虹色のメロディ編 第一部 腕輪編

一章 指名手配犯と預かり物

 アカデミーの帰り、森里瀬奈は鼻歌混じりに通りを歩いていた。
 もう夏も終わり。日射も緩やかになり、過ごしやすい一日だった。ヴェルデリア国には四季はなく、春と夏と冬だけだが、今の時期は日本でいうところの秋のような感じだ。
「もう、二年になるのかぁ」
 僅かに空を見上げて、瀬奈は感慨深く呟く。
 瀬奈がザナルカシアに落ちてきて、惑星管理人に会い、結局帰ることが出来なくてこちらで生活していくことを決意したあの日から、二年経った。瀬奈は十八歳になり、髪も胸元まで伸びた。
 あれから必死に勉強を重ねて、ようやく今年からフィース機械工学アカデミーに通い始めた。今でも分からないことはたくさんあって困ることも多いけど、それなりに楽しく毎日を送っている。それに、アカデミーに通い始めてから、一人暮らしも始めた。ハティナー保護協会に頼んで見繕ってもらったアパートだ。だから、セキュリティーはばっちり。
 今、生活出来ているのは、一重に<治癒>のハティンのお陰だ。ザナルカシアに来てから現れた能力で、異能という意味らしい。そしてハティナーとは、異能者という意味。
 自分がハティナーで本当に良かった。
 保護してもらえるから住居は確保出来るし、協会からの仕事をこなせば給料も貰える。ただし、ハティンを使いすぎると身体に負担がかかるので注意が必要だ。
 そんなわけで、協会の仕事をこなしながらアカデミーに通いだした、というわけだ。ちょっと異色なアルバイトだと思えば、問題ない。
「近道しちゃお」
 通りの、ある地点で瀬奈は路地裏の方に曲がる。
 放課後や休日に、時間がある時は第五警備隊の本部に立ち寄るようにしている。メンバーは相変わらず変わっていないが、機械士のイオリは、本部に機械士が一人しかいないのはさすがに無理があると人員増加を上告しまくっているらしい。医務係のカエデも、一人くらい医務員を回して欲しいとぼやいていた。第五警備隊があるのが田舎都市フィースだというのもあって、誰も望んで来たがらず、常に人手不足なのだそうだ。でも、まだ誰も来ていない。来年辺りは、さすがに増えるだろうと副隊長のリオが言っていたから、来年は増えるかもしれない。
(教科書が重いなあ)
 全く人通りのない路地裏を歩きながら、瀬奈はトートバッグを肩にかけなおす。一コマ90分、一日に四限までしかないのだが、使う教科書がそれなりに厚いので結構な重さになっている。数式の組み方やプログラムの組み立て方が主だから、計算ばっかり載っているせいだ。
 勉強が苦手な瀬奈には頭が痛いが、これも後々第五警備隊の手助けをする為だ。頑張らなくては。
 そう気合を入れたところで、ふと、前から走ってくる人影に気付く。
 その人はひどく慌てているようで、瀬奈に気付かずまっすぐに突っ込んできた。当然、ぶつかる。
「きゃあっ」
「わあっ」
 それぞれ悲鳴を上げて跳ね飛ばされ、地面に尻餅をつく。
「……あ」
 特に痛いところは無かったが、今の衝突でトートバッグの中身をぶちまけてしまったことに気付き、瀬奈は呆然とそれらを見つめる。
 それから、ぶつかった相手が老人だと遅れて気付いて慌てる。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
 老人は白髪混じりの灰色の髪をしていて、細身のサングラスをかけていた。シャツや灰色のズボンは、どんな所を通ってきたのか、やけに薄汚れている。
 手を貸そうとする瀬奈を見て何を思ったのか、老人は突然、瀬奈の左手首を掴んできた。
「わっ!?」
 ぎょっとする瀬奈にお構いなしに、手首に銀色の腕輪をはめる。その瞬間、チクリとした痛みを感じて思わず手を引く。まるで静電気みたいな痛みだ。
「イタッ。ちょっ、何するんですか!」
 当然、瀬奈は抗議の声を上げたが、老人はあくびれた様子もなくニィッと口をひん曲げる。
「悪いが、それをしばらく預かっといてくれ」
「は!?」
 そして、それだけ言って老人はすくっと立ち上がり、来た時と同じようにやけに慌しく去っていった。
「ちょっと、待って! 預かっててって、えええ!?」
 訳が分からなさ過ぎて、大混乱だ。
 瀬奈は老人を呼び止めようと必死で叫んだが、老人は戻ってくる気配もなく、本気で立ち去ったようだった。
「なんなのよ、一体……。意味分かんない」
 さっぱりだったが、ここにこうして座り込んでいても仕方が無い。とりあえず、落ちた荷物を拾おうと、教科書に手を伸ばす。
 そこへ。
 再び、慌しい足音がこちらにやって来た。今度は複数。
(またぁ〜?)
 思わず眉間に皺を寄せる。
 今度は老人ではなく、二十代くらいの青年二人と女性だった。なぜか、老人と同じくサングラスをつけている。でも、こちらの方が怖い雰囲気だ。
「君、ここを老人が通らなかったか」
 先頭にいた灰色の髪の男が、ぞんざいに尋ねてくる。
「あ、はい、通りましたよ」
「どっちに行ったか分かるか」
「あっちです。通りに出て、多分右に……」
「そうか、分かった。ありがとう。――行くぞ」
 男は後ろの二人に短く言い、再び走り出す。
 三人の姿が通りに消えるのを呆然と見やった後、瀬奈はわなわなと震えた。三人が三人とも、瀬奈の落し物を盛大に踏みつけて通り過ぎていったのだ。
「なんなのよ! 踏むなんて、ひどすぎーっ!!」
 思い切りついた悪態は、しかし誰の耳にも届かなかった。


 すっかり足跡のついた教科書をカバンに放り込んで、瀬奈はムカムカしながら第五警備隊(フィフス・ガード)の本部に入った。
「お疲れ!」
 そして、戸を開けるなり言い切る。すると、ソファーに座って図面を広げていたイオリ・レジオートが呆れた顔で振り返った。
「なんで機嫌悪いんだ、お前」
 瀬奈は頬を膨らませたまま、イオリの向かいに腰かける。
「もう、最悪! すっごい最低! ああもう、ムカつくーっ!」
「分かったから叫ぶな、うっとおしい」
 うるさそうに眉をひそめ、イオリはずばりと切り捨てる。
 それに瀬奈はますますムカッとしたが、ここは警備隊の本部なのだからと無理矢理気持ちを落ち着けた。
 イオリはこの二年でだいぶ背が伸びて大人っぽくなり、元々格好良かったのが更に良くなったが、口の悪さや短気さは全然変わっていない。いつ会っても、大体こんな調子だ。
「もう、聞いてよ! 実はこんなことがあってさあ」
 瀬奈は先程の路地裏の一件を、不平たらたらで話す。
 話を聞き終えると、イオリの眉間の皺が更に増えていた。
「相変わらずの間抜けっぷりだな……。まあそれはいい、その腕輪ってのを見せてみろ」
「これなのよ」
 瀬奈は左手をイオリの方に突き出す。
「なんか、外そうとしても全然外れないのよね」
 瀬奈は大きく溜め息をつく。さっき荷物を拾ってから、外そうと引っ張ってみたのだ。けれど、銀色に輝く金属製の腕輪はぴたりと手首に張り付いて、うんともすんともいわなかった。
 イオリは、初めはじっと腕輪を見つめていたが、そのうち立ち上がって工具入れを持ってきて、ルーペを取り出した。そしてそれで腕輪を見ながら、腕輪を引っ張ってみたり指で弾いたりする。
「ねえ、どう? 何か分かった?」
 何も言わないイオリに焦れて、瀬奈は答えをせっつく。
「うーん……。多分だけど、これ、機械だな」
「機械……?」
 瀬奈は腕輪を見下ろして、それから一気に顔を青くする。
「ままままさか! 小型爆弾とか言わないわよね!?」
 身を乗り出しての問いに、イオリは気圧されたように身を引く。それから再び眉間に皺を寄せる。
「そんなん知るかよ。でも、その爺さんは預かっててくれって言ったんだろ? 後で取りに来る気はあるんだろうから、爆弾だとは思わねえな。それに、セナなんか爆殺してなんの意味があるんだ? ねえだろ」
「……正論とはいえ、なんか腹が立つわね」
 瀬奈は苦虫を噛み潰したような顔をする。それから、深く溜め息を吐く。
「はーあ、取りに来るまで付けてなきゃなんないのか。嫌だなあ。壊しちゃったらどうしよう」
「そんなん、そいつが悪いんだから放っときゃいい」
 イオリはさっぱりと言い切る。
 ふうん、そんな適当で良いんだ。瀬奈は感心する。そして、考えても埒があかないので、早々に諦めた。
「そうだよね、うん! ねえ、何か飲み物飲んでいい? 喉渇いちゃって」
「確か、冷蔵庫にジュースがあったはずだぜ」
「分かった。イオリも何か飲む?」
「……コーヒー頼む。眠い」
「了解〜」
 瀬奈は受付の向こう側にある台所に歩いていくと、冷蔵庫を物色する。イオリの言う通り、果物のジュースらしきものがあった。パッケージにペカナジュースと書かれている。ペカナはグレープフルーツみたいな味のする果物だ。
「カエデがいないなんて珍しいね」
 ジュースをグラスに注ぎ、インスタントコーヒーの瓶に手を伸ばしながら、瀬奈はイオリに訊く。
「今日は午後から非番だよ。でも、そろそろ副隊長が戻ってくるはずだ。首都から客が来るらしい」
「客?」
 それもまた珍しいと、瀬奈はマグカップをイオリの前に置きながら思う。第五警備隊員が出向くことはあっても、首都から来ることなんて滅多と無い。
「サンキュ」
 イオリは軽く礼を言ってから、コーヒーに口をつける。
「俺も詳しくは知らねえけど、第一警備隊が追ってるっていう指名手配犯が、この街に来てるとか言ってたな」
「それって大事じゃないの!」
 あっさり返された言葉に、瀬奈はぎょっとする。
 しばらく路地裏を通るのはやめようと、心の隅で決意する。
「手配犯にも色々あるからな。例えば、情報を盗んで逃げた、とか。全員が全員、凶悪犯ってわけでもねえし」
 悠長に構えている理由を、イオリはそう話す。
「そうなんだ」
 瀬奈は目を瞬いて、悪人にも色々いるんだなとずれた感想を抱く。
 そこに、扉の開く音が割り込んだ。
「リオ・ユーリゼン副隊長はいるか」
 そして、淡々とした声がそう問いかけた。


 出入り口から中に入ってきた三人組を見て、瀬奈は思わず指差した。
「あーっ、さっきの失礼な人達!!」
 さっき路地裏で会った、サングラスをかけた怖そうな三人組だった。
「……ああ、さっきの」
 一番前にいた灰色の髪の男は、瀬奈に気付いて呟く。
「あの! 幾らなんでも、ひとの落し物を全部踏みつけてくなんて、酷すぎると思います!」
 瀬奈はトートバッグから、足型のついた教科書を取り出し、見せるように前に掲げて怒る。
「あー……、落し物。落し物、ね。だからあんな所に座り込んでたのか。なるほど」
 灰色の髪の男は、納得、とばかりにうんうんと頷く。
「隊長、気付いてなかったんですか」
 灰色の髪の男の後ろにいた、焦げ茶色の短髪の男は僅かに驚いたように言う。
「なっ、じゃあ気付いてたのに踏んでったの……? ひどっ」
 瀬奈は唖然とする。なんて酷い。最低だ。
「おいセナ、落ち着けよ。この人達が、多分、客だ」
 ガーンと瀬奈がショックを受けていると、席を立ったイオリが肩をポンと叩き、小さな声で言った。
「え? 客?」
 目をパチクリさせる瀬奈を無視し、イオリは三人組に向き直る。
「すみませんね、こいつが騒がしくして。俺はここの機械士のイオリ・レジオートといいます。副隊長なら、そろそろ戻ってくると思いますよ」
 丁寧に言い、軽く会釈するイオリ。
(イ、イオリが敬語を使ってる……!)
 その様子に、瀬奈はまたもやショックを受けた。不気味すぎる。
「……そうか。少し待たせてもらうが構わないか」
 灰色の髪の男は頷き、そう訊ねる。
「ええ、どうぞ。こちらに掛けてお待ち下さい」
 イオリは今まで座っていたソファーを指し、テーブルの上を片付け始める。
 ますます不気味だと思いながらも、瀬奈も片付けを手伝う。
「さっきは悪かったよ。あの時はかなり急いでたもんで」
 ソファーの方に歩いてきながら、灰色の髪の男は謝る。
 瀬奈はその一言で満足し、頷いた。
「いいですよ、分かりましたから」
 そう、ごめんの一言が聞きたかっただけだ。でないと、これから教科書や他の小物の汚れを取る苦労を思いやって、ムカムカするばっかりなので。
「ありがとね」
 歯を見せてにっと笑う、灰色の髪の男。軽さを感じはするが、人好きのする感じだ。
 瀬奈も反射で笑い返し、グラスやマグカップを持って台所に向かう。
「イオリ、他に手伝うことある?」
 カエデがいないから大変だろうと手伝いを買って出る。イオリは少し考えて、口を開く。
「じゃあ、これ運んでくれよ」
 と、手早く淹れたコーヒーの入ったカップを三つ、お盆に乗せる。
「俺、図面とかを片してくるから」
「分かった」
 瀬奈はお盆を受け取ると、そのまま三人のところに行く。
「あの、これお茶です。良かったらどうぞ」
「あら、ありがとう」
 お盆をテーブルに置いて、カップをそれぞれの前に並べていく。すると、無言だった女性が礼を言った。
 サングラスをしているが、何となく、結構な美人だろうと瀬奈は思った。肩にかかる程度の金髪が半分だけ上でまとめられていて、すっきりした印象だ。
「あなたもここの隊員なの?」
 女性に問われ、瀬奈は首を振る。
「いえ、私はここで保護対象になってるハティナーなんです。今日はたまたま顔を出しただけで、隊員じゃありません」
「そうなんだ」
 女性の向かいに座っている灰色の髪の男が呟く。
 それから、盆を支えている瀬奈の左手をなにげなく見て、ふいに片眉を上げた。
「これは……!」
「わわっ!?」
 いきなり左手首を掴まれて、前につんのめりかけ、瀬奈は思わず声を上げる。
 さっきの路地裏と似たような状況に、顔を引きつらせた。今日は厄日か。
「何なんですか!?」
 硬直している瀬奈にお構いなしに、男は腕輪をまじまじと見つめる。
「お前、これをどこで手に入れた!」
 何故か、焦げ茶の髪の男が声を荒げる。
「はっ? イッ、イタタ、痛い痛い! ちょっと放して!」
 腕を掴む手がギリギリと締めてくるので、瀬奈は思わず悲鳴を上げる。あまりの痛さに腕を取り返そうと引っ張るが、緩むどころかますます強く握られる。
「質問に答えろ。お前、まさかオラニス博士の縁者か?」
 灰色の髪の男が、脅すように訊いてくる。
「オラニスだかコラニスだか知らないけど、とにかく放してってば!」
 このままだと、そのままポキッといくんじゃないだろうか。瀬奈は怖くなって、必死で腕を引っ張る。
「何やってんだよ、あんた達!」
 騒ぎを聞きつけたのか、奥の部屋に道具を片付けに行っていたイオリが戻ってきた。部屋に入るなり、腕の引っ張り合いをしている瀬奈と灰色の髪の男を見つけ、止めに入る。
 イオリは瀬奈と男との間に割って入ると、そのまま瀬奈を背後に隠す。
「……イオリ」
 瀬奈は目を丸くして名前を呼ぶ。
「いいから、下がってろ」
 イオリは小さく返す。そして、遠慮もなにもかなぐり捨て、灰色の髪の男を冷たく睨む。
「……こいつが何かしたのか」
 一気に声のトーンが下がっている。
(怖!)
 自分の為とはいえ、瀬奈は素直にびびる。迫力満点だ。脅迫電話をかけたら、一発で効きそうな感じ。
 だが、対する男の方も凍るような視線を投げ返してきた。
「その子の持ってる腕輪について知りたいだけだ」
 イオリはちらりと瀬奈を見てから、答える。
「それなら、さっき路地裏で妙な爺さんから押し付けられたらしいぜ。外そうとしても外れなくて困ってたところだ」
「そうか。あの時に……」
 灰色の髪の男は難しい顔つきで考え込んだ後、フッと今までの殺気だった空気を和らげる。
「そういうことなら、君は被害者か。すまないな」
 さっきまでの威圧はどこへやら、素直に頭を下げる男。
 そういう風に出られると、瀬奈は弱い。わたわたと両手を振り、日本人の癖でつい謝る。
「い、いえっ。なんか、すみません。あはは」
「……何で謝るんだよ、お前」
 イオリが半眼でじろと見てくる。
「いや、えーと、何となく。誤解させちゃったみたいだし」
 首を竦める瀬奈。
「…………」
 イオリは無言だったが、しかめられた顔から「馬鹿じゃねえの、お前」と思ってるのがありありと伝わってきた。
「あの、それでこれがどうしたんですか?」
 また腕を掴まれるのも怖いので、距離をとったまま、瀬奈は恐々と訊ねる。
「それはな」
 灰色の髪の男が口を開いたのとほぼ同時に、出入り口の扉が開いた。
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