首都ヴェルダートは大きな街だ。端から端に行こうとしたら、徒歩で約一日はかかるだろう。
灰色の背の高いビルが林立し、黒い舗装路面が迷路のように交錯している。初めてこの都市に来た者がふらふらとうろつけば、たちまち迷ってしまう。大通りさえ反れなければ安全だが、大きな都市の特徴として、暗い部分も多いから危険な所もある。
そんな都市の中で最も安全だと言われているのが中央地区という区画だ。そこには六長会議の開かれる議事堂や、裁判所、公営の美術館や博物館が集まっている。国家として重要な区画なだけあり、警備も厳重で、そこかしこに監視カメラが置かれている。
そしてこの区画は、平原部の警備隊と、森を指揮するグループを取り締まる第一警備隊の本部が置かれていることで有名だ。更に付け加えると、ハティナー保護協会の本部もここにある。
三人は今、ヴェルダート駅から第一警備隊本部へと歩いていた。瀬奈の仕事はハティナー保護協会のものだが、保護協会に置き去りにするのは心配だというので、瀬奈もリオやイオリ同様、第一警備隊の宿舎を使うことになっている。
「どうだ、セナ。首都に来た感想は?」
「灰色の林」というあだ名が付いているらしいヴェルダートの都市を呆然と見つめている瀬奈に、リオが誇らしげに訊く。
「すごい……。目が回りそう……」
こんなに高いビルばっかり建っていたら、地震が起きたら絶対崩れそうだ。
瀬奈の第一印象はそんなものだった。
さすが首都だけに、通りをロボットが普通に移動しているし、宣伝板も全部立体画像だ。通りを行き交う車は車輪がなく、宙に浮かんでいる(空遊車(ホバー)というらしい)。
「お前なら真っ先に迷うだろうな」
灰色の色彩に早くも酔いかけている瀬奈に、しれっとイオリは言う。
「確かに。セナ、勝手な行動は慎めよ。ここで行方不明になると命の保障は出来ない。テロも起きているからな」
リオの真剣な忠告に、瀬奈はきっぱり頷いた。
瀬奈だってわが身が恋しい。それにまだ死にたくもないし。
(ここで調べたら、帰る方法とか分かるかな?)
ふとそんな案が閃く。仕事がない時は元の世界に戻る方法を探そう、と瀬奈は内心でつぶやいた。
「よろしい。イオリも、くれぐれもセナを放ったらかしにしておかないこと。セナの仕事中は出来るだけ力になるつもりだが、それ以外はさすがに無理だ。ここの連中はこき使うのが上手くてな。色々と仕事が降ってくるんだ」
リオは面倒臭そうにため息を吐いた。
仕事を回されるということは、つまり彼女がかなり有能だという証明だ。
瀬奈は何故リオが田舎だという第六都市フィースで副隊長をしているのか甚だ疑問だったが、突っ込んで訊ける程深く親しいという訳でもないので聞かないことにした。人間誰だって訊かれたくないことの一つや二つあるものだし。
「了解。ああ、そうだセナ」
イオリは軽く敬礼した後、何か思い出したらしい口調で切り出した。
「何?」
瀬奈は軽く首を傾げて、左隣を歩いているイオリを振り返る。
イオリはリュックのポケットから何やら黒い物体を取り出して、瀬奈の手に置いた。
「?」
通信機器…だろうか。手の中にすっぽりと納まる程度の四角い物体に、瀬奈は眉を寄せる。
「警備隊専用通信機だ。念の為持っとけ。掃除も調整もしたばっかだから、そう簡単には故障しないだろ」
他人に感心がなさそうに見えるのに、こういうところはマメらしい。イオリってよく分からない人だと思いながら、通信機に視線を落とす瀬奈。
「うーん。好意はありがたいんだけど、私こんなのの使い方なんて分かんないよ」
通信機には割合大きめのボタンが三つと、文字が浮かぶらしい電子板、それから小さなボタンが数個と、音量調節のしぼりが付いていた。ようやっとのことでどうにか文字が読めてきた瀬奈だが、この電子板に流れる文字を読み取れと言われたら大いに困る。むしろ泣きたくなるくらいだ。
「まあそれは後で説明するから。とりあえず持っとけ」
「うん……ありがとう」
首をひねりつつ、瀬奈は通信機をズボンのポケットに入れる。
そうこうするうちに、三人は第一警備隊本部に到着した。
* * *
医療班Cの班長をしているソイ・サックスです、とその人は名乗った。
薄茶の髪のお陰で元々の柔和な顔立ちが一層優しげに見える彼は、眼鏡越しに見える緑色の目を笑みの形にする。
これで二十一なんて信じられない。笑うと尚更童顔に見える。
この人が、以前イオリが話していたカエデの彼氏、らしい。(※短編「疑問」参照)
「初めまして、よろしくお願いします」
瀬奈は自分も名乗り返した後、ぺこりと頭を下げた。
ソイは相変わらず微笑んでいる。
「君が空落人だというのはカエデさんから聞いてます。分からないことがあったら遠慮なく訊いて下さい。ところでセナさんは文字を読めるんですか?」
ソイの問いに曖昧に頷く瀬奈。
「簡単なものなら何とか…」
「そうですか…」
ソイは少し考え込む素振りを見せ、「じゃああなたには最後方で働いてもらいましょう。処置を済ませた患者さんを治して下さい」
何故処置を済ませた後の患者の怪我を治すのかというと、爆発で怪我した患者には硝子が刺さっていることが多く、身体に破片を残したまま傷を塞いでしまうと危険だから、とのことらしい。
生々しい話に、瀬奈は気を引き締める。
「分かりました。足手まといにならないように、頑張ります」
瀬奈が頷くと、ソイは満足そうに笑みを深くした。
首都での仕事は予想以上に忙しいものだった。
次から次へと運び込まれる患者をみ、テロがある度に現場に足を運ぶ。たまに爆発の二次災害に巻き込まれ、あわや瓦礫の下敷きになりかけたこともあった。
誰かが亡くなった時は一時黙祷を捧げた。悄然とした哀しさがある。
反対に誰かを助けた時の喜びはひとしおだった。
死の恐怖と生の喜びが入り混じったこの仕事はとてもやりがいはあったが、疲れは大きく溜まったし、食欲も失せたりした。
ロボットが普通に街中を歩くくらいには科学技術が発達していながら、どうしてテロを食い止められないのか瀬奈には不思議でならなかった。
そう言うと、リオは「大都市ってのは必ず闇がつきものでね、王国のスパイ達は隠れようと思えばどこにだって隠れられるんだよ。それにラトニティア王国は機械大国の国だ。この世界でも群を抜いて技術が発展してる。私らの国がどうあがいても敵わない部分があるんだよ」と静かに答えた。
瀬奈にとっては理不尽極まりなかったが、この国の人は皆同じ気持ちなんだろうと、不満を口にするのはやめた。
* * *
第一警備隊の宿舎に帰ってくると瀬奈はすぐに寝た。首都に来てからはずっとその調子で、さすがに元の世界に戻る方法を探している余裕がない。
首都四日目になると、瀬奈は軽い頭痛に悩まされ始めた。
リオが心配して頭痛薬をくれたが、それでも治らない。
「突然環境が変わったからじゃねえの?」
イオリの言葉に、「そうかも…」瀬奈はこめかみを指で押さえながら答えた。
自分がこの調子だと、もっと忙しいリオはもっと大変なんじゃないだろうか。
「何かごめんね、毎日迎えに来てもらったりして…」
仕事が終わると、現場までイオリが迎えに来てくれる。リオからの命令らしいが、こう連日になると忍びない。
「別に。大した手間じゃねえし。ほら、ジュース」
食堂は休憩室も兼ねており、自販機で買ってきたらしいジュースの入った紙コップをイオリは瀬奈にぐいと突き出した。
「ありがと」
控えめに礼を言い、受け取る瀬奈。そのまま一気に半分程飲み干して、一息ついた。
「はあ、生き返るー」
「親父臭えぞ」
「うるさい」
余計なことを言うイオリに、瀬奈はぴしゃりと言った。「おっかねーの」イオリはちゃかすように肩をすくめてみせる。
「あー、今日も疲れたー」
椅子の背もたれにもたれかかって、ぼーっとジュースを飲む。
この仕事をしていて分かったことがある。それはあまりハティンを使いすぎるとものすごく疲れるということだった。イオリの言うように状況の変化も原因だとは思うが、それを除いても疲れる。大げさに取られるのが嫌で、そのことは誰にも言っていない。
「そういや今日、大事件があったんだよ」
ぼうっとしている瀬奈に、イオリは新聞を見せる。
「ほらこれ。議事堂に保管されてた<白浄花>がラトニティアのスパイに盗まれたって」
ニュースのことなど滅多に口にしないイオリが言うのだから、余程の大事件のようだ。その上、新聞の一面を丸々同じ記事が飾っているらしい。
「<白浄花>って…?」
何の事かさっぱり分からず聞き返せば、イオリは新聞の右端の写真を指で示した。
「これだよ。前にこの国が戦争で勝って、ラトニティア王国から手に入れたって石だ。置いておくだけで周囲の空気や水が浄化されていくものなんだと。今じゃこの国の国宝になってる。それもSランク扱いの」
瀬奈はまじまじと写真を見つめた。
まるで水晶が固まって、一つの花を作っているかのようだった。写真だけでも物凄く綺麗だ。
「それって、大変なことなの?」
「当たり前だ。第一警備隊の幹部が総力を上げて行方を捜してるってくらいにはな」
「うわー……」
つまりお偉いさんが必死で探しているということだ。血の雨を見なきゃいいけど。
「連日のテロはこれを隠す隠れ蓑だったようだから、テロは収まるだろうって書いてあったぜ? 良かったな」
「そうなってくれると嬉しいけど…」
瀬奈はぽつりと返す。
治まればそれでいいが、その石を盗んだスパイが逃げ切るまで逆にテロが悪化しそうな気もしてくる。
さっきの投げ槍な口調から察するに、イオリも世論ほど楽観視はしていないようだ。それに一まず安心する。気が抜けた時が一番危険なものだと、仕事前にリオも言っていたし。
瀬奈は疲れでぼーっとしながら、何気なく新聞を眺めた。<白浄花>を盗んだ犯人が監視カメラに映っていたらしく、その写真が公表されていた。
真っ黒い長い髪を背中で一つに束ねた、同年代くらいの少女だ。灰色の服を身に着けている。顔はとても綺麗だが、どこか玲瓏とした冷ややかさがある。
どこかで見た顔だなあ、とぼんやり思った瀬奈はハッとして新聞を食い入るように見た。
長い黒髪、切れ長の目、クールな顔立ちの美人…。間違いない、これは明美だ。
(明美もこっちに来てたの!?)
どうやら地震があったあの時、電信柱の下敷きにならずに済んだらしい。小憎たらしい幼馴染みではあるが、助かったことが嬉しくて目の前がぼやけた。
「おい、どうしたんだ一体……」
いきなり新聞を見た格好で固まり、涙ぐみ始めた瀬奈にぎょっとしてイオリは声をかける。
(何だか俺が泣かしたみてえじゃねえか……)
「実はね……」
答えようとした瀬奈はふと気付いた。明美は今、自分がいる国と敵対している国に落ちたらしい。その上国宝を盗んだ犯人という話ではないか。このことを口にしたら非常にまずい。明美が捕まって牢屋に入れられるなんて真っ平だ。
「…いや、何でもない」
だから瀬奈は何も言わないことに決めた。
明美が無事ならそれでいい。
でもいつか会って、一緒に元の世界に戻りたい。
「……? 言いたくないなら別にいいが…」
イオリはいぶかしげな顔をしたものの、結局何も訊かないでくれた。
瀬奈はそんな彼に複雑そうな笑みを返した。