その日の昼過ぎ、瀬奈はソファーに腰掛けて、日差しの降り注ぐ窓辺で追いかけっこをしている双子をぼんやりと眺めていた。
朝、ひどい起こされ方をしたせいで、打った頭がまだ痛かったりする。もちろん、あの後双子に説教したのだが(寝起きにあんな真似したらどれだけ危険かについて)、双子はこれっぽっちも気に止めた様子がない。
「ふああ…」
陽気に誘われ、思わず大きく欠伸をする。
その目の前で、ふわりとヨルの身体が浮いた。…風のハティンを使ったんだろう。
ヨルはそうしてヒルの手をかわし、窓枠をさっと飛び越える。ヒルは悔しそうに頬を膨らませた。
「ヨル! ハティン使うなんて卑怯よ!」
「へへーんだ。僕の力使ってどこが悪いんだ、よ?」
初めは上機嫌に返したヨルだが、最後の方では声が裏返った。
同時に響く、ビリッという布の裂ける音。
「あーーーっ!!」
それが何の音なのかを悟るなり、ヨルは大声を張り上げた。
「嘘だろ!? 服破けちゃったよ…」
「ええ、ほんと!?」
すとんと床に降り立ち嘆くヨルに、ヒルは慌てて駆け寄る。
「どうしたの?」
瀬奈も驚いて駆け寄った。
見てみると、ヨルの黒い袖なしのフード付き上着の背中部分がざっくりと切れていた。
「これだよ。この釘が出てたのに引っかかったんだ」
ヨルは忌々しそうに、窓枠の釘の出っ張りを睨みつけた。よく見なければ分からない部分の釘だった。
「あーあ。この服結構気に入ってたのにな」
ヨルは上着の背中に首を巡らし、残念そうにつぶやいた。
「それなら私が直してあげようか?」
「「え?」」
意外な申し出に、双子が眼を丸くして瀬奈を見る。
「私、裁縫得意なの。こう見えて」
そう言ってにっこり笑う瀬奈に、ヨルは上着を脱いで差し出す。
「じゃあよろしくお願いします!」
畏まった様子で言うヨルの振る舞いに、瀬奈はますます笑みを深くする。
「任せといて」
「ん? 何やってんだ?」
休憩だろうか、伸びをしながらリビングに入ってきたイオリは、真剣に何かをしている瀬奈と、それを横から覗き込んでいる双子を見つけて首を傾げた。
「あ、お疲れ〜」
瀬奈はイオリを認めるとにっと笑って声をかけ、再び手元に視線を戻す。
「?」
何だ何だとイオリも双子同様瀬奈の手元を覗き込んだ。
「裁縫? へえ、今時珍しいな」
感心気味につぶやくイオリ。
裁縫などの手作業は今は自家用ロボットにさせるのが主流で、裁縫を嗜む人間など趣味か勉強の一貫の輩くらいなものである。
「僕が上着駄目にしちゃったから、直してくれてるんだ。すごいでしょ、セナって裁縫上手なんだよ」
自慢げに教えるヨルに、瀬奈はくすくすと笑う。
「そんな誉める程の腕前じゃないよ。ただ、拓人がよく破いてたから私がいっつも直してて、それで慣れてるだけ」
「タクト?」
三人に同時に聞き返されて、瀬奈は頷いて言う。
「弟よ。五つ年下なんだ。あんた達と同じくらいの歳ね、そういえば」
「へ〜、セナって弟いるんだ〜」
「うん、まあね…。……今頃どうしてるかなあ」
そうつぶやいた瀬奈の表情に、一瞬寂しさがよぎるのを三人は見たが、気付かないふりをした。言っても益がなさそうな気がしたので。
双子は顔を見合わせ、そうだ、とばかりに話題を変える。
「そういえば、セナって絵も上手だよね」
「は?」
ヒルの突拍子のない台詞に、瀬奈はぽかんとした。何でそれがそこで出てくるんだろう?
「ほら。これ、セナの机の上にあったんだ。上手でしょ」
ヨルに押し付けられた紙の絵を見て、イオリは意外そうに瀬奈を振り返る。
「お前にも特技の一つや二つあるんだな」
「……はあ?」
何だかとても失礼なことを言われた気がしたが、訳の分からない流れに瀬奈は目を白黒させるだけだ。
一体何が…? と瀬奈は身を乗り出してヨルの手の中の紙を覗き込み、瞬時に顔を真っ赤にした。
「なっ、ななな何でそれをあんたが持ってるのっ!?」
「机の上にあったから」
「拝借してきたの」
双子はけろりと返す。
その言葉に、朝双子に起こされた事実が頭を掠める。…あの時だ!
「返してちょうだい!」
瀬奈が慌てて紙に手を伸ばすが、ヨルはさっとかわした。
「わわっ」
勢いにつんのめる瀬奈に双子はにーっと笑う。
「返して欲しかったら捕まえてよね!」
「ちょっと! もうっ。待ちなさい、二人ともっっ!」
呆れたように見守るイオリの前で、さっさと出口を目指すヨルを追いかけ、瀬奈もまた出口を飛び出す。いや、飛び出そうとした。
「わあっ!?」
しかし、出口に立っていた人に勢いよくぶつかり、瀬奈は声を上げて尻餅をついてしまった。
「うー、ご、ごめんなさい…」
明らかに自分が悪いので、尻餅をついたまま謝り、瀬奈は上を見上げ、眉を寄せた。
「……誰?」
そこに立っていた二人の青年に、瀬奈は目を瞬いた。
* * * * *
「僕はハティナー保護協会管理員のテリー・オーウェンといいます」
「同じく、私はカジ・ノリスです」
焦げ茶色の髪をしたひょろっと背の高い男と、暗い金髪の穏やかそうな男はそう名乗った。
「森里瀬奈です」
瀬奈は名乗り返し、けげんな表情で向かいのソファーの腰掛ける二人に対峙する。
「あの、それで私に用事というのは…? それに保護協会って何なんですか?」
「保護協会っていうのは、そのままの意味だよ」
「ハティナーを保護してる国家機関のことよ。国じゃ政府と並ぶくらい権威があるの」
困ってしまう瀬奈に、両隣に座った双子がそれぞれ教える。
「へえ、そんなのあるんだね」
名前を聞いただけではどうもぴんと来なかったが、そういう機関があるだけでもすごいと瀬奈は感心する。
瀬奈の反応に、管理員だとか言う青年二人はさっと視線を交わす。
そしてカジという青年の方が話を切り出した。
「それで、お話の方ですが。セナさんは今首都で起きている連続テロをご存知でしょうか」
「…すみません。分かりません」
瀬奈は気まずさに首を竦めて正直に謝った。
「そうですか」
カジはしばし考え込み、鞄から新聞を取り出し、記事の写真を示してみせた。
「このようなものです」
「…はあ」
瀬奈は曖昧に頷いて、新聞の写真を見た。
どこかのお店が黒こげになっており、煙がもくもくと空に伸びている。その周囲は惨憺たるもので、騒然とした雰囲気が伝わってきた。
「こんな風に、ここ最近無差別にテロが起きているのです。ラトニティア王国のスパイの手によって」
「………」
カジの言葉に少し眉をひそめる瀬奈。どうしてそこでラトニティアの名前が出てくるんだろうか。
「テロ直後に捕まえた敵国のスパイの証言でそう分かりました」
瀬奈の疑問を読み取ったのか、テリーの方が付け足した。
「なるほど」
瀬奈は頷き、それで? と先を促す。
「テロによる犠牲者が増加し、今、首都では病院も警備隊員も人手が足りない状況なんです」
「そんな折、<治癒>のハティンを持つ少女が保護されたという情報を入手したのです」
カジとテリーが交互に言う。
「もしあなたが宜しければ、そのハティンで犠牲者を助ける手助けを我々と一緒にして頂けないでしょうか」
「えっ、あのっ」
二人に深々と頭を下げられて、瀬奈はおろおろと視線を彷徨わせる。
「もちろん、ただでとは言いません。宿泊施設も食事も全てこちらで提供させて頂きます。非常人員ということで手当ても出させて頂きます」
「えと、その…」
(そんなこと言われてもなあ)
瀬奈は困りながら、目を白黒させるばかりだ。
そんな瀬奈に意外なところから助け舟が出た。
「おい、ちょっと待てよ、あんた達」
いつもの不機嫌顔で、イオリが瀬奈の後ろからハティナー保護協会の二人を半眼で見ていた。
「はい、何でしょうか?」
人の良い笑みを浮かべてカジが問い返す。
「さっきから聞いてりゃ相当自分勝手じゃねえか。困ってるこいつ無視してぐいぐい話進めて、そのまま了承させようなんて、横から聞いてて不愉快だ」
真正面から非難するイオリに、瀬奈はますます困り顔になる。
(ちょっとそれは言いすぎなんじゃ…)
そう口に出したかったが、余程癪に触ったのか、彼の背中辺りからドス黒いオーラが出ているような印象を受け、口を挟めない。…怖すぎる。
それを分かっているのかいないのか、カジはとぼけた笑みを浮かべる。
「そんな、大げさですよ。別に私は無理強いは一つもしていません。ただ利点を申し上げただけです」
途端、イオリの片眉がぴくりと引きつった。
「それを言うなら、汚点の説明が抜けてるのはどういうことだ? テロに巻き込まれる危険が大きすぎるっていう汚点がよ」
(あ・・・)
イオリの言葉に、それもそうだと瀬奈は合点した。ついつい流されてしまいそうになっていたが、よく考えてみればテロの犠牲者を助けようとしたら、テロの危険のある地域に足を踏み入れることになるのだ。そんな重要な箇所を飛び抜かせば、イオリが怒るのも頷ける。
「今から説明するところだったんですよ」
しれっとカジは言う。
何だかずるい人だな、と瀬奈は心の中で苦笑した。逃げ上手と言うのかもしれない。
「どうだかな」
イオリははっと鼻で笑い、ぷいとそっぽを向いた。
そんな彼をちらりと見やってから、カジは瀬奈に向き直る。
「それで、返答をお聞きしても構わないでしょうか」
「…あの、ごめんなさい。お断りします。私、ようやくここの生活に慣れ始めたばかりで、逆に足手まといになると思うんです。それに、テロ現場なんて怖くてとても行けそうにありません」
申し訳無さそうに謝る瀬奈に、テリーが快活に言う。
「それなら大丈夫ですよ。こちらの副隊長が首都に助っ人として来ることになっていますから、彼女についていけば何も心配ないでしょう」
「え、リオが?」
瀬奈はきょとんとし、知ってた? とイオリに視線で問う。彼はリオが首都に行くことを知っていたようで、忌々しそうに舌打ちして返した。
「そうです。これでも駄目でしょうか?」
カジの困ったような顔での問いに、瀬奈はうつむいて自分の手を見、仕方なく頷いた。
「分かりました。引き受けます」
すると二人は嬉しそうに微笑し、ぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます。詳しい連絡はまたおってしますので。では、今日はこれでお暇します」
「失礼しました」
そうしてそのままハティナー保護協会管理員の二人は第五警備隊本部から出て行った。
*
「くそっ。だから保護協会なんてやつは大嫌いなんだ。偽善者ぶりやがって」
二人が出て行った直後、イオリは本気で嫌そうに顔をしかめて悪態をついた。まだ背中から黒いオーラがうねうねと伸びている気がする。
「…はあ、どうしよう。引き受けちゃったよ」
瀬奈は瀬奈で困って手の平を見つめる。人助けを出来るのは嬉しいけれど、事件の渦中に飛び込んでいくのは気が引けた。
両隣の双子も、イオリのように不機嫌な顔になっている。
「あーゆーのを何ていうか知ってる? 『横暴』って言うんだよっ」
ヨルがそう吐き捨て、ヒルも文句を述べる。
「セナが人が良いからって、つけこんじゃってさ。ムカつくわっ」
そんな彼らの様子に、保護協会というのは受けが良くないんだなあと場違いに考えてしまう瀬奈。
「それにしても、手助けって何をすればいいんだろう。ハティン以外に役に立つ取り柄なんてないしなあ」
うーん、と首をひねる。
「そのハティンを使いたいんだよ、あいつらは。テロの防御が上手くいかない代わりに、犠牲者を減らすことで世間の悪評を軽くしようっていう魂胆なんだ。ああクソ、胸糞悪い」
説明した後、再び悪態をつくイオリ。
瀬奈はどうしたものかな、と悩み、笑いかける。
「何か怒ってくれてありがとね、三人とも。まあこれもここに慣れる良い機会だと思って、頑張ってみるよ」
三人は呆気に取られ、
『そういうのをお人好しっていうんだよっ!』
……口を揃えて叫んだ。
「うっ……、ごめん…」
縮こまる瀬奈に、イオリは大きくため息を吐く。
「ったく。まあちょうど俺も首都に部品買出しに行こうと思ってたとこだしな。ついでに一緒に行ってやるよ」
「えっ」
イオリの意外な申し出に、瀬奈はぱっと顔色を明るくする。
「ほんと?」
「ああ。副隊長だって忙しいんだ。四六時中あんたの面倒みてる暇なんてないだろうしな。……言っておくけど、ついでだからな。つ、い、でっ」
「別にそんなに強調しなくても分かってるよ。でもありがとっ。嬉しいよ」
やっぱりイオリは他人に甘い人のようだと思いながら、瀬奈はにこりと微笑んだ。