白浄花の輝き編 第四部 終焉

二十三章 抜け道の先で 

「ここから行くの?」
 瀬奈が首を傾げると、フォールが頷いた。
「そうだよ。そこが下に降りてく仕組みになってるんだ。地下トンネルは前にも見たと思うけど、重要な配線や配管が集中して通ってるから、清掃と点検用ってわけ」
 説明を聞きながら、瀬奈は倉庫のようなその部屋を見回した。部屋には照明がある他は何も置いておらず、床の真ん中に四角く鉄網になっている所と、その左右に立った手すりが、目に付いた変化だった。他の壁や床は、全部灰色の煉瓦造りなのだ。
 フォールとリオとイオリは、床の四角い鉄網の上にエアバイクを乗せる。
 見ていると、リオにこっちと言われて、彼女の隣に立った。
 それを確認して、イオリが柱につけられている操作盤を押し、すぐに戻ってきて鉄網の上に立った。
 途端、ゴウンという低いモーター音がして、床がゆっくりと下がり始める。
 荷運び用の簡易エレベーターなのか、と、動き出してからようやく瀬奈は気付く。人が降りるだけにしては広いなと思ったのだ。

 地下トンネルに降り、エレベーターの床の部分からエアバイクをどかすと、またイオリが操作盤をいじった。低音を響かせて戻っていくエレベーターを、鉄網の板が天井に空いた穴から暗闇へと消えるまで見送り、そこで何となく満足して、瀬奈は周囲を見回した。
 地下通路のトンネルは、相変わらず薄暗かった。
 壁の白熱灯が申し訳程度に周囲を照らし、少し動くと、靴底が砂を噛む乾いた音がトンネル内にこだました。
 エレベーターが止まると、トンネルの中には白熱灯のジリジリという音しか聞こえなくなった。静かだ。
「ここからだと、中央地区まではエアバイクで三十分ってところだな」
 リオが呟き、フォールが頷いた。
「そうだね」
 そしてトンネルの左を向いて、その先をじっと見据える。
 瀬奈もならって見てみたが、ずっと奥に暗闇が見えるだけだった。
「何突っ立ってんだ? とっとと乗れ」
「あ、うん」
 イオリにエアバイクの後部座席を顎で示されて、瀬奈は小走りにそちらに寄る。そして促されるまま、飛び乗った。


(何か変な感覚……)
 エアバイクが走り始めて数分後、瀬奈は奇妙な感覚に眉を寄せていた。
 振動は何も無く、ただ風が顔の表面を走っていく。「走る」というより、「滑る」という表現が正しい気がした。
「お前、まさかバイク酔いしたのか?」
 黙りこくっている瀬奈に、イオリが前を向いたまま訊いてくる。たまにいるんだよな、そういう奴、と続けて呟いた。どちらの声も、ヘルメットを被っているせいでくぐもって聞こえた。
「酔ってないよ。ただ、走ってる感じがしないから変だなって」
「ああ、まあどっちかというと“浮く”が正しいな」
「へえ……、じゃあ空飛べたりするの?」
 少し気になって訊く。
「やろうと思えば出来なくもねえけど、危ないからお勧めはしねえな。バランス崩して落ちたら、あっけなく即死だ」
「うわ……」
 落ちた所を想像して声を漏らす。それは何というか、ある意味、間抜けな死に方だ。
 そんな他愛のない話をしながらエアバイクで走ること、約三十分。目的地である中央地区内のトンネルに辿り着いた。
「前にお前達がいたのは、大体この辺だな」
 ある地点に来てバイクを止めると、リオはヘルメットを脱いでから言った。緑色の長い髪がばさりと肩に落ちた。
「よく分かるね……」
 瀬奈にしてみれば、どこも同じ場所のように見える。
「記憶と、それからナビ機能付きだ」
 バイクを指して言われ、ああそういうこと、と瀬奈は納得した。さすがの有能な副隊長も、こんな地下トンネルでは地図無しでは位置が分かるわけもないのだろう。
 瀬奈は、ぐるり、と周辺を見渡す。
 覚えているような、いないような。
「あ!」
 一箇所、地面が黒い染みになっている所を見つけて、瀬奈は声を上げた。
 パッと記憶がフラッシュバックする。
 ――軽い破裂音、傾いでいく金色、そして、赤。
「おい、大丈夫か」
 イオリに声をかけられて、ハッとする。思い出したせいで、顔が青ざめたらしいのに気付く。
「……大丈夫」
 自分は平気だ。もう体調も良い。でも、人が殺されかけるのを見たのは、思ったより衝撃を残していたみたいだった。
「えと、確かにこの辺だね……。ここにイオリが倒れてて、あっちに向かって明美が歩いてってた……」
 記憶を振り払うように、他の記憶も辿る。
「あっちか」
 フォールが、瀬奈達が来た方の道を見る。
「うん……。それから少しして、足音がなくなったと、思う……」
 その辺の記憶は曖昧で、瀬奈は歯切れ悪く答える。あの時はイオリの治癒に必死で、他の事はよく覚えていないのだ。
 代わりにあの時の明美の冷たい目と声、それに遠ざかる足音だけは嫌に鮮明に覚えている。
 何だか、心臓がぎゅっと掴まれるような感覚がした。
(明美、私のこと嫌いになったんだ……)
 考えてみるとそれは、ひどく怖いことに思えた。ずっと、それなりに仲よくしてきた思い出があれば尚更。
「まだしょげてんのか、お前」
 呆れた声が、隣でした。こんな言い方をする奴は、勿論一人しかいない。
「しょげてるって」
 じろっとイオリを睨むと、鼻で笑われた。
「しょげてんだろ?」
「悩んでるって言ってよ」
「意味一緒じゃねえか」
 さらりと返されて、むっと口ごもる。揚げ足をとらないで欲しい。瀬奈だって落ち込む時は落ち込むし、それが長続きだってするのだ。
「ま、どっちにしろ、あんたにそんな顔似合わねえよ。いつもみたいに馬鹿みたいに笑ってろ」
「馬鹿みたいに……!?」
 瀬奈は憤慨した。馬鹿みたいって何だ、馬鹿みたいって。確かにいつも笑ってるけど、何それ、そんな間抜け面してたっていうわけ?
 食ってかかろうと身構えた瀬奈に対して、イオリがフンと口端を吊り上げた。
「そっちのがまだマシだ」
 それからポンと頭を軽く叩かれて、瀬奈はぽかんとする。
 身構えたのに、何だろうこれ。拍子抜けしてしまうではないか。
 そのままくるりと背を向けてエアバイクの方に戻っていくイオリを、瀬奈が形容しがたい表情で見ていると、横から忍び笑いが漏れてきた。
「ブックックック、全く素直じゃないなあ」
 フォールが肩を震わせて笑っている。
 怪訝の視線を瀬奈が向けると、目尻に涙を浮かべて言う。
「元気出せってことだよ」
 そう言って、また笑い出す。今度は遠慮なく声を上げて笑い出した。
「笑うな!」
 それに切れてフォールに怒鳴るイオリ。ますます笑うフォール。
 ちらりとリオを見ると、彼女は呆れ顔をしている。
 いつもと同じ、第五警備隊の日常風景だ。
 そのことが何だか嬉しくて、瀬奈は微笑する。久しぶりに、心から笑えたような気がした。

* * *

「え……と、多分、この辺じゃないかと思う」
 徒歩でトンネルを逆戻りすることしばし。瀬奈の自信なさげな声がトンネル内にぽつりと零れた。
 正確に見ていたわけではないから、本当に自信がない。
「この辺か……」
 イオリが思案気に呟いて、周囲に視線を巡らす。
 配線が並ぶ壁の間に、一つ、連絡扉があるくらいだった。扉は、元は黄色く塗装されていたのだろう、ペンキが剥がれて所々地金が覗いている。
 連絡扉の中には、大概、非常用の電話が取り付けられている。このようなトンネルなら、100mおきに取り付けられる決まりになっているはずだ。
「連絡扉?」
 リオが首を傾げた。
「おかしいな。ナビにはそんなものは載っていないが……」
 そう呟いた声で、全員ハッとした。
「ここで決まりだな」
 フォールが確信を込めて言う。
「ああ、そのようだ。念の為、記録しておくよ」
 リオが答え、ナビの画面に手をのばす。
「こんな所に?」
 瀬奈は目を瞬く。それは何と言うか、大胆すぎやしないか。
「こんな所だから、だろ。こんなトンネルの連絡扉なんて、滅多に使うことなんてないしな。むしろ、あって当然だからこそ見つかる危険も少ない」
 イオリが淡々と説明し、目にどこか物騒な光を湛え、にやりと口端を上げる。
 面白い。
 目がそう語っている。
 よく分からないが、何かの闘争心に火が点いたらしい。
「こういう応用もあるってことか。帰ったらデータまとめとこう」
 その呟きで、技術士としての闘争心にだと知れる。
(うわあ、職人の顔してる……)
 瀬奈は驚きつつも感心する。職人魂ってすごい。
「まあともあれ、開けてみるよ。二人は念の為、そっちに下がってて」
 フォールの指示に、瀬奈とイオリは左の方へと下がる。
 二人と距離があいたことを確認すると、フォールは連絡扉の右側に背中を付けた。その反対の左側にはリオが付く。
 フォールとリオは、それぞれガンホルダーから銃を抜き、安全装置を外して構えた。
「カウント3で開けるよ」
「了解」
 フォールが言い、リオが頷く。
「3、2、1」
 ガン!
 カウントが終わると同時に、フォールが扉を蹴り開け、中に銃口を向ける。リオもまた、左脇から銃口を向けている。
 フォールは中をじっと睨みつけていたが、すぐに銃を下げて、ガンホルダーに入れた。
「大丈夫だ。罠のようなものはないみたいだね」
 あっさりと言い、瀬奈とイオリを呼ぶフォール。
 フォールの穏やかな笑みに、先程の緊張感が一気に抜けた。
 瀬奈が扉から中を覗くと、向こうに細い通路が見えた。人が七人程並べるかという程の通路だ。こちらのトンネル程大きくはないが、それでも頑丈そうである。
「この幅なら、エアバイクも通れそうだな」
 リオは連絡扉の鉄枠を、コンコンと靴先で蹴る。簡単に距離を測っているらしい。
「そうだね。バイクがあった方が、念の為にも良い。僕ら、上には内緒で調査に来てるからね、面倒事が起きるとやばいんだよ〜」
 へらりと笑いながら、フォールは首に手を当てる仕草をした。
 ようは、ばれると首になるかも、ということらしい。
「え゛」
 何それ。
 瀬奈は固まった。
 隣のイオリは呆れている。
「真実を知るには、多少のリスクは仕方なかろう」
 さばさばと言い捨て、リオは早速バイクをあちらの通路へと動かし始めた。
 瀬奈はそんなリオの背中を見つめながら、格好良いなあと、改めて感動を覚える。
「そういうこと」
 フォールは唖然とする瀬奈に、ふざけた様子で片目をつぶった。


 地下通路をエアバイクで駆け始めて、通路の長さに瀬奈は少々眩暈を覚えた。
 二時間おきに休憩しているが、それでももうすぐ半日経つ。それでも出口らしきものは全く見えない。電灯も何も無い真っ暗な通路が、えんえんと奥まで続いているのみだ。
 バイクの後ろに座っているだけだが、正直、病み上がりの身には辛かった。
 我慢していたが、だんだん気持ちの悪さで頭がガンガンしてきた。無意識のうちに、イオリの腰に回していた腕に力を込めていたらしい。異変に気付いたイオリがバイクを止めた。
「どうした?」
 イオリが振り返って聞いてくれる。
 瀬奈はそれには答えず、ヘルメットを脱いで大きく息をしてみた。
 駄目だ。やっぱり気持ち悪い。
「ごめん、気持ち悪くて……」
 肩を落としてうつむく。
 ちらりと前を見ると、イオリのバイクが止まったことに気付き、隊長達が引き返してくるのが視界に映った。
 リオのバイクが、瀬奈の真横で音も無く止まる。
「ひどい顔色だ。休憩にしよう」
 そう言って、リオは瀬奈の手にしているヘルメットを取り上げた。
 フォールもリオの言葉に頷いて、自身もヘルメットを外す。そして、溜め息を一つ。
「やっぱ負担かけちゃったか……」
 まずったなあ、と、顔を渋ませるフォール。それがやがて弱りきった顔になる。
「ごめん、セナさん。色々と好条件だったのがこの日取りだったもんだから、つい押し通しちゃったけど……。幾らなんでも辛すぎたよね……」
 別に隊長さんが悪い訳じゃないのに。
 瀬奈は困りきった様子のフォールを見て、逆に心が痛んだ。瀬奈のことを気遣って、わざわざ連れて来てくれたのだから、むしろ感謝している。
「はい、じゃあゆっくり休んでて」
「わ」
 前置きなしに身体が浮いて驚く。フォールがひょいと腕に抱えたのだ。そして、そのまま壁際に座らせられる。
 まるで小さい子供に対するような扱いに、瀬奈は拍子抜けした。
(なんか、手慣れているような……)
 子持ちの父親のそれっぽい感じ。
 フォールは四十代らしいし、家族がいてもなんらおかしくない。
(そういや、この人達に家族っているのかな……? 聞いたことないけど)
 瀬奈はふと、第五警備隊の面々の家族構成を不思議に思った。ほとんど仕事漬けの彼らだが、実家とかそういうのって存在しているのだろうか?
 不思議に思ったものの、追求する気は起きない。
 なにしろ本当に気持ちが悪くて仕方が無いのだ。
 気が抜けたのか、我慢が限界に達したのか知らないが、そのまま膝に額を押し付けると、瀬奈はことんと眠りに落ちた。


「あ、起きた」
 ハッとして目を開けると、リオがすぐに気付いて口端を吊り上げた。
「おはよ。意外と早く起きたね」
 携帯式のライトが、通路を煌々と照らしている。
 それで、瀬奈は自分が毛布の上に寝ていたのに気付いた。
「姿勢が辛そうだったから、勝手に横にしたよ。悪かったかい?」
 訊かれて、首を振る。
「いえ……、むしろ助かりまし、……助かったよ。あ、えと、どれくらい寝てた?」
 寝起きで頭が働かない。
 無意識に敬語が出たのに気付いて、途中で無理矢理ため口へと方向転換しながら、瀬奈はリオに問いかけた。
「一時間くらいかな。ほら、水飲みな」
「ありがとう」
 水筒のコップを渡され、礼を言って受け取る。
 一口飲んでから、更に口を開く。
「だいぶすっきりしたよ。すぐに発つ?」
 瀬奈の問いかけに、「いや」とリオは首を振り、瀬奈の髪をぐしゃりと掻き混ぜた。
「気にしないで、もう少し寝てな。丁度良いから、他も仮眠中だ」
 顎でくいっと周りを示される。
 フォールとイオリも、壁際で毛布につつまって眠っているのが見えた。こちらに背を向けているから顔は見えないが、ゆっくり背中が上下しているから寝てはいるのだろう。
「リオは?」
「私もさっき三十分ばかり仮眠したよ。それに体力はあるからな、平気だ」
 徹夜三日連続なんてざらだからな。
 リオは男勝りに笑む。
「いいから、寝ていろ。もう少ししたら、フォールを叩き起こして私もまた寝るつもりだ」
「あ、はは……、それならいいけど……」
 時折、この人はもしかして隊長さんが嫌いなのだろうか、と思う時がある。きっと気のせいだと思いたい。遠慮がないだけだ。……多分。
 瀬奈はリオの言葉に甘え、もう一度目を閉じることにする。
 目蓋の裏に浮かんだ闇が、ゆるゆると眠気を誘ってくる。
 ああ、もう少しで寝そう。
 そう思った瞬間、突然地面が揺れた。
「えっ?」
 驚いて身を強張らせる。
 このぐらぐらと揺れる感覚には覚えがある。瀬奈がヴェルデリアに来る要因になった地震を思い出した。
「何だ?」
 リオが瀬奈を庇うようにし、周りに視線を走らせる。
 また、小さな揺れが起きる。
 そして、遠くで何かどおんと響く音が聞こえた。
「爆発音だね」
 すぐに起きたらしいフォールが、トンネルの奥に目を凝らす。
「あっちからだ」
「敵か?」
 すると今度はイオリの声がした。
 三人からピリピリと張り詰めるような緊張感が伝わってきて、瀬奈の手に力がこもる。毛布をぎゅっと握り締める。
 心臓がドクドクと脈打っているのが分かる。
(敵って……まさかまた)
 誰か、傷付くのだろうか。
 銃で撃たれたイオリの姿が頭をよぎった。
 しばらくすると、小間隔で続いていた爆発が止む。
「ばれた……ってわけじゃなさそうだね」
 様子を伺っていたフォールがぽつりと呟く。
「ああ。誰も来ないしな」
 肩の力を抜いて、リオが首肯する。
「そいつは良かった」
 イオリが安堵した様子で声を漏らす。

「行ってみよう」

 フォールが言い、残りの三人は頷いた。ここでじっとしているより、何があるのか見た方が早い。敵がいるなら全速力で逃げれば良いはずだし。
 逃がしてくれるかは考えないでおく。そもそもこの隊長達がいるのだ。どうにでも、なるようになる気がした。
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