白浄花の輝き編 第四部 終焉

二十二章 道 

「ふう……」
 寝台に半身を起こして、瀬奈は小さく息をついた。
 病院で目が覚めてから二日経ち、ようやく自力でベッドを降りられる程に回復した。ハティンの使いすぎがこんなに身体に負担をかけるものだとは思わなかった。
 少し視線をずらすと、窓から白い床に落ちる光が揺らいでいた。正午を回った頃で、病室は明るい。白一色だから尚更だ。
 枕に背中を預けて、窓の外の揺れる陽光を見ながら物思いに沈む。――自分の世界にいる家族や、隣国に行ってしまった幼馴染みや、第五警備隊の人達の顔が、くるくると入れ替わって思い浮かんだ。
(明美……)
 別れ際の冷たい表情が頭をよぎる。
(やっぱり無理だよ。置いて帰るなんて……)
 瀬奈はポケットに右手を突っ込んで、中に入れている〈白浄花〉の欠片をぎゅっと握る。
 明美は冷たいことを言っていたけれど、こうして帰る方法だけは残してくれた。表面は冷たくても、根底は優しいんだ。ただ、幼馴染みである瀬奈や明美の両親よりずっと大事な人が出来ただけで。
 シーツを見つめながら、ぼんやりと思う。
(明美、もうラトニティアに着いたのかな……)
 地下トンネルで別れて、そのまま奥に消えていったけど。
 瀬奈はそこまで考えて、ふと、引っかかりを覚えた。

 ――あと少しだっていうのに。仕方ないわ。

 明美がイオリを撃つ前に、そんなことを言っていたではないか。
「帰るのに……何でトンネル?」
 呟いて、首を傾げる。あれではまるで、ラトニティアに行く道があの辺りにあるかのように聞こえる。
 あの時はこんなことに気付く余裕はなかったけど、落ち着いて考えてみれば、そういうことのような……?
 疑問に頭を捻っていると、病室のドアがノックされてそのまま開いた。
「……あ」
 振り返って、無意識に声を漏らす。
 フィースにいるはずのフォールが普段通りのにこやかな笑みを浮かべて立っていたのだ。フォールの背後にはリオも立っている。
「具合どお?」
 フォールは病室に入ってくると、ひょいと三脚のパイプ椅子に腰かけた。
「だいぶ良くなりました……」
 敬語禁止令が出ていたが、自然と敬語になってしまう。
 たくさん迷惑をかけたように思えて、いたたまれない気分だ。
 ちらりとフォールの後ろを見ると、リオと目が合った。彼女は安心しろというように、口の端を上げて、男勝りな笑みを浮かべた。
 リオとは、もう何度か対面している。明美のことを黙っていたことを謝って、事情も話した。リオはハティンの使いすぎが体調不良を引き起こすことを黙っていたのだけを怒り、後の事は何も言わなかった。
 理由を訊いたら、けろりとこう言った。
「イオリがセナはスパイじゃないと言うなら、そうなんだろ」
、と。
 訳が分からなくてまた訊いたら、
「あいつは他人の悪意に敏感だから、そうじゃないと言うならそうじゃないんだ。それに、お前は顔に出るからな。間違いないだろう」
 こうあっさり答えてくれた。ちょっとだけ複雑な気分だったが、信じてくれたことは素直に嬉しかった。
「そんなに緊張しなくても、大丈夫だよ。事情は全部聞いているからね」
 フォールは穏やかに言う。
 瀬奈はそれでフォールに対峙する勇気が出た。
「はい……。あの……」
 恐る恐る声をかける。
「何?」
「やっぱり……怒ってます、か?」
 すると、驚いたように目を見張られた。
「怒る? どうして? 大変な目に遭ったのは君とイオリだろう?」
「う……そうですけど。ほら、倒れちゃったり……明美のことがあったり……」
 口の中でぼそぼそと言うが、フォールはにっこり笑って瀬奈の言い分を一蹴する。
「そういう意味での大変ってことなら、僕じゃなくてリオが大変だったから僕は平気だよ。いや、優秀な部下がいると楽でいいよね!」
「少しは動け貴様も!」
 爽やかに告げられた本音に、ぶち切れたリオがフォールの頭部をはたく。
「イタ!」
 フォールは首をすくめ、リオはじろりとそんなフォールを睨み下ろす。これでは、どちらが隊長か分からない。
 しばらく痛がる素振りをして頭を撫でていたフォールだが、悪戯っ子のような笑みを口元に湛えた。
「――まあ、一応僕も影で動いてみたけどね。ごまかすのは大得意だから大丈夫だよ」
 ……それでいいのか。
 瀬奈はちょっとだけ困惑しつつ、平気だというのなら引っ張らない方が良いのかと考える。
「そうですか? ――ええと、でも、ありがとうございました」
 頭を下げる瀬奈に、フォールはまた微笑む。
「どういたしまして。でも、セナさん。敬語はやめてよね」
「う……、分かった」
 やっぱり何か変な感じだ。年上相手にため口って。
「うんうん、それが一番良いよ。さて、じゃあそろそろ本題に入ろうかな」
 フォールが話を切り出し、すっと表情が真剣になった。
 瀬奈もつられて真面目な顔になる。
「セナさんは第五警備隊で保護してるハティナーだから、一応様子を見に来たんだけど、それ以外にも聞きたい事があってね」
「――うん」
「君は地下トンネルで、今はラトニティアでスパイをしてる、同じ空落人に会った、……そうだったよね?」
 確認するように訊かれて、瀬奈は頷いた。
「そうよ」
「それで、その子はラトニティアに戻るのに、そのまま地下トンネルの奥に消えた。――間違いない?」
 瀬奈は頷きながら、先程抱いた疑問と同じ質問をされていることに気付いた。
「そっか……」
 フォールは納得した様子で頷き、そのまま何か考え込み始める。
「あの、やっぱりこれって、あのトンネルのどこかとラトニティアへの道が繋がってるってこと……かな?」
 瀬奈が恐々と尋ねると、フォールは意外そうに目を瞬いた。
「あれ、気付いてたの?」
「さっき、隊長さん達が来る前にだけど」
「そっか」
 フォールは軽く頷いただけだったが、目はどこか楽しげに光った。
「それで物は相談なんだけど、セナさん」
「うん」
「ラトニティアに行く気ない?」
「――――はい?」
 投げかけられた言葉に、瀬奈は思わずフォールを凝視した。

     *  *  *
「勿論、君一人じゃないよ。僕らと三人だ」
 固まった瀬奈に、フォールは説明を付け加える。
「三人って……」
 瀬奈はフォールとリオを順番に見た。
「そうだ。私とこいつとお前の三人だ」
 リオがしっかりと頷く。
「はあ……。でも、どうして?」
 理由が分からない。こんな私なんか連れて行っても、邪魔になりはしても楽にはならないだろう。
「納得してない顔してるから、だな」
 落ち着いた声で、真っ直ぐに瀬奈を見て答えるリオ。
「…………」
 言葉に詰まっていると、横からフォールが口を挟んでくる。
「それに、幼馴染みさんがどっちに行ったか教えて欲しいというのもあるね。――もしラトニティアへの道を見つけたとして、もしかしたらもう一度幼馴染みさんに会えるかもしれないし」
 フォールはそこまで言ってから、ちらりと瀬奈を見る。
「でも偵察じゃなくて調査だから、敵側に見つかる前には引き返すつもりだよ。会える可能性は低いけど、それでも構わないなら、一緒に来るといい」
 瀬奈は呆然とフォールを見返す。
 ――可能性は限りなく低いけれど、もしかしたらもう一度明美に会えるかもしれない。
 会えなくても、そこで区切りを付ければ良い。自分の世界に帰るか、帰らないか。一度チャンスに賭けてみて、そこで決める。そうすればもう、迷わなくて済む。
 瀬奈は目元が熱くなったのに気付いた。
 自分は迷惑や面倒ばかりかけているのに、どうしてこの人達はこんなに優しいんだろう。
「ありがとう、隊長。私、一緒に行く」
 泣く代わりに精一杯微笑んだ。
「――良かった。僕らも助かるよ」
 そう答えたフォールの後ろで、リオも大きく頷いた。


「三人じゃなくて四人だろ」
 声が一つ割り込んできて、緩んだ空気が少し引き締まった。
「――イオリ」
 隊長が名前を呼び、片手に果物を入れた袋を提げたイオリがいつも通りの不機嫌顔でずかずかと病室に入ってきた。
「見舞い」
 端的に言って袋を押し付けられる。
「あ……ありがとう」
 おっかなびっくり袋を受け取る瀬奈。目が覚めて以来イオリには会っていなかったのだが、突然現れたかと思えばお見舞い品を持ってくるとは。毎度毎度意表を突く奴である。
 袋の中身を見ると、見たことのない形状のピンク色の果物が入っていた。小さなボールが三つくっついたような形で、林檎みたいなツルツルの皮をしている。
「俺も行くけど良いよな?」
 決まったことを告げるように、フォールに問うイオリ。
「――良いのかい?」
 少しばかり信じられなさそうに、フォールはイオリに聞き返す。
「あの女には俺も借りがある」
 手短にきっぱり答えるイオリ。
 瀬奈は少し不安を覚える。
「イオリ、明美に何かする気じゃないよね?」
 何かする気なら止めるから。
 言外にそう含ませて、瀬奈はイオリを軽く睨んだ。短気なイオリならやりかねない気がした。
「ちっと文句言うだけだっつーの」
 瀬奈の心配がムカついたのか、半眼でじろりと睨まれる。
 ……眼力で敵うわけがない。瀬奈はすぐさま白旗を降った。
「――ごめん」
 すると、イオリはフンと鼻を鳴らしただけで、視線をフォールに戻す。
「で、良いのか?」
「勿論。人手があると助かるからね」
「じゃあ、決まりだ」
 満足そうに頷くイオリ。
「ははっ、面白い。セナはやっぱりすごいな」
 突然リオが笑い出し、瀬奈はきょとんとする。
「え? 何が?」
「……いやな、どういうわけか手助けしたくなるんだよ。不思議だな」
 ぽんぽんと頭を軽く叩かれても、訳が分からない。
「?」
「ああ、いいよ、分からなくて。――さてと、じゃあ出発時間だが。実はこれからなんだよな」
「「は?」」
 瀬奈とイオリは同時に聞き返す。
「大丈夫だよ、準備は出来てるから。イオリの分もすぐに出来るよ」
 的外れなことを返すフォール。
「いや、でもこいつ病み上がりなのに良いのか?」
 呆れて問うイオリに、フォールは問題ないよと答える。
「エアバイクを使うから、そんなに負担にはならない。イオリが来るっていうなら丁度良いから、相乗りしてやって」
「……いいけど」
 そんな会話を聞きながら、瀬奈は目を輝かせた。
 エアバイク! あのタイヤの無いバイクだ!
 こんな時に不謹慎だとは思うが、わくわくしてきた。イオリが普段使っているのを見て、一度乗ってみたかったのだ。
「よろしく!」
 瀬奈はにこっと笑ってイオリに頭を下げた。
「……おう」
 それに少したじろいだ様子で、イオリは返事する。
「よし、じゃあ話がまとまったところで、行こうか」
 にっこりとフォールが言い、他三人も頷いて立ち上がった。
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