白浄花の輝き編 第二部 再会

十三章 再びの別れ 

 瀬奈と明美はその音にハッとする。
 特に明美はすっと緊張の面持ちになった。
「……やっぱりここかよ」
 物凄く嫌そうに呟いた人間を目にし、瀬奈は心の底から驚いた。
「イオリ!? え、嘘。何でここにいるの!?」
 思い返せば彼には驚かされてばかりな気がする。
 どうして自分がここにいると分かったんだろう。
 瀬奈のキンキン声にイオリは更に嫌そうに顔を歪めた。
 こちらも毎度お馴染みの表情だ。よくよく考えれば、イオリは怒るか不機嫌か嫌そうな顔ばかりしているような気がしないでもない。
「あのさあ、ジュース買いに行ったまま戻ってこなかったらさすがに心配するだろ」
「いや、でも、こんな分かりづらい所によく来れたなって思うでしょ?」
 瀬奈の主張に、イオリは絵画鑑賞の疲労のせいですっかり下降した不機嫌そのものの顔で呆れた顔をするという離れ技をやってのけた。
「あんたの行動パターンなんていい加減お見通しなんだよ、バーカ。単純一直線じゃねえか」
 イオリの正直かつ的確な返答に、当の瀬奈はぐっと言葉に詰まる。
(くっ。言い返せないっ……)
 微妙な顔付きをしている瀬奈は横に置いておき、イオリは瀬奈よりもトンネルの奥側にいる明美を見た。
 それはただ存在に気付いたという程度の軽いものだったが、警戒していた明美はギッと睨み返した。
 そして二人同時にハッと気付く。
「その服、警備隊員…?」
「あんた、あの新聞の…?」
 同時につぶやいた二人は、そのまま瀬奈に厳しい視線を向ける。
「どういうつもり?」
「どういうことだ?」
 向けられた本人はあまりのことに凍りついた。嫌な汗が一気に背中に浮かぶ。
 明美は氷のような視線を瀬奈にぶつける。
「あんた、そんな能天気な顔して私をはめたの? 警備隊を呼ぶなんて!」
 違う。
 言おうとした言葉は喉の奥に張り付いて声にならなかった。
 憎しみすらこもった目で睨みつけられ、瀬奈は自分の身体の血が一気に引いていくのが分かった。説明しようにも、どうにもならない焦燥感ばかりが駆け巡る。何かが崩れていくのを止めることが出来ない。
「やっぱりお前、ラトニティアのスパイだな!」
 瀬奈の心情などお構いなしに、イオリが厳しい声で明美に叫ぶ。
「あと少しだっていうのに。仕方ないわ」
 イオリの反応に、明美はチッと舌打ちして腰の後ろに右手を回した。
 直後、トンネル内に一発の銃声がこだました。

* * *

「え……?」
 瀬奈は眼前の光景を悪夢でも見ているかのような心地で見ていた。
 音とともにすぐ横に立っていたイオリの身体が後方に吹っ飛び、そのまま背中から地面へと倒れこんだ。薄暗い洞窟内で、イオリの金髪だけが残像となって網膜へと焼き付く。それは恐らく一瞬の出来事だったのだろう。だが、瀬奈にはとてつもなく長い時間のように思われた。
 ドサリ
 倒れた音とともに、聴覚が音を取り戻す。
 トンネルの壁の白熱灯のジジ…という不快な音が真っ先に耳に付いた。
 瀬奈がイオリが撃たれたという事実を数秒たってようやく飲み込むと、思い出したように口から勝手に悲鳴じみた声が漏れた。
「イオリっ!!」
 頭はまだ呆然としていたが、身体が勝手に動いた。瀬奈はイオリに駆け寄ると、地面に膝をついて上から覗き込んだ。
「イオリ? イオリっ?」
「……平気だ。肩撃たれただけ…」
 すっかり狼狽している瀬奈に、切れ切れに言うイオリ。その姿に一まず安心する瀬奈。
 どうやら急所は反れたらしいが、危ない事態であることに変わりはない。イオリの黒いベストの右肩から流れ出た血で、右腕辺りのシャツが赤く染まっていく。地面にも血の染みが広がっていく。
 瀬奈はそれを目にして涙目になり、明美を振り返った。
「何で! 何でよ明美! どうして撃ったのよ!!?」
「うるさいっ! 裏切ったのはあんたの方じゃないの!」
 明美の怒声に一瞬ひるんだものの、瀬奈もまた言い返す。
「裏切ってなんてない! 明美見つけたのも、会えたのも、イオリが来たのも、全部偶然だもん! そんなに私が嫌いなら、私を撃てばいいんだ、バカ明美っ!!」
 怒りと混乱のせいですっかり支離滅裂なことをわめく瀬奈に、さすがの明美も絶句する。怪我のせいで意識が朦朧とし始めたイオリですら、内心ぎょっとした。
「……あんた、何言ってるか分かってるの?」
 怪訝に訊かれて、瀬奈は更にわめく。
「知らない! どうでもいいのよそんなこと! 私はただあんたと帰れればそれで良かったのに!! もう明美なんて知らないっ、さっさと女王のとこでもどこでも行けばいいんだ、バカっ!!」
 瀬奈の叫び声がトンネル内にわんわん木霊した。
 瀬奈は明美に背を向けて、ぼろぼろ涙を零しながらそれでも泣かないように嗚咽をこらえていた。
 悔しかった。明美が自身の親を嫌っていたことや、それに気付かなかった自分が。そして、明美がイオリを撃ってしまったこと。それが全部。悔しくてたまらなかったし、悲しかった。
「………」
 明美は無言で瀬奈を見下ろした。先程一瞬浮かんだ呆れのような表情はすでに消え失せ、感情のない顔になっている。
「…そうね、私は女王様の元に帰るわ。じゃあね、瀬奈。元の世界に帰ったら、あいつらには私は死んだと伝えてちょうだい」
 それだけ言って、明美はトンネルの奥へと姿を消した。カツンカツンという単調な靴音が、次第に遠のいていった。



 瀬奈は明美が去ったすぐ後、次の行動へと移った。
 イオリの怪我の治癒である。
 幸いにも、弾は貫通しているようだった。しかし出血がひどい。そのせいで、とうとうイオリが気を失ってしまった。これは余程ひどい状況だ。
 傷口に右手をかざすと、いつものように温かい光が灯った。だが、光が弱い。
(お願い、治って)
 瀬奈は祈るような気持ちで、ハティンを使い続けた。
 いつもなら治っているはずの頃合いになっても、傷がなかなか治ってくれない。ここ一週間の疲労のせいか、ハティンの力が弱まっているらしかった。
(こんな時に…)
 その上、最近お馴染みの頭痛まで起きてきた。
 初めはうずくような痛みだったのが、だんだん強まっていき、十分も経たないうちに割れがねを叩いているような痛みになってきた。
(絶対死なせたりしないわ)
 頭痛で朦朧としてきた意識を、下唇をぎゅっと噛み、手元に集中することで繋ぎ止める。
(あと少し……)
 ハティンの光がじんわりと点滅している。もうそろそろ限界がやってくるだろう。
 瀬奈はイオリに死んで欲しくなかった。彼にお世話になったからというより、それ以上に明美を人殺しにしたくなかったからだ。
 あんなひどいことを言われても、やはり明美は大切な幼馴染みで。
 きっと自分は矛盾している。
 それでも、瀬奈はそれしか出来なかったし、それ以外を考えられなかった。
(イオリ、ごめん……)
 瀬奈は薄れていく意識の中、心の中で謝っていた。
 胸中にはたくさんの罪悪感と、一人の友人を失った空虚でぽっかりと小さな穴が開いていた。
 次に目が覚めたら、穴は広がるのだろうか、それとも閉じるのだろうか。
 瀬奈の意識は暗い闇へと急速に沈んでいく。
 問いの答えは何だろう。

 ―――分からない。

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