虹色のメロディ編 第二部 情報流出事件編

六章 闇オークション 

 瀬奈はぼんやりと目を開けた。
 目の前が白い。いや、白い部屋にいるみたいだ。見覚えの無い部屋に、頭の隅で疑問を覚えつつ、寝返りを打つ。
 すると、銀髪のフランス人形が見えた。子供でいうなら、十歳くらいの大きさの。
(綺麗な人形……)
 ぽやーっと見とれていると、ふいに人形の瞼が微かに揺れ、パチリと青い目が覗いた。ばっちりと目が合う。
「わああっ、に、にに人形が動いっわあっ!?」
 すっかり気が動転し、後ろにずり下がった拍子に足場を見失い、そのまま背中から落っこちた。
「アタタタ……」
 ベッドから落ち、仰向けになった姿勢で瀬奈はうめく。
 打った背中……というより肩が痛い。でもその衝撃ですっかり目が覚めた。
「うう、一体何が……」
 言いながら身を起こし、ベッドの上に這い上がる。
 すると、瀬奈の声で起きたらしい、人形ではなく人間の女の子がこちらをパチクリと目を瞬かせて見ていた。
 どこか感情が欠落したような女の子は、そうしてじっとしていればますます人形じみていた。綺麗な外見をしている上、服は黒いレースでびらびらとしたワンピースだったので尚更。
 瀬奈はひとまず落ち着こうと大きく息を吸う。
 ――そうだ。部屋にいた妙な男に薬をかがされ、気を失ったのだ。ということは、ここはあの男のアジトだろうか?
 そんなことを考えながら、部屋を見回す。部屋は広く、天井も壁も床も全て白い。調度品もまた、白い。白さは病院の個室並だが、どこか落ち着く感じだ。真っ白というより、クリーム色といった感じ。
 事態を飲み込めずにいると、ふいに部屋の扉が開いた。
「気が付いた?」
 入ってきたのは見知らぬ女だった。髪は赤茶で短く、細身のサングラスをかけているので目は見えない。だが、口紅の鮮やかな赤が目に焼きついた。
「誰?」
 警戒しながら、慎重に問う。
「それは言えないわ。悪い人達だもの、私達」
 女は艶めいた笑みを口に浮かべる。
「……ブローカー?」
「似たようなものね」
「………」
 瀬奈は黙り込み、怪訝な視線を向ける。
「何しに来たのかって言いたそうね。ふふ、大丈夫、大事な商品ちゃんだもの、酷い目には遭わせないから」
 女はそこで言葉を切り、もっとも、と続ける。
「貴女達が売られた後はどうなるか知らないけど」
 その言葉で、すっと背筋が冷えた。思いつく限りの最悪な事態が頭をかすめる。
「あなた達〈治癒〉と〈浄化〉は、今回のオークションの最大の目玉なのよ」
「……オークション?」
 瀬奈は眉を寄せる。頭に思い浮かんだのは、アメリカで、タキシードやドレスに身を包んだセレブ達が宝石を買おうと会場に集まっている様だ。その後に浮かんだのは、魚市場の競り市だが。
 あれだ、ドナドナ。子牛のごとく、荷馬車に揺られて売られていくのだ。
「……ドナドナ」
 頭の中に歌詞とメロディーが流れる。思わず呟くと、女は「は?」と片方の眉を跳ね上げた。
「何言ってるのか分からないけど、事情だけは教えてあげたわ。三日後のその日を楽しみにしていてね」
 女はそれだけ言い置いて、部屋を出て行った。
 楽しみに……。
「出来るわけないじゃん」
 悪態をつき、それから大きく溜め息を漏らす。
 右手でネックレスを探ると、ちゃんと着けていた。どうやらただのアクセサリーだと思ってそのままにしていたらしい。
(これなら、きっと第五警備隊の皆が助けてくれるわ)
 別件の重要参考人でもあるしね。
 そう思ったら、ほっとした。別に慌てる必要も、怖がる必要もない。あの女の人も酷い目には遭わせないって言っていたし。
 瀬奈は小さなルームメイトを振り返る。
「……よろしく」
 声をかけると、女の子は無言でこちらをじっと見、こくりと頷いた。


「闇オークション?」
 第五警備隊のメインメンバーの声が見事重なった。この場には珍しく、牢屋番のバーンズまで顔を揃えていた。クライトからの引っ張り出してこいという直々の指名だった。
「そ。今度、首都で開かれるらしいんだ。機密事項だから静かにしてくれよ」
 軽いノリで言うが、クライトの目は笑っていない。あまり騒ぐと第一警備隊隊長命令で支部から放り出されそうだ。
「恐らく、セナ・モリサト嬢はそこに来るはずだわ。出品情報はまだ出ていないけれど、確実でしょう」
 ノイアがてきぱきと資料を広げながら言った。
「以前から目を付けていたオークションで、いっせい検挙を狙っていたんですが……。偶然、協会の方の案件と情報が一致した為、協力要請に来た次第です。ただし、例の方まで誘拐されているとは思いませんでしたが」
 クライトの座る席の斜め後ろに立った姿勢で、ロバートが淡々と事情説明をする。僅かに毒も含んでいたが、第五警備隊のメンバーからすれば耳の痛い話なので特に反論も出来ない。
「そいつについては報告を聞いた。一々持ち出さなくていい」
 クライトは上官らしく短くたしなめ、フォールの方を見る。そしてにやりと笑う。
「で、協力してくれますよね? 先・輩」
「……その呼び方はよしてくれるかな」
 渋い顔つきで返すフォール。
「何で? 先輩は先輩でしょ〜?」
「今じゃ君の方が上官だろう。――それはいい。協力については全面的に受け入れるが……、僕らをあえて引っ張り込む意図が分からないな。第一警備隊の独占的な手柄になるところに、何故わざわざ下っ端を連れて行くんだ?」
 すると、クライトの琥珀色の目が細くなった。まるで猛獣が愉悦に目を細める仕草に似ている。
 流石は灰色狼の異名を持つ男だと、フォールは腹の中で舌打ちする。嫌な予感がした。
「嫌だなあ、先輩。分かってる癖に。そんなの、貸しを作りたいからに決まってんでしょう?」
 そらきた。
 フォールは顔をしかめた。
 クライトはフォールが第一警備隊にいた頃の部下であり後輩で、ことあるごとにフォールを厄介ごとに巻き込んでいたのだ。そして何故か、フォールが渋々手を貸す羽目に陥っていた。いうなれば、腐れ縁。断ち切りたくとも、いやに頑丈な鎖で結びついているようで、切れた試しがない。運の女神を呪いたくなるのは、こういう時だ。
「――何だ、今度はどこの女性に手を出したんだ? また旦那のいる人にでもちょっかいかけたのか? それとも、危ない人達の愛人と付き合ってるとかじゃないだろうな?」
 普段温厚なフォールであるが、知的な青目には冴え冴えとした冷たい色がともっていた。もし視線で相手を射殺せるなら、間違いなくクライトは息絶えていただろう。
「さっすが先輩、よく分かってる〜。いや〜、実はさ、クレストーレン・ファミリーのボスの愛人と知らないで付き合って……」
「ゴホン!」
 そこで、ノイアの盛大な咳払いが響いた。
 ノイアはフォールに負けず劣らず冷たい目をクライトに向ける。
「隊長、そのような下世話な話は後でなされて下さい」
「下世話って酷いなあ。でもそんな気の強いとこも気に入ってるけどね」
 飄々と笑い、怒りをかわすクライト。
 部屋にげんなりした空気が漂う。
「んじゃま、協力要請の要項と配置は追って連絡する。多分、外周の封鎖に回ってもらうことになるはずだから」
「……分かったよ」
「貸しについては、また今度」
「………。無理して覚えてなくて良いからな」
「ははは、嫌だな、借りた分は忘れても貸した分は忘れない主義だから俺」
「――最低だな」
 先輩と後輩のこんな会話を聞いていて、周りの面々は内心複雑である。これが自分達のトップだと思うと、どうしても先行きが不安になる。
「失礼。瀬奈はいるかしら?」
 微妙な空気漂うロビーに、玲瓏な声が響いた。
 皆、いっせいに戸口を見る。
「――げ」
 そこにいる人物を認めて、フォールは頬を引きつらせた。
 ああ、何だってこう厄介ごとばかり。
 セナさん、君の散々っぷりはまだまだ現在進行形で加速しているみたいだ。
 入り口には、供を三人引き連れた支倉明美が凛と立っていた。


 呆然としている面々を見やって、明美は柳眉をはね上げた。
「君、どうしてここに……?」
 フォールの問いに、それで固まっているのかと明美は思い至る。
「今回は、正式に外交官としてこの国に来ているの。以前はお世話になったわ。ところで、瀬奈はどこ? 何故か連絡が付かなくて……」
 明美は仲間とともにラトニティア王国で復興に尽力していたのだが、その功績を認められて、いつの間にやら外交官の席に収まってしまっていた。ヴェルデリアに亡命していた経歴も鑑みて、らしいのだが、明美個人としては、上役どもが明美の後見人であるリゼにゴマをすっているだけだと思っている。
 そんな成り行きでヴェルデリアにやって来た明美は、折角来たのだからと、忙しいスケジュールの合間を縫って久しぶりに幼馴染に会いに来たのだが、何故か連絡がつかない。仕方が無く、第五警備隊本部まで足を運んだというわけだ。
 怪訝に思って室内の面々の顔を見ていると、フォールやリオがあちゃあというように顔に手の平を押し当てた。不思議に思ってカエデやイオリを見ても、何故か目を反らされる。
「なあに? またあの子、妙な厄介ごとに首突っ込んでるの? 今度は何やらかしたわけ?」
 この中では一番嫌いだが、恐らく一番事情通だと思われるイオリにピントを絞って、そちらに歩いていく。
「いや〜、それが、えーと……」
 何故か口ごもるイオリ。明美はイラッとした。
「何なの、こっちは忙しいの! とっとと答えなさい! 感電させられたいわけ!?」
 焦れて右手から電気をほとばしらせてかざして見せると、後ろで様子見していたツェル・バルロードが慌てて止めに入った。
「わああ、アケミさん! 駄目ですって、こんな所でハティン使っちゃっ」
「じゃあ表に出なさい」
「そういう意味じゃありませんってば〜っ!」
 情けない声を上げるツェル。身長も伸びて体格も男らしくなってきたのに、この気の弱さは相変わらずだ。ついでに、顔の少女めいた造りも相変わらずである。
「何でそんなにイオリさんにだけ冷たいんですかっ。可哀想ですよ」
「仕方ないじゃない、根本的に合わないんだから。見ててすんごいイライラするのよ」
「あー、それ、俺も同感。あんた、マジで嫌い」
 それぞれが本音を零したのを皮切りに、明美とイオリは絶対零度の視線で睨みあった。
「あああ、ハブとマングースさながらの緊張感」
 顔色をますます悪くするツェルの肩越しに、護衛でついてきていたハル・コラルドはヒュウと口笛を吹いた。
「お〜、やれやれ。頑張れ、上司殿!」
「煽るな、この馬鹿!」
 そんなハルの足を、補佐でついてきていたリゼ・ローエンは思い切り蹴りつけた。
 俄かに騒がしくなったロビーで、話についていけない第一警備隊の面々はポカーンと遣り取りを見ている。
「……第五警備隊隊長殿、一体何が始まったんですか?」
 真っ先に我に返ったロバートが、堅苦しい口調でフォールに問う。
 フォールはというと、頭痛を覚えてこめかみを親指の腹で押さえつけながら、疲れ気味に言う。
「あー、放っといていいよ。いつものことだから」
「そうですか……」
 何とも納得出来ない顔ながら、ロバートは引き下がる。
 ギャアギャアと口喧嘩が勃発した室内で、フォールは溜め息をついた。どうやって止めよう。


 説明をした後、何だかんだと丸め込められて、明美らまで闇オークション攻略に参戦することになった。
 フォールが必死で止めようとしたのに、憎憎しい後輩めがあっさりOKを出しやがったせいだ。
「……クライト、君、絶対に顔で選んだだろう」
「まさか! 折角〈雷〉のハティナーが直々に援護を申し出てくれたから、のったまでだ」
 無実だ、というように両手を掲げて見せながら、クライトが答える。
「――〈金属〉のハティナーの君なら、一人で十分だろう」
 フォールはじろりとクライトを睨む。
 何とも腹が立つのだが、このふざけた男は実力だけは本物なのだ。あらゆる金属という金属を自身の意のままに操るハティンを持つ、機械大国ではある意味無敵の男。ただし金属なら何でも扱えるかというとそうではなく、性質を認知しないと力を扱えないらしい。けれどそれくらいの些末事は容易くこなす。一見、何も見ていないようで見ている、侮れない腹黒。
 フォールも他人のことはとやかく言えないが、クライトの考えは全く読めない。正真正銘の天才だ。傍目からは全くそう見えないけれど。
「やれというなら出来なくはないが、疲れるからあんまりハティンは使いたくない。それに、大人数しょっぴく予定だし、性質が電気なら無傷で捕縛出来て後々問題にならないだろ?」
 分かっていることをきっちり説明され、フォールはますます嫌気が差した。盛大に溜め息をつく。
「どうしてこいつが女にもてるんだか。私にはさっぱり分からないね」
 理解したくもないけど。
 顔をしかめてリオが言い切り、頑張れというようにフォールの肩を叩いた。彼女にしては珍しい声援に、フォールは僅かに立ち直った。ある意味、リオはフォールの苦労を一番知っている理解者でもある。
 クライトは一人にやにやしながら答える。
「そりゃあ、俺が良い男だからに決まってんだろう」
「ほざけ。用が済んだんならとっとと失せろ」
「きっついなー。でも、そう言われると居座りたくなる」
 にんまりと、神経を逆撫でするような笑みを浮かべるクライト。
 その瞬間、ぶっつんと何かが切れる音が室内に響いた、ような気がした。
 とうとう堪忍袋の緒が切れたリオは、鬼もかくやという形相でクライトをねめつける。
「いいから、とっとと出て行けーっっ!!」
 そして、盛大に怒鳴り散らした。


 *  *  *


 第一警備隊の面々が出て行くと、明美は勝手知ったる様子ですたすたとソファーにやって来て、誰に断ることなくそこに座った。
 え、まだ居座る気なの? と、フォールはぽかんと真正面にいる明美を見た。瀬奈がいないのだから、すぐさま帰るものだと思っていた。
 明美は特に表情を浮かべるでもなく、紙袋をフォールに突きつける。
「一応、貴方達にはお世話になったから」
 抑揚のない声で言われ、フォールは唖然として紙袋を見つめる。
「――え?」
 意味がさっぱり飲み込めず、またもやぽかんとするフォールに、明美は無言のまま紙袋を押し出す。
 仕方がなくそれを受け取り、中身を見る。花柄の包装がされた箱が入っていた。開けていいか確認をとってから、包装を剥がす。箱の中身は菓子だった。焼き菓子やクッキー、ゼリーなどがぎっしり詰まっている。
「私の国じゃ、人にお礼する時って直接会って礼を言って、それからそういうのを渡すの。気持ちってやつかしら。ここではそういうことはしないの?」
 フォールの戸惑いに気付いてか、明美が説明する。
「お土産ならともかく、そういう習慣はないなあ」
「そうなの? じゃあどうやって挨拶に行くの?」
「直接会って礼を言って、食事をご馳走するよ」
「ふうん」
 自分から訊いておいて、気のない返事を返す明美。
 少しばかりこの本部で共に生活していた少女を、フォールは思わずじっと見た。
 ほとんど表情の変わらない明美だが、礼儀などは気にするタイプのようだ。そういえば瀬奈もそういうところがある。幼馴染だからだろうか?
 明美はそこで居住まいを正すと、真面目な顔でフォールを見返した。
「以前は本当にどうもありがとうございました。とても助かりましたので、きちんとご挨拶に参るつもりでしたのに、こんなに間があいて申し訳ありません」
 ふいに堅苦しく挨拶して頭を下げた明美を、フォールはまたもやぽかんと見る。部屋にいて様子見していた他のメンバーもそうだった。
「何か手を貸せることがありましたら、いつでも気兼ねなくおっしゃって下さい。借りた分はきっちりお返し致しますので」
 そこでにっこり笑う明美。
「宜しければ、今夜、ディナーでもいかがでしょう? 貴方がた全員、お招き致します」
 そこまで言われて、どうやらお礼の方向を変えることにしたようだと気付く。
 それにしたってここまでの変貌ぶりに驚くしかない。
「そっ、それはどうも。是非、と言いたいところだけど、あいにく都合が悪いので、それはまた今度にしてもらって構わないかな」
 苦笑気味に返すと、明美はこっくりと頷く。
「では、またの機会にさせて頂きましょう」
 そして、笑顔を消して元の無表情に戻る。
「……営業スマイルはここまでにさせて頂くわ。最近、笑いすぎて顔の筋肉がどうにかなりそうなの」
 どうやら仕事モードで礼をしてくれたらしい。
 明美は本音を漏らし、小さく溜め息をつく。元々が無表情だからか、笑っていると頬の筋肉が引きつってくるのだ。しかし外交官たるもの、笑顔が肝心なので仕方がない。
「そうなんだ、役者だね……」
「笑顔って、最大の武器であり攻撃よね。相手のしかめ面をいかに解かせるかが腕の見せどころだと思うわ」
「あ、それ僕も思う。相手が笑ったら勝ち、みたいな」
「ええ」
 思いがけず同意されて嬉しかったのか、今度は演技ではなく自然に笑みを零す明美。
「そうだわ、話しておくことがあったの」
 ふと思い出したように切り出す明美。
「王国に戻ったら、面白いことになっていたの。『白の奇跡』って、大騒ぎだった」
「白の奇跡?」
 フォールは首を傾げる。聞き覚えのない単語だ。
「王国の地下で、瀬奈が〈白浄花〉の欠片を使ったでしょ? あの時に、本来なら欠片には浄化の力しかないはずなのに、瀬奈の〈治癒〉のハティンが組み合わさって思いがけない効果をもたらしたらしいの」
「何だ、それは」
 興味を覚えたのか、リオがフォールの後ろに立ったまま口を挟む。
「浄化は灰胞子を打ち消して、石化病にかかっていた人の灰胞子も打ち消した。そして治癒は、灰胞子が巣食って石になった肺を治し、他にも白い光の光源内にいた人達の病気や怪我も治した。浄化と治癒って相性良いみたいで、欠片一つで王都中の人達に影響したみたいよ。私には白い光っていうのが分からないのだけど、そういうことがあったんでしょう?」
 淡々とした説明だったが、話された内容はとてつもなかった。
 ホワイトアウトのことはフォールもよく覚えている。一瞬、何も見えなくなったのだ。そして視力が戻ったら、側から瀬奈と明美の姿が消えていた。しばらくして、突然景色が変わり、ヴェルデリア国に戻っていたのも驚愕ものだった。
 加え、神様みたいなものがいるという話を聞いた時にはどう反応していいか分からなかった。あまりにも現実からかけ離れすぎていたせいだ。
「それを引き起こしたのがヴェルデリアのスパイなんだもの、そりゃあ和解もするわよね」
 他人事のように締めくくる明美。
 そうだねと返しつつ、複雑だ。どうしてそんなにどうでもよさそうなんだろう、この子。
「へえ、それで『白の奇跡』。素敵なネーミングセンスね」
 カエデがにっこりと微笑む。
 いや、その反応もちょっとずれているような……。
 フォールは微妙な表情のままカエデを見、突っ込むのはやめた。いちいち口を挟んでいては収拾がつかない気がした。
「すごいな……。セナさん、力の強いハティナーだとは思ってたけど、それほどだったのか」
「身を守るのには不向きだけど、でも、あいつらしいハティンだわ」
 そこで明美は目に悪戯めいた光を浮かべた。
「ふふ、この話をしたらどれだけ驚くかしらね。とっても楽しみ」
 明美はすっと立ち上がる。
「さてと。話したことだし、今日はこれでお暇させて頂くわ。次は闇オークション当日に会いましょう」
 涼やかにそう言って、明美はすたすたと本部を出て行く。それにお供三人もついていった。
 四人を見送ると、フォールはぐてっとソファーに背を預けた。
 今日は本当に疲れた。
 ペースを乱される客ばかりだ。特に後輩の相手が疲れる。
「はー、疲れてる場合じゃない、か。仕事仕事」
 フォールはすぐに頭を切り替えて、残っている仕事を片付けに席を立つ。
 ひとまず解決の目途はついた。
 自分のすべき事をしなくては。


 目途がついたのは良かったが、イオリは落ち着かなかった。
 それをおさめるべく無理矢理仕事に集中するのだが、三十分もするとイライラしてミスばかりしてそれにますます苛立った。機械の組み立ての最中だったのだが、螺子の位置が判断出来なくなってきて、とうとう諦めた。こういう気分の時に細かい作業は向かない。
「はあー」
 額に手を押し当てて、大きくため息をつく。
 俺が護衛についていながら、なんてザマだろう。目の前で護衛対象を連れ去られた。あの男の顔を思い出すだけで腸が煮えくり返ってくる。ふざけた笑みが神経を逆なでするのだ。
 ――しかも好きだと告白した直後に。
 気が抜けていたのだろうか。
 最低だ。
 自分への嫌悪感でいっぱいで、再びため息をつく。
「ふふ、イオリが落ち込むなんて珍しいわね」
 コトリ、と音がして、すぐ真横の机に湯気をたてているカップが置かれた。コーヒーだ。
 珍しく、受付のソファーではなく宿舎扱いの二階の自室で作業していたのだが、いつの間に入ってきたのだろう。
 幼馴染の赤毛の女を振り返る。流石に二十歳になったからか、元々落ち着いているカエデはますます落ち着いた空気を醸すようになった。その分、時折呟かれる毒は強烈になったが。
「るせーな、ひとを能天気野郎みてえに言いやがって」
「自己中を地で行ってるくせに、よく言うわね」
「……マイペースと言え、マイペースと」
 相変わらず痛いところをえぐってくる奴だと、イオリはカエデの無害な笑顔を睨みつけた。カエデが無害面しているせいで、端からはイオリが一方的に怒っているようにしか見えない。本当は、時折カエデが毒舌を吐くせいなのだが。
「あんな逃げ方されりゃ、誰だって切れるだろ」
 眉をしかめてぽつりと零す。
「ハティナーって、こういう時は面倒ね」
 カエデは肩をすくめる。
「所詮、私達は普通の人間なんだもの」
「でも、普通だからこそ出来ることもある」
「機械を組み立てたり、医療に従事したりなんか、ね」
 カエデはにっこりした。
「イオリには機械士としての技術があるんだから、それでカバーすればいいのよ。それに、今回はすぐに解決出来そうだし、次から挽回したらそれで良いと思うわ」
 姉のように諭すカエデ。
 昔から本当に、理が通っている。
「……今回のはたまたまだろ。それに次なんて考えたくもない」
 イオリはまたため息をついた。
「セナって、悪運が強いのかもね。ハティナー狩りに捕まる時って発信機持ってるもの」
 カエデはクスリと笑う。しかしイオリは頬を引きつらせた。
「前のはお前が勝手に発信機つけてたんじゃねえか。抜け抜けとよく言いやがる」
「あら、やだわ。機転がきくって言ってくれなきゃ」
 カエデはころころと笑いながら、部屋を出て行った。
 ほんとにこいつは……。
 閉まった扉を見つめて、イオリは苦い顔をする。
 たまに思うが、カエデって大物だと思う。裏のボスの位置にいつの間にかおさまってそうなタイプだ。
 そんな想像をして、あまりに冗談に思えなかったので、イオリはぶるりと身震いした。
 何はともあれ、苛立ちは抜け去った。
 代わりに、妙な悪夢でも見そうだと思った。

 * * *

 根気強く話しかけた結果、フランス人形のような女の子の名前を聞き出すことにどうにか成功した。
「フロウランス? フローレンス?」
 発音が分からなくて聞き返す。
「違う、フロウレンス。フロウでいい」
 ぽつりと呟くフロウ。
「セナはどうしてここに?」
 フロウは小さく小首を傾げる。その様はマリオネットの動きに似ていた。
 小さなフロウの首は細く、首を傾げただけで折れそうでちょっとばかり怖い。細いのは何も首だけではなく、腕も足も細い。そして肌は病的なまでに白い。しかし病人というよりは、深窓の令嬢という感じだった。
「協会の情報が流出しちゃって、その中に私のデータがあってね、ブローカーの人に自宅で待ち伏せされてて、気付いたらここに」
 苦笑する瀬奈に、フロウは目をパチクリと瞬く。
「壁抜け男だった?」
「壁抜け男?」
「壁を抜けて出てきたの、それにフロウは捕まったの。物語にね、あったの。壁を抜ける妖精でね、良い子のところに現れるんだって。それだと思ったのに……」
 フロウはしょんぼりとうつむいた。
「フロウ、良い子じゃないのかな。パパとママ、とっても忙しいから、ラキシマのいうこと聞いて良い子にしてたのに」
 ガラス玉みたいな青い目に、じわじわと涙がたまっていく。
 瀬奈は慌ててフロウをなだめる。
「大丈夫、フロウは良い子だよ。パパとママと、ラキシマ? も絶対に心配して探してくれてる。だから、大丈夫だよ。壁抜け男は妖精じゃなくて、妖精のフリした悪い人だったんだよ、きっと」
 ちょっとだけ嘘を混ぜながら、それっぽく言い切る。安心させることが一番だ。
「……ほんと? フロウのこと、パパとママ、見つけてくれる?」
「うん、絶対に見つけてくれる」
 多分、と心の中で付け加えながら、にっこりと笑う。
(それにしても、壁抜け男ってなんのことだろう)
 一方、内心では疑問符が飛び回っていたが。
「ねえ、それまでお姉ちゃんと仲良くしてくれる?」
 瀬奈はそっと尋ねる。ひとまず、この小さなルームメイトと仲良くしておくことにした。こんな小さい子を放っておけないというのもあった。
「うん、フロウとセナ、トモダチだね」
 ほんわりと笑うフロウ。
 可愛い! と瀬奈は思わず叫びたくなった。
 この子、将来すっごい美人になりそう。絵に描きたいくらい。
 こんな所で画家魂を燃え上がらせつつ、瀬奈もにっこり笑う。
「ありがとう」


 そして五日後、例のオークションの日、当日。
 オークションの目玉だということで、何故だか瀬奈とフロウはお洒落させられた。瀬奈は白いワンピースみたいなシンプルなドレス、フロウは黒いビラビラしたワンピースに青いリボンが飾られたもの。
(こ、こんなの親戚の結婚式に出席した時以来なんですけど……)
 最近になってスカートをはくようになった瀬奈だが、膝丈までのワンピースは流石にちょっと、という感じだ。はっきり言って、柄じゃない。絶対、服に着られていると核心する。すぐに脱ぎ捨てたい衝動に駆られたものの、近くでこの前のグラサン女が睨みをきかせていたので諦めた。いちいち逆らって怪我したくはない。
 軽く化粧を施され、髪の毛も簡単に整えられると、ようやくOKサインが出た。
 ほっと息をつき、首から提げたネックレスを握り締める。外すように言われたが、ネックレスも腕輪も家族の形見だから勘弁してくれと必死で言い募ったら、あまりの剣幕に説得が面倒になったようで、そのままにしてくれた。腕輪はそもそも外せないのだが、ネックレスの方は助かった。ラッキー。
「最後の仕上げ」
 グラサン女はどこか楽しげに言って、手にした機械のようなものを瀬奈達の首に付けた。
「抑声機よ。オークションが終わったら外してあげる」
 にぃっとグラサン女の朱色の唇が孤を描く。
『よくせいき?』
 意味が分からなくて聞き返したのだが、声が出ないことに気付いた。
 ああ、なるほど、そういうこと。
 瀬奈の目が微妙に据わる。
 オークション会場で商品にあれこれわめかれたり叫ばれたりされるのは迷惑なのだろう。簡単に予想は付いた。猿轡や首枷をされたり、薬で喉を潰されるより余程マシだ。機械だったら、外せば元に戻るはずだから。
 首の圧迫感が気になる。気にしたら苦しくなってきたので、急いで気を反らすことにする。
(別に、声が出ないくらいなんなのよ。風邪引いたって声は出なくなるじゃない)
 意思疎通には不便だが、今から行く場所にそれは必要がないのだ。私達ハティナーは“商品”なのだから。
 腹が立つ。
 こんな扱い、不本意だ。物として扱われることがこんなに屈辱的だとは。
 しかし瀬奈はすぐに怒りを引っ込めた。フロウが哀しげに瞳を揺らして瀬奈を見上げてきたのだ。
 大丈夫だ、というつもりでフロウの小さな左手を優しく握る。
 フロウはすぐにぎゅっと握り返してきた。
 グラサン女は瀬奈達の様子には気付かず、ついてくるように促す。
 女の後についていきながら、瀬奈は内心で困ったなあと嘆息する。あっという間に当日になってしまったのは予想外だったのだ。
(第五警備隊の皆、見つけてくれたのかな……?)
 瀬奈が発信機の電波が届かないような場所にいるのだとしたら、助かる望みは低いことになる。
 もしそうなったら……。
 売られた先から逃走するしかないかなあ、と、瀬奈は思案する。
 この会場の警備は素人目にも厳しすぎる。無事に逃げおおせられるとは思えない。
 そんな状況でも逃げられるくらいの頭と体力があればいいのだが、如何せん、どっちも無いといっていい。
 瀬奈は心の中で溜め息を漏らす。
 ともかく、そうなったらそうなった時に考えよう。どう転ぶのか分からないし、それになにより、第五警備隊の面々のことを信じたい。彼らは本当に優秀なのだから。



 明美は、表面上は悠然と構えていた。実際は、内心、イライラしながらオークションの進行を眺めていた。隣にはエスコートしてきてくれたハルが座っている。リゼとツェルは泊まっているホテルに置いてきた。言わずもがな、戦闘が混じりそうな場合においては役に立たないのだ。それどころか、怪我でもされそうで怖かったのもある。
 オークション会場は正装が義務付けられていたので、明美もハルも正装姿だ。ここ、ヴェルデリア国の正装は自世界での欧米や欧州と似ていて、ドレスやタイのついたタキシードなどだ。だから明美も真紅のシンプルなドレスを着て、ばっちりメイクも施した。
 そんな明美の隣で、ハルが窮屈そうに襟元に手を当てて僅かにタイを緩めたりしている。
 ラトニティア王国では、明美やハルはそれぞれ士官服が正装にあたる。明美は〈青〉の将軍であり、ハルは近衛隊員だからそれも当然だ。あちらも詰襟にはなるが、この国の正装ほど窮屈さは感じない。
(全く、冗談じゃないわよ。ハティナーを売り買いですって? 何考えてんだか、最低!)
 ラトニティア王国では、ハティナーは闇の女神から才能を授かった者として神聖視されている。だから、この国のように人身売買など存在しないのだ。ヴェルデリア国のそういう実情がラトニティア人に見下されていて、ちょっとした差別視の原因にもなっていたりもする。
 入り口で貰った商品リストの一番最後に、浄化と治癒の文字を見つけて明美はますます苛立っていた。
(後で泣きを見れば良いわ!)
 何人か侵入している第一警備隊員の合図とともに、いっせいに動く手筈になっている。
 その時間が待ち遠しい。
 こんな会場、今すぐぶっ潰してやりたい。
 明美はちらりと考えた。
 電源にでも電気を一気に流し込めば、ショートしてブレーカーが落ちるだろう。そして会場は真っ暗闇。客達は逃げ出し、混乱のあまり会場は滅茶苦茶。
 ああ、それって何だか清清しい光景だ。
 明美はリストの紙でそっと口元を覆い、にやりとほくそ笑んだ。
「ちょっと、早まらないでくれよ」
 怪しい笑みに気付いたハルが、そっと耳打ちする。
「あら、分かった?」
「俺だって胸糞悪いけどな、ここは俺達の国(テリトリー)じゃないんだから、無茶は禁止だ」
「……分かってるわよ」
 ひそひそと会話しながら、明美はむすりと黙り込む。端からは苛立っているとはさっぱり分からないが、確かに膨れていた。
 オペラホールのような造りになっている会場のステージから、幾人目かのハティナーが奥に下がり、司会進行役が気合の入った声で言う。
「さーて、本日のオークションもとうとう最終品目となりました。最大の目玉商品にして、非常に稀有なハティン、〈治癒〉と〈浄化〉です!」
 そうして司会が右手で大きくステージの中央を示すと、会場は拍手に包まれた。
 明美達も、表面上は楽しみにしていた風を装って、それぞれ拍手をする。
 室内の照明が落とされ、ステージ中央だけに照明が当てられる。そこに、二人の少女が歩いて出てきた。
 一人は銀髪の女の子で、もう一人は――……。
(瀬奈……。良かった、怪我はしてないようね)
 ざっと見で確認し、安堵する。
 それから思わず吹き出しそうになった。瀬奈ときたら、物凄く不機嫌面だったのだ。眉をしかめ、むすっとしている。
 けれど、女の子の方が不安そうに瀬奈のスカートを掴むと、すぐに穏やかな表情を見せて女の子を宥めた。また前を向くとむすっとなる。非常に分かりやすい。
「流石は上官殿の幼馴染だな」
 隣で、ハルがぼそりと小さく呟いた。
 ――どういう意味だ。
 明美はハルを軽く睨みつけ、再び視線を戻す。
「こちらの商品はセットでの販売となります。100万リーズからの開始です。それでは、入札開始です!」
 コォン!
 司会が木槌を打ち鳴らし、熱気を帯びた会場内で競りが始まる。
 値は瞬く間につり上がっていき、そして最大に熱が高まった時、突然、会場内が闇に包まれた。
「な、何っ?」
「きゃああっ」
「どうしたんだ一体!」
 会場内がざわめく中、パッと明かりが戻る。
「え……っ?」
 明美は目を疑った。
 光の戻ったステージから、瀬奈の姿だけが忽然と消えていた。
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