおじさん二人。だからこっそり逃げなきゃなんねえの。分かる?」
最後の問いは瀬奈に向けてだ。
「……すごくよく分かりました」
瀬奈は神妙に頷いた。