虹色のメロディ編 第三部 合宿編

十章 友達の作り方と乙女の憧れ  

 けたたましい目覚まし時計の音が朝を告げ、瀬奈は布団から手だけ出して、うろうろとさ迷わせて時計のベルを止めた。そしてもそもそと身を起こし、ベッドから降りてふらふらと洗面所に行き、顔を洗い、着替え、朝食を作って食べながら、ふと思い出した。
「あ、そういえば付き合うことになったんだっけ」
 ヴェルデリアにも米のような食べ物がある。日本の物ほどおいしいものではないが、リゾットや炒飯程度ならおいしく食べられる。そのリゾットを頬張っていたらようやく頭が覚醒したのだった。
 何だか、いまいち実感が湧かない。
 三口ほど食べてから、首を傾げる。
「付き合うって、例えばどういうことするんだろ?」
 日本にいた時に見た映画やドラマなら、デートして、手を繋いで、キスをして、とかそういったパターンだったけど。
「うーん、でもそれ以外って何」
 日本にいた時は友人で付き合っている人といえば、幼馴染同士で付き合っている子くらいだった。だがノリが仲の良い友達な感じだったので参考にならない。
 むぐむぐとリゾットを食べ、お茶を飲み干し、そうだと頷く。
 何事も挨拶が基本だってお母さんが前に言っていたじゃないか。
 思いついたら即行動だ。瀬奈は食器を片付けると自室に向かい、通信機を取ってメール機能で「おはよう」とだけ送ってみた。そういえば今までこういうことってしたことないし、良いかもしれない。
 するとすぐに同じく「おはよう」とイオリから返事が返ってきて、何だかとても満足した。
 うん、なんか良いなこういうの。
 とても付き合っているという感じがした。


 アカデミーに行き、イオリと付き合うことになったとアンジェリカとレクに報告したら、二人とも喜んでくれた。付き合うのは瀬奈なのに、何だか不思議だ。
 特にアンジェリカの喜びようは凄まじく、勢い余って抱きつかれた。カエデもそうだが、どうもこの国の人は感情表現する際のスキンシップが時々激しい。毎度のことではないので助かっているのだが、そういうスキンシップはどうしても苦手だ。瀬奈は内心慌てているのに、アンジェリカはお構いなしである。
 それはともかく、恋愛についてはアンジェリカに聞くのが良さそうだったから、また昼休みにご飯を食べながら聞いてみた。
「今一よく分からないんだけど、付き合うってさ、例えばどうするの?」
 今日はレクも一緒だったから、屋上の床の上に座り込んで弁当を広げていた。
 予想外の質問だったのか、アンジェリカもレクもぽかんとした。
「どうするって、一緒にいて楽しければそれでいいでしょ。まあちょっと駆け引きとかあるけど、セナには無理そうだし」
 アンジェリカがあっさりと言った。
「一緒にいるったって、イオリは仕事で忙しいよ?」
 思ったことをそのまま口にしたら、アンジェリカは小首を傾げ、さらりと返す。
「それなら休みの日に一緒に出かければ良いじゃない」
「そんな感じで良いの? 周りで付き合ってる子ってあまりいなかったから、よく分かんないんだよね」
 こっちの人もそんな感じなのかあと半ば感心する瀬奈。どこに行ったって、きっと人との付き合い方はそんなに変わらないのかもしれない。
 そういうことなら、特に気負わずのんびり構えていれば良いかあと、呑気に考える。友達から恋人に昇格しただけで、生活はそんなに変わらない気がした。何故って、瀬奈もイオリも趣味一直線なところは似た者同士だから。
「あ、そうだ。レクって誰か付き合ってる人とかいるの?」
 急にレクに矛先を向けたら、油断しきっていたらしいレクは驚いてむせた。
「げほっ、何、急に」
「アンジェリカに恋人がいるのは知ってるから、レクはどうかと思って」
「いるわけないだろ。飛び級してるから、同年代いないんだぜ?」
 言われてみればそうだ。
 アカデミーの入学年齢は十八歳からだ。飛び級のような例を除けば、一番低くて十八歳になるはずだ。
「そっか、そうだった。レクって頭良いもんね。天才だってクラスの子が話してたよ。すごいね」
 思い出して、瀬奈はそんな子と友達であることに誇りを覚えた。
「そう? それならセナの彼氏だって天才じゃないか。十七で働いてたんだろ?」
「ああ、ほんとだ。イオリって天才だったんだ、びっくり。あの人、短気だし口悪いからなあ、全然そんな風に見えないけど言われてみればそうだね」
 今更ながら気付いた事実に、我ながら驚愕する。天才。これほどイオリにしっくりこない単語は初めて聞いた。『尊敬』と『敬語』並みにそぐわない。
「気付くの遅すぎよ」
 呆れた声で突っ込むアンジェリカ。
「ちょっと待って。言われてみると、周りの人って皆天才ばっかじゃない。第五警備隊の人達は皆そうだし、ヒルとヨルだって十二才で第六研究所勤めだし。私だけ平凡すぎよね!?」
 第五警備隊隊員は『個性的』らしいからともかく、年下の友達までそんな調子だった。思うに、アカデミーで出来た友達のアンジェリカが一番瀬奈に近い位置にいる。
 何だか親しくして貰ってて悪い気がしてきた。何て良い人達なんだ。
「誰、ヒルとヨルって」
 アンジェリカが口を挟み、瀬奈は笑顔で答える。
「私の友達。双子でね、ヨルがお兄さんでヒルが妹なの。二人とも、レクと同じ歳だよ」
 分野は違うけど、意外にレクと気が合いそうだなと気付く。特にヨルの方と合いそうだ。
「へえ、そんな奴らがこの街にいたんだな」
 驚き気味に目を丸くするレク。
「たまに悪戯したりするけど、良い子達だよ。妹か弟みたいで可愛いの」
 頬を緩ませて力説する。
 元の世界で弟の面倒をみていたせいか、年下は皆可愛く見えてしまう。弟か妹だったら良いのに、という目でつい見てしまう。ただし、レクのことはそんな風に見てないから安心して欲しい。クラスメイトだからか、完璧に友人の括りだ。
「ふうん、ちょっと会ってみたいな」
 レクにしては珍しく、誰か他人に会ってみたいと希望混じりの呟きをした。
「もし機会あったら紹介するよ」
 だから友人としては出来るだけ希望は叶えてあげたいので、そう言ってみた。折を見て二人に話してみよう。あの双子達とは放課後に遊びに行くことが結構多いし、すぐにまた会うだろうと思った。


 そんなことを考えていたからだろうか、放課後、ホームルームが終わってすぐに双子達が押しかけてきた。
「「セナーっ!」」
 灰色の髪をした、目の色だけが違ってあとはそっくりな双子達は教室の戸口で名前を叫んだ。ヒルが濃い緑色、ヨルが青灰色の目をしている。二人はぎょっとして振り向いた瀬奈を見つけると飛んできて、その勢いのまま抱きついてきた。
「「久しぶりー!」」
 同時に口を開く二人。
「久しぶりって、三日前も会ったじゃない」
 瀬奈はちょっと驚きながら、双子達の肩を軽く叩く。ぱっと離れた双子はよく似た顔でにーっと笑った。
「「じゃあ、三日ぶり」」
 悪びれなく言い切る二人。
「二人とも、どうやってここまで入ったの?」
 このアカデミーは出入り口が決まっていて、どこから入るにしても許可証を持ってないと扉が開かない。生徒ならば学生証を持っていれば出入り可能だ。
 双子は顔を見合わせて、それからそれぞれ言う。
「出入り口の警備員さんに頼んで入れて貰ったんだ」
「友達に会いに来たって言ったら良いよって」
「ああ、そうなの」
 警備員もこんな無邪気そうな子供相手に大人な態度には出られなかったようだ。後でお礼を言っておこう。
 瀬奈は、ざわつきながらだんだん帰っていって人気の無くなっていく教室内を一瞥してから、教材を入れたトートバッグを肩にかける。クラスメイト達の好機の目がちょっとだけ気になった。
「ねえ、その子達が昼に話してた子?」
 早速アンジェリカがやって来て、そう聞いた。頷いたら、フレンドリーに双子達に挨拶する。それに双子も返す。
「レク、この二人がそうだよ」
 輪に入って良いのかと様子を伺っていたレクを呼び寄せる。レクはどうも少しだけ人見知りが入っているみたいなのだ。
「二人とも、私のクラスメイトのレクだよ。あんた達と同じ歳よ、すごいわよね」
 そう言うと、双子は揃って目を瞬かせた。物珍しげにじろじろとレクを観察する。
「レクだ。よろしく」
 そっけなく名乗るレク。双子もそれに返す。
「ってことは、機械工学かあ。僕らとは分野が違う」
「私達、科学だもの。でも同い年って初めて会ったわ」
 珍しそうに観察していたヨルの目が、だんだんキラキラと輝きだす。二人とも人懐こい性格だが、ヨルはヒルよりずっとその傾向が強い。同い年で飛び級しているような少年に会って興奮気味だ。
 ヨルはレクに近づくと、あれこれ話しかけた。何でその歳でこの学校に? とか、出身どこ? とか。レクもレクですぐに打ち解けたのか、楽しげに答えたり質問を返したりしている。
「あれま、楽しそうね。やっぱ同性の友達って必要みたいね」
 アンジェリカが知ったような口調で言い、ヒルに問う。
「あなたは良いの? 混ざらなくて」
「私はいい。男の子って苦手なの」
 言われてみれば、いつの間にかヒルは瀬奈の後ろに隠れるようにしていた。
「何で? レクは良い子だよ?」
 ヒルはぶんぶんと首を振る。
「男の子はがさつで乱暴で酷いの。灰を被ったみたいな髪だとか、見透かしたみたいで気持ち悪いとか言うのよ」
 固い口調で言い切るヒル。どうやら嫌な思い出でもあるらしい。
「そりゃあそう言った人が悪いんであって、皆がそうじゃないのに」
「分かってるわ。でも苦手なの。近づきたくないの」
 かたくなに言い募られ、瀬奈は説得を諦めた。それなら仲良くするように勧める方が酷だろう。
「そういえば、ヒル達はどうしてここに来たの?」
 ふと思い出して訊く。瀬奈の住んでいるアパートに来ることはあっても、アカデミーまで訪ねてきたのは初めてだったのだ。
「近くに新しいケーキ屋が出来たから一緒に行かないかなって思って。あと、お兄さんとのこと、おめでとう」
 ヒルはにっこりした。
「ありがとう。えーと、誰に聞いたの?」
「カエデだよ。何だか第五警備隊の本部、大騒ぎしてたわよ。どうしてか隊長と副隊長が特に喜んでた」
「………何で?」
 どうしてあの二人がそんなに喜ぶのか分からないのだが。
 するとヒルもそう思ったらしく、ちょっと困った顔をした。
「さあ。お兄さんも分かんないって、メールで言ってた」
「ふーん……」
 イオリでも分からないのなら、瀬奈にはさっぱり分かりっこない。
「あとお兄さんと言えば」
「ん?」
「ケーキ屋の話したら、自分も行くって。今日だったら奢ってくれるらしいんだ、良いよね? あと多分、正門前にいると思う」
 いつの間にか行くことが決定してるのね、と思いながら聞いていて、最後の部分を聞いて瀬奈はぎょっとした。
「へ!?」
 驚きついでに窓から正門側を見る。
 女生徒達が正門より校舎側にたむろして、きゃあきゃあと騒いでいる。その指の先、通信機を見下ろして門前に立っている人影が一つ。
「おっ、あれが彼氏!? 何あれすっごい美形じゃないの!」
 アンジェリカが声を張り上げた。
「えっ、アンジェリカ。顔知ってるんじゃなかったの?」
 むしろそっちに驚いた瀬奈である。
「私が見たのは後ろ姿よ! なーに、やるじゃないの、大人しそうな顔して」
 言うなり、アンジェリカはがしっと瀬奈の腕を掴んだ。
「是非とも紹介してもらおうじゃないの、さあ行くわよっ!」
「ええっ! ヒルっ、ヒルも行こう!」
「わっ、ちょっと速いよ二人とも!」
 瀬奈は巻き添えにヒルの腕も掴み、アンジェリカの勢いに引っ張られるまま教室を後にした。
「あ、やばっ。じゃあね、レク。後で連絡してもいいだろ?」
 教室を出て行く三人を見て焦ったヨルだが、すぐにレクを振り返って訊く。折角友達になれそうだったから、通信機の番号やアドレスを交換したところだった。友達っていうのはそうして始まるものだと、第六研究所の同僚である年配の男が教えてくれたのだ。実を言うと周りは年上ばかりというのもあって同年代の友達は一人もいないから、嬉しかったのだ。
「勿論。また後で」
 レクも笑顔で返す。
 ヨルはそれに頷いて、片手を軽く振ってから教室を飛び出した。


 薄茶の髪の少女に引っ張られて出てきて、引きつり気味の笑顔で挨拶する瀬奈に挨拶を返してから、イオリはメンバーが足りてないことに気付いて問う。
「ヨルは?」
 すると後から追いついたヨルが少し息を切らし気味に答える。
「ここだよ」
「ああ。お前ら、二人揃ってねえと変な感じするんだよな」
 一人ごち気味に呟いたところで、何故か薄茶の髪の少女が身を乗り出した。
「初めまして! 私、アンジェリカ。セナの友達。あなたがセナの彼氏で合ってるのよね? どうぞよろしく!」
「ああ、合ってる。イオリ・レジオートだ、よろしく」
 軽く握手を交わしてから、不思議に思って瀬奈に問う。
「なんだ、このアカデミーはこんなに騒がしかったか? 外で立ち話なんて、寒くねえのかよ?」
「いつもはこんなに騒がしくないんだけどね」
 空笑いを浮かべて答える瀬奈。
「イオリ、あんた顔だけは良いってこと分かってんの?」
「ああ? どういう意味だてめえ。まあ分かっちゃいるが、どうでも良い事項その一だな。歳とりゃ皆おんなじだ」
「や、そうだけど……。まあいいや」
 色々説明するのも面倒になり、瀬奈は諦めの溜め息をついた。第五警備隊にいることが多いから忘れがちだが、この人結構もてるんだった。
「じゃあね、セナ。頑張ってね!」
 うふふ、目の保養になったわあと呟きながら、アンジェリカはにこにこと瀬奈の背中を叩く。
「はあ? 何を?」
 目を白黒させながら、瀬奈は振り返るが、同時にギャラリーの女生徒達が目に入って何だかちょっとムカムカした。珍獣でも見るみたいな目が何だか嫌だ。
「行こう、三人とも」
 ヒルの腕を掴んだまま、瀬奈はすたすたと歩き出す。
「あの、セナ」
「何?」
「ケーキ屋、あっち」
「あ」
 思わず自宅方面に歩こうとしていた。危ない危ない。


「そういやあさ、そもそもイオリって甘いもの食べられるの?」
 ケーキ屋はメインストリートから少し外れた通りにあるらしい。そちらへ歩きながら、根本的な疑問を覚えて瀬奈はイオリを振り返った。
 ヨルと何か話していたイオリは、瀬奈の問いに「まあな」と短く返す。
「あんま言いたくないんだが、実は俺、甘党なんだよ」
『ええっ!!?』
 くしくも瀬奈と双子の声がはもった。
「食べられる、じゃなくて、好きなわけ? いっつもあんな黒いコーヒー飲んでる癖に?」
「ありゃあ眠気覚ましで飲んでんだ。ま、コーヒーはブラック派だけど」
「そうなんだ……!」
 瀬奈は愕然とした。そういう甘党もいるのか!
「ケーキ屋なんて俺一人じゃ入れねえからな、こいつらが行くって言うから便乗しようかと思ってさ。弟と妹に付き合ってという感じで抵抗感が減る」
 付け足された理由に、なるほどこの二人は緩衝材かと瀬奈は頷く。確かに、それならずっと店に入りやすいだろう。
「別に、一人でも入ればいいじゃんか。変なの」
 ヨルが心底不思議そうに言う。
「バーカ、あんな女の客しかいねえようなとこに男一人で乗り込めるかっ」
 最もな意見を返すイオリ。
「面倒臭い人だね、お兄さんて」
 しみじみと呟くヒル。
「るせーぞ。奢らねえぞ、お前ら」
「わっ、ごめんってお兄さん!」
「心狭いよ、お財布さん!」
「誰が財布だ!」
 ヒルが謝り、ヨルがさりげなく馬鹿にし、イオリはそれに怒る。
 相変わらず、イオリは双子に遊ばれている。
 面白い光景だとつい吹き出してしまい、いつものようにじろりとイオリに睨まれたので慌てて何も無い風を装う瀬奈。しかし目が合ったらまた笑えてきた。
「あ、あー、あれがそのケーキ屋?」
 微かに笑いつつ、慌てて話を反らす。
「語尾震えてるよー、セナー」
 にやにやと指摘するヒル。
「ちょっ、笑いが止まらなくなるからやめて」
 あらぬ方に顔を向け、手だけをヒルの方に向けてブンブン振る。
「だーっもういい。とっとと店に入るぞ!」
 ぐだぐだな雰囲気にイオリが痺れを切らし、双子を促して店に入った。


 茶と黒と白をメインカラーにした落ち着いた佇まいのケーキ屋のケーキはどれもおいしそうだった。たまに隅の方のケーキのクリームがオレンジ色をしていたりピンク色をしているのを除けば。
 出来るだけそちらを視界に入れないようにして、瀬奈は適当に二つ程選ぶ。ヒルとヨルが怪しい色のケーキをおいしそうと言って選んだのには正直止めに入るべきかで悩んだが、ここでは普通のことなのかもしれない。着色料というよりは果実色だから天然物なのかも?
 それはそれでどうだろうと思いながら購入し、瀬奈の家で食べてから解散になった。
 双子を自宅まで送り届けた帰り道、イオリと並んで歩きながら瀬奈は少しほっとしていた。
 ヨルの話だと、どうやらレクと友達になれたみたいだった。どちらも同年代の友人がいないから、心配していたのだ。特に付き合いの長いヨルの方はそうだ。双子で気の合う兄妹だからか二人は友達のいない環境を問題視していなかったが、周りから見ればやっぱり心配になる。友達っていた方が断然楽しいし。
「絵、結構増えてたな」
 ふいにぽつりとイオリが言った。
 急に何だろうと瀬奈はそちらを肩越しに見上げる。絵といえば、瀬奈の家のリビングの壁に雑然と立てかけていたあの絵たちのことだろう。協会で働くようになってから、画材を集めて描き始めた油絵たちだ。
「まあ、趣味だしね」
 最近の題材は、忘れないうちに描いておこうと思い、主に故郷の光景や家族の絵だ。忘れたら嫌だから描いていたのだが、不思議なことにここにいる時間が増える程に鮮明に思い出せるようになってきた。本当に不思議だ。
「……やっぱ寂しい、よな」
 疑問で訊こうとしたのを無理矢理確定に変えたみたいなぎこちなさで、イオリが言う。
 うーんと瀬奈は少し考えて、
「そりゃあ寂しいよ、特に弟に会えないのがね。もうほんっと可愛い弟なのよ!」
「お、おう」
「でももう慣れたよ。それに私って結構ついてるし。なんだかんだで生活できてるから、ほんと感謝だよねえ」
 そう考えてみると、ここで初めてイオリに会って、第五警備隊に連れてかれて、スパイと勘違いされて牢屋に放り込まれた思い出もちょっとはマシに思えた。まあ、ハティナーだったから優遇されたっていうのが大きいみたいだが。
 瀬奈はちらりとメインストリートを行き交う人々に視線を投げた。カップルに目がいって、ここでも手を繋ぐのかと気付いて、なにげなくイオリの手をじっと見る。周りから、あんな風なカップルに見られていたりするのだろうか。
「それがどうしたの?」
「絵が増えてたから、寂しいのかと思っただけ」
「ここの絵だって描くよ」
 それでちょっと心配してくれたのかと思うと、少しおかしい気分になる。故郷の絵イコール郷愁と見られていたのか。まあ半分はそうだけどさ。
「なんだったらイオリも描いてあげようか?」
「げっ、俺はいいよ。カエデでも描けば」
 “でも”ってカエデに失礼だと思う。
「ねえ私達って付き合ってるんだよね?」
「ああ、昨日からな。何だ、いきなり」
 ちゃんと肯定されて、安心する。それならば問題ない。
「じゃあ。えい」
 ひょいとイオリの左手を取った。面食らったようにそれを見て、イオリが立ち止まる。
 相手が驚くと、こちらは妙に照れるらしい。ごまかすように笑って言う。
「付き合ってるんだから、いいでしょ。乙女の憧れってやつよ」
「そういうことなら協力するぜ」
 にやりと口の端で笑うイオリ。
 それから再びメインストリートの人の波に乗って歩き出しながら、イオリはちょっと意外そうに言う。
「お前ってこういうの苦手なのかと思ってた」
「手、繋ぐの?」
「他人との間に距離ねえと落ち着かないみてえだし。ほら、カエデが抱きついたりすると妙に慌てるじゃねえか」
「だってハグの習慣なんてなかったし、そもそも距離感大事にする国柄で育ったからなあ」
 はっきり言うと過度なスキンシップは苦手だ。
 イオリはふーんと考え込んだ様子で呟いて、それからしばらく無言で通りを歩き、ふと思いついたように訊いてきた。

「ところで“乙女の憧れ”ってやつ他にもあるのか?」
 
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