虹色のメロディ編 第三部 合宿編

九章 返事 

「あ、セナ、久しぶり〜。風邪こじらせたって聞いてたけど、もう出てきていいの?」
 久々にアカデミーに登校したら、教室に入ってきた瀬奈に目ざとく気付いたアンジェリカが声をかけてきた。今日はピンで髪をとめてショートっぽくしたヘアスタイルだ。
 八日もアカデミーを休んだので、結構心配してくれていたらしい。
「一言連絡くれたら、お見舞いに行ったのに。セナって一人暮らしでしょ? 大変じゃなかった?」
「え、あー、大丈夫。寝てただけだし」
 本当は事件に巻き込まれてましたなんて言えないので、苦笑いでごまかした。第五警備隊の方から風邪という連絡をしていたらしく、事前に聞いていたから苦しくない言い訳が出来た。
「そ? ま、セナがそう言うんならいいけど。次は連絡してよね」
「うん、ありがと」
 そう言ってくれるのは本当に嬉しい。
 瀬奈は照れ混じりに笑う。
 それから席について教科書類を出しながら、授業についていけなくなってたらどうしようとテンションを下げていると、机脇に立ったアンジェリカがじーっとこちらを見てきた。
「……何かな、アンジェリカさん?」
 視線に耐え切れなくなり、瀬奈はアンジェリカの方に顔を向ける。
 アンジェリカは何やら口元をにやつかせて、他愛ないことのように言う。
「別にー、まだそのネックレスと腕輪してるんだなって思っただけー」
「…………」
 前回登校した時のアンジェリカの華麗な誤解っぷりを思い出し、瀬奈は口を閉ざす。
「……アンジェリカ」
「んー?」
 瀬奈は声を落とし、ひそひそと言う。
「本当に私、誰とも付き合ってないの。でも、ちょっと、その、……こっ、告白されちゃった」
「ええ――っ!」
 目一杯黄色い声を上げられ、瀬奈は盛大に焦る。
「ちょっ、声大きい!」
「だってだって、そんな楽しい話題、騒がずにどうしろっていうの!?」
 キラキラと目を輝かせ、浮き浮きしながらアンジェリカは力説する。
「分かったから、私もそういう気持ちはよく分かるから」
 女友達がそんな状況なら、瀬奈だってこんな反応をしただろう。
「それで相談したいことがあるわけなの。……お昼休みの時、いいかな」
 誰か恋愛ごとに詳しそうな人に相談したかったのだ。そういう方面には疎すぎて、瀬奈には分からないことばっかりだ。
「勿論! やだもう、今から燃えてきた〜っ!」
「…………」
 あれ、もしかして相談相手間違った?
 拳を握って呟くという妙に漢らしいアンジェリカの反応に、瀬奈は僅かに心の中で後悔を覚えた。


「なんだ。別にそんなの、付き合っちゃえばいいじゃない」
 昼休み、屋上のベンチで紙パックのジュースを持ったまま、アンジェリカは心から不思議そうに言った。どうしてそんなことで悩むのか分からない、とでも言いたげに軽く眉を寄せ、小首を傾げる。
 対する瀬奈はお弁当のおかずをフォークで突きながら、口ごもりつつ答える。
「だってさあ、今まで友達だったのにそういう好きか分かんないじゃない? そんな曖昧なのに付き合ったら失礼だと思う……」
 もごもごと俯き加減で言う。
 アンジェリカはうーんと空を仰ぐ。
「また真面目ねえ。ま、そこがセナの良いとこなんでしょーけど」
 それからまた首を傾けて、瀬奈の方に目を向ける。
「それなら余計付き合ってみれば良いわよ。付き合っても友達としか思えないんなら、振ればいいでしょ?」
「ええーっ!」
 そんなのあり!? 無理なら振ればって、そんな軽くていいの??
 ますます失礼なことのような気がしてきて、瀬奈は眉間に皺を寄せ、口をへの字にしてうんうん唸りだした。
 そんな瀬奈の額を、アンジェリカは人差し指で軽く小突いた。
「そうやって難しく考えないの。大体、返事を先延ばししてる方がよっぽど失礼よ」
「うっ……」
 そういうものなのかと瀬奈は鼻白む。
 むむうとおかずを睨みつけ、休み時間には限りがあるので食べる。もぐもぐと親の敵みたいにしっかり噛み締めてから、やっぱり眉間に皺を寄せる。
「だからぁ、そんなに難しく考えるなって言ってんじゃない」
 呆れたようにアンジェリカが言い、ジュースのパックがめこりとへこんだ。その空の容器を手にすると、近くのダストボックスに向けて投げる。綺麗なカーブを描いてパックが飛び、綺麗にボックスの中に収まった。
「お見事」
 瀬奈は軽く拍手する。
「ふふん、まあね」
 得意げに軽く胸を反らすアンジェリカ。
 お洒落に余念がなく、さばさばしていて、いつも誰かしら彼氏がいて、所謂今時な感じの女の子。気さくで嫌味なところがさっぱりないから、なるほどもてるわけだと瀬奈は納得する。
(何で私、こんな素敵な子と友達やってんだろ……)
 ふと不思議に思う。
 身だしなみは気を付けているけど、それほどお洒落をしている気はしないし、――だって見た目の綺麗さより動きやすさを取る方だ――、恋愛経験さっぱりだし、趣味は絵描きや手芸だし。結構、自分とアンジェリカはタイプが違うように思うのだが、いつの間にか親しくなっていたのだから不思議なものだ。
 そういえば、元の世界にいた時の友達も活発で可愛い感じの子だった。小学生の頃まで思い出して、ちょっと性格はきつめだけど可愛い子ばかりだと気付く。ああいうタイプは大概同性に嫌われがちだが、どうしてそんなに嫌うのかと首を傾げていた覚えがある。瀬奈としては、さばさばしていて何でも口に出して言うような人の方が余程付き合い易いのだ。
「あ、そういえばセナ。連絡するの忘れてたんだけど」
「ん〜?」
「二週間後に合宿があるのよ。第三警備隊で三泊四日の実地研修」
「ええっ!?」
 瀬奈は驚きのあまり弁当箱をひっくり返しかける。
「研修って、そんな、無理だよ役に立つどころか壊しちゃう!」
 悲鳴混じりの訴えに、アンジェリカはひらひらと手の平を振ってみせる。
「大丈夫大丈夫、どっちかというと職場体験みたいな感じだそうだから。これを機にクラスの皆と親睦を深めましょうってことで、自由時間もそれなりにあるみたいだし」
「そうなんだ……」
 瀬奈はほっと息をつきながら、パッと顔を輝かせる。
「第三警備隊って言ったら、第四都市バーレだね! 水路の街なんでしょ? 一度行ってみたかったんだよねえ」
 第四都市バーレは水が豊富な土地で、海の側にあるらしい。近くの湖から水が流れ、水路を通って海に抜ける。水が豊富であるからか国一番の工業都市で、貨物船なんかもここから出ているのだそうだ。
 それから、カエデとイオリの出身地でもある。前にイオリが話していた。
「浮かれてる場合じゃないわよ、セナ。合宿までに、その相談事の件、片付けておきなさいよね。折角の旅行なのに、隣で悩まれるなんて御免よ?」
 容赦のないアンジェリカの言葉に、瀬奈はしおしおとうなだれた。
「善処いたします……」
 そう言いながら、本当にどうしようかと頭が痛くなってきた。
 

  *  *  *


 アンジェリカに相談してから五日が経った。
 片付けておけと言われたけれど、そんな掃除みたいに簡単に済む問題ではないので、瀬奈は悶々と自問していた。
 付き合うか付き合わないかの二者択一ではあるのだが、他にも友達でという常套句もある。
 イオリの気持ちを知ってしまった今としては、前みたいにすんなりと友達の枠に収まるのは難しい気がする。それに何より、今の関係性が好きなのでそれを壊すのは気が引けた。かといって付き合うのかというとそれも違うような?
 そういう曖昧さ加減で当のイオリに会うのが気まずくて、第五警備隊に顔を出せないでいる。
 夕方に帰宅してから一通り家事を済ませ、やっぱり判然としないまま、買出しの為に外に出ることにした。どうしてもおかずになる材料が足りていなかったのだ。他の家事の前にそちらを片付けておくべきだったと、水平線にオレンジ色が滲んだ空を見て思った。
 しかしまあ、店は家から近いし平気だろうと思う。
 事件以後に引っ越した家は、こないだの件を考慮してか第五警備隊本部から割合近い距離にある。側には噴水のある広場もあった。協会の人達は本当に引越しの手配を全てしてくれたようで、案内された部屋にはすでに重い家具などは配置されており、残りはプラスチックの箱に詰められてリビングに置かれていた。配置変えが必要なら手伝うと言われたが、十分だったので断った。何だかここまでしてもらったことの方に申し訳なさ大爆発だ。
 このアパートも一階の入り口はカードキーを持っていれば開く形式で、部屋の扉はキーをかざせば開く。前に引っ越した時の要望通り、彼らからすればレトロな部屋だ。瀬奈からすれば普通。レトロかそうでないかの違いは、手動操作の量の多少だそうだ。
 濃い藍色の色味が増した空を眺めながら、のんびりと店まで歩く。秋のような季節とはいえ、流石に日が暮れると冷えてくる。
 そして、おかずになりそうな魚や調味料を少し買ってから、スーパーのような店を出ようとした所でイオリにばったり出くわした。
「あ」
 思わず目を丸くする。
 こんな所で出くわすなんて相当意外だった。イオリといえば機械で、機械の部品なんかしか買いに行かないイメージがあった。
「よお」
 しかも珍しいことに私服姿のイオリは、黒のカーゴパンツのポケットに両手を突っ込んだまま、一言。上着は白地に藍色のラインの入ったパーカー。いかにもラフな服装といった感じ。
「珍しー、どうしたの、こんなとこで」
「久しぶりの半休、ついでに明日も休み。で、家帰ったら食うもんが何も無かったわけ」
 イオリは非常に面倒臭そうに言った。
「ああ、そういうこと」
 思えば機械いじりが趣味のような人だ。そのせいか、警備隊に入り浸っているし、帰宅する姿もたまにしか見ていない。イオリが言うには、騒音なんかを考えると本部で機械いじりしてる方が都合が良いのだとか。
「帰るんならちょっとここで待ってろ。暗いし送ってく」
「え、良いよ別にそんな」
 悪いし、と続けようとした瀬奈だが、すでにイオリは店に姿を消していた。
 行動の早さに唖然としつつ、ここで帰っても怒られるだけなので大人しく待つことにする。
 送ってくなんてそんな、アパートは目と鼻の先なのに。
 明かりもあるから危ないことなんてないのだが、夜道を女の子一人は危ないというのは万国共通なのだろうか。送ってくれると言われた経験の無い身としては、首を傾げるばかりだ。
 そんな風に疑問を覚えていると、あっという間にイオリが店から出てきた。
「はやっ、別にそんな急がなくても良かったのに……」
 何だか申し訳ない気持ちになってくる。瀬奈と店先で鉢合わせたばっかりに、気を使わせたみたいだ。こういう所は警備隊員としての習性が身についているのだろうなあと、警備隊員にしてはちょっと柄の悪い少年を見やる。
「買うもん決まってたからな」
 そういうイオリの手には、弁当と缶詰などが詰まった袋があった。
 いかにも男の子という感じだ。
「自炊しないの?」
「久しぶりの休みに、そんなんで時間潰したくねえだろ?」
 思わず訊いたら、質問で返された。
 それは一理あると、瀬奈は頷く。
「で、お前ん家どっち?」
「あっち。すぐそこだよ。イオリは? 正反対だと悪いんだけど」
「俺は広場抜けた先だから、どっちにしろ同じ方向だ」
 広場の方へと並んで歩きながら、そんな会話をする。
 そうやって隣で並ぶと、ほっと気の抜ける自分がいる。馴染んでいるともいう。警戒心を抱かなくて済む、数少ない知り合いだ。
「ちょうど話したかったとこなんだ。――お前さ、俺のこと避けてるだろ」
 ぎくっ。
 瀬奈は思わず目をイオリと正反対の場所に向ける。
「前はほぼ毎日かあいても一日おきくらいに本部に顔出してたのに、五日も来てねえだろ? 本部を避ける理由となると、残念なことに俺の用件しか思いつかねえ」
「……う、いや、別にそういう訳じゃ。引越しの片付けとかもあって……」
 ごにょごにょと口の中で言い訳してみる。事実それもあったが、概ね正解だ。
 ここで広場まで辿り着いた。少し広場に入った街灯の下で、どちらともなく立ち止まる。
「悪かったな」
「えっ?」
 思いがけず謝られ、瀬奈はイオリを見上げた。彼は苦い顔をしていた。
「迷惑だったんなら、そう言ってくれりゃ良いのに」
「そ……っ」
 そういうわけじゃない、と言おうとして、ふいにアンジェリカの言葉が頭によぎる。
 ――返事を先延ばしにしてる方が、よっぽど失礼よ。
 ああ、本当だ。アンジェリカの言った通りだ。
(返事もしないで逃げて、何てひどい真似……)
 気付いたら胸がずきりとした。自分が告白した側だったら傷ついていたに違いない。
「ごめん……」
 何だか無性に泣きたくなってきた。
 相手のことも考えないで、先延ばしして。自分が最低な人間な気がして、消え入りたい気持ちになる。
「……ほんとに悪かったよ」
 幾分沈んだ声が上から降ってきて、ごめん俺ここで帰るは、とイオリが踵を返す。
 その背中をぽかんと見つめてから、慌てて追いかけて腕を掴まえる。
「あの、違うの! ごめんって、そっちの意味じゃなくてっ」
 答えは相変わらず分かっていないのだが、寂しげな背中を見たら引き止めずにはいられなかった。
 無言でこちらに視線を向けるイオリに、勢い込んで捲くし立てる。
「あのねっ、別に避けてたっていうか、まあ避けてたのもあるけどっ、迷惑だからとかじゃなくてねっ。イオリって、私の中じゃ今まで迷惑かけてた友達って括りだったから、その、どうしたら良いか分かんなくて悩んでたの。曖昧なのに顔出すなんて出来なくて……その……」
 何を伝えたいのか自分でもさっぱり分からなくなってきて、ますます泣きたくなってくる。
 じっと聞いていたイオリが、静かに口を挟む。
「じゃあ、結論は?」
「分かんない……。だから、ごめん」
 ああ、どうしよう。こんな答えじゃきっと納得なんてしてくれない。どうしよう。これで嫌われたら……。
 想像したら、鼻の奥がつんとした。
 イオリは思案げに首を僅かに傾げ、また問いを口にする。
「それなら、前がその括りなら、今は俺のことどういう風に思ってる?」
「え? 今?」
 瀬奈は目を瞬き、考え込んで慎重に返す。
「そうだな……、短気ですぐ怒るけど、面倒見良くて、だからつい頼っちゃって。良い友達だなー、とか」
 だからそれだと答えになっていないのだと気付き、瀬奈は慌てて付け加える。
「でもねっ、一緒にいると何だかほっとするのよ! 落ち着くっていうのかな。ええと、だから……」
 だんだん声が小さくなって、結局黙り込んだ。
 すると、そのまま場に沈黙が下りた。
 こういう沈黙は苦手だ。静けさが重苦しい。
 瀬奈は恐る恐るイオリの反応を伺う。もしやあまりの曖昧さに呆れるか怒るかしているのだろうか。
 そう思ったのに、何故かイオリは右手で顔を覆って横の方を向いていた。どこかで見た光景だ。
 少し考えて、告白した時もこんな態度を取っていたことを思い出した。照れてる? ――そんなまさか。
「……イオリ?」
 訝しく思って問いかけると、ますます横を向かれた。
 思わずムッとする。
「ちゃんと答えてるのに、何でそっち向くの?」
「だってお前、それ、相当殺し文句……っ」
「はあ?」
 瀬奈は思い切り眉を寄せた。
 何を言ってるんだろう。一体どの辺が?
「私は思ってることそのまま言っただけだよ。ねえ、聞いてるの? ちゃんとこっち向いてよ!」
 人と話す時は顔を合わせて話すって親に言われただろうに。聞いていない気がしてイラッとしてしまい、掴んだままだった腕を引っ張る。
 と思ったら、逆に引っ張り返された。その勢いのまま抱き締められる。
「!」
 びっくりしたのも束の間、瀬奈はボッと顔を赤くした。手から買い物袋が落っこちて、ドシャッと嫌な音を立てて地面にぶつかる。ああ、夕飯の魚がっ。
「え、えええ、イオリ!?」
「もういい、埒あかねえ」
「は!?」
 何が!?
 未だ嘗て無い状況に、目を白黒させてすっかり狼狽していると、そのままでイオリが訊いてきた。
「考えても分かんねえんだろ? この方が手っ取り早い」
「意味が分からないんですけど!」
 慌てすぎて舌を噛みそうになる。ぐるぐると目が回ってきた。
「んじゃあ訊くけど、こうされて嫌か?」
「――え」
 そう訊かれると、別に嫌ではない。見知らぬ男とすれ違う時のような微妙な居心地の悪さも、嫌悪感も何も無い。
 何だかあったかくて、不思議と落ち着く。
「……嫌じゃ、ない」
 自分でも驚いたことに、それが答えだった。
「だったら、俺のことが好きってことだ」
 パッと身を離し、イオリはにやりと笑って言い切った。
 瀬奈はそれを顔を赤くしたまま唖然と見つめ返し、彼の言う通りなのだと思った。悶々としていたのが嘘みたいにすとんと落ち着いて、すっきりしている。
 イオリは晴れ晴れとしたようなそんな様子で、真面目な顔になる。
「折角だからもう一回訊くな。セナ、俺と付き合ってくれないか?」
 瀬奈はそんなイオリを見返して、自然と頷いた。
「――はい」


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