白浄花の輝き編 第二部 再会

十二章 再会 

「セオさん、こんにちは」
 瀬奈の挨拶に、一枚の絵の前に立っていたセオはゆっくりと顔を上げた。
「ああ、セナさんですか。本当に来てくれたんですね。嬉しいです」
 セオは凪いだ海のような穏やかな笑みを向ける。相変わらず不思議な色合いの人だ。
 そして彼は瀬奈の後ろに目を止めて訊く。
「お友達ですか?」
「はい、まあそんなとこです」
「そうですか。僕はセオ・トラッドといいます。画家をしています」
 イオリは普段通りの愛想のない顔付きで、セオと握手を交わす。
「イオリ・レジオートだ。第五警備隊に所属してる」
 イオリの愛想のなさを特に気にせず、セオは嬉しそうに微笑む。
「いや、嬉しいです。この絵画展に来るお客さんはそんなに多くないので」
 セオの発言に、瀬奈は周囲を見回した。確かに彼の言う通り、人数はまばらだった。
「あれ」
 そこで瀬奈は一つの絵に目を止めた。真っ白い羽を宿したペガサスが夜空をバックに立っている絵だ。
「ペガサスだ。綺麗な絵」
 瀬奈がそう言うと、セオは照れたような顔になった。
「そう言って頂けて嬉しいです。実はあの絵は僕の作品でして」
「そうなんですか! うわーとても上手ですね」
「…それでも、売れないんですよね」
 セオは苦笑し、それじゃあと切り出した。
「僕は他にしないといけない役割があるのでこれで。ゆっくりしていって下さいね」
「はい、どうもありがとうございます」
 瀬奈はぺこっと頭を下げると、浮き浮きとした足取りで他の絵の方に歩いていった。

 *  *  *

「あー面白かった!」
 瀬奈がようやく満足して帰ろうとした時には、すでに日はだいぶ傾いていた。
「……何がそんなに面白いのかさっぱり分からねえ」
 まだまだ元気いっぱいの瀬奈と正反対に、イオリはぐったりと肩を落としている。かれこれ四時間は待機させられていたのだから仕方がない。
「イオリも見て回れば良かったのに」
 瀬奈が反論すると、青い目がじろりとこちらを見た。
「見て回ったに決まってんだろ? ただあんたと見る速度が違うってだけだ。ったく何で一枚に十五分もかけられるのかさっぱりだよ、こっちは」
 ため息混じりに言うイオリは本気で疲れきっているようだった。いつもなら険のこもった言い方をするのに、あまり覇気がない。さすがの瀬奈も罪悪感が浮かんできて、愛想笑いを浮かべた。
「あはは…、ごめん。癖なんだもん、これ」
「今度から俺は二度と来ないからな。あんたから隊長と副隊長説得してくれよ」
 言外に、自分の説得は通用しないと零しながら、イオリは言う。
「うん、そうする。ごめんね。あっそうだ、お詫びにジュース買ってきてあげるよ。ちょっとそこで待ってて」
「は? おい、俺はもう帰りたいだけ……。って聞いてやしねえ」
 言い終わる前にはすでに身を翻していた瀬奈を追う気力もせず、イオリはため息を吐いて美術館入り口に置かれているベンチに座る。
「早く帰らないと、もう夜になっちまうな」
 イオリは空を見上げてぽつりとつぶやく。
 赤みを帯びた空が、急速に暗みを増していく。心なしか風も出て来たようだ。

* * *

「えっと、どれにしよう」
 いざ自販機の前に立ってみて、瀬奈は品数の多さに目を回しそうになった。軽く50品は越える飲み物が販売されている。
 少し悩んだ後、ボタンを一つ押した。
「コーヒーでいいかな」
 イオリがコーヒー以外のものを飲んでいるところを、今まで見ていないのでコーヒーに決めた。
(こんなにコーヒーばっかり飲んでたら胃に悪そう)
 瀬奈はちょっと眉をひそめた。コーヒーが胃にだばだば流れ込むところをつい想像してしまったせいだ。
 ピピッ
 小さな電子音とともに、コーヒーの入った紙コップが自販機から出てくる。瀬奈が紙コップを手に取ると、音もなく機械が元に戻った。
 何度みてもすごいと感心しつつ、顔を上げて驚く。
 意外にも周囲は暗くなっていた。
「わ、いけない。早く帰らないと」
 瀬奈は慌てて踵を返そうとして、はたと動きを止めた。
 自販機のある通りよりも奥の、細い路地の方を誰かが横切った。
「………明美?」
 瀬奈は信じられないとばかりにその名前をつぶやく。あっちはこちらに気付かなかったらしい。そのまま奥の通りに姿を消す。
 瀬奈は紙コップをその場に置くと、人影を追って走り出した。今走らなければ一生後悔しそうな、そんな気がして。


 走れば走るほど人気のない暗がりへと入っていく。周囲の闇も深みを増してきており、このまま進むのも危険な気がしたが、今更後に引く気もなかったので瀬奈はひたすら走った。
 やがて路地の行き止まりに行き当たる。
「あ、れ?」
 瀬奈は愕然と立ち尽くした。
 人影を追って来たし、ここ以外に道はなかった。それなのに、人影の姿はなく、ただ行き止まりがあるだけだ。
 あと少しで明美に会えるというところで、こんなことになるなんて。
 瀬奈は落胆と郷愁がぐるぐると混ざり合ったような心境だったが、泣く事だけは我慢した。今はひどく残念すぎて、頭がぼーっとなっている感じがする。
 瀬奈は行き止まりの壁の方へ足を踏み出した。何か仕掛けでもないのだろうか。
 そんなことを考えた瞬間、左足に何かが当たった。しゃがみ込んで手で触れてみると、マンホールの蓋らしいことが分かった。完璧に閉まり切っておらず、僅かに開いている。
「これって…」
 瀬奈は腕に力を込めて、蓋を横にずらす。正直重かったが、元々開いていたお陰でどうにかなった。
 出来た穴の中を覗き、瀬奈はぱっと表情を明るくした。
 暗い穴の底へと梯子が伸びている。きっとあの人影はここに入ったに違いない。
 瀬奈は迷うことなく梯子に足をかけ、深く暗い地下へと下っていった。

* * *

 梯子を降りた先はトンネルのようだった。壁にはオマケ同然のような白熱灯が点いている。はっきりいって薄暗かったが、足元は見えるので我侭はいえない。
 トンネルの壁には電線の束が留められており、ここがエネルギー供給機関の一部らしいことを示していた。乗り物が通ることはないらしく、地面は土がさらされた状態になっている。
(トンネルっていうより、地下坑道みたい)
 瀬奈は左右を交互に見比べて、どちらに行くかで悩んだ。
「足跡…?」
 そして結局、新しいものだと思われる人間の足跡を見つけて、そちらの方、つまり右側へと進むことした。
「明美ー」
 瀬奈は奥へと歩きながら、幼馴染みの名前を呼ぶ。これに気付いてくれたら、と願う。
「あけ……むぐ」
 五度目に呼ぼうとしたところで、突然後ろから手で口をふさがれた。
「こんな所で人の名前連呼するのやめてくれる?」
 聞き覚えのある冷ややかな声に、驚いて手の主を見ると、案の定明美だった。いつものように髪を流しているのではなく、後ろで一つに束ねている。それに、灰色の服に黒いズボンといういでたちだった。しかし相変わらず顔立ちは綺麗なままだ。
「明美!」
 慌てて向き直ると、明美は無表情のまま目を半眼にした。
「こんなとこでこんな馬鹿やってる奴なんてあんたくらいじゃないかと思ったわ」
 いつもの瀬奈なら怒り出すところだが、今回は感動で怒る気もしなかった。この冷たい口調すら懐かしい。
「良かった、やっぱり明美だ。生きてたんだ、良かった」
 嬉しさのあまりぼろぼろと泣きながら、良かったと繰り返しつぶやく瀬奈。対する明美はそれ程感動はしていないらしい。
「あんたもこっちに来てたのね。まさか会うとは思わなかったわ」
 淡々と言う明美の姿に、さすがの瀬奈も違和感を感じた。いくら明美がクールビューティーと呼ばれていようと、本当は優しいのに、今日はどこまでも冷たい。
 瀬奈はどうにか涙を止め、恐る恐る尋ねる。
「ほんとのほんとに明美、だよね?」
「そうに決まってるでしょ」
 明美は面倒臭そうに返す。
 瀬奈はだんだん不安になってきた。
「もしかして何かあった? ハティナーのブローカーに誘拐されたりしたとか。だからスパイやってるの?」
「誘拐なんてされるわけないでしょ。それにスパイをやってるのは自主的よ。女王様の為だもの、当然じゃない」
「じょおう、さま?」
「そう。ラトニティア王国に落ちてからずっと私の面倒をみて下さったのよ。優しくて、聡明で、お綺麗な素晴らしい方よ」
 どこかうっとりと言う明美に、瀬奈はちょっと眉を寄せる。どうみても異様な感じがしたが、女王様とやらのことを話す時は冷たい表情も消えているようだ。
「というか、あんたが私のことをスパイだって知っている方が驚きね。どうやって知ったの?」
「新聞見ただけだよ」
「そう。顔ばれちゃったの。まあいいわ、後は帰るだけだから」
 明美はふふっと嬉しそうに笑う。
「帰るって元の世界?」
 瀬奈が問うと、明美がきっと睨んできた。
「何であんなとこに帰らなきゃならないの? あんな所、もう二度と見たくないわ」
 本気で嫌そうに吐き捨てる明美に、瀬奈は目を丸くし、問いただす。
「どうしてそんなこと言うの? おじさんとおばさんが悲しむよ。私、帰り方頑張って探すから、一緒に帰ろうよ」
「そうね、あの人達も悲しむかも。『出来の良い娘』とやらがいなくなったら」
「え?」
 更に驚く瀬奈に、明美は馬鹿にするように言う。
「あんた、まさかあの人達が私自身を心配すると本気で思ってるの?」
「当たり前じゃない!」
「ほんとあんたってお人好しよね。昔っからずっとそう。あの人達は娘のことより、自分の世間体のことしか気にしないんだから。そのくせ仕事ばっかりで家を空けっぱなしで、久しぶりに帰ってきたと思ったら成績成績うるさいのよ。あんたみたいに普通の家庭とは大違いなの!」
「そんな……」
 今言われたことへのショックで固まる瀬奈に、明美は透明な水晶の欠片のようなものを手渡す。
「帰りたいなら帰ればいいわ。ただし、私は帰らないけど」
 瀬奈は手の平の中のものを見て、新聞の写真を思い出した。
「これってまさか」
「そう。白浄花の欠片よ。これ、とっても力の強いものだから、それだけあれば念じるだけで帰れるそうよ。さあ、分かったでしょ。私のことは放っておいて、さっさと帰るなり好きにすれば良いわ」
 突き放したような物言いに、瀬奈は泣きそうになった。右手でぎゅっと石を握りこむ。
「そんな。放っておけるわけないでしょ! 明美は私の幼馴染みで、腹立つけど大事な友達なんだから!」
 子供じみた言い方だったが、それ以上他に言い方を思いつかなかった。
「悪いけど、私はそんな風に思ったことなんてないから」
「………っ」
 瀬奈は思い切りハンマーで頭を叩かれたような気分になった。
 一気に周りが現実味をなくしたみたいに、ぼんやりとする。目の前に明美がいるのに、どこか遠くにいる人を見ているような気がした。
 思わず黙り込んでうつむいた時、後ろの方でザリと砂を踏む音がした。
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