虹色のメロディ編 第一部 腕輪編

二章 腕輪の秘密

「ただいま」
 扉を開けて入ってきたのは、第五警備隊副隊長のリオ・ユーリゼンだった。
 リオはロビーの雰囲気に、片眉を上げる。
「なんだ、この空気は」
「あ、あははー……」
 瀬奈は苦笑いをして、視線を他所に向ける。
「?」
 不思議そうに瀬奈を見るリオ。
「副隊長!」
 イオリはリオを呼び、ソファーの客人達を示す。
「ああ、もう来ていたのか。待たせてすまなかったな」
 リオはさばさばした口調で言って、ソファーのある方へと歩いてくる。
 そして、ぐるりと部屋を見回す。
「で、なんだ。この空気は」
 語調を強め、もう一度問う。
 緩やかな、けれど逃げを許さない威圧に真っ先に負けたのは、予想外にも灰色の髪の男だった。両手を肩の高さまで上げ、ひらひらさせる。
「いや〜、悪い悪い。実はさあ」
 男は軽い口調で言い、今までのことを簡単に説明する。
 話し終えると、リオは般若の顔つきになっていた。
「また貴様か! すぐにそうやって暴力に走る癖を直せと、何度言ったら分かる! このドアホ!!」
 室内に響く、リオの凄まじい怒号。
 瀬奈とイオリは揃って首を竦め、そろりと受付の方に避難した。怒られていない自分達ですら怖いというのに、怒られている当人はへらへらと笑っている。
「またそうやって怒って〜、俺、一応上官なんだけどなあ」
「知るか! 貴様とは同期だし同い年だ。加えてここは非公式の場、敬語を使う必要など一切ない!」
 ずばっ。リオは気持ち良いくらいに切り捨てた。
 それから、くるりと瀬奈の方を振り返り、ずかずかと目の前までやって来る。勢いに押され、僅かに後ろに反り返る瀬奈。
「すまないな、セナ。大丈夫……ではなさそうだな」
 リオは途端に語調を緩めて謝る。そして瀬奈の左手首を見て、語尾を低くした。
 先程掴まれたところが、綺麗に赤くなっていた。
「あ、あの、大丈夫だから。これくらい……」
 瀬奈は苦笑して言う。
 リオはちらりとそれを見て、頷く。
「……そうだな、ハティンで治せるか」
「いや、それは……。私、自分の怪我は治せないから……」
 無理、と続けようとしたが、リオとイオリが急に黙り込んだので、瀬奈はびくっとする。
「え? な、なに、怖い顔しちゃって」
「何って、お前……。初めて聞いたぞ、そんなこと」
 これまた渋い顔をして言うイオリ。
「え〜? 言わなかったっけ?」
 話した気になっていた瀬奈は、首をひねる。
「――セナ!」
「はいぃっ!!」
 突然、リオに大声で名前を呼ばれ、瀬奈は背筋をびしっと伸ばして返事する。
「こっち来い! 冷やさないと、痕が残る!」
「わわわわ、別にそんな慌てなくても」
 リオに右腕を引っ張られ、引きずられるように台所に消える瀬奈。
「へえ、すごいなあ。リオのあんなとこ、初めて見た」
 後方から聞こえてくる能天気な声に、元凶はお前の癖に、とイオリは心の中で毒づいた。


「で? 一体、この腕輪はなんなんだ!」
 ようやく落ち着くと、リオは腕を組んで棚に寄りかかり、威圧たっぷりに灰色の髪の男に問いかけた。
「あいかわらず、ストレートだな。説明ならすぐ済む。先に俺達のことを紹介してくれない?」
 灰色の髪の男は、飄々と言ってのける。
 第五警備隊の隊長であるフォール・ダン・マシアスでさえ、リオの睨みにはたじたじになるのだが……。完璧に自分のペースだ。
 ある意味すごいと瀬奈が感心して見ていると、リオが舌打ちしたのが聞こえた。
「――そうだな。イオリ、セナ。先に言っておくが、口外するんじゃないぞ」
「?」
「何を?」
 瀬奈とイオリは、それぞれ言ってる意味が分からず、リオの顔を見つめた。
「――こいつ、第一警備隊隊長の、クライト・バーミリオンだ」
「……!」
 イオリは息を呑んだ。
「へえ〜、第一警備隊の隊長さんなんだ」
 瀬奈はいつものペースでふんふんと頷いた。それから、少しして単語の意味を飲み込み、ん? と首をひねる。
 あれ、第一警備隊の隊長って……、えええ!?
「!!?」
 ようやく認識し、バッとクライトを振り返る。
 クライトはサングラスをわずかにずらし、僅かに琥珀色の目を覗かせて、ニッと笑う。
「そ。俺が警備隊のトップの隊長」
 軽ーいノリに、嘘じゃないかとリオを見るが、リオは渋い顔をして「ほんとだぞ」と言った。
 瀬奈は途端に青くなった。それは何か。お偉いさんに、さっき失礼だと叫んだりしたのか。――やっぱり、今日は厄日だ。
「私はロバート・エシリスといいます。隊長付き補佐です」
 瀬奈とイオリの驚きなどいっさい放置して、堅い口調で挨拶する焦げ茶色の髪の男。
「隊長付き秘書、兼護衛をしてるノイア・カストルよ。どうぞよろしくね」
 金髪の女はサングラスを外し、にっこり笑って挨拶する。
 さっき瀬奈が思った通り、結構な美人だ。緑色の目には知的な輝きが灯っているし、物腰は柔らかい。女性にとっての「憧れの女性」を絵に描いたようだ。
「あ……、はい、よろしくお願いします」
 雰囲気に飲み込まれるように、頭を下げる瀬奈。
(……? よろしくって、何で?)
 頭を上げてから、ふと疑問に思う。別に、これっきりのはずだ。
 イオリなら分かるかとそちらを見ると、イオリは無言で敬礼を返していた。それにぎょっとする。普段の態度が態度だけに、敬意を払っている様子は不気味なものにしか見えない。そんなことを言ったら、イオリはまた怒るだろうけど。
「それで、君は? 君の名前だけ聞いてない」
「――あ」
 クライトに促され、瀬奈はそのことに思い至る。そういえばそうだった。
「私は森里瀬奈といいます。えっと、瀬奈が名前で、森里が苗字……です」
「へえ、珍しい名前ね」
 興味を示すノイア。 
「はあ、どうも」
 確かにこの国じゃ珍しいよね、と瀬奈は頭の片隅で思いつつ、曖昧に頷く。先にファミリーネームが来る人には、今のところ一度も会っていない。
「紹介も済んだ、これでいいだろう。とっとと話せ」
 やり取りを静観していたリオが、そこで口を挟んできた。痺れが切れたらしい。リオも大概短気だ。
「はいはい、せっかちだな。ま、ゆっくりしてられないのも事実、か」
 クライトはすっと真面目な顔に変わる。空気が目に見えて変わった。勝手に気持ちが引き締まる。
「さっきの続きだが、その腕輪にはあるデータが入ってる」
「データが? こんなのに?」
 瀬奈はまじまじと腕輪を見る。幅は1センチ程度だ。腕時計といっても通じそうだ。
「で、持ち主――というより、作り主はニノ・オラニス。ある容疑で指名手配されている男だ」
 構わず続けるクライト。その言葉に、リオは頷く。
「連絡してきてた奴か。容疑はなんだったかな、確か陰惨な内容だったと思うが……」
 リオは眉をしかめ、宙を見上げる。しかし思い出せなかったようで、クライトに視線を戻した。
 それで、クライトの代わりとでもいうように、ロバートが口を開く。
「手配内容でしたら、無差別誘拐、及び実験を経ての殺害。または傷害容疑です。他にも、死体略取の嫌疑もかかっています。噂では、実の娘の死体すら実験台に使ったとか。ちなみに、度重なる事件により付いたあだ名は『狂博士』です」
 淡々とした口調が、まるで死刑宣告でもしているようだ。
 瀬奈は顔を引きつらせる。
 さっきイオリが指名手配にも色々あると言っていたが、これは相当やばいだろう。そして、そんなやばい男とさっき出くわしたわけだ。
「――あの、これ、やばいんですか」
 腕輪を示し、ロバートに問いかける。
「私には分かりかねます」
 あっさりと返すロバート。
「お前な、嘘でもいいから大丈夫って言っとけよ」
 そんなロバートの頭を小突くクライト。
「申し訳ありません」
 ロバートは律儀に返し、頭を下げる。
「それって、大丈夫じゃないってことですか?」
 瀬奈は青くなって問う。
 それに、クライトは安心させるように両手を振る。
「大丈夫、大丈夫。それには、さっきも言ったようにデータが入ってるだけだから。その点ではね」
「………」
 なんだ、その意味深発言。瀬奈は眉を寄せる。
「ちょっと質問してもいいですか?」
 イオリが軽く挙手する。
「いいよ」
 鷹揚に頷くクライト。
「俺の記憶だと、ニノ・オラニスって、機械工学の権威だったはずですけど? 医学や遺伝子工学にも強い人だったんですか?」
「いえ、そうとも言えるけど、そうでもないとも言えるわ」
 ノイアが質問に答える。こちらも淡々としているが、ロバートに比べると理知的な響きがある。
「専門はロボット工学。そこに、人間の組織や臓器を機械に組み込む応用法を裏で研究していたみたいなの。人間に機械を埋め込む技術の逆パターンね」
「……そりゃまたえげつないな」
 思わずといった感じで、素に戻って悪態をつくイオリ。気分が悪そうに、口元に手を当てる。
「待て、話が見えん。そいつが相当やばいのは分かった。だが、それでどうして第一警備隊隊長自身が動いている?」
 納得がいかないという様子のリオ。
「言っちゃあ悪いが、そんな凶悪犯程度なら、第一警備隊の下っ端で十分対処できるはずだろ」
「そうだねえ、ほんと言っちゃあ悪いんだけど、その程度なら俺も出てこない。まずいのは、それだ」
 クライトは、頭痛でもするかのように額に手を当て、もう片方の手で瀬奈の腕輪を指差す。
「あのジジイ、〈虹色のメロディ〉っていうコンピュータウィルスを作ったんだ。そいつを使うと、首都中の機械を機能停止させるっていう代物だ」
 クライトは右手の平をパッと広げ、一瞬でアウトだと口にする。
「最悪、国全体が被害に遭う」
「なるほど。それなら納得だ。――で、そいつがそれに入ってるってわけか?」
 物凄く嫌そうに聞き返すリオ。
「そういうこと」
 クライトは肩を竦めてみせる。
(――最悪じゃないの)
 瀬奈は頭を抱える。そんなものを押し付けられたのか、私は。迷惑極まりないわ。
「オラニス博士は、どうやら偶然出くわした通行人にデータを渡して、それで俺達の目を欺くつもりだったんだろう。が、ツキはこっちに向いてるみたいだな。すぐに見つかって良かったよ」
 そして、クライトはそれは良い笑顔で言い切る。
「そういうわけだからさ、君、しばらくうちの監視下に入ってもらうから」
「―― へ?」
 言われた言葉に五秒ほど思考停止し、瀬奈は間の抜けた声を漏らした。
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