虹色のメロディ編 第二部 情報流出事件編

八章 いらぬオマケ 

 リオの運転する空遊車(ホバー)に乗ってオークション会場の前に戻った。
 会場前には警備隊員が大勢いて、ざわざわと騒がしくも公務に励んでいる。会場から出てくるハティナーのブローカーや盗品売買関係者、それから客達を一斉検挙しているらしい。
 それに加え、夜闇にフラッシュが何度も閃いて、一瞬だけ真昼のように道を照らし出す。恐らく報道関係者だろう。どこでも報道関係者の勢いは凄まじいものらしい。対応している警備隊員の人は大変そうだ。
 瀬奈はそんな状況を横目に見ながら、きょろきょろと現場を見回した。フロウはどこだろう。助け出されたのなら、この辺にいるはずだ。
 そうしていてようやく、報道関係者の目から離れた所に被害者が集められているのを見つけた。
「フロウ!」
 人混みの中に声をかけると、黒いスーツを着たダークブラウンの髪の男と話していたフロウがパッと振り向いた。
「セナ!」
 小さな身体がパタタタと駆け寄ってくる。
 瀬奈も駆け寄ろうとして、高いヒールが邪魔なことに気付いて靴をその場に脱ぎ捨てた。裸足で地面を走り、フロウの前にしゃがむ。
 瀬奈は単に目線を合わせただけだったが、予想に反してフロウが飛びついてきた。めいっぱい首にしがみついてから、身体を離して目を合わせる。
「良かった! セナ、いきなり消えちゃうから……。大丈夫だった?」
「うん、まあ。結果オーライかな」
 この一時間ほどの間の経験が頭をよぎり、一瞬だけ気が遠くなる。
「フロウは大丈夫だった? ごめんね、急にいなくなっちゃって。私もびっくりしたんだけど」
「ううん。あの後、すぐに警備隊の人が助けてくれたの。ラキシマが来てくれた。パパとママも来るんだって。ママ、しんろうで倒れちゃったらしいの」
 フロウは嬉しそうに笑ってから、母親が倒れたくだりでしょんぼりした。
 そんなフロウの後ろでは黒スーツの男が心配そうに様子を見ている。ということは、この人がラキシマって人か。
「それだけフロウのこと心配だったんだよ。早く帰って元気なところ見せれば、お母さんもすぐに良くなるよ」
 なでなで。
 にこっと笑って頭をなでると、フロウは「本当?」と表情を輝かせた。
「うん! 私が保証する」
 最後の一押しにもう一度笑う。
「やったあ!」
 フロウは本当に嬉しかったらしく、再度瀬奈に飛びついた。
 この子、意外に行動的みたいだ。将来、男泣かせにならなきゃいいけど。出歯亀的なことを心の隅で思いつつ、瀬奈もフロウの背中をポンポンと叩いてやる。
「あの、お嬢様が大変お世話になったようで。旦那様と奥様に代わり、お礼を申し上げます」
 立ち上がった瀬奈に、ラキシマが礼を言った。
「ええ!? いや、そんな、お礼言われるようなことなんて別に……。私だってフロウのお陰でしっかりしようって思えたし。お互い様ですよ〜」
 畏まって礼を言われると、照れるより先にびっくりする。挙動不審気味に両手を振って言い、それでもやっぱり照れるので笑みを浮かべた。
「あの、それじゃ私、ちょっと他にも顔出すとこあるんで、これで」
「はい。本当にありがとうございました」
 再度礼を口にするラキシマと、バイバイと手を振るフロウ。瀬奈も軽く手を振り返してから、その場を離れる。
「おいコラ、裸足でうろうろすんな。その辺、ガラスの破片とか落ちてたりしてて危ないんだぞ」
 どうやら会話の終わるのを待っていたらしい。少し離れた場所にイオリが立っていて、無愛想に言ってから、さっき瀬奈が脱ぎ捨てたハイヒールを突き出してきた。
「だって、ヒールの高い靴って苦手なんだもん。こんな服も苦手」
 そう言いながら自身を見下ろして、瀬奈は溜め息をついた。
 飾りを外したのとビルの移動なんかで髪がぐちゃぐちゃだし、あちこち移動している間に汚れたのか白いワンピースは薄汚れてよろよろ。色々と残念な感じ。
 片手で髪を梳きながら、ますます虚しくなってくる。
 お腹は空いたし、服装は嫌いだし、ご飯を食べたらすぐにシャワーを浴びて寝てしまいたい。
「苦手だろうと駄目だ。第一、靴ってのは足を守る為にあんだぞ」
「うえー、こんな時に説教しないでよー」
 仕方なくハイヒールを履く。ああ、足の裏が痛い。
「でも、苦手って割によく似合ってるぞ、その格好」
「へ!?」
 予想もしない言葉が聞こえて、空耳かと顔をガバッと上げる。すると、待ち構えていたみたいに、イオリが夜のような藍色の目を緩ませた。
 不意打ちの笑みに、ますますぎょっとする。
「え、え、何!?」
 顔に熱が集まってくるのに気付く。急に、ブローカーに捕まる前の出来事を思い出した。そうだった、告白されてたんだった。
 でもそれにしたってこういう仕草をされたことは今迄無かったもんだから、瀬奈は目を白黒させる。自意識過剰なんだろうか?
「あんだよ、ほんとにそう思ってんだから言ってんだ。好きな奴褒めたら悪いのか?」
「へっ? すっ、ほめっ、ええっ!? …………わ、悪くないですけど、ええと。……ううっ、ほんと勘弁して」
 疲れが重なって頭がオーバーヒートし、何を言えば良いかさっぱり分からなくなって泣きそうになってきた。
 なんだろう、イオリってば、告白したら色々吹っ切れた感じがするんだけど。瀬奈としては困ってしまうが。
 絵と弟一筋で生きてきてすみません。ごめんなさい。今はほんと勘弁して下さい。
 後でならいいのかというとそれはそれで困るような。ああ、ますます訳が分からなくなってきた。
 赤くなった両頬を手で押さえて目をぐるぐるさせていると、いきなりイオリが前にずっこけた。
「ってえな! 何すんだよ!」
「それはこっちの台詞よ」
 明美が負のオーラ全開でイオリの背後に立っていた。どうやら、明美がイオリの後頭部を手で叩いたらしい。
「――ちょっと目を離した隙に、ひとの幼馴染にちょっかい出してんじゃないわよ、不良男」
「誰が不良だ! 仕事してんだろうが、え!」
 その反応がすでに不良だろうと思ったが、瀬奈は勿論黙っていた。ブリザード吹きすさぶ場に飛び込んでいく勇気がなかったせいだ。
「えーと、明美、リオから話聞いてるよ。すっごい活躍したんだって? お疲れ様」
 現場に来ているという明美に会う。そういう当初の目的を思い出し、瀬奈は声をかける。内心、ナイスタイミングだと拳を握っていたりする。
「まあね。私の実力をもってすれば、会場から逃げようとする客達を気絶させるくらいわけないわ」
 明美は実に下らなさそうに言い切った。
 ――そうだ。明美は会場の出入り口前に待機していて、乗り込んできた警備隊から逃げる客や関係者の捕縛に当たっていたのだ。
「元気みたいで安心したわ。流石に人身売買の商人に捕まったって聞いたらゾッとしたわよ」
 まるきり無表情で淡々と言う明美。
 マジかよ、と言いたげに、胡乱気な視線をイオリは向ける。
「ずっと部屋に閉じ込められてただけで、特に何も危ない目には遭わなかったよ」
「そう、ならいいけど……。そういえば、会場からいきなり消えたのはどうして?」
 瀬奈は経緯を簡単に説明した。
「私もさっぱりなんだけどね、イリスなんて知り合いいないし……。お父様っていうのもさっぱり」
「………また面倒ね。でも、それは警備隊がどうにかしてくれるでしょ。あんたも無事に帰ってきたし、私は明日の仕事を終えたら帰国するわ」
「えっ、もう帰っちゃうの!? あーあ、がっかり。こんなとこにいなきゃ、一日くらい遊べたのに……」
「またそのうち会えるわよ」
 明美には随分珍しく、労わりのこもった笑みを浮かべた。
 ――が、それはすぐに氷のような笑みに変わる。
「で、瀬奈。付き合うんならそこの不良みたいなのはやめなさいよ。私、こいつ嫌いだから」
「ええーと」
 そこに話題を戻されるのは困る。
 瀬奈は曖昧にごまかそうとしたが、それより先にイオリが口を出す。
「てめえの私情で口挟むんじゃねえよ」
 途端に二人の間で火花が散った。
(なんでこの人達、こんなに仲悪いんだろう……)
 間に挟まれた瀬奈はすこぶる居心地が悪い。
 困って首をすくめていたら、明美の傍らに控えている青年と目が合った。ハルという名の護衛の人だ。
 彼は、頑張れ、というように右手の親指を立てた。
(いや、応援されても……)
 何のフォローにもなっていないのだが。
 無言で睨みあっている二人に、疲れと空腹で瀬奈はすぐに限界が来た。こういう気分の時ってやたら惨めになるものらしい。じわーっと目の端に涙が浮かんでくる。
「疲れたし……、お腹空いたし……。私もう帰っていい……?」
 やけに子供じみた言い訳だ。それでもしゃがみこんでしまわないだけ立派だと思う。
 すると事態の深刻さを察知した二人が、帰っていいから泣くなと声を揃えた。
 ――ああ、この二人ってやっぱり時々似てる。
 二人が聞いたら速攻否定されそうなことを心の隅で思いつつ、瀬奈はこくりと頷いた。


   *  *  *


 オークション会場があったのは首都だったと知ったのは、事件後に訪れた宿舎が第一警備隊の物だと気付いた時だった。あそこに集められていたハティナー達は、国中からさらってきた人々だったらしい。
 それはともかくとして、瀬奈は機嫌が良かった。昼過ぎまで惰眠を貪れた上に、支給された服が警備隊員の制服だったお陰だ。白いシャツの上に黒いパーカーを羽織り、黒くて履き心地の良いズボンと動きやすいスニーカーを履いた。後で洗ってから第五警備隊の方に返せば良いらしい、至れりつくせりである。
 別に瀬奈だけが特別扱いなのではなく、保護された被害者ハティナー達も同様の扱いを受けている。何人かは警備隊ではなくハティナー保護協会の方に身を寄せたらしい。瀬奈としては、前にもこの宿舎で生活していたからこっちの方が都合良く、それでここにいる。
 動きやすい服装と、体裁を保てる程度には身なりも整えられたから、これ以上のことはない。これから、遅めの昼食を摂りに食堂に向かうところだ。
 途中で警備隊員が瀬奈のことを昨日の被害者の一人だと気付き、労わりの声と丁寧な対応をしてくれた。お陰様で、特に何も困ることもなく、食事にありつけた。
「幸せ〜」
 人間、食事をしている時が一番至福だと思う。
 それがまたおいしい食事なら尚更だろう。
 表情を緩めまくって、オムレツを頬張る。付け合わせの野菜と、パン、スープも問題なくおいしい。
 食堂には、瀬奈のように遅めの昼食を摂りにきた隊員や被害者ハティナーらしき者をちらちら見かけるものの、数はまばらだ。
 その中に、フォールとリオの姿を見つける。
 二人は同時に休憩になったらしく、何事かを話し合いながらトレーを支えて席につこうと歩いてくる。
 それで声をかけたら、相好を崩してこちらに歩いてきた。
「セナ! ちょうど良かった、私達も遅い昼食を摂るところだ。事後処理に追われていたんだが、ようやく目途がついてな」
 リオはセナの前の席に座ると、肩を回した。バキバキと関節のなる凄まじい音がする。
「今回は下っ端として参加してたからねえ、随分マシな量だったよ」
 その隣に座り、疲れなど微塵も感じさせない笑みを浮かべてフォールが言う。
「当面の問題は、あの後輩にどう貸しを返すか、くらいかな」
 ふっとフォールの笑みが黒くなる。
 瀬奈はどぎまぎした。こんな隊長さんは初めて見た。目が虚ろでちょっと引いてしまう。
「貸し? 後輩?」
「ああ。いや、こっちの話」
 瀬奈の問いに、フォールはひらひらと右手を振る。
 瀬奈は首を傾げつつ、スープの入ったマグカップに手を伸ばす。
 フォールはともかく、どうしてリオまで苦い顔をしているんだろう?
「そういえば、カエデとイオリってどうしたの? まだ仕事中?」
 スープの赤色を見ていたらカエデの赤い髪を思い出した。カエデを思い出すと、続けてイオリも思い出す。
 リオは軽く首を振る。
「いや、二人は今朝早くにフィースに戻ったよ。あっちでの仕事もあるからな」
「そうなんだ……」
「うん。だから、セナさんは僕らと一緒に帰ることになってるから、一人で帰らないでね」
 フォールが念押ししてくる。
「帰らないよ。もうあんな目に遭いたくないもん」
 オムレツをスプーンの先で掻き回しながら溜め息をつく。
「もしかして怒ってたりするかい?」
「怒る? 何で?」
 苦笑混じりにフォールが訊き、瀬奈は目をパチクリと瞬く。
「僕らがついてながら残念な結果になっちゃったから」
「隊長さん達は悪くないでしょ。むしろ怒るとしたら、自分の運の無さだけで。あーあ、何でこんなについてないんだろ」
 口に出したらますますへこんできた。
 折角おいしいご飯を食べているのに勿体無い気がして、無理矢理気分を上昇させる。
「ついてないって言えば……、あのイリスって人のこと何か分かった?」
「それがさっぱり。戸籍にはイリスって名前の二十代女性はいないみたいだね。アリスやエリス、アイリスならたくさんいるみたいだけど」
 おかしそうに含み笑いするフォール。
「それかイリアやイグリスとかな」
 付け足すリオ。
「イグリスって人の方がいなさそうだけど……」
 聞き慣れない名前だと、瀬奈は零す。
「女じゃなくて男名だがな。第五都市じゃ割と多い名だ」
「へえ、名前の付け方って偏るのねえ」
 どうでもいい感心をしつつ、話が反れているなと思わず笑う。それでも面白い話題だと思う。
 そうこうしているうちに食べ終わり、急に手持ち無沙汰になった。
「ねえ、帰るのっていつ頃になりそう?」
「明日の夕方だな。それまでは自由にしていていいぞ。ああ、ただし本部からは出ないでくれ、人手が足りないんで対応出来ない」
 簡潔なリオの答えに、瀬奈は頷く。
「それなら、部屋でのんびりしてる。それじゃ、ごちそうさまでした〜」
「ごゆっくり」
 にっこり笑うフォールを横目に立ち上がると、横合いから声がかかった。
「やあ、久しぶり」
 軽いノリに、声がした方を振り返ると、いつの間にやらテーブルの左側にクライトの姿があった。今日はお付きの姿は無い。きっと第一警備隊本部内だからだろう。
「――噂をすれば」
 リオは渋い声で呟いた。
「え、なになに。俺の噂って? 格好良いとかもてまくりとか、そういうのなら大歓迎」
 今日はサングラスをしていないようだ。クライトは琥珀色の目を悪戯っぽく輝かせ、バチリと片目をつぶった。
 それと同時に隊長達の顔が劇的に渋面に変わっていくのを、瀬奈は無言で眺めた。
「自意識過剰だ。うえ、吐き気してきた」
 ウィンクされたショックで、リオは口元を手で覆ってあらぬ方を見る。
「落ち着いてリオ、僕だって気味悪い」
 フォールは引きつった笑顔のままずけずけと返す。
 飄々とした態度のクライトであるが、この反応には流石に不愉快そうな表情になった。
「失礼だな。女の子ならこれで一発で落ちるのに」
「そいつは眼科に行った方がいい。私から提案しておこう」
 フンと鼻を鳴らすリオ。
 じろ、と睨むクライト。しかしすぐに飄々とした態度に戻る。
「それはそうと、君、大変だったな。ご苦労様」
「はあ、まあ、どうも?」
 何と返せばいいやら。そちらこそ、の方が的確だったか?
 瀬奈は自分の語彙の無さが情けなくなった。
「腕輪の件の方も調査中だから、心穏やかに過ごしてくれたまえ。同じ轍は踏まないだろ、そちらの二人も」
 さっきの仕返しだろうか、ちょっとばかり皮肉を込めてリオとフォールを見るクライト。
「あの、隊長さん達は悪くないですから……。……えーと、ところで」
 瀬奈は僅かに首を傾げる。
「第一警備隊の隊長さんも食堂でご飯を食べるものなんですか?」
 フォローを入れつつ、ふと気になったことを訊く。偉い人だから、もっと高価そうな所に行くものじゃないのかと気になったのだ。
 クライトはにっこりとあくびれなく笑う。
「まあね、外に出て食べるのは面倒だし。でも今回は食事じゃなくて、先輩に貸しの取立てに来たんだ」
「はあ……」
 どことなく不吉さを感じさせる笑みのように思うのは、瀬奈だけだろうか。どちらにせよ、この人は随分一筋縄でいかなさそうなタイプだ。
「あれ」
 思わずじろじろとクライトを見ていたら、クライトの左頬に切り傷が出来ているのに気付いた。
 ざっくり切れているようで、治り方次第では痕が残りそうだ。それなのに、碌な手当てもせずに放置しているらしい。
「怪我してますけど、どうしたんですか?」
「ん? ああ、これ? 昨日、ちょっとドジっただけだ」
 クライト本人は忘れていたらしく、左頬を軽く指先で撫で、その拍子に痛みを思い出したのか眉が寄った。もしかすると、痛みではなくて、ドジを踏んだ時のことでも思い出したのかもしれない。
「へえ、珍しい。君が手傷を負うなんて、相手は相当の手練かな?」
 フォールは物珍しげに言う。
「残念。全くのど素人だよ。それもめちゃくちゃ腕前の下手な奴。いきなりナイフを投げられて、下手過ぎて避けきれなかったんだよなあ」
「技量の無い人間程恐ろしいもんはないよな。どこに弾が飛ぶか分からないし」
 リオの呟きで、ついイオリの銃の腕前を思い出した。恐らく、リオもそれを思い出しながら言ったのだろう。
「なんだか痛そうですね。あ、じっとしてて下さい。折角だから治しますよ」
 瀬奈はトレイをひとまずテーブルに置き直し、クライトに向き直って、よいせとばかりに右手を伸ばす。頬の切り傷に触れると、温かい光が手の平から溢れた。〈治癒〉のハティンだ。
 光が消えると、傷は跡形も無く消えていた。
 瀬奈はにっこり笑う。
「我慢出来ても痛いのって嫌ですもんね。お気を付けて」
 することをして満足したので、瀬奈は「じゃあこれで失礼します」と軽く会釈してから、トレイを持ってその場を離れた。


 怪我を治すなりあっさりと去っていった瀬奈の背中を、クライトはポカンと見送った。
 仮にも第一警備隊の隊長である自分に、あんな風に気安く声をかけて勝手に怪我まで治していった人物は初めてだった。
 傷のあった場所を無意識に左の指先で撫でながら、それこそ意識もせずに呟く。
「――いいなあ、彼女」
 その呟きを拾い、リオとフォールはサーッと顔色を変えた。
「ちょっと待てぃっ! なんだそれは聞き捨てならんぞっ! 正気に戻れ、歳の差考えろ! 立派に犯罪だぞ!」
「そうだ! 大体、今のどこに惚れる要素があるんだっ!? 君のただれた女性関係に、彼女を巻き込むな!」
 動揺もあって、二人とも言いたい放題だ。
 それだけ、クライトの女癖の悪さと手の早さを理解している証拠でもある。
「やだなあ、二人とも。成人したら歳の差なんて関係ないって」
 にっと笑い、右手をヒラヒラさせるクライト。
「確かにそうだが、それとこれとは話は別だっ!」
 リオは声を荒げて言い張る。
「彼女ってさ、確か十八でしょ? 立派に成人してるじゃん。問題無いって」
「「ありまくりだっっ!!」」
 リオとフォールの息の揃った怒号が食堂内に響く。周りの者達は皆、何事かとこちらに注目しているが、そんなことに構っている余裕はなかった。何が何でも止めると、二人は必死だった。
「で、先輩、貸しのことなんですけど」
 クライトはさっぱり空気を読まず、フォールの前の席に座ってにんまりと笑う。
「あの子のデータと交換ってことで」
「――断る。第一、事件処理の為に基本情報はそっちにもあるだろう」
 固い表情で一刀両断するフォール。娘を守るべく戦う父親といった心境そのものだ。
「何言ってんですか、ヤダねえ、これだから奥さんに愛想つかされちゃうんですよ。娘さんも可愛いのにー。普通、こういう場合は好みとか趣味とかそういうデータのことに決まってんじゃないですか」
「うるさい黙れ。それから離婚したのは僕がそう決めたからで愛想をつかれたんじゃない。ついでに娘にも嫌われていない。口を縫いつけられたくなかったら、家族のことは口に出すな」
 思わぬ形で私生活を暴露され、フォールの目が冴え冴えと冷たく光る。いつ銃を抜いてもおかしくないくらいの殺気だった。
 隣のリオはフォールの家族のことを知っていたので、別段気にしていない。それに離婚してもフォールが元家族のことを大切に思っているのも知っている。だからこういうネタにするべきことではないと思い、リオもまたクライトを睨んだ。
「おお、こわこわ」
 クライトはするりと脅しをかわし、肩をすくめる。その反面、殺気で背中がチリチリした。ここまでフォールを怒らせたのは随分久しぶりだ。
「じゃあ仕方ないですね、自分で聞きますよ。それなら、こないだ言ってたクレストーレン・ファミリーのボスとの愛人の件で手を打ちますよ。よろしくお願いしますね、先・輩」
 悪魔みたいな笑みを浮かべるクライト。
「――拒否権なしだろ。それに拒否したところで巻き込まれるのがいつものパターンだ」
 フォールは疲れたように言う。
「そういうことです」
 クライトはカラカラ笑いながら席を立ち、そのまま食堂を去っていく。
 残された二人は空気に飲まれたように口をつぐんでいたが、やがてのろのろと顔を見合わせた。
「――リオ、絶対、阻止しよう」
「ああ。そうするに決まっている」
 この事件の解決で瀬奈の不運の歯車も止まったのかと思ったのだが、まだまだ続行中らしい。よりにもよってあんな奴に気に入られるとは。
「うう、セナ、可哀想に。おかしいな、何だか目蓋が熱いぞ……」
 リオは目頭を押さえ、天井を仰ぐ。
「そりゃあリオ、泣いてるんだから当然だよ。気持ちはよく分かるけど」
 フォールは泣きこそしなかったものの、不憫でいっぱいだった。
「こりゃあ、イオリの応援をするしかないねえ」
 そう零すと、リオはそのままの姿勢で数秒停止し、ん? とフォールの方を見た。
「何だ、それは。何故ここでイオリの名が出る?」
 フォールはじっくり十秒程口をつぐんでから、苦く笑う。
「君、こういうことになると急に勘が鈍るよねえ。いや、鈍い、のかな?」
 何の話だと問い詰めてくるリオの声を聞きながら、フォールはパンをかじる。何故だかしょっぱい味がした。
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