白浄花の輝き編 第二部 再会

十四章 白い部屋での応答 

 目を開けて一番初めに見えたのは、真っ白い天井だった。
 瀬奈はぼんやりした頭のままで、無意識に右へと視線を向けた。大きく開け放たれた窓から吹き込んできた柔らかい風が、真っ白いカーテンをはためかせている。
 その光が綺麗で、瀬奈はぼーっとカーテンを見つめた。
 やけに喉が渇いている。でも、今はこの光景を見ていたかった。
「やっと気が付いたか」
 左側から聞こえた声に、瀬奈はのろのろと視線をずらす。
 声の主は、金髪と夜色の目をした少年だった。瀬奈のベッドのすぐ側にある三脚のパイプ椅子に深く腰掛けている。不機嫌そうな顔が一瞬だけほっとしたように緩んだ。
「…………」
 どこかで見た顔だなあ。
 瀬奈は回らない思考のまま、ぼんやりと少年の顔を見つめた。顔を見ていたらそこに答えが書いてあるような気がして。
 そこで一気に頭が覚醒した。
「…イオリ、無事だったんだ!」
 瀬奈は擦れた声で叫び、そのまま起き上がろうとしたが、ふいに目が回って再びベッドに逆戻りする羽目になった。
(何でこんなに気持ち悪いの……?)
 眉を寄せて目を閉じ、ぎゅっと吐き気を押さえ込む。目蓋の裏で眼球が勝手に回転しているような錯覚を覚える。
「無理すんな。あんた三日も寝込んでたんだぜ。ほら、水」
 声とともに差し出されたグラスを小さく礼を言って受け取り、どうにか身体を起こして水を飲む。妙に甘くておいしかった。
 瀬奈は小さく息を吐いてグラスを返すと、また枕に頭を預ける。そして何気なく天井に目を凝らしながら、どうしてこんな所にいるのか考えた。確か、イオリの怪我を治している最中に、気を失ったはずだ。ここは恐らく病院だと思うし、イオリが運んでくれたのだろうか。
「驚いたぜ。気が付いたらあの女はいねえし、あんたはぶっ倒れて熱出してるし。俺も出血多量で正直気分最悪だったけど、どうにかトンネル出て、後はリオに連絡して助けてもらった」
「……そっか、リオが………」
 気を利かしたのか、イオリはそう説明してくれた。瀬奈は後でお礼言わなきゃなあと頭の隅で思い、つぶやく。
「熱…? あー、だからこんなに気分悪いの…」
 言われてみればなるほど、この症状には覚えがある。風邪の時に一番近いかもしれない。
 瀬奈はまた小さく息を吐いた。
「イオリは怪我はどう? 私、全部治せたかな?」
 イオリが頷いたのを確認し、天井を見つめたまま独り言のように言う。
「私、また迷惑かけちゃったね…。ごめん、イオリ」
「何であんたが謝るんだ? 俺が怪我したのはあのスパイのせいだろ?」
「違うよ。私のせいだよ。明美もこっち来てたのは驚いたけど、明美があんな風に思ってるの、気付けなかったのは私の責任だし…」
「あんな風って?」
 イオリの質問に、瀬奈はどう説明するか色々悩んだが、どうにか説明した。
「……だから私のせい。それに私、イオリを助けたかったんじゃなくて、明美を人殺しにしたくなかったんだよ。…最低、でしょ?」
 今しか言えないと思い、瀬奈は一気に言った。
 こんな言葉を口にしながら、もう駄目だな、と思った。こんなに迷惑かけて、こんな矛盾だらけで、スパイ扱いされてる子の方が大事だなんて、きっと嫌われるだろう。それも仕方ないと思う。
 第五警備隊の面々の顔が脳裏に浮かび、何て言われるだろうと考えると、瀬奈は重い気分になった。
(……どうしようかな、これから………)
 考え事をしながらそっとズボンのポケットに手を伸ばすと、明美がくれた白浄花の欠片はまだ入っていた。ぎゅっと右手で握り締める。
 このまま帰ってしまうのも一つの手だ。
 でも、やっぱり明美を置いて帰るなんて出来そうもない。
「生憎と、俺は命の恩人を罵倒する程、落ちちゃいねえぜ」
 イオリの返答は、意外なものだった。
「………」
 瀬奈はイオリを無言で見上げた。彼はいつも通りのぶっきらぼうな顔のまま、「ほんとあんたってお人好しにも程があるよな」と嘆息する。
「俺だったらあんな奴さっさと見限ってるのに、あんたはまだ庇うんだもんな。ここはあんたの友人に怒るとこだろ」
「………そう、かもしれない。でも、やっぱり大切だよ。幼馴染みだし」
「それならそれでいいんじゃねえの。ただ、問題なのは、その幼馴染みが石を盗んだ犯人だってことだけだ」
「…………」
 瀬奈は僅かに目を伏せた。
 そこだけは何も反論出来ない。明美は女王の為に自らすすんでスパイをしているわけだし、その原動力に対して瀬奈は何も言えない。そこを否定したら、明美の価値観も否定することになる。
「最後に一つ訊く」
「?」
 瀬奈は目で続きを問う。
「あんたも、ラトニティアのスパイ、なのか?」
 イオリは底の見えない青い目で、じっと瀬奈の目を見た。瀬奈は思わず息を飲む。まるで心の底まで見透かされているかのようで息苦しい。
 瀬奈は静かに首を振った。
 これは本当のことだ。でも、信じてくれないかもしれない。
「……そうか」
 一生分の時間が流れたような気がした後、イオリは小さく息を吐き、ほっとしたように少しだけ笑みを浮かべた。
「これだけはどうしても訊きたかった。だからあんたが起きるのをずっと待ってたんだ」
「…………」
 瀬奈はぎこちなく微笑んだ。彼は信じてくれたらしい。嫌われなかったことだけで十分だ。やはり、誰かに嫌われるのは平気なように思えて結構つらいものだから。
「あのトンネルのこと、リオには話した。リオ、かなり切れてさ、なだめるのに苦労したぜ」
「ごめん…」
 思い出したのか疲れたようにつぶやくイオリに、瀬奈は反射的に謝った。
「――別に。あと、リオは隊長とカエデにしか話すつもりないってさ。今、他の奴にこんな話したら、第一警備隊幹部が病室だろうと押し寄せてくるのは目に見えてるし、すでに逃げた相手追うのは至難の技だから諦めるって」
「そっか」
 瀬奈は心の中で安堵の息を吐く。明美が捕まるなんて想像するだけで嫌だった。
「あんた、また休めよ。俺は帰って、リオにあんたが起きたって伝えてくる」
「…うん」
 瀬奈が小さく頷いたのを確認し、イオリはそのまま席を立って病室から出て行った。
 扉が閉まると、瀬奈はまた目を閉じた。
 病室に白い温かな光が降り注ぐ。その光はまるで瀬奈の〈治癒〉のハティンの光にも似ていた。
 それが心地良くて、瀬奈が再び眠りの底へと引き込まれるのはすぐだった。
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