水の都、水上都市、水路の街。そんな色んな呼び方をされているのが、ここ、第四都市バーレだ。ヴェルデリア国きっての工業地帯であり、更に付け加えるとイオリとカエデの地元だ。
色調を白と青で統一しているようで、近代的な建物なのに白い壁と青い屋根、もしくは水色の壁と青黒い屋根というような、モダン的な雰囲気のある街だ。街の上流にある湖からの水が水路に流れ込み、側の海に流れ込んでいる為、僅かに潮の香りがする。青灰色をした雪の似合うどこか寂しげな街並みであるフィースと違い、陽気で明るい町だなと思う。
(ここがイオリとカエデの住んでた街かあ。へえ、へえええ)
知り合いが住んでいた街というそれだけで好奇心が三倍にまで膨れ上がる。モノレールの着いたバーレ駅の駅舎から、頬を緩めて好奇心いっぱいにきょろきょろと外を見ていたら、アンジェリカが呆れたように口を出した。
「やあねえ、子供みたいにきょろきょろしないでよ。一緒にいる私まで田舎者扱いされちゃうでしょー」
「だって初めて来たんだもん」
瀬奈が口を尖らせると、アンジェリカは物珍しいものを見る目つきになった。薄茶色のぱっちりとした目を更に丸くする。
「初めて? そんな人いるの? うちの国一番の観光都市なのに」
バーレの呼称に新しいものが一つ加わった。
「機械好きなら一度は来てる街でもあるよな」
レクがそっと言い、瀬奈は目を瞬く。
「そうなの?」
「工業都市だからロボットの製造所も多いし、何より造船所もあるから。この国には大きな港ってこの街にしかないから珍しいんだよ。でも、部品なんかを揃えるんなら機械都市の方が良いかな。あっちの方が学会もよく開かれてるし」
「ふーん……」
瀬奈はそう言いながら、機械都市って首都のことかなと首をひねる。初めて聞く呼称だが、学会がよく開かれる場所といえば首都だ。イオリがよく学会の話をしている。
「観光都市で工業都市で造船所が有名って、何だか色々とおいしいとこ取りした街なのねえ」
瀬奈は感心しきりで頷く。が、アンジェリカは首を振る。
「順番が違うわ、セナ。造船所があるから観光都市になったのよ。そうしたら裕福になって自然と工業都市として栄えたの」
「なるほど」
アンジェリカの説明をうけ、瀬奈はすごく納得した。
「あんたって変なとこで世間知らずよね。もしかしてすっごい良いとこのお嬢様とか言うんじゃないでしょうね?」
アンジェリカがにじり寄ってきて、瀬奈は慌てて両手を振る。
「まさかっ、ごくごく普通の一般家庭だよっ。むしろ田舎かも?」
「……そっか、田舎者だから世間知らずって可能性もあるか」
何やらぶつぶつと呟くアンジェリカ。田舎者呼ばわりってとても失礼だと思う。
「そういえば二人ってどこ出身なんだっけ? やっぱりフィースなの?」
「私は双子都市のお兄さんの方よ」
「イオルのこと?」
第二都市イオルと第三都市ドーラを思い浮かべながら、瀬奈はアンジェリカに問い返す。アンジェラは鷹揚に頷いた。
「そうよ。一人暮らししたくて出てきたの。フィースなら隣街だし、田舎だから治安も良いし、親も渋々オーケー出してくれたわ」
にやりと口の端を上げるアンジェリカ。してやったりと言わんばかりの態度に、流石アンジェリカとよく分からない賛辞を心の中で呟く。
「俺はフィース生まれのフィース育ち」
レクが横からぽつりと言い、そうなのかと瀬奈は頷く。
そこで合宿に来たアカデミー生を迎えに来たバスが到着したので、大きめの鞄を荷物入れに放り込んでから座席に乗り込んだ。このバスも空遊車と同様、空気の力を利用して宙に浮いている。振動がないから変な感じだ。
第三警備隊本部に到着すると、まず宿舎へと案内された。建物の色合いや石材が少し違うくらいで、造りは第一警備隊本部の宿舎とよく似ていた。第五警備隊の本部は、本部自体が小さめの造りなので、本部の二階が宿舎スペースだから共通点がない。こちらは宿舎自体が別棟で建てられているのだ。
宿舎の割り当てられた部屋に荷物を置くと、すぐに部屋を出て、本部の会議室の方に向かう。そこで研修内容や宿泊での注意点などを聞かされてから、あらかじめ決めていたグループに分かれて研修に向かう。
グループは一つ五人で、瀬奈のいるCグループにはアンジェリカとレク、それから茶色い髪と焦げ茶色の目をした背の高いカエナという少年、そしてミーガンという名の薄緑の髪と茶色い目の少女がいる。この国には緑色や青色の髪の人が普通にごろごろしているから不思議な感じだ。染めているわけではなく、地毛なのだから尚更。地球だと、緑色や青色という色素は髪には絶対に出ないと言われていたのに。
研修というのは本当に名目だけで、実際は職場の見学と、体験で簡単な修理をするくらいらしい。
Cグループ担当の第三警備隊所属警備隊員は、最初に行動予定をそう説明した。薄茶の髪と青灰色の目をした二十代の青年で、眼鏡をかけた、真面目を絵に描いたみたいな人だ。
「紹介が遅れたけど、僕はソオヤ・レジオートっていいます。機械士ではないけど、見学程度の説明なら出来るから安心して。――見た通り、本職の機械士は忙しいもので」
ソオヤは忙しそうに立ち働く機械士達に顔を向け、ひょいと肩をすくめた。
それから、全員に自己紹介をするように言い、バインダーに挟んだ紙をパラパラめくって確認して頷いた。
「なるほどね、大体分かったよ。――ふーん、なるほど、君が例の要注意人物か」
何やらソオヤが訳知り顔で言うので、瀬奈は目を瞬いた。
「はい?」
「要注意?」
アンジェリカが片眉を上げると、ソオヤは愉快気に口の端を引き上げた。
「いやあ、話は聞いてるよ。と言っても、カエデからだけど」
瀬奈は更に目を丸くして、それからあっと声を上げる。
「レジオートって、まさかイオリの親戚の方ですか?」
「親戚? 何、あいつ、僕のことを話してないの? 兄がいるとか聞いてない?」
「いいえ、全然。聞いているのは、事件と機械の話ばっかり。――っていうことは、お兄さん?」
瀬奈は思い切り呆れた。イオリはともかく、カエデもそんな話は一度もしていなかった。
「そう。といっても、二番目だけど。一番上にもう一人いる」
ソオヤはそう答えながら、やれやれと大きく溜め息をつく。そんなソオヤの前で、瀬奈は複雑な気分で、ちょっぴり怒り気味に呟く。
「ひどっ、お兄さんがいるならそう言ってくれればいいのにっ。私は弟の話をしたのにひどいじゃない。もしかして弟までいるとか言いませんよね?」
「いないよ、あいつが末っ子だから。――まあ、でもね、あの二人が僕の話をしないのも分かるかな。だって僕の話をしたら、必然的に一番上の兄の話もしなくちゃいけなくなるし」
「……?」
瀬奈は首を僅かに傾げた。もしかして一番上のお兄さんは亡くなっているのだろうか? それで話に出すのはタブーとか?
「ああ、悪いね。この話は仕事の後にでもしよう。まずは見学案内しないと」
よく分からない顔をしているカエナとミーガンに気付き、ソオヤは話を切り替えた。そして、まるで何も無かったかのように、見学を再開した。
* * *
通信機のコール音が鳴り、イオリはひとまず右手に持っていたプラスの螺子回しを置いて、通信機のボタンを押した。
「イオリ、ひどいよ!」
スピーカーモードにした通信機から、いきなり瀬奈の怒声が響いた。
「何だ、いきなり」
脈絡の無いなじりに、イオリは思わず通信機を凝視する。別に見たからといって、そこに顔が映るわけではないのだが、何となくだ。
「何って、お兄さんがいるんならそう言ってくれればいいじゃない! 何で黙ってたの? 普通、スムーズな会話って家族の話から入るものでしょ?」
「あー、そっか、お前第三警備隊に行ってるんだっけ? そこで兄貴に会った?」
「だからこうして電話してるの!」
どうやら相当お冠みたいだ。イオリは軽く溜め息をつく。
「兄貴の話はあんまりしたくないんだよ、面倒臭いから。ソオヤの兄貴は別だけど、その上がなあ」
別に隠していた訳ではなく、単に話すきっかけがなかっただけだ。
イオリの返事に、険のあった瀬奈の声が若干沈む。
「面倒臭いって……、家族のことなのに? もしかして嫌なこと訊いちゃった?」
「嫌っていうか、面倒なだけ。死んでるわけでも、犯罪者でも、いかれてるわけでもないから安心しろ。単に有名人ってだけだ」
「有名人?」
きょとんとした声がスピーカーから聞こえる。
「そう。だから、兄貴に関わると碌なことがねーんだ。ソオヤの方は別だ。あっちは俺ん家でもまともな部類。もしかしたら一番マシかもしんねえ」
自分の家族を思い浮かべ、イオリは乾いた笑いを漏らす。ちなみに、イオリの見解では、イオリはソオヤの次にまともだと思っている。常識人という意味でだ。
「確かに、イオリよりは真面目そうかな」
小さく吹き出してから、瀬奈は付け足した。
「っせえ、俺だって真面目だ」
「………」
「何で黙る?」
「えっ、いやあ別に何でも。まあ確かに仕事熱心ではあるかもね。性格は置いといて」
「………」
今度はイオリが黙った。ときどき、瀬奈はさらりと失礼なことを言う気がする。
「そんなに気になるんなら、戻ってきた時にでも教える。というか見せる。その方がてっとり早い」
「分かった、じゃあ教えてよ。絶対だからね」
「ああ、絶対だ」
イオリが約束すると満足したらしく、瀬奈は仕事頑張ってと付け足してから通信を切った。
「……兄貴か。嫌な予感しかしないな」
一番上の兄を脳裏に浮かべ、イオリは僅かに頬を引きつらせて呟いた。
* * *
――見せる?
通信を切ってから、瀬奈は首を傾げた。
“紹介する”とか、“会わせる”ならともかく、“見せる”? 写真でも見せてくれるのだろうか。
「で、何だって?」
見学終了後、休み時間に入るなり通信機を取り出した瀬奈を遠巻きに見ていたアンジェリカは、通信が終わるなり近付いてきてそう問うた。
「帰ったら教えてくれるって。あと、見せるって」
「見せる? 画像データのこと?」
「さあ。イオリが家族の写真を持ち歩くようには見えないけど」
瀬奈はひょこりと軽く肩を竦める。今まで家族の話を出さないくらいには、イオリは家族に執着していないように思える。せいぜい、バーレの話がときどき出てくる程度だ。
「きっとお兄さんがすっごい問題人物なのね。そうじゃなきゃ、単に相性が合わないだけかも」
好奇に満ちた目で断定するアンジェリカ。瀬奈は首を傾げるしかない。
「さあ。でも、あんまり話したくないみたい。面倒臭いらしいよ。あとは有名人とも言ってたわ」
「有名人?」
アンジェリカはきょとんとして、瀬奈を見る。
「それって良い意味で? 悪い意味で?」
分からない、と瀬奈が返そうとしたところで、第三者が口を挟んだ。
「良い意味で、だよ。取りようによっては、若干、悪い意味も入るけど」
ソオヤだ。ロビーで話していた瀬奈とアンジェリカの方へ、紙束の挟まったさっきのバインダーと書類少々を抱えて歩いてくる。流石は兄弟だけあって、ソオヤも背が高い。恐らく180cmは越えている。眼鏡と真面目そうなところを差し引けば、結構ハンサムだ。イオリで見慣れているので特に何の感慨も覚えないが。
「イオリは何だって? ひどい悪口でも言ってた?」
「いえ、面倒臭いって言ってただけで悪くなんて……。あと、二番目のお兄さんは家族で一番まともとか」
ソオヤは軽く目を見開いた。
「それは嬉しい。ま、単に家族の中じゃ個性がないだけなんだけど。ほら、イオリもある意味個性的だから」
「……確かに」
瀬奈はしみじみと頷いた。不良じみているのに良い人だし、それに何より機械いじりが好きでいつも図面と工具が側にある。読んでる本だって機械工学の本ばっかりだ。そういえばアンドロイドが出てくる小説を読んでいたようだが、出てくる機械の構造が間違っているとかいちゃもん付けていたなあ。
「顔はあの通り良いんだけど、柄は悪いし、口も悪いし、それに短気だ。君、よく付き合う気になったね?」
すごく不思議そうに訊いてくるソオヤ。
が、瀬奈が答える前に、アンジェリカがにやりとして口を挟んだ。
「あら、でも顔の良さって大事よ? あれだけ顔が良ければ、短所なんて些細なものよ。暴力を振るわれなければ、全然オーケーだわ」
「イオリは短気ですぐ怒るけど、手を出すことはしないよ? その辺は流石は警備隊員だって思うかなあ。確かに柄悪いけど、良い人だし。顔については良いと思うけど、あんまりよく分かんない。出会い方が最悪だったから」
ソオヤが目を瞬く。
「それってどういうものか訊いても平気?」
瀬奈は頷いて答える。
「スパイと間違われて、第五警備隊の留置所に放り込まれたの」
「……それは確かに最悪ね」
アンジェリカは思い切り顔をしかめた。想定外だったみたいだ。
「でも誤解も解けて、今じゃ第五警備隊の人達とも仲良いんだ」
「なるほど。それであんた、しょっちゅう第五警備隊に行くわけね。やっと納得したわ」
ソオヤは呆れ果てた顔をしたが、すぐに申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「それは……。すまない、うちの愚弟が迷惑かけて」
「もう二年も前の話だから、気にしなくて良いですよ。それでどこが良い意味で有名人なんです?」
「いや、あいつから話すまで黙っておくよ。確かにイオリの言う通り、兄さんのことは面倒臭いから」
首を傾げ、瀬奈はアンジェリカと目を合わせる。
「兄さんとイオリは顔が似てるってだけ言っておくよ。そうすれば何がどう面倒臭いか大体想像つくだろう?」
ソオヤの問いかけに、瀬奈は黙って考えた。顔を問題視するってことは、女性関係なんだろうか? 確かに、黙って街角に立っていれば、Gが頭文字につく虫をおびき寄せるホイホイ並みには女の子が寄ってきそうだ。で、イオリだったらそこで一睨みすれば皆逃げる。
「目つき悪いんですか?」
瀬奈の問いが意外だったようで、ソオヤは拍子抜けした顔をして、ぶんぶんと首を振る。
「違う、その逆。愛想の良いイオリを想像すればいい」
「……それは確かに面倒臭いかも」
想像した瀬奈は、眉間に皺を寄せて重苦しく呟いた。つんけんした態度でもモテるのだ、愛想が良かったら一体どうなるんだ?
「ええ、厄介だわ」
同じ意見に辿り着いたアンジェリカもまた、酷く真面目な顔で呟いた。