白浄花の輝き編 第四部 終焉

二十八章 白浄花の輝き

 暗い地下牢。
 少し前まで明美のいた所と同じ牢屋のうちの一つで、リゼは安っぽい寝台に寝転がり、見るともなしに壁の闇を見つめていた。
 ――恐らく自分は反逆罪で処刑されるだろう。
 そんな考えが、ぷかりと泡のように浮かんで消えた。
 もしくは、一生、研究所に監禁されるかもしれない。自分程の天才はこの国には他にはいないはずだから。
 それぐらいの結論など、単純すぎてすぐに思いつく。
 けれども、不思議と満足感に包まれていた。
 正直、ここまであの少女のことを気に入るなんて思いもしなかった。
 玲瓏とした空気を持つ彼女は、きっと自分のことを忘れたりしないだろう。
 誰かの記憶の中に、善として刻まれる。それはどんな学誌で称えられ名を連ねることより、リゼをほっとさせた。
 思い返すに、自分に人として好印象を抱く者はいないだろう。それだけ、他者を踏みにじってきたくらいの自覚はある。
 どちらにしろ、もう長くは生きられない。
 だったら未来を託して、何が悪いのだ。


 そんなことをつとつとと考えていたら、ふと人の気配が牢の前に現れた。
「よお」
 ――ハルだった。
 リゼは寝転んだまま悪態をつく。
「嗚呼、何でここに来るのがあんたなのかしら」
 そして勢いをつけて起き上がる。

「――あんたがあたしの死神ってわけ?」

 処刑役なのだろうと揶揄して問う。
「……ああ」
 ハルは短く答える。
 陰気な顔といったら、まさしく死神にうってつけだ。
 リゼはシニカルに笑う。
「……フン、せいせいしてるんでしょ? 私のこと、嫌いだものね」
「………」
 ハルは答えない。代わりに、右手に持った黒い銃が、鈍く光ったように見えた。
 リゼは立ち上がると、ハルとまっすぐに向き直る。
「さあ、どうぞ。ちゃんと一発で殺してよ」
「……何か言い残すことはあるか?」
 ぼそりと問われ、リゼは僅かに思案する。
「私、あんたのこと嫌いだったけど、そこまで嫌いじゃなかったわよ」
 そして、遺言の代わりに、小さな本音を漏らした。
 ――そう、別にそこまで嫌いじゃなかった。
 少しだけ嫌いだっただけだ。
 リゼは微笑み、さあ殺せ、というように頷いた。
 リゼの言葉に、ハルの目が一瞬揺れたが、そのまま腕を上げてリゼの頭に照準を合わせる。

 ――そして、引き金を引いた。


* * *

 城の脇道を進むにつれ、焦げ臭さと消火に当たる兵士達の声が強まってきた。
 そして瀬奈は気付いた。
 燃えている城の真上のドームに、大穴があいていることに。
(あ、な……?)
 遠くからでは黒煙に包まれて見えなかった。穴もまた黒々としていたから。まるで、地震で出来た、あの時の割れ目のようだ。
 その穴の下には何かの柱のようなものがある。真ん中から折れているけれどあれは……。
(エレベーター……?)
 その残骸だろう。瀬奈ですらすぐに気がついた。
「――最悪だ」
 だからそうリオがうめくのも、不思議なことではなかった。
 そしてそんなうめきを上げてしまう気持ちもよく分かった。
 兵士達は火を消そうと躍起になっているのに、穴から入り込んだ空気のせいで火の勢いが収まらず、収拾がつかなくなっている。

「灰胞子、侵入! 警戒レベルDです!」
 
 兵士の誰かが叫ぶ声が聞こえた。そしてそれと同時にアラームの音が響き渡る。

「灰胞子、警戒レベルDです。S区内にいる人々は、すぐさま避難して下さい。繰り返します……」

 ロボットの無機質な声が、避難勧告を出す。
「灰胞子!? まずいです、避難しないと、石化病になりますよ!」
 ツェルが悲鳴じみた声で叫んだ。ヘルメットのお陰で声はくぐもってそれほど響かなかったが、うろたえているのは十分に分かった。
「でもツェル、逃げ場はないわ。出口は二つとも消えたでしょう?」
 明美は冷静にさとしたものの、声は硬い。
 ツェルは頭を抱える。
「ああああ、こんな時、〈白浄花〉があれば……! でもあれはヴェルデリアにとられてしまいましたし……」
 ツェルの呻きに、他のメンバーは顔を見合わせた。
「いや、ツェル君。その石、こないだここの女王が奪い返したよ」
 フォールが天気でも告げるような声で告げる。
「え!!?」
 ツェルはハンマーで殴られたような衝撃を覚え、すっとんきょうな声を上げた。
「そのスパイ、そいつだしな」
 くいっと顎で明美を示すイオリ。
 ツェルは明美の顔――というよりヘルメットの正面を食い入るように見つめ、
「ほ、ほんとなんですか?」
「ええ、まあ」
 対する明美の返答はあっさりしたものだった。まあこの少女の場合、普段からこの調子なだけだが。
「うぇぇぇえ!?」
 ツェルは気違いじみた声を上げる。先程からこの調子で、よく酸欠にならないものだ。
「でも、女王様に渡したからここには無いわよ」
「い、いや、そうじゃなくて。ええ? そんな大事に関わってたんですか、アケミさん! でも、じゃあ、なんで処刑……?」
「石だけじゃ〈石化病〉は治せないって分かって。……要するに、八つ当たりかしら」
「…………」
 ツェルは急に静かになった。
 ヘルメットの中から、グズグズと鼻をすする音がかすかに聞こえる。
 明美は溜め息をつく。
「ちょっと、泣かないでよ」
「ないでまぜんっ」
 くぐもった否定の声。絶対ウソだ。
「――そっちも」
 明美は瀬奈の方も向く。
「だって〜っ」
 思わずウルッときた瀬奈に、明美のじと目が飛ぶ。
「面倒臭い奴らだぜ、ホント」
 イオリが面倒そうに愚痴る。
「同感ね。ああ、でもツェル」
「?」
「〈白浄花〉本体はないけど、欠片なら瀬奈が持ってるわよ」

「何っ!!?」
「何ですって!」
「何だと!」
「ええっ」
 
 さらりと放られた爆弾発言に、瀬奈と明美以外の四人の声がはもる。
「何でそんなの持ってんだ、お前!」
 今までで一番怖い顔でイオリが詰め寄ってきたので、瀬奈は小さい悲鳴とともに明美の後ろに隠れた。
 明美は大して動揺も見せず、イオリの問いに瀬奈に代わって答える。
「それあったら、元の世界に帰れるっていうから、あげたのよ」
 瀬奈は明美の後ろで、必死にコクコクと頷いた。
「前にトンネルで会った時……、あんたが来る直前かしら。帰れって言ったのに、何でまだここにいるんだか」
「明美のこと放っといて帰れないからに決まってんでしょ! 最後にと思ってここの潜入に参加したのっ。会えなかったら、使ってみるつもりだったけど……。私だって、いっぱい悩んだのよ!」
 むくれる瀬奈。
「ちょうど入院してて、考える時間ならいっぱいあったし」
 少し思い出して溜め息が出た。ああ、なんだか色々悩んだのが馬鹿みたいだ。
「入院? どっか悪いの?」
「ううん。ハティンの使いすぎで倒れただけ」
「相変わらず無茶しすぎよ、馬鹿ねえ。前にも、真冬に毎日外で絵を描いてて、風邪引いてぶっ倒れたじゃない」
 明美の言葉に瀬奈は顔を赤くする。
「そんな話、思い出さなくていいから!」
 二人の言葉のやり取りに、フォールは待ったをかけた。
「本題に戻していいかな?」
「あっ、はい、ごめんなさい!」
「ええと、その石使ったら元の世界に帰れるっていうの、ほんとなの?」
 半信半疑らしい。フォールは不思議そうに明美に問う。
「ほんとかは知らないわ。でも、ラトニティアではそういう言い伝えがあるらしいわよ。ヴェルデリアにはないの?」
「いや……聞いたことはないよ」
「ふうん」
 明美はいつものように淡白に答える。
 ある意味、ここまで他人事で片付けられるなんて、一種の才能ではないだろうか。
「ねえ、明美。これ使ったら、灰胞子って浄化出来るの?」
 瀬奈はポケットから欠片を取り出し、そっと手の平に乗せる。どう見ても、ただの水晶の欠片にしか見えない。それか石英か。
「知らないわよ。帰れるのかも分からないわ。それに、永倉行成さんは帰らなかったって聞いたし」
 帰れなかった。ではなく、帰らなかった。
 選ばなかっただけで、選べなかったわけではない。そんな伝説にはなっているらしいが、実際のことなど知る由もない。
 瀬奈は元いた所に帰りたかった。家族も、故郷も大好きで、あの地震の後にどうなったのか気がかりでならない。弟にも会いたい。
 でも、こんな危険な状況を、どうにか出来る策があるのに使わないのは、それ以上に出来なかった。
(ここで帰っちゃったら、私、きっと一生後悔する。だったら一か八か……)
 瀬奈はぎゅっと欠片を握りこんだ。
「分かった。私、やってみる。どうするのか分かんないけど……」
 分からないなら、神頼みしかない。
 そう思って、ハティンを使う時みたいに手に集中しようとしたら、イオリに手を掴まれた。

「お前、いいのかよ。帰りたいんだろ」

 さっきまで怒っていたのが不思議なくらい、静かで真剣そのものの目だった。
 瀬奈は驚いたものの、気を取り直して正面から向き直る。
「だって、これ使っても本当に帰れるかどうか分からないから。それなら、確実に出来ることをしたいよ」
 言いながら、さっき心の中で思ったことも口にする。
「それに、しないで後悔するくらいなら、して後悔する方がずっといい。そもそも浄化出来るかも分からないけど……」
 イオリはフンと鼻を鳴らして手を放した。
「そこまで考えてるんなら、別にいい。流されて行動されるのは迷惑だからな」
「……ひどっ。私、そこまで流されやすくないよ!」
 本当に毒舌な奴だ。
 けれど確かに、その通りだろう。後先考えずに、場の空気で流されて、後から恨み言言われるなんて最悪だろうから。
 ただしそれでもムッとはしてしまうのが人間だ。
 瀬奈は小さく深呼吸してから、今度は両手で石の欠片を包み、お祈りするみたいに手を合わせた。そして、さっきみたいに目を閉じて両手に集中する。

(神様、仏様、……ザナルカシアの神様でもなんでもいいですから、お願いします、力を貸して下さい。永倉さん、本当にいたか分からないけど、あなたの力が必要なんです。お願いしますから、灰胞子をどうにかして下さい!)

 こんなに真剣に神頼みをしたのなんて、高校受験以来だ。
 でも、あの時とは決定的に違うところがある。
 それは自分の為ではなく、誰か他の人の為というところ。

(お願い、この人達を助けて下さい!)

 瀬奈が強くそう願った瞬間、石から光が溢れ、目に灼きつくような熱さを感じ――



―――――そして、世界は白に染まった。





2.


「どうして……?」
 呆然とした声が口から漏れた。
 何故、ハルが見当違いの方に向けて銃を撃ったのか、明晰な頭脳を持つリゼには分かりかねた。
 ただ信じられない顔をして、ハルの憮然とした顔を見た。
 ハルはしてやったりと口端を引き上げる。
「逃げるぞ」
 けれど口から出てきたのはぶっきらぼうな声だった。
「は?」
 リゼはぽかんとハルを見、それから食って掛かった。
「何でよ? そんなことしたら、あんたも極刑よ? 道連れにするなんてごめんだわ!」
 死に際まであがくのは、リゼにとっては不本意だった。幾ら、嫌いな相手だろうと、だ。ダーティア教の教えに従えば、人の死後は穏やかな闇の中で平穏に暮らすという。……あの世に行ってすぐに、嫌いな奴と顔を合わせるなんて最悪ではないか。
 リゼの不満を、しかしハルは「うるせえ」の一言で取り下げた。
「俺はこんな国はもううんざりなんだ。亡命するのに死刑囚連れてって何が悪い」
 リゼは目を瞬いた。
 ハルはリゼが明美にしたことと同じことをするつもりなのだ。
 こいつは何て不器用なんだろう。優しくするつもりなら、最初からそうすればいいのに。
 それがあんまりおかしくて、リゼは小さく吹き出した。
「……笑うな」
 笑い出したリゼに、ハルは低い声でうなる。
 折角、自分が逃げるついでに助けてやろうと思ったのに笑うか普通。
 しかし、リゼの笑い声にいつの間にか涙混じりになってきたのに気づいて、文句を言うのを思いとどまった。
「ふふ……ふ」
 一気に緊張が抜け、ついでに涙腺までゆるんでしまった。さすがに声を上げて泣くまではしなかったが、喉の奥がかすれた。
「……あんたなんか大嫌いよ」
 人の死の覚悟を台無しにされて、しかも泣き顔を見られた。他人の前で泣いたことなんてなかったのに。
 リゼは悔し紛れに皮肉をこめて呟く。
「……知ってる」
 それにハルがそっけなく返す声が、牢の中に静かに響いた。


 牢から脱出し、外に出たリゼとハルは沸き起こっている騒ぎに少しばかり驚いた。
「ドームに穴が空いたようだな」
 “空”を見上げて、ハルが呟く。
「逃げ出すには都合がいいわ」
 騒ぎに乗じて、逃げ出せる。
 リゼはどうでもいいとばかりに一蹴する。
 もうこの国に、用はない。そして、未練も。
「行きましょ」
 全てを振り切るように、街路の方に踏み出した刹那。白の世界へと叩き落された。

 
 真っ白になる、という衝撃は、しかしながら一瞬で消え去った。
「なに、今の……」
 例えるなら、ホワイトアウト。真っ白になった電子画面。まっさらな紙。
 何もないからこそ、理解が出来なかった。
 それなのに、自身の身は確かに衝撃を感じた。
「知るか。お前の知らんことを俺が知るわけないだろ」
 リゼの呟きに、ハルは淡々と返す。言っていることは理に適っているが、堂々と言ってのけることでもない。
 馬鹿じゃないの、と冷たく言おうとしたリゼは、そこで違和感を覚えた。
 肺の痛みが無く、呼吸が楽だ。
「え……?」
 驚いて、右手を胸に押し当てる。
 勘違いではない。確かに、痛くない。まるで病気が消えてしまったみたいに。
「治った……の?」
 自分にしては全く論理的ではないが、そんな飛躍した考えが口から出る。確証もないのに、何故かそうだという確信があった。
「どうした?」
 隣りでは、ハルが不可解そうな顔でリゼの様子を伺っていた。


* * *

 視界が光で埋まり、上下が分からなくなる程の白に染まった世界は、急速に色を取り戻した。
 フッと目の前の物の輪郭が見え、一瞬、眩暈を覚えた頭を振って気を取り戻す。
「どうなったんだ、一体……」
 石を使った張本人の方を見たイオリは、言葉を失くした。
 一瞬前まで確かにいたはずなのに、瀬奈の姿がない。
 呆然と周りを見回す。
 明美の姿までも消えている。
 ――まるで、今迄いた二人は幻だったかのように。
「な……」
 事態についていけない。
 瀬奈と明美がいないことは頭では分かっているが、飲み込めないのだ。
「何がどうなって……?」
 混乱しているのは、何もイオリだけではなかった。フォールもリオも、ツェルだってそうだ。呆然と周囲に視線をさまよわせている。
「帰ったのか……?」
 いないということは、そういうことなのか。
 イオリはただただ唖然と、偽物の空を仰ぐ。
 騒々しかったアラームの音は、いつの間にか、なりをひそめていた。


* * *

 ふと気付くと、瀬奈は見知らぬ場所に立っていた。
 薄暗いけれど、一応明かりはあるらしい。その場所がどんな所かは見ることが出来た。
 そこは、コンピュータールームのようだった。
 壁はダークグレイの鉄板が継ぎ合わされていて、何かの機械や電子画面が間に埋め込まれ、その隙間を這うように配線やケーブルが伝っている。
「ようこそ、異界のお客人」
 降って湧いた声に、瀬奈はビクリとして勢いよく振り返る。
 振り向いた先には、薄茶色の髪をした十二歳くらいの男の子が立っていた。男の子は裾の長い、ローブのような灰色の長衣を着ていて、子供のはずなのに妙に馴染む大人びた表情で薄く笑った。
「あ、あなた誰……?」
 相手は子供なのに雰囲気は老成した老人そのものだ。その異様さに瀬奈はドギマギする。威圧……ではない。威厳だろうか? まるで王様のような。
「僕はこの惑星の管理人だよ」
「管理人……?」
 瀬奈は目を瞬く。
 惑星の管理人だなんて、不思議な響きだ。
「それでどうして私達はここへ? さっきまでラトニティアにいたはずよ」
 ふいに聞こえた明美の声に瀬奈は驚いて、同時に安堵した。僅かに感じていた恐れが薄れる。
 明美は、瀬奈が立っていた場所から五メートルほど離れた場所に立っていた。こんな時でも冷静そうだ。驚くどころか、むしろ少し機嫌が悪いような気もする。
「それはそこのお客人が<鍵>を使ったからだよ」
 男の子はにこっと笑う。すると子供らしい、無邪気な顔になった。
「鍵……?」
 繰り返し呟く瀬奈。
「そう、<白浄花>だよ。ユキナリと約束していたんだ。もし彼と同じ世界の人間が来て、その人達が石を使ったら、ここに呼ぶっていう、ね」
 男の子は軽く両手を広げ、場所を示す。
「ようこそ、虫食い穴の落とし子。ここはザナルカシアを監視する<塔>と呼ばれる施設だよ。ザナルカシア人は元より、それ以上に異界からの来訪者は本当に珍しいから、歓迎するよ」
 愉快そうに、男の子はのたまう。最後にゆっくりと、演技じみた動作でおじぎをする。
「えー…と。意味がよく分からないんだけど、あなたはつまりザナルカシアを監視してる人ってことなの? もしかして神様?」
 目を白黒させながら、疑問を口にする瀬奈。そこで初めて施設内を見回し、ぎょっとする。
 ガラス張りの四角い窓の向こうに、星空が見えた。黒い闇の中に、煌めく光が散らばっている。夜空というよりこれは……。
「宇宙……? えええ!?」
 完璧にパニクって、窓の外を凝視する。
 明美の方もさすがに度肝を抜かれたようで、無言で外に目を見張っている始末だ。
「そりゃあ、惑星を監視するんだから宇宙にいないと駄目でしょ?」
 こともなげに男の子は言う。
「まあともかく落ち着いて。そこに座って」
 男の子が右手を上げると、床から四角いベンチが出てきた。
「わっ!」
 いちいち驚いてしまうが、男の子の言う通りにベンチに腰掛けた。隣に明美も座る。
 座ったのを見届けると、男の子は再び口を開いた。
「さて、さっきの質問だけど。そうだね、神様という立位置に近いのかもしれない。でも僕は大昔に作られた機械であって、生き物ですらないよ」
「へ」
 瀬奈はまじまじと男の子を見つめる。思わず指を差し、首を傾げる。
「ロボットなの……?」
 こっくりと頷く男の子。
「もう四千年も前になる。このザナルカシアという惑星ではとても科学が発達していて、この通り、宇宙まで自由に移動していたんだ。だけど、発達しすぎた科学は諸刃の剣でね、ある兵器が開発されたことで人間達は自滅しちゃったのさ」
 男の子は少し寂しそうに呟いた。
「それなら、今いる人間はどうしたの?」
 明美が納得出来ないという様子で問う。
「彼らは僅かに生き残った人間の子孫だよ。大半は死んじゃったんだけど」
 男の子はそう付け足し、さらに続ける。
「ともかくそのせいで文明は一度リセットされた。あとは時間が解決して今の世界があるんだ。
 一度はリセットされたけれど、この施設に残っていた人間は、人類がまたいつか高度な科学を身につけ始め、再び兵器を作るのではないかと不安になったらしい。それで僕を作って、惑星を管理させることにした」
 男の子から淡々と紡がれる説明を、瀬奈は必死に頭を回転させて聞いていた。真剣に耳を澄ませていないと、理解出来なくなりそうだ。
「この世界には、空を飛ぶ機械はない。それを不思議に思わなかった?」
 男の子の問いかけに、瀬奈はハッとする。
「そういえば……。これだけ科学が発達してて乗り物だって便利なのに、どういう訳か飛行機がないわよね」
「そうなの?」
 地下の王国で暮らしていた明美にはよく分からなかったらしい。怪訝そうに眉を寄せる。
「そう、飛行機はない。空中を浮かぶことは出来ても、飛ぶことは出来ない。空を飛ぶことを覚えたら、一気に文明は進化していくから。それを考えさせないように、僕がコントロールしているってわけ。勿論、危なさそうな軍事技術についても同様だよ」
「それで“管理人”ってわけ」
 明美はひとしきり頷く。
 その呟きを拾い、瀬奈も遅れて理解した。
「なるほど」
 うんうん、と頷きながら、不思議に思う。
「さっき約束とか言ってたけど……、どうしてここに呼ばれたの? もしかして元の世界に帰してくれるの?」
 たくさんの期待を込めて、瀬奈は身を乗り出す。
 男の子はそんな瀬奈を見て困ったような表情をする。
 それを見て、なんとも表情豊かなロボットだなと頭の隅で奇妙に感心する瀬奈。
「帰してあげたいところだけど、まず先に説明を聞いてくれるかな。それを聞いてから、帰るか帰らないかを決めて欲しい」
 歯切れ悪く言う男の子の態度に、瀬奈と明美は無言で顔を見合わせた。

 * * *

「……虫食い穴?」
 機械の駆動音以外には何も聞こえない、静かな室内に、瀬奈の間の抜けた声が落ちた。
「そう」
 男の子は頷いた。右手の平を上に向けると、その手の上に電子画面が浮かび上がる。
 そこには画像が映し出されていた。宇宙に開いた、黒い穴のような画像だ。
「これが、虫食い穴。ちょうど、君達が地震で落ちた割れ目の下に開いていて、君達はそこに落ちたってわけ」
 画像の穴の上に、二人分の人の形が浮かび、それはそのまま穴に落ちて消えた。
「その穴が、たまたまこのザナルカシアの上空に通じているんだ」
 それで、落ちてきた君達を怪我しないように僕が助けた。そう、男の子は付け足した。
 瀬奈は目を瞬いた。
 そういえば、地面にぶつかる直前、身体が浮いた気はしていたが……。まさかあれはこの男の子の仕業だというのか。
 疑問をぶつけると、男の子はためらいなく頷いた。
「その通り。転移装置の応用だよ。――と言っても、君達には分からないだろうけど」
 言葉通りだ。瀬奈は深く頷いた。
「装置についてはよく分からないけれど。その穴を通って、元の世界に戻れるんじゃないの?」
 明美の質問はもっともだった。瀬奈だって気になっていたところだ。
「虫食い穴の中は未知数なんだ。もし君達がそこを通って元の惑星に戻れたとして、同じであるとは限らない」
 男の子は不可解な言葉を連ねた。
「は?」
 元の惑星なのに、同じではないとはどういう意味なのだ? 
 瀬奈には意味が分からなくて、頭の奥がぐるぐるしてくる。いうなれば混乱というやつ。
「通った先にあるのは、君達がいた時間よりずっと前かもしれないし、後かもしれない。場所も違う場所に通じているかも。そもそも、元の惑星そのものに着くとも限らない」
 説明を聞きながら、瀬奈はだんだん顔から血の気が引いていくのが分かった。“確実には”帰れない。
「永倉行成は元いた世界でいう大正五年にここに落ちてきたと言っていたよ。君達はそれが何年前か分かる?」
 訊かれて、瀬奈は困った。大正時代って何年前に当たるんだっけ?
 助けを求めて明美を見ると、明美は呆れたような目をして、男の子に答える。
「大体、八十年くらい前よ」
「そう。じゃあ、やっぱりこの惑星と時間軸が違うんだ」
 男の子は頷き、続けて言う。
「僕が彼に会ったのは1032年前だから」
 瀬奈と明美は沈黙した。
「……ちょっと違う、どころじゃない……」
 あんまりにも救いようのない話に、瀬奈の目にじわっと涙が浮かんできた。
 男の子は困ったように眉をハの字に下げる。
「泣かないで。僕は人間に泣かれるのは大の苦手なんだ」
「無理……」
 帰っても求めるべき居場所がある保証はない。その事実を突きつけられた途端、たまらなくなった。小さな希望を抱えて生きていたのだから尚更。
 ボロボロと涙を零し始めた瀬奈から、男の子はうろたえたように距離を取りながら、気を取り直して付け足す。
「と、ともかく。そういうことがあるかもしれないと行成に言ったら、彼はそのままこの惑星に残る選択をした。ここまで聞いて、君達はどうする? 帰る? 帰らない?」
 男の子の問いに、明美はぶち切れた。
「そんなの、選択肢がないのと一緒じゃない! 帰れるわけないわ!」
 何て無神経なロボットだろう。
 機械なのだから神経など無いに決まっているが、それでも八つ当たりをせずにはいられなかった。
「私は元々帰る気はなかったけど、瀬奈は帰りたがってたの! それを、さんざん期待させておいて、こんな答えってないわ!」
 明美にしては珍しく声を荒げて怒鳴っている。
 しかしながら男の子はこたえた様子はない。それどころか逆にほっとした様子になった。
 それにますますイラつく明美。
「なんなのよ、何笑ってるの!」
「久しぶりに怒られたな、と思って。僕の製作者はよく怒る人だったから」
 男の子は、図々しくも「懐かしい」などとのたまわった。
 それを聞いた途端、明美の背後辺りに黒い空気が立ち上った気がした。明美が右手から電気をほとばしらせているのに気付いて、瀬奈は泣くどころではなくなり、慌てて明美の腕にしがみつく。
「ちょーっと待った! 明美、何やってんのーっ!!」
「止めないで! このふざけたロボット、スクラップにしてやるわ!」
 突如わきおこった騒ぎに、当のロボットは呑気に笑っている。
「うわあ、懐かしい反応」
 ……どうやらこの機械、製作者までイライラさせていたらしい。どこか嬉しげに呟く様は、確かにイラッとする。
「まあともかく。帰らないということに決まったようだから、それなら元いた場所に送ってあげるよ」
 にこにこと笑みながら、男の子は言う。
 それに、気を落ち着かせた明美は凄んで言う。
「元の世界に戻れない代わりに、手を貸しなさいよ」
 そして、怪訝な顔をする男の子に“頼み”を投げかけた。
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