首都に来てから初めての日曜日は、あいにく朝から雨が降っていた。
そこまで激しい降り方ではないものの、垂れ込めた黒雲のお陰で薄暗く、気分も何だか沈んでしまう。恐らくその八割がた疲労のせいだろうが。
「えっと、正午にヴェルダート電子工学アカデミー玄関前、か。やっけに長い名前だなあ」
今日は首都に着く前に約束した、絵画展に行く日である。
第一警備隊本部の宿舎自室の窓辺に椅子を引っ張ってきて、瀬奈はイオリが書いてくれた不親切な地図を見下ろした。
線と四角とバツ印と、ちょっとした名前。それくらいしか書かれていない。
「……迷ったらどうしよう」
この地図で辿り着けるか、今から不安になってきた。
いつも不機嫌そうな割りに、意外と面倒見が良かったりするイオリだが、この地図はないんじゃないだろうか。
「ま、いーや。迷ったら迷ったらで近くの人に聞けば、うん」
一人頷いて、地図を鞄の中に放り込む。
お昼までは暇なので、部屋に持ってきた菓子やジュースを吟味することにする。案外、こちらの世界の食べ物は自分の世界のものと似ているので、食べる分には困らない。それにどちらかというと面白い。
(ここに双子達がいたら皆で食べるんだけど)
瀬奈はそんなことを思いながら、飴玉をひょいと口に放り込んだ。
*
「よっし、行ってみますかっ」
それから三時間後の正午近く、瀬奈は一人気合を入れて大通りに足を踏み出した。
さすがは首都だけあって、通りの人数は多い。人だけでなくロボットも通り過ぎていく。たまに二メートルはありそうな巨体のロボットも通るので、瀬奈は好奇心に駆られながらも内心びくついていた。
(あ、あれに踏まれたら骨折れるんじゃないかな)
叩かれたら、ではなく踏まれたら、と想像する辺り瀬奈の想像は妙に飛躍していた。
(ふ…。これがほんとのドラ○もんの二十二世紀かもしんない)
それでも瀬奈は順応性だけはいいので、そのうち慣れてくるだろうとは思った。
「…んん?」
そんな他愛のないことばかり考えていたら、いつの間にか全く見知らぬ所にいることに気付き、思い切り眉を寄せる。
ばっと地図を確認し、きょろきょろと周囲を見回す。地図の目印の建物の名など、これっぽっちも見当たらなかった。
「………迷った、かも……」
さーっと血の気の引いた顔で、瀬奈は小さくつぶやいた。
*
「ったくおっせえなー、あいつ。何やってんだ?」
ヴェルダート電子工学アカデミー玄関前の、三本の円柱の一つに背中を預けてしゃがみこみ頬杖をついた姿勢で、イオリはぐっと眉を寄せた。彼自身そんなに待つのに辛抱強い訳ではないので、すっかり機嫌は下降気味だ。これが瀬奈じゃなかったらとっくの昔に帰っているところである。
「…まさか迷ってる、なんてこたあねえよな?」
一人つぶやいて、自分の考えに笑いを漏らす。
地図をしっかり見て歩いてきさえすえば、絶対に迷わない距離だ。いくら土地勘がなくても大丈夫だろう。
そう思って頷いた時、通りの方でざわめきが走った。
(何だ?)
イオリは半分首をかしげ、すくっと立ち上がる。何か厄介事なら、警備隊員としては処理せねばならないだろう。
そのまま通りの方に行き、ざわめきの原因を目にして一瞬頭痛がした。
通りを瀬奈がこちらの方に向けて走ってくるところだった。何故か犬型ロボットに追いかけられて。
*
(わわわ、どうしようどうしようどうしよう)
道に迷った挙句、どういう理由か、ロボットに追いかけられるはめになった瀬奈は内心そればかりつぶやいて、通りを全力疾走していた。
すると少し前の方に見知った顔を見つけた。
(やった! 天の助け!)
イオリは機械士だというから、この状況をどうにかしてくれるに違いない。というかしてくれなきゃ大いに困る。
「いいいイオリ! これどうにかして!!」
叫んでぶんぶん右手を振ると、イオリは思い切り呆れた顔をした後怒鳴った。
「あんたはどうやったらそういう状況に陥るんだよっ!? 信じらんねーっ!」
「…え? えとそうだな。道に迷って、裏路地なんかに入っちゃって、ゴミ箱蹴飛ばしたら犬みたいなロボットが出てきてそのまま追いかけられてる以外、何もしてないよ?」
瀬奈がえへへと笑って言うと、イオリは案の定ぎっと睨んできた。
「十分してるだろうがっ!」
「……やっぱりそう思う?」
「当たり前だ! ったく…」
イオリは忌々しそうに半眼で眼前のロボットを睨んだ。
「ああくそ、ありゃスクラップじゃねえか。捨てられてたのをあんたが蹴飛ばしたせいで、妙な感じに電源が入ったみてえだな」
イオリの説明に「そうなの?」と訊く瀬奈。
「俺が言うんだからそうなんだよ」
面倒臭そうに返し、腰のガンホルダーから銃を抜く。
「えっ!? ちょっとイオリ、何で銃出してんの!? 意味ないじゃない!」
瀬奈はその行動に抗議の声を上げた。イオリは銃の腕が殺人的に下手なのだ。
「うっせえし、一言余計だ馬鹿。ああいうポンコツは、叩いてショートさせるに限る」
「それって『壊す』って言えば良いんじゃない?」
瀬奈はつい口を挟んでしまったが、イオリがジロリと睨んで来たので口をつぐむ。
『元凶はあんたのくせして一々うるさいんだよ』
彼の目はそう雄弁に語っていた、と思う。瀬奈の被害妄想でなければ。
と、そこにロボットが金属製の牙をむきだして飛び掛ってきた。
「わっ」
瀬奈はつい、イオリがロボットに噛まれるところを想像して目を閉じてしまった。怪我をしたなら瀬奈のハティンで治せるが、痛々しいシーンなど好き好んで見たくはない。
しかしガゴッという金属がへこんだような音以外何も聞こえなかった。
「?」
そろーっと目を開けると、地面で動かなくなったロボットと、イオリが銃をガンホルダーに入れるところが見えた。
イオリはどうやら一撃でロボットを壊したらしい。
「をを〜!」
瀬奈は思わず拍手を送った。
「『をを〜!』じゃ、ね、え」
だがイオリはお気に召さなかったらしい。半眼で冷たい視線をよこした。
「うっ。…すみませんでした、どうもありがとうございました」
瀬奈は腰を低くして謝った。イオリの機嫌は今までに無く悪かった。心なしか背中辺りからブスブスと黒いオーラが漂い始めている気がする。
「ったくあんたは。一人で通りにいりゃ絶対に何かしら巻き込まれやがって。それを解決するこっちの身にもなってみろ。それにだな、あんたに何かあってみろ。こっちが隊長にひでえ目に遭わされんだよ、そこんとこをちゃんと理解しろ」
瀬奈は小さくなりながら、それでも言い返す。
「そ、そんな。隊長さんがひどいことなんてする訳ないよ。あんなに優しそうな人なのに」
すると、イオリはハッと鼻で笑った。
「いいか、世の中には見た目で判断しちゃいけないものがいくつかある。その一つが隊長だ。大体、『優しい』奴に隊長なんか務まらない。それにあの人昔は第一警備隊隊長だったくらいだ。腹黒さじゃそうそう敵わな……」
そこまで言って、イオリははたと口を押さえた。
「しまった! いいか、今のは忘れろ。いいな! 俺が殺される!」
イオリが心底恐ろしそうに肩を揺すってくるので、瀬奈は勢いに負けてこくこくと頷いた。
(怒るとそんなに怖いんだ…、隊長さんて…)
今後気を付けよう、と瀬奈は心に刻み、そこでふと違和感を感じた。
(第一警備隊隊長だった……?)
やはり第五警備隊の人ってすごい人ばかりのようだ。
瀬奈は何故か物凄く感心してしまった。フォールがそれくらい凄くなくては、リオが副隊長をしてる理由がつかない気がしたのだ。
そんな凄い人たちがどうして田舎だというフィースにいるかはさっぱり分からないが、そんなこともあるんだろうと自分を納得させる。
「それにしても、イオリって案外強いんだねー。銃がへたれだから弱いのかと思ってた」
地面に落ちているロボットだった鉄の塊を見て、瀬奈は思ったことを口にしてみた。
「へたれっておい…。まあ副隊長程強くはないけどな、喧嘩ならそこそこ強い方だと思うぜ? 何でか知らないが昔っから喧嘩売られるんだよな」
イオリは不思議そうに言い、ロボットを拾い上げて手近なゴミ箱に捨てた。
「それってその態度の悪さと口の悪さと短気のせいじゃない?」
「………言うじゃねえか、あんた」
片頬を引きつらせて、イオリは無理矢理笑みを浮かべる。
「? 本当のこと言っただけだけど? 何、他にも理由あるの?」
瀬奈がきょとんと聞き返すと、イオリは額に片手を当てて「…もういい」と疲れたようにつぶやいた。
「何かすっげー疲れてきた。さっさと用事済ませて帰るぞ」
「? うん」
ぐったりと肩を落として歩き出すイオリに首を傾げつつ、瀬奈も後に続いた。