虹色のメロディ編 第三部 合宿編

十三章 兄 

(イリスって結局のところ何者なんだろう……)
 第四都市バーレから第六都市フィースへと向かうモノレールの中、窓から外をぼんやりと眺めて、瀬奈は内心で呟いた。
 ヴェルデリアの六つの都市は平原部にあるから、視界を通り過ぎていくのは平原の殺風景な風景ばかりだ。時折、小さな村や小さな畑がぽつぽつと存在している程度である。
 この国は都市部に人が集中していて、平原部に見かける村は、都市に住むのが嫌で外に居を構えた者や、空気の綺麗な土地で静かに暮らすことを望んだ者が自然に集まって出来たらしい。都市にはそれぞれ作物生産地区があって、工場で野菜などを育てているから、農家に頼る必要がないのだ。だから畑を見かけても、それは趣味の範囲なのである。
 瀬奈は一昨日のことを思い返した。
 あの後、タクシーで第三警備隊の本部に戻った。事情を話すわけにもいかず、迷子になったからタクシーで戻ってきたことにした。ちなみに六時集合だったのに三十分も遅刻してしまい、教師からの注意を受けるはめになった。
 イリスのことは考えてもさっぱり謎なので、悩んでも仕方がないことなのだが、また会ったのだから本当に無関係ということもないのだろうと思う。どの辺に関係しているのか、瀬奈には不思議でならないけれど。
 それからもう一つ引っかかっているのが、助けてくれたお気楽そうな青年のことである。
「うーん、どっかで見たような顔なのよねえ……」
 どこで見たんだろう。思い出せない。
「どうしたの、難しい顔して」
 向かいの座席に座っていたレクが不思議そうに首を傾げた。
「いやぁ、こっちのことなんだけどね。ちょっと思い出せないだけ」
「ふーん?」
 レクは目を瞬いて、まあいっか、というように視線を四角い文庫本サイズの媒体に戻す。書籍データの保存と再生が出来るツールだ。紙の本もあるが、たいていの人間はこちらを利用している。……使い方が謎なので、瀬奈はもっぱら紙の本で読んでいる。
(なんなんだろうなあ……)
 出てきそうで出てこない、この微妙なじりじり感。
 瀬奈はこめかみに、両手の親指をぐりぐりと押しつけた。


 結局、思い出したのは第五警備隊でイオリに再会した時だった。
「あー! 誰に似てるのかと思えば、イオリだ!」
「……はっ?」
 挨拶も何もかもすっ飛ばし、いきなり指先を突き付けられて叫ばれ、イオリは唖然と声を漏らす。
 瀬奈はイオリの金髪とダークブルーの目をまじまじと見て、あの青年と同じ色合いだと思い、しきりに頷く。
「うんうん、やっぱりそうだ。いやあ、納得納得。もうさぁ、すっごいすっきりした。ありがと!」
「あ? 何言ってんだ、お前。頭でも打ったのか? カエデに診てもらえよ」
 イオリは同情の混じった顔で、受付にいるカエデを示す。
「失礼ねっ、頭がおかしくなったわけじゃないわよ。ちょっとあんたにそっくりな人を見たって話」
 瀬奈の切り返しに、イオリはたちまち嫌そうな顔になった。そして渋面のまま受付をちら見する。聞こえていたカエデもまた苦笑を浮かべた。
「?」
 微妙な空気を感じ、瀬奈はきょとんとする。
「セナ、その人ってもしかして、こんな顔じゃなかった?」
 ロビーの片隅にある新聞と雑誌置き場から雑誌を取ってきて、カエデはあるページを開いて見せた。
「え?」
 雑誌? と首を傾げつつ、そのページを見る。そこには、長い金髪を三つ編みにした、夜色の目をした綺麗な顔立ちの青年が立っている写真があった。
「あっ、そうそう、この人よ! ん? え? なんで雑誌に載ってんの?」
 というか、何でイオリにそっくりでここまで通じたんだ?
 若干混乱してきた頭でイオリを振り返る。当のイオリは妙にげんなりした顔をしていた。
「…………そいつだよ、俺の兄貴」
 そして、苦々しい声でぽつりと呟いた。

「ええー!?」

 瀬奈は目を見開き、雑誌を掴んで食いつくように見た。バッバッと写真とイオリを見比べる。
「……確かに、似てる。てゆか、ほんと、愛想のいいイオリだ! ソオヤさんの言った通りだ! すごい! 世界の神秘じゃないの、これっ」
 見比べているうちにだんだん笑いが込み上げてきた。顔立ちが似ているのに、何でここまでイオリは無愛想に育っちゃったんだろう。兄が派手すぎてこうなったとか? 理由を想像していたらますます笑えてくる。
「あ、あはははっ、やだもう何これ、楽しすぎる! 何でイオリってばそんなに無愛想なの〜? あははははは」
「だぁー、笑うなっ! だから教えたくなかったんだっ」
 イオリは威勢よく怒鳴った。恥ずかしさも半分あるのか、顔が赤くなっている。
 その隣で、何故か疲れた顔で溜息をつくカエデ。
「そうねえ、イオリとの性格の違いは驚くでしょうけど、あんまり笑えないのよねえ。ハルトさんって、この通り雑誌に載るくらい有名なモデルをしてて、それでこっちにもよくとばっちりが来てたから。うちは事務所じゃないって言ってるのに、知り合いならサイン貰ってとか、電話とりついでとか、ああもう、思い出したら腹立ってきた……!」
 言いながら、カエデは拳をぎゅっと握りしめ、真っ黒い笑みを浮かべた。
 そのあまりの怖さに、瀬奈の笑いも止まる。
 凍りつく瀬奈の隣で、イオリもまた遠い目をして呟きだす。
「そうそう。しかも俺なんか顔が似てるせいで、たまーに間違われたりしてさ。年齢違うし、髪も伸ばしてないだろ? なんで間違うんだ? 目がおかしいんじゃねえか? そもそもだ!」
「ハイッ」
「なんっで俺が、兄貴の巻き起こした女のトラブルに巻き込まれなきゃいけねえんだ? 大体、兄貴はふらふら遊びすぎなんだよっ。ああもうムカツク!」
「そうよ! 何で私が、どういう関係かなんて問い詰められなきゃいけないのよっ!」
 余程お兄さんのことで鬱憤が溜まっていたのか、二人はそれぞれ愚痴を叫ぶ。そして、この苦労が分かるのはお互いだけだというように、憤然とした様子で頷きあった。
「だよなっ、カエデとソオヤの兄貴だけだ、この苦労が分かるのは!」
「ほんとよねっ、あの人に比べたら、第五警備隊の面々が変わり者なんて言えないものね!」
「………ハハハ」
 瀬奈はもう、どう反応したらいいか分からず、乾いた笑いを浮かべるだけだ。思い出すに、そこまで変わり者には見えなかったが……。近しい二人がそう言うのだから間違いないのだろう。
「ん? ってことは、あのお屋敷ってイオリの実家!?」
「あら、実家の家を見たのね。その右隣の診療所が私の家よ」
 さっきまでの黒い笑みはどこへやら、カエデはにっこりと可愛らしく微笑みかけた。
「へえ、それは気付かなかった。左に曲がっちゃったからなあ」
「あのね、レジオート家って実は結構なお金持ちなのよ。イオリのお父さんは幾つも特許を持ってる機械工学の博士だし、お母さんは女優だから。どちらも忙しくてほとんど家にいないから、小さい頃はイオリ達兄弟を呼んで家でご飯食べたりしてたってわけ」
「ああ、なーる。それで幼馴染なんだ〜」
 瀬奈は感心して頷くが、お金持ちという単語が今一ピンとこない。
「イオリがお金持ちねえ。全然イメージ湧かないや。いっつも機械いじってるイメージしかないもん」
 人って見かけによらないのねえ。
 瀬奈が失礼なことを口にしてしきりに不思議がっていると、イオリはフンと鼻を鳴らした。そして、何でもないことみたいにさらっと言う。
「家に工具一式揃ってたし創作用の部屋もあったからな、機械いじりするのに最適だったんだよ。で、好きが高じて仕事にまでしちまったんだが」
「そうねえ、それで小さい時は、変な物を作っては私や父さんに見せてくれたわよね。なんだったかしら、あのウニみたいな……。投げるとかなんとか言ってたわねえ。それによく分かんないロボットもあったわ」
 しみじみと呟くカエデ。懐かしいわぁと遠くを見る目をする。
 ウニ? 投げる? なんだそりゃ。
 瀬奈の頭にポンポンと疑問符が浮かび上がる。
「ああ、そいつは追跡型の発信機だな。強盗に向かって投げるってやつ。でかすぎて分かりやすいから失敗だったけど。ロボットの方はどれだか分かんねえな」
 どれだか分からない程度には、イオリは色々と作っているらしい。
「ま、変わり者の範疇におさまるってことはよく分かったよ」
 立派に第五警備隊メンバーの特徴をおさえている。
 瀬奈のまとめ方に対し、イオリはじと目で睨んできた。
「うるせえよ。趣味人って言え、趣味人って」
 ……趣味で片付いてないと思う。
 そう思ったが、あんまり言うと怒りそうなので口にはしないでおいた。


「……ただいま」
 瀬奈達がイオリの兄談義で盛り上がっていると、フォールが疲れ切った様子で本部に入ってきた。
「お帰りなさい」
「お疲れ」
「お疲れ様」
 瀬奈、イオリ、カエデはそれぞれ挨拶をし、カエデが珍しいものを見るような目をフォールに向けた。
「出張先で何かトラブルでもあったんですか? やけに疲れて見えますけど」
「トラブル? そりゃあありまくったよ、ふふ、クライトからの貸しの清算に行ってきたんだから、そりゃあね」
 ふふふふ。フォールは暗い笑みを浮かべ、やがて溜息をついた。
 いつになく黒い空気を漂わせているフォール。瀬奈達は思わず一歩後ろに引いた。
「あ、セナさん。研修に行ってたんでしょう? どうだった? バーレは楽しかったかい?」
 フォールはそこで瀬奈に気付き、パッと表情を穏やかな笑みに切り替えた。
 今までのどんより感が嘘みたいだ。瀬奈は目を瞬きつつ、こくりと頷く。
「うん、楽しかったよ。研修自体は難しい内容じゃなかったし、都内観光も楽しかった」
 瀬奈は旅行のことを思い出して、自然に笑みを浮かべ、行った場所を次々にあげていった。
「ああっそうだった、知らせておかないといけないことがあって」
「? 何だい?」
 そこでイリスに会ったことを報告すると、フォールは顎に手を当てて考え込んだ。
「あの例の人か。何者なんだろうな……」
 瀬奈は頬を掻きつつ、苦く笑う。
「それでね、そこを助けてくれたのがイオリのお兄さんってわけなのよね、実は」
「は!?」
「ええ!?」
 イオリとカエデは声を揃えた。
「……あの人が人助け? 良いことすることもあるんだな」
「驚いたの、そっち?」
 イオリの唖然とした呟きに、瀬奈は呆れ果てる。
「そりゃ驚くわよ。だってハルトさんってトラブル拡散機なんだもの。トラブルをまき散らすことはあっても、解決することなんてないのに」
「……どんだけすごいのよ」
 瀬奈はますます呆れながら、自分はよっぽど運が良かったんだろうと心の底で思った。
「でも良かったよ、無事で」
「……う、うん」
 イオリは瀬奈の頭をポンポンと軽く叩き、頷く瀬奈の横で真面目な顔をして考え込んだ。
「お前もたいがいトラブル体質だよなあ。研修旅行なら安全だと高を括ってたんだが……。やっぱ護身道具の一つくらい渡しておくかなあ」
 ぼそりとそう呟くと、それっきり考え事の海に埋没してしまう。
「……大袈裟じゃない?」
 瀬奈がカエデの方を振り返ると、カエデはチッチッと指を振った。
「防犯道具くらい持ってても大袈裟じゃないわ。セナは女の子なんだし、しかも小柄だしね。あっ、そうだわイオリ。あれがいいんじゃない? こないだ作ってたじゃない、完成したとか言ってたあれ」
「ああ、あれか。でもあれはまだ調整が済んでねえ」
「出力関係だったっけ? 驚く程度にしておいた方が無難じゃないかな」
 二人の会話にフォールも加わり、三人は喧々がくがくと話始める。
 すっかり蚊帳の外に置かれた瀬奈は、一体何の話なんだろうと一人首を傾げるのだった。
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