地下通路で一泊した明美達は、翌日の昼前頃、ヴェルデリアの地下トンネルに出た。細長い照明が申し訳程度に辺りを照らしている。その壁にはケーブルや管が帯のようにつけられていた。
連絡扉に見せかけた扉を出ると、ざり、と靴底が砂利を噛んだ。地面が剥き出しになっているようだ。
「ここからは俺が先導する。ついて来い」
ハルが無愛想にそう言って、薄暗いトンネルをすたすたと歩き出す。二人は彼の背中を見失わないよう、慎重に歩を進めた。
「……ここは?」
トンネルからヴェルデリア首都の裏路地に出てだいぶ歩いた頃、寂れた住宅地の一室の前に三人はいた。
「入れば分かる」
ハルは答えずにそう言って、扉を三回ノックする。
「灰色砂漠から砂虫が三匹やって来た」
傍から訊くと意味の分からないことをハルが言うと、扉が僅かに開いた。
内側から開けた者は、訪問者をじろりと見た。ぎょろりとした目が三人を確認し、ぼそりと囁く。
「よし、入れ」
ハルは頷き、何の躊躇もなく部屋に入っていく。明美とリゼは一度顔を見合わせたものの、後に続いた。彼の態度を見るに、どうもここがこの国での隠れ家のようだ。これ以外にもあるのかもしれないが。
通された部屋は昼間だというのにカーテンが締め切られ、代わりに電気が点いていた。
「今度の青の将軍とやらはその黒髪の方か?」
先程扉を開けた人物は、ぼさぼさの黒灰色の髪に無精髭まで生やしており、まるで浮浪者のような印象があった。三十代後半くらいだろうか、くたびれた皮の上着を着ていて、全体的にだらっとした感がある。だが、ぎょろりとした黒目だけは怪しく光っていた。一般人というわけではないのだろう。
「そうです、支倉明美といいます」
明美は淡々と答える。顔は無論のこと無表情だ。
「ほお、今までの奴とだいぶ毛色が違うな。女王は一体どこがお気に召したのやら」
男の皮肉めいた言葉に、明美は何も答えない。将軍になってから、こんな言葉ばかり投げられている気がする。
男はフッと微かに笑い、一つ言っておくが、と付け加えた。
「女王は気まぐれで人を登用しちゃ、気まぐれで命を奪う女だ。あんたもすぐにそうなるだろうから、気をつけておけ」
「その話なら、紫の将軍から聞きました。でも信じるつもりはありません、お気遣いは結構よ」
明美は冷たくそう返し、部屋を見渡す。部屋の主がこうだから汚い部屋かと思ったら、意外にも片付いている。
「ここに座っても?」
「構わねえよ」
明美は遠慮なく部屋の壁際に腰を下ろす。久しぶりの休憩だった。
そのすぐ横にリゼが座り、ハルは戸口側に陣取った。
「それで、あなたの名前を伺っても良いかしら?」
男はその質問にじろりと黒目を向けた。どうやらこの質問はご法度だったようだ。
しばらく考え込むように顎に手を当てていた男だったが、「まあいいだろう」と頷いた。
「名前は教えられないが、呼び名は教えておく。<黒犬>だ、よろしく」
男は低い声で言い、視線をリゼに向ける。
「そっちの男は知ってるが、あんたは初めて見る。名前は?」
「リゼ・ローエンよ」
男は目を瞬いた。余程驚いたらしい。
「ローエン? ローエン博士か? 何だってそんなお偉方がこんなとこに来るんだ?」
「自分で志願したの。この人について来たかったから」
リゼがあっさり答えると、男は唸り声を上げる。
「は? こんな娘にか? あんたは王国の宝とも言われてる天才科学者だろうが、さっさと帰って研究でもしてろ」
「嫌よ。何で私があんたなんかに指図されなきゃならないの?」
リゼはふんと鼻で笑い、
「安心なさいよ。私が来たからには、国宝の奪還なんてあっさり出来るわ。この国の科学力と来たら、私からすれば鼻で笑っちゃうくらいお粗末なんだもの」
「……それは心強いことで」
リゼのいつもの傲慢な言葉に、男は半分呆れたように皮肉を言った。
「まあいい、何考えてんだか知らねえが、あんたがいれば俺も国に帰れるってもんだ」
諦めたのか、やれやれと息を吐く男。
その会話を聞きながら、明美はリゼを見ていた。
(何か目的でもあるのかしら)
リゼはいつだって掴みどころのない人物だった。可愛らしく笑ったりしては他人を煙に巻いている。口では明美に付いて来たいと言っているが、本音はどうなのだろう。
ふとそう思った明美は、少しだけ後悔した。少なくとも、腹の読めない人々の中で、いきなり「気に入った」と言って親切にしてくれたのはこの人くらいだったのだ。
(目的はともかく、信用は出来るわ……)
一人静かに、頷く明美だった。
* * *
「着いて早々だが、現状報告しておこうか」
<黒犬>は大きく息をついてから、そう切り出した。
明美は静かに頷いた。取り立てて差し障りも無い。若干疲れてはいるが、話を聞くくらいなら出来る程度だ。
「そうだな、あんたにとっちゃ幸運なことに、<白浄花>奪還任務は最終段階に入ってる。侵入ルートも模索済みだ。あとは、あんた達が潜入して奪還すりゃあいい」
あっさりした報告に、ハルが茶色の目を<黒犬>に向ける。
「間取り図の入手が出来たのか?」
「ああ、半年もかかったぜ。第一警備隊が相手だったからな、正直きつかった」
ハルは僅かに眉を寄せる。
「そんなに手強いのか、今度の第一警備隊隊長は」
<黒犬>はぼさぼさの髪をがりがりと掻きながら言う。
「そうだな。前の奴と頭の回転の速さじゃそう変わらんだろ。しかも今度の奴は異能者だぜ? さすがは最年少隊長殿ってだけはある」
「………今回も出てくるか?」
「どうだろうな。噂じゃ、あの石に関しては興味がないらしいが」
「変わった奴だ」
ハルはますます眉を寄せる。警備隊という、ヴェルデリア国平原部の警備組織のトップのくせに、国宝の防衛に関心がないとは。どういう腹積もりなんだ。
「しかし、油断させる為の演技かもしれん。得体の知れない奴だよ、今度の奴も」
「………そうか」
ハルは留意しておく、と答え、次の話に進める。
「これからの行動予定、あんたの方ではどう考えてるんだ?」
<黒犬>は考えを纏める為か数秒黙り、「そうだな…」と切り出す。
「取り合えず、この都市ヴェルダートのあちこちで仲間にテロを起こさせる。それでさすがに人手不足になったところを潜入するって考えかな。てめえはどうだ?」
ハルは少し考え込んだものの、首を振る。
「その考えで良い」
そしてハルはちらり、とけだるげにリゼと明美に向ける。
「あんた達の考えは?」
リゼは首を振り、明美は答えずに問う。
「テロってことは、犠牲者が出るということよね?」
「何を当たり前なことを」
<黒犬>は顔をしかめ、明美をぎょろりとした目で睨む。
「何だ、怖気づいたか? 将軍殿」
明美は冷めた目で見返す。
「確認しただけです。でもあえて言わせて頂くと、被害があまり出るようだと私達の考えが読まれてしまうかもしれないわ。テロは随分前からおこなってたの?」
明美の問いに、<黒犬>ではなくリゼが答える。
「そうですよ。小規模なものですが」
「それなら、その程度のものをあちこちですべきだわ。その方が警備隊の目も分散するでしょう」
明美は冷静にそう指摘した。暗に、足取りをつかませることにならないように注意しろと言ったのだ。
<黒犬>はにやりと、犬さながらの獰猛な笑みを口元に湛えた。
「こりゃあ面白い。そんなところまで考えてなかった。何事も事を大きくすればいいというわけではないってこったな」
「そういうことよ。目的達成の為には、面倒なことでも遠回りした方が確実だわ」
さらりと答え、明美は再び沈黙する。余計なことは言わず、必要最低限の言葉。だが、的は得ている。たまに、的を射すぎて周囲の反感を買うが、今回はそうではなかったようだ。
<黒犬>がしきりに感心気味に唸っているのがその良い証拠。
(成程。リゼが気に入るだけはあるな)
ハルは地下通路から再び感心を覚えた。不本意ながらリゼとは幼少時代からの関わりがあるが、彼女の大嫌いなものは“馬鹿”と“アホ”だったのだ。そして代わりに大好きなのが“賢い者”だった。と言っても、昔から頭だけは良かったリゼの上を行くような賢い者など教師を除けば現れるはずもなく、認めている人間はハルの知る範囲では極少数だ。
「ほんとにまあ、今までの奴とはえらい違いだな。寡黙で頭が切れて美人か。ふん、悪くねえ」
<黒犬>はくつくつと含み笑いをしている。
「今回の将軍は“当たり”かね? あんた、将軍なんかやめて、科学者になれよ。そうすれば、女王の機嫌うかがいすることなく生き延びられる。俺達の国は、優秀な科学者をそれは大事にする国だからな」
明美は思案気に目を伏せる。
「それで女王様に役立てるならそうしても良いわ。私みたいな子供に、統率力なんてあるとも思えないし」
将軍は近衛隊を束ねるのがその役職だ。今は単独任務だから良いが、戻って統率しろと言われると、さすがに無理があるだろう。
そう正直に言うと、まさか能力がないから辞退しても良いなどと返されるとは思わなかったのか、<黒犬>は目を丸くした。明美の部下の位置にある二人もだ。
<黒犬>は「こいつは参った」と額に手を当てる。
「こんな嬢ちゃんなのに、考えは筋が通ってるは、自己認識も出来てるは……本当に子供らしくねえなあ」
<黒犬>のつぶやきに、明美は僅かに嫌そうに眉を寄せる。
「自己を肥大解釈するつもりはないけど、子供だからって甘えるつもりもないわ」
辛口に注意すると、<黒犬>は再びにやっと笑う。
「意志のはっきりしてる奴は大好きだ。だが成程、あんたには大勢をまとめるのは無理だと言うが、今じゃ確かにそうだな」
<黒犬>も部下二人もそんなことは分かっている。三人から見れば、明美はまだ小娘も良いところなのだから。
「だけど、あんた、将来は出来るようになるだろ。そんだけ冷静沈着ならよ」
「………」
明美は何も答えない。
<黒犬>はフッと笑い、話を変える。
「まあこの話はもう良い。そうだな、テロの件は将軍の言う通りにして、あとは潜入だが……。こっちは今日じゃなくてもいい。きっちり頭に入れて貰わねえと困るから、一度休んでからにする。構わないな?」
三人は異論なく、頷いた。
「よし、ハル、お前“砂虫の宿”分かるよな?」
「ああ」
「じゃあそっちに移れ。ここに三人も泊まられるとこっちが迷惑だ」
「分かってる。では、明日の昼過ぎにまた来る。どうせ計画実行はまだ先だろう?」
ハルが確認すると、<黒犬>は口元をひん曲げる。
「ああ。テロ開始二週間後だ」
「了解した」
ハルはぶっきらぼうに答え、音もなく立ち上がる。
「さあ行くぞ。ついて来い」
そして相変わらずの無愛想さでそれだけ言い、部屋を出て行く。それにリゼが文句を言いながら後を追い、明美はどうでも良さそうに二人を眺めながらついていった。
* * *
ヴェルデリアに潜伏を始めて二週間が経った。
これまで侵入経路や作戦など、綿密に話し合いを重ねていたことの、まさに本番の日がやって来たのだ。
他に潜伏しているスパイ達は、ヴェルデリアの首都のあちこちで小規模なテロを始めたお陰か、だいぶ民衆は混乱しているようだった。警備隊の人手もだいぶ割かれているらしく、見回りの人数は減っているらしい。とはいっても、逆に警戒してピリピリとした空気がただよっている。いつどこでテロが起きるか慎重になっているのだ。
ラトニティア程の機械国ではないが、ヴェルデリアもこの惑星では大国の一つだけあって、首都は相当広い。都市の端から端まで、徒歩でゆうに一日はかかる距離だという。
その都市の中で最も警備が厳重なのが、中央地区だ。
そこにある議事堂に至宝<白浄花>は保管されているらしい。
厳重警戒、及び侵入不可といわれている場所に、これから明美とハルとリゼの三人で侵入するのだ。
「奴ら警備隊の裏をかいて、警備の厳重な昼間に侵入することになった」
ハルの報告に、いつもは文句を言うリゼが感心気味な顔をした。
「あら。少しは考えるじゃない。まあ当然ね」
ふっと微笑むリゼを無視し、ハルは明美を振り返る。
「何か反論は?」
「ないわ」
明美はあっさり返し、道具の入った鞄を背中に背負う。
「侵入ルートは相談した通りで変更ないわね?」
「ああ」
「では、さっさと行きましょう」
ハルが頷いたのを確認し、明美は戸口に歩き出す。
早く任務を終わらせて、女王のもとに戻りたかった。成功したら喜んでくれるだろう。あの綺麗な顔で微笑んだら、どんなに美しいことか。
しかしふと明美は扉の目前で足を止めた。
二人に、言っておかなくてはならないことがあったのを思い出したのだ。
「言うのを忘れていたけど」
明美は、部下二人を振り返る。
「もし任務で不都合があって、私が危険になったら、あなた達、迷わず置いて逃げなさいよ」
突拍子もなく放られた言葉に驚いたのはハルの方だった。
「は?」
それを、一応上官のあんたが言うのか? それもずっと年下の子供のくせして。
「嫌です」
ハルが反論しようと口を開いた矢先、リゼがきっぱり言った。
「アケミ様は上官なんですから、部下が置いて逃げるわけにはいきませんわ」
リゼはいつもの飄々とした雰囲気はなく、真剣そのものだった。
明美は黒曜石のような目でじっと彼女を見返す。
「それこそ駄目よ。任務達成の方が優先されるべきでしょう?」
リゼは自分より大人で頭が良いのに。明美は内心困惑する。まさかリゼに反論されるとは思わなかった。
明美はリゼに真正面から向き直る。
「私が空落人なのは知っているでしょ? ここには私の大切な人もモノもないわ。でもあなた達二人にはあるでしょう? だから置いていけと言ってるのよ」
明美はいつもの無表情で、淡々と、理屈を連ねる。
不満そうなリゼが口を開く前に、すばやく言葉でさえぎる。
「先生、反論しないで。もう決めたことよ」
それだけ言って、明美は先に部屋を出て行った。
「すげー子供だな、ほんとに」
ハルはやれやれと溜息を吐く。あの年若い上官殿は、無表情な割に時折ひどく頑固なのだ。
何気なくちらりとリゼの横顔に視線を投げると、彼女は不機嫌そうな顔をしておらず、なぜか哀しそうな顔をしていた。
(……こいつのこんな顔初めて見た)
何だか見てはいけないようなものを見た気分になる。
「何?」
一瞬後。ハルの視線に気付いたリゼは不機嫌な顔になり、きつい視線を投げてよこした。
「いや……」
思ったより動揺した自分が馬鹿だった。それに少し心配してしまったのも。
もしそんなこと口にしたら、この女は鼻で笑うに決まっている。
「あの子、可哀想よねえ」
リゼは戸口を見つめ、ぽつり、とつぶやいた。そのまま部屋を出て行く。
「……可哀想か?」
ハルは首を傾げる。今の一連の会話を聞いて、どこが可哀想なんだ?
(頭の良い奴らの考えは分からん)
内心で悪態をつき、ハルも二人を追った。
* * *
バタバタと足音が遠ざかっていくのを聞いて、明美はようやく気を抜いた。
壁に背を預け、大きく息を吐く。
「思った通り、へましたわ」
何となく、嫌な予感がしていたのだ。
<白浄花>の保管してあった部屋へ侵入し手に入れたまでは良かったが、直後にセキュリティシステムに引っかかってしまった。
お陰で、部下二人とはぐれてこうして街中を逃げ回っている。
明美は腰に付けているポーチから布の袋をそっと取り出す。口を開けて逆さにすると、左手の平に透明な石の花が転がり落ちた。――<白浄花>だ。
(早く女王様に届けないと)
そうしたら、あの人はきっと微笑むだろう。美しい顔を喜色に染めて。
明美は女王の笑顔を思い浮かべ、僅かに微笑む。きっと喜んでくれる。そうしたら、あの人の側にいられる。
―― 千年前この地に降り立った空落人は、この石を作りました。彼の人はとても力の強いハティナーでしたから帰ろうと思えば帰れたのに帰らなかったといいます。伝承だと、この石に祈るだけで帰れたのだと言う話だそうですわ。
ふと、文字を教えてくれていたリゼが前に言っていた言葉を思い出した。この世界の説明をされた時だっただろうか。
明美は石の花弁の一つを指で折り取った。
何となく、そうしておいた方が良い気がしたのだ。
明美は花弁をポケットに押し込むと、石を袋に戻し、再び路地を駆け出した。
「どうして止めたのよ! 明美様とはぐれてしまったじゃない!」
一方。部下二人もまた明美と同じく逃げ回っていた。今は地下水道を通っている。
追っ手は撒けたらしいが、周囲に下水の匂いが充満して気分は最悪だった。そして更に気分を悪化させるのは、この組み合わせである。
明美とはぐれたことにイラだっていたリゼは、下水道を、しかもハルと歩いていることに余計イラだち、八つ当たり気味に怒る。その瞬間、口内に臭気が入って眉をしかめた。
「黙れ。あの女探しに行って捕まる気か」
リゼと同じく今の状況にすっかりうんざりしているハルは、仏頂面で返す。
「大体、前もって、置いて逃げろと言われただろ」
「だからって、あの子、まだ子供なのよ? 普通置いてく?」
「置いていかなきゃ、俺らが捕まって、極刑だ」
ハルはきっぱりと切り捨て、リゼを相手にしない。
探しにいける状況なら探しに行ったが、警備隊員が駆けつけてきたのだから逃げるしかなかったのだ。それを文句ばっかりつらつらと。国の宝呼ばわりされてる優秀な頭脳なら一髪で分かりそうなものなのだが。
「お前、自分が運動音痴だってこと忘れてるな? この機会に言っとくが、あの上司よかお前のが断然足手まといだ」
リゼの柳眉がぴくつく。
「何ですって……?」
ハルは気にせずに続ける。
「そのてめえが逃げられてんだ、あっちも逃げてんだろ。相当しっかりしてるしな」
ハルはフンと鼻を鳴らす。
「…………」
リゼは呆れた目でハルを見る。
(大丈夫なら大丈夫だって言えばいいでしょうに、何て回りくどい奴なの)
やがて半眼をじと目に変化させる。
「なら、良いわよ」
これ以上文句を言うのも馬鹿らしくなり、リゼは溜息を吐いて足を速める。
ハルはリゼが諦めたと悟ると、もう何も言わずに歩くことにする。互いに口を開けば喧嘩になることは分かっているのだ。
しかし、そこでふとハルはリゼを振り返った。
突然足を止められ、リゼは怪訝な顔付きになる。喧嘩なら買うつもりだと、身構える。
「お前、そういや何で今回この任務に付いてきた?」
思いもよらない質問だった為、リゼは目を丸くした後、まじまじと彼の茶色い目を見返す。何か裏があるのか。いや、ないか。こんな質問に裏があるとも思えない。
「何って、明美様が心配だから」
「嘘だな」
ハルはきっぱりと言い捨てる。
もちろんリゼはむっとする。
「何を根拠に人様の発言を否定すんのよ?」
「それもあるだろうが、お前がそこまで良い人間とは全く思えねえ。お人好しぶってんじゃねえぞコラ」
良いからとっとと吐きやがれ。
ハルが高圧的に睨むと、リゼも負けずに睨み返す。というか、さりげなく本音を混ぜるハルに切れたというのが正しい。
「私はね、あんたなんかよりずっと心の綺麗な人間なのよ! 何よお人好しぶるってあんた何様……っ」
そこまで言って、唐突にリゼは口を右手で覆った。
「ケホッケホッ……ケホッ」
むせて咳を始めたリゼに、ハルは舌打ちする。
こんな空気の悪い所で大声を出せば、幾ら健康的な人間でも喉をやられるに決まっている。これは自分が悪いが、しかしリゼ相手に謝るのも癪だったので、その点は流すことにした。
「いい加減ここから出るか。話はそれからだ」
ハルは言い、先に進み始める。
もう少し行けば、出口のマンホールがあったはずだ。
「おい、早く来い」
リゼの気配がついてこないので、ハルは面倒臭いながら振り返る。
憎まれ口が返るかと思えばそうではなく、しかもリゼは座り込んで咳き込んでいる。
「おい……?」
流石に何かがおかしいと気付き、リゼの顔を覗きこむ。
「何これくらいで咳き込んでんだよ? ……!」
リゼの口を覆っている右手の隙間から赤いものがにじみ出ているのを見て、ハルは息を呑む。
「お前……、まさか」
――石化病。
ハルの脳裏にこの単語が浮かんだ。廃棄王都に蔓延する灰胞子に蝕まれることで、肺が徐々に石化していく治療法のない奇病。
まさか、こいつが?
「そのまさかよ……」
ようやく咳が収まったらしい。リゼは口元を袖でぬぐい、若干弱々しい声で言う。
「はあ、もー。何て顔してんだか。こんな病気、珍しくもないでしょう? 地下王都に逃げ込む前に何人死んだと思ってるの」
険のこもった目で、リゼはハルを見やる。
「だが……、何でお前が」
ハルは動揺で声が揺れないよう、低く問う。
「治療法試すのに色々とやってきたからかしら。そのせいで病気になってりゃあしょうもないでしょうけど」
リゼは半ば自棄っぽく言う。
それからすっと立ち上がり、ハルを真正面から見て、ふんと鼻で笑う。
「なあに? 可哀想だとでも思っているの? あんたに同情されるなんて、正直本気でごめんなんだけど」
本気で嫌そうに言われても、ハルの神経を逆撫でしはしなかった。
ハルの頭には一つの疑問が占められていたから。
ハルは飄々としているリゼの肩を掴み、低い声で問う。
「正直に答えろ。お前、まさか死ぬ気でついて来たのか?」
リゼは不思議なくらい穏やかな目で返す。
「だったら?」
「…………」
思わずハルが息を詰めた瞬間。リゼは握った右拳で思い切りハルの顔面を殴りつけた。
「だっ……!」
予想外の不意打ちが直撃し、景気良く壁側に倒れこむハル。しかし訓練を受けているだけに受身を取り、すぐに身を起こした。そして思わず左頬を押さえて、ぐあっと怒鳴る。
「何しやがる!」
ハルを殴り倒した張本人は、「ああもう痛いんだけど」と非常に迷惑そうに右手をぶらぶら振っているところだった。
「そんな訳ないでしょう? まあ、確かにここでスパイとして捕まったら後腐れなく処刑してくれて楽に死ねるだろうなとは思ったけど、ここに来たのはあの子が心配だからよ」
イラついた口調で、更にはいかにも説明するのすら億劫だという風情でリゼはすっぱり言う。
「全く、やってらんないわ。あんたなら絶対笑うと思ってたのに同情なんかしてくれちゃって。お人好しぶんのも大概になさいよ」
どこかで聞いたような台詞で締めくくると、リゼはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「ちなみに。あんたが石化病になったら、私、大笑いしてやるから。安心しなさいよ」
そして、言うだけ言ってすっきりしたのか、リゼはさっさと先に進み始めた。
(だからお前は性格悪いってんだ……!)
リゼの背中を睨み、怒りで身を震わせながら、ハルは心の底からつぶやいた。
――その三日後。明美は瀬奈と思わぬ再会をし、直後部下達と合流して、王国への帰路についた。