白浄花の輝き編 第二部 再会

八章 首都行き 

「何だと、セナも首都に行くことになった?」
 何かと忙しいリオをどうにかつかまえて、首都行きの旨と世話になるからよろしくと瀬奈が伝えると、リオは呆気にとられた顔になった後顔をしかめて、ソファーの定位置でくつろいでいたイオリを睨んだ。
「こらイオリ。お前隊長からこの子の世話を任せられといて、どうして止めなかったんだ? いくらなんでも無茶があるだろうが」
「止めようとしたけどさ、協会の奴らが押し切っちまったんだよ。副隊長がいるから大丈夫だって」
 イオリもまたしかめ面で返す。
 リオはイオリの返答にぴくっと片眉を引きつらせた。
「ははあ、あいつら私を出汁にするなんて良い度胸じゃないか。カジとテリーの二人だね」
 絶対この人後で報復しそうだ。
 瀬奈は黒い表情でボソリとつぶやいたリオを見て確信を込めて思った。
 それから彼女はすっと恐い表情を引きさげて、紳士的な濃緑色の目をこちらへと向けた。
「全く、お前もとんだ災難だな。あの二人に頼まれごとをされて断れた試しのあるハティナーはそういないんだよ。協会のカジとテリーといえばしつこいことで有名だからねえ。まあ、こればっかりは仕方がない」
「え、リオってあの二人と知り合いなの?」
「いいや、ただ覚えてただけさ。私の情報網は広いから、知らない間に覚えてるんだよ」
 ここがね
 と、リオは自分の頭を指先でとんとんと軽く叩いてみせた。
「リオは昔、首都の諜報部で働いていたのよ」
 横からカエデがひょっこりと助け舟を出してくれた。
「ああ、だからそんなに物知りなんだ」
 この前の<オル&ダズ>といい、やけに社会事情に詳しいのはそういうわけだったらしい。
「安心しなよ、セナ。お前には出来るだけ安全な区画選んであげるから。首都は私の庭みたいなもんだからね。それにイオリも来るっていうし、私がいない時も安心だ」
 そう言って瀬奈の肩を叩くリオはとても頼もしく見えた。カッコいい女性ってこういう人のことなのかもしれない。
 そして最後に彼女は付け加えた。
「それから首都行きだけど、三日後だから。ちゃんと準備しておけよ」
 リオは快活に笑ってそう言い、そのまま部屋から出て行った。
「はい」
 瀬奈は頷いた後、彼女の背が扉の向こうに消えるまで見送った。

 *  *  *

「へ〜、やっぱりこっちにもモノレールってあるんだー」
 三日後。瀬奈達三人はフィース駅にいた。
 ここからモノレールに乗れば、三時間程で首都ヴェルダートに着くらしい。
「あんたの世界にもあるのかい? 私らの世界ほどじゃあないが、一応科学は発達してるんだね」
 リオが感心したように言う。
「うん。あれ、でもこっちじゃ飛行機見ないよね。この街には空港ないの?」
 瀬奈の問いに、リオとイオリは戸惑いの表情を浮かべる。
「ヒコウキにクウコウって何だ?」
 イオリの返答に瀬奈はぎょっと目を丸くする。
「え、あれだよ。空飛ぶ機械! 空港はその飛行機が停まってる場所」
「「?」」
 二人はきょとんとするばかりだ。
「空飛ぶ機械〜? 聞いたこともないぞ、そんなの」
「えええっ??」
 これだけ科学技術が発達しているというのに、どうやらこのザナルカシアという世界には飛行技術はないらしい。結構ショックだ。
(嘘。ロボットはあって、立体画像もあって、何で飛行機がないの〜??)
「何だかショックを受けているところ悪いがセナ、もう乗車しないと出てしまうぞ」
 リオの言葉にハッとする。
「あっ。ごめん、行くよ!」
 いつの間にかさっさと駅を歩き始めていた二人を、瀬奈は慌てて追いかけた。
 ザナルカシアって世界は変な所だなあ、なんて思いながら。


 モノレールはほとんど自分の世界と同じだった。電気で動くところも全部。
(通信技術とかばっかり進歩して、こういう乗り物はあんまり進歩してないのかな)
 瀬奈はそんなことを考えたが、何しろ乗り物らしいものを見るのはこれが初めてだ。いや、そうでもないか。そういえば前にイオリがバイクに乗っているのをちらっと見かけたことがある。タイヤが付いてない変なバイクだったけれど。
 考えながら歩いていたら、ふと前が暗くなった。
「わ!」
 そして気付いた時には誰かに思い切りぶつかっていた。
 ドサドサと何か大きな物が落ちる音がし、続けてバラバラと小さな物が転がる音が聞こえた。
「すみません、考え事してて!」
 さっそくドジったことで真っ赤になり、瀬奈は慌てて床に散らばったそれらを拾い始めた。
「あれ」
 小さなそれを拾い上げ、瀬奈はパッと顔色を明るくする。
「絵の具だ!」
 絵を描くのが好きな為、画材を見るだけで嬉しくなってしまう。
「おや、貴方絵がお好きなんですか?」
 相手も床にかがみこんで拾っていたのか、思っていたよりもすぐ側から声がして驚いて顔を上げる。
 最初に見えたのは不思議な群青色だった。
 それが相手の髪の色だと気付いたのは、眼鏡をかけた優しげな面立ちのその青年が瀬奈の手から絵の具を受け取った時だった。群青色の髪は後ろで一つにまとめられ、明るい青の目は海の水面のような穏やかさをたたえている。髪の色だけでなく、雰囲気も不思議な青年だった。
「え…。あっ、はい。そうなんです」
 自分に質問されたとしばらく経った後でようやく気付き、瀬奈は慌てて返事する。
 彼は絵の具を四角い木箱に全て片してしまい、箱を閉じた。留め金を止めるパチンという小気味良い音が通路に響く。
「それは嬉しい偶然ですね。僕の名前はセオ・トラッドといいます。こう見えて画家なんですよ。……あまり売れてませんが」
「画家……」
 瀬奈が時間をかけてその単語を飲み込み、にこっと微笑んで自分も名乗り返す。
「私は瀬奈っていいます。森里瀬奈。森里が苗字で、瀬奈が名前です」
「へえ、珍しい名前ですね。ではセナさん、良い機会ですから貴方にこれを差し上げましょう」
 そう言って青年は鞄から取り出した半紙を瀬奈に手渡した。
「え、ええと…『絵画振興会……首都展』……?」
 どうにか読み切った瀬奈に、セオは穏やかな笑みを向ける。
「はい。そこで僕も絵を出展してるんです。もし良かったら見に来て下さい」
「あ、はいっ。もちろん!」
 絵画展なんてずっと行ってなかったと、瀬奈は嬉しくなりながら頷く。
「じゃあ僕はここで」
「はい…」
 セオが瀬奈と反対方向の座席へと歩いていくのを見送った後、瀬奈も自分の席へと急いだ。とりあえず、首都に行ったら、暇な時にでも絵画展に行かせて貰う約束を取り付けようと考えていた。


「絵画振興会首都展ねえ。そういえばそんなの毎年やっていたな。確か中央地区の片隅にある小さな美術館でだったか」
 瀬奈が先刻の青年のこととチラシについて話すと、すでに座席に座っていたリオは少し考えて記憶を引っ張り出した。
(この人の頭って、一体どうなってるんだろう)
 瀬奈は実はかなり頭が良いんじゃなかろうか、とリオを改めて尊敬する。
「暇あったら行きたいなあ。私絵画展大好きなの」
 瀬奈の珍しい希望の言に、リオはわずかばかり目を見張った。そういえばこの世界に来てから、この子が自分から何かしたいと言ったのは、文字の勉強以外何も無かったと気付く。元の世界に戻る為に必要だからとはいえ、何だか寂しい気がした。
「そうだな…。気分転換にいいかもしれんな……。なあ、イオリ?」
 にやり、と口角を上げて、向かい合わせになっている座席の正面に座るイオリを見れば、案の定彼は憮然とした顔つきになった。
「何でそこで俺に話を振る?」
「お前、セナの世話係だし、それに私達の仕事が終わるまで首都に滞在してるんだろ? 部品の買出し済んだら暇だろうが」
「別に暇って訳じゃねえよ。しばらくぶりに首都に行くんだ。仕事仲間にも会いたいし、レナレス博士の講義も聞きに行きたいし…。大体、中央地区なら安全だし、俺がいなくても大丈夫だろ」
 ふうん、とリオはイオリを半眼で見る。
「…レナレス博士の講義ってのはいつだ?」
「首都に着いて最初の日曜。午前八時から正午までの四時間だ」
 口を挟まれるのが嫌でつい丁寧に言ったのが、イオリの失敗だった。
 途端にリオがにーっと悪巧みをする子供みたいな笑みを浮かべたのだ。
「じゃあその日の昼過ぎにセナと一緒に行って来い! 大丈夫だ、日曜はさすがにセナの仕事も休みだからな。というか私が休みをもぎとってきてやる!」
 リオにぱしんと勢い良く右肩をはたかれ、瀬奈はよろめきながら「やったー」と笑う。
 対してイオリは焦った表情になるが、断るのに良い言葉が浮かばず、結局がくりと肩を下げ、リオの提案を受け入れるより他無かった。
(ああ、何だかセナが来てから、余計俺の立場が弱くなってる気がするのは気のせいか?)
 その問いの答えなどはなから決まっていたが、ついそうつぶやかずにはいられないイオリであった。
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