白浄花の輝き編 第三部 逃亡

十五章 落ちこぼれの闇の神官 

 ラトニティア王国の首都は現在、地下都市ネオ・オルティガにある。地上は四十年前のエネルギー装置の暴発事件のせいで、「灰胞子」と呼ばれる有害物質が立ち込め、人々に打ち捨てられてしまった。その為、地上の首都を人々は「廃棄都市」と呼んでいる。
 その王国は優秀な機械文明を誇っており、美しい女王とダーティア教の神官により支えられていた。
 ダーティア教というのはラトニティア王国の国教である。
 「我々人間は闇から生まれ闇へと還る」という理念を元とした宗教で、闇の女神を祀っている。
 このダーティア教を教え広める神殿の発言権は、女王の次という大きさであった。
 ツェル・バルロードはそんな宗教の神官の中では落ちこぼれだった。
 十五歳という歳ではあるが読書好きのお陰で博識であったし、頭も良かったが、一つ大きな欠点があったせいだ。
 それは気の弱さである。上がり症ともいえる。
 人前に出るのが苦手だったし、出たら出たで何か一つはドジをした。大事な祭具を落としたり、何もない所でつまずいて転んだり。お陰で同僚達からは馬鹿にされて虐められる始末である。
 早い話が、今もいつものいじめっ子に追い回されていたりする。
(うわあ、追いかけてくる。隠れなきゃ)
 ツェルは地下都市のほぼ中央にある広場に駆け込むと、隠れ場所を求めて更に走った。爪先まである真っ黒い神官服のせいで足をもたつかせながら、それでも突き進む。そして噴水の側まで来たが、とうとうローブの裾に爪先を引っかけ、ばったりと地面に倒れこんだ。石畳の舗装路面に顔面からぶつかる。
「うう…、痛い……」
 ツェルは綺麗な銀髪を肩口で切り揃え、アメジストのような綺麗な紫色の目をしており、一瞬少女とも思えるような容姿をしているのに、これでは折角の美形も台無しだ。顔面からぶつかったせいで鼻は真っ赤になっているし、目は涙目。はっきり言って格好悪い。
 よろよろと起き上がったツェルは、眼前にほっそりした手が差し出されているのに気付いて目を丸くした。
「大丈夫?」
 ソプラノトーンの落ち着いた声音に誘われて顔を上げると、漆黒の長い髪を背中に流した綺麗な少女が目に映った。表情はほとんど無いに近かったが、気遣いのこもった声に顔が赤くなる。
「あ、ありがとうございます…。大丈夫です……」
 少女の手に掴まって立ち上がり、ツェルは若干上ずった声で礼を述べた。
 こんな綺麗な少女の前で見事な転びっぷりを見せたのかと思うと、みっともなかったし、恥ずかしくて堪らなかった。相手があまり気にしていないことに、ほっとする。
 と、そこに虐めっ子達が追いついてきた。
「おーい、あのノロマがこっちにいたぜ!」
「ぎゃはは、ツェルー、逃げてんじゃねえぞ」
 虐めっ子達四人の声と足音に、ツェルはびくついて後ずさった。
「また泣く気か? ほんっと弱虫だよな、お前」
 虐めっ子のリーダーである赤髪のシャルトーが意地悪く言い、手に持っていた毛虫のついた木の枝をツェルの方に向けた。ツェルはまた一歩後ずさる。しかし後ろは噴水。逃げ場はない。
 絶体絶命。また毛虫に刺されて腕を腫らさなきゃいけないのか、と思った時、思いがけず近くから助け舟が出された。
「あなた達。大人数で一人を虐めて、恥ずかしくないの?」
 先程の少女だった。声は落ち着いていたが、ひんやりと冷たかった。
「何だよお前」
 副リーダーの緑髪のペリネが、眉を寄せて言う。他の三人も警戒気味に少女を睨む。
 そんな四人を、少女は黒い目で一瞥した。
「どうだって良いわ、そんなこと。私、あなた達みたいな人達って大嫌いなの。誰かを虐めて面白がるなんて、幼稚だわ」
 少女は綺麗な外見を裏切り、酷薄な言葉を連ねた。毒舌、とは彼女の為にある言葉かもしれない。
「何だと!」
 少女の言葉に、四人は一気に逆上する。
 ツェルと少女はそう年齢も変わらないように見えた。虐めっ子達は十五歳のツェルより一つ年上だから、多めにみても彼らと同年代だろうか。その為だろう、余計癪に触ったらしい。
「てめえ、俺らをバカにするんじゃねえっ」
 シャルトーは怒って太い眉を吊り上げ、あろうことか女の子相手に殴りかかった。
「……っ、駄目だっ!」
 普段のツェルは弱虫でこんな真似なんて出来ないが、その時は違った。気が付いたら、少女を庇って、代わりに殴られていた。勢いでそのまま地面に倒れる。
 それを見て、今まで冷静だった少女の表情が初めて変わった。
 虐めっ子四人をじろりと睨むと、すっと右手を彼らに翳す。
 バチィッッ
 瞬間。空気中で何かが弾ける音がして、四人は短い悲鳴を上げて地面に尻餅をついた。
 線状の光が四人の身体の表面を走り、すぐに消える。
「う…、お前、ハティナーか!」
 シャルトーが顔をしかめて悔しそうに言った。
 地面に座り込んだまま、ツェルは少女を見る。彼女の表情はいつの間にか元の無表情に戻っていた。
「だったら? さっさと消えなさい。でないともう一度ハティンを使うわよ?」
 冷ややかな声とともに紡がれた脅しに、四人は悪態を吐きながら、立ち上がって逃げ出した。
「…………」
 虐めっ子達が逃げ出すのを、ツェルは呆然と見送る。
 こんなこと、今まで一度もなかった。
「大丈夫?」
 再び同じ質問をされ、ツェルはハッと我に返ると立ち上がった。
「大丈夫です、ありがとうございます」
 また同じように礼を述べると、少女は「こっちこそ、庇ってくれてありがとう」と礼を言い、その後に「でも」、と付け加えた。
「私のことなら庇わなくても大丈夫だったのに。あれくらい避けられたわ」
 淡々と言われ、ツェルは苦笑する。殴られた頬がじんじんと痛みだしてきた。
「そうかもしれません。でも、気が付いたら庇ってたんです。気に障ったのなら、無かったことにして下さい」
「別に、気になんて障らないわ。……ほっぺた、腫れちゃったわね」
 少女は僅かに眉を寄せる。…そんなに痛そうに見えるのだろうか。
「転んだと思えば、平気です。お構いなく」
「そう? ならいいけど。早く帰って冷やすのね」
 少女はそう言うと、噴水の台座に腰を下ろした。
 どうやら読書中であったらしい。革表紙の本の間にしおりを挟んだページを開く。そしてまるで何事もなかったかのように、読書を再開した。
「……あの、僕、ツェル・バルロードっていいます。闇の神官をしています。良ければ、名前を教えて頂けませんか」
 ツェルは一世一代の勝負だとばかりに、心臓をばくばく言わせながら、恐る恐る少女に名を訊いた。女の子にそんな風に質問するのは初めてだった。
 少女はちらりと本から顔を上げ、名乗り返した。
「アケミ・ハセクラよ」

* * *

 アケミ・ハセクラさんかあ……。
 その日の夕方。ツェルは神殿の図書室の窓際に置かれた席に座り、ボーっと窓から外を見つめていた。どこから見ても上の空。その上、傍目からも夢心地で、花が周囲を舞っているような錯覚を覚えさせる。
 ほとんど無表情だった、彼女の綺麗な顔立ちが目の前をちらついて離れない。
 こんな状況は初めてで、ツェルは不思議な気持ちだった。
 しかししばらくすると、今度は自分自身が情けなくなってきて、無意識に頭を抱えてしまう。
(何で、僕っていつもこうなんだろう。シャルトー達には追い回されるし、女の子に助けられるなんて…。ありえないよ、格好悪すぎる……っ)
 もう終わったことだし、グチグチ悩んだところで結果は何も変わらないのだが、それでも悩んでしまうものは仕方がない。
(そうだ!)
 ツェルは頭を抱えたまま、名案にパチリと目を開いた。
(彼女に何かお礼をしよう!)
 そのまま勢いよく立ち上がる。手元に置いていた本を掴むと、さっさと元の位置に戻しに行く。
 そこではたと気付く。
(そういや僕、名前は知ってるけど、連絡先知らないんだった……)
 一人、ずーん、と落ち込む。
 また、あの広場に行けば会えるだろうか?
(駄目もとでも、行ってみよう……。うん、そうしよう)
 こんな風に、改めて何かをしようと思うことも、久しぶりだ。
 ツェルはすっかり浮つきながら、図書室を後にした。


「ツェル!」
 図書室を出た廊下で、呼び止められて足を止める。
 振り返ると、ツェルと同じ下っ端神官の少年が急ぎ足で歩いてくるところだった。赤茶色の癖のある髪と、そばかすが印象的な地味な顔立ちをしている彼の名はディルトという。ツェルの数少ない友人の一人だ。
「お前またあいつらに追い回されてたんだって?」
 ツェルの元に辿り着くなり、ディルトは心配そうに言う。そしてツェルの頬っぺたに目をとめて顔をしかめた。
「何だよこれ! 腫れてるじゃないか。あいつらにやられたのか? 大丈夫か?」
 早口に問われ、ツェルは苦笑する。
「大丈夫だよ、これくらい。毛虫に刺されるより余程マシだから」
「でも、最近のあいつらはやりすぎだ。俺、リーデル準導師に言いつけてやるよ」
「いいよ、ディルト。本当に大丈夫なんだ。それに、今日は良い事があったから」
 やんわりと制されて、ディルトはそういえばいつもと違って落ち込んでないなと気が付いた。
「そういえば、何か妙だな。意味もなく笑って。何があったんだ?」
 ツェルは広場での出来事を話した。
「へえ、それはいい気味だ。俺もあいつらの逃げ出すところ見たかったな」
 ディルトはツェルの話を聞いて、小気味良さそうに呟く。
 ツェルは訂正を入れようと口を開く。
「違うよ、ディルト。そこじゃなくて」
「分かってる。そのアケミとかいう子のことなんだろ?」
「う……うん」
 ツェルは小さく頷く。
「その子、長い黒髪の美人で、雷のハティン使ってたんだっけ?」
「そうだよ」
「あの噂の子と特徴同じだな」
 ツェルは目を瞬く。
「噂?」
「ほら、一月前に保護されたっていうハティナーだよ。信じがたくも空落人だって話のあれだよ」
 言われて、ツェルは朧ながら記憶を掘り起こす。言われてみればそんな話が出ていた気もする。
「ディルト、他に彼女のこと何か知らない? 僕、どうしてもお礼したいんだ!」
 今までにないツェルの剣幕に圧倒されつつ、ディルトは考え込む。
「そうだな……。確かその噂の子、女王に気に入られて城で保護されてるとか何とか……」
「ええっ、城!?」
 ツェルのテンションが一気に下がる。城では、自分のような下っ端神官が出入り出来るわけがない。
「いや、違ったな。神殿で保護……だったっけ? まあどっちでも良いだろ。お前に訪ねて行く勇気があるとも思えないし」
 あっさりと確定され、ツェルは情けない顔になる。
「ディルト〜……」
「おいおい、これくらいで泣きそうな顔すんなよ。これじゃまるで俺が虐めてるみたいだろ」
 ぎょっとして、ディルトは慌てて落ち着くように言う。
「そうだ、その広場に行けば会えるんじゃないか? 本読むには良い場所だからな」
「そっか……、そうだよね」
「そうそう」
「ありがとう、ディルト。今度行ってみるよ」
「ああ、頑張れよ」
 ディルトは心底ほっとした様子で言うと、一気に笑顔になったツェルは鼻唄でも歌いだしそうな調子で歩き出す。そんなツェルをディルトは複雑そうに見送る。
「その子がそうだとして、女王のお気に入りなんてな。いつまで無事でいられるか……」
 ツェルの姿がだいぶ遠のいたところで、不憫そうに小さく呟いた。
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