虹色のメロディ編 第四部 ハティナー達の休日編

十五章 東区ショッピングモールへ  

「うーん……」
 瀬奈はこめかみに両手の親指をぐりぐりと押し当て、唸りながら自室のソファーに座っていた。
 頭が痛い。ズキズキと鈍い痛みを訴えている。
「ちょっとハティンを使いすぎちゃったかな……」
 風邪を引いているわけではなく、単なる〈治癒〉のハティンの使いすぎだ。
 二年前、まだ瀬奈が地球の日本にいた時、登校中に地震に遭って地割れに落っこち、そこにたまたま開いていた虫喰い穴という黒い穴からそのままザナルカシアに落っこちてきてからというもの、どういうわけだか顕れたハティンだ。瀬奈自身の怪我や病気は治せないが、他人の怪我や病気の大部分は治すことが出来る。とはいえ、身体の中に毒素がたまっていたり、中毒症状を出している病人は〈浄化〉のハティナーと協力しない限り完治させることは出来ないし、身体の失った部位の再生や、死人を蘇らせることは不可能である。
 それでも、ヴェルデリア国の医術では不治とされている病までも治すことが出来るので、瀬奈のハティナーとしての仕事が尽きることはない。
 今日も、バイトと称して、ハティナー保護協会に斡旋してもらった仕事を一件終えてきたところだ。
 仕事内容は、病気で失明寸前の女性の治癒だ。女性や女性の家族が最後の頼みの綱だとハティナー保護協会に依頼してきたので、瀬奈は協会管理員のカジと共に病院まで出かけていき、ハティンでもって治癒に当たった。瀬奈だけで完治が可能だったので良かった。別のハティナーに協力依頼をすると、それだけ時間がかかってしまうから。
 しかし、それにしたって疲れた。難病であればあるほど、瀬奈もハティンを使うのに体力を削られるのだ。場合によっては、数日に分けて治癒していく手法も取ることがある。今回は急ぎだったので、一気に治してしまった。
(頭痛くなるくらいハティン使ったのなんて、すっごい久しぶり……)
 ハティナー保護協会の管理員は、ハティナーに仕事をさせようとしつこいところがあるし、保護という名目でハティナーを探し回って、時には捕縛という荒技を使うこともある。それに、ハティナーを“保護”しつつ、彼らの力を借りたい一般人には依頼料をとる為、ハティナーを独占して金稼ぎしていると思われて世間では嫌われ者扱いだ。
 でもそれは誤解だと、保護して貰っている立場の瀬奈は思う。
 管理員の多くは、ハティナーの力で助けられた者や、単純にハティンを操る姿に憧れて守ろうと決めているらしい者が大部分を占め、ハティナー保護に情熱を傾けている者が多い。熱がこもりすぎて、たまに暴走してしまい、それが不評となってヴェルデリア国内に流布しているだけだ。依頼料としてとったお金も何割かはハティナーに協力料として支払われ、残りは協会の運営に回している。協会は政府に並ぶ権威をもつ国の機関ではあるが、お金がかかるので経営が大変なのだと、前に管理員のテリーがぼやいていた。
 それはともかく、ほとんどの管理員は親切で優しい。回した仕事でハティナーに負担が及ばないようにも配慮してくれている。だから、管理員に従っていれば、ハティナーが仕事上で危険にさらされることはないし、体調面も気遣ってくれるのでハティンを使いすぎることもない。
 そんなわけで、バイトで頭痛を覚えるのは大変珍しいことだった。
 カジが空遊車で送迎してくれたから助かったが、今日は大人しく寝ておこう。
 そう決意したところで、通信機からメール着信メロディーが流れた。ソファーの隅に投げていた通信機を取り、ボタンを操作し、電子画面に目を走らせる。着信相手はヨルだった。
『Sub:明日あいてる?
 ヒルとレクと東区に遊びに行きたいんだけど、セナが一緒じゃないと行かないってヒルが言うんだよ。
 お願いだよ、手を貸して!』
「………」
 瀬奈はじっと文面を見下ろして、ぷっと吹き出した。
 どうやら、ヨルはまだヒルとレクをくっつけようと画策しているらしい。
 瀬奈はちらりと考えを巡らし、予定を思い返す。バイトの翌日はあけるようにしているから、予定はない。軽い頭痛があるものの、今から休めば大丈夫だろう。
『Sub:あいてるよ。
 何時にどこ集合?』
 これだけ打ちこんで、送信する。
 返事はすぐに返ってきたので、それを確認してからソファーを立つ。
 もう用事はないし、お風呂に入って、寝てしまおう。


 翌朝。
 片頭痛のような鈍い痛みがまだ頭に残っていた。
「昨日程じゃないし、大丈夫だよね……?」
 あまり騒がしい所に行かなければ大丈夫だろう。
 そう思いつつ、双子達とレクとの待ち合わせ場所に向かってメインストリートを歩いていく。
 ちょうど東区と西区を分けている中央広場の噴水前に正午に集合だ。
「あ、セナ、こっち!」
 噴水の台座に腰掛けていたヒルがパッと立ち上がり、瀬奈に手を振る。その隣にはヨルとレクの姿があり、二人は熱の入ったお喋りを展開しているようだった。
 瀬奈も小さく手を振り返しながら、小走りで近寄る。
「ごめん、少し待たせちゃった? まだ時間前だったと思うんだけど……」
「平気よ。私達、三分前に来た所なの。なんだか知らないけど、ヨルがやたらはりきっちゃって……。そんなに買いたい物でもあるのかな」
 瀬奈からすればヨルの意図はお見通しだったので、ヒルが不思議そうに呟くのを見て苦笑する。
「そうなんじゃない?」
 横から口出ししてもヒルには気分の良い話題とは思えないので、瀬奈は茶を濁す。そして、ちらりとヒルの右隣に視線を移す。ヨルとレクは身ぶり手ぶりを交えながら、何か話し合っていて、瀬奈とヒルが話しているのにも気づいていない。
「で……そこの組織が……」
「でも、それならあれと組み合わせたらいいんじゃないか」
「あ、そういう手もあるか。面白いね」
「いや、これは単なるアイデアだ。ヨルの考えだって面白い」
 話の断片を拾いあげるに、何かの研究の話をしているらしい。
「こんにちは。盛り上がってるね」
「「あ」」
 瀬奈が右手を上げて二人の視界に入ると、二人は夢から覚めたような顔をして瀬奈を見て、慌てたように立ち上がる。
「あっ、ごめんセナ。全然気付かなかった!」
「悪い……」
「いいのよ、まだ待ち合わせ時間前だし」
 瀬奈はにこっと笑う。
 分野は違えど、ヨルとレクは似たもの同士なのかもしれないな、と意識の隅で思った。


 東区ショッピングモールは一つの建物の中にまるまる一つの街があるように設計されている。天井の中央部はガラスが張られ、自然光が降り注いでいる為に明るい。雨が降っても平気だ。
 前は西区の方が繁華街として栄えていたようだが、大手企業が進出してショッピングモールを造ってからは寂れてしまったらしい。東区の栄えようは、この通り、休日の人の多さを見れば一目瞭然である。
 ヒルと服屋や雑貨屋を覗いたり、レクやヨルに付き合ってロボット販売店を訪れたり、一人では行かないような場所に三人が行くので楽しい。とはいえ、二時間もするとくたびれてきたので、休憩を兼ねてカフェに入る。
「ちょっと化粧室に行ってくるね」
 席を決めるや、瀬奈は一言断ってトイレに向かった。そして、用を終えて洗面所で手を洗っていると、壁一枚へだてた向こうの男子トイレから、ぼそぼそと話し声が聞こえてきた。
「おい、どうだ例の双子」
「なかなか二人だけになってくれねえな」
 瀬奈はセンサーで熱を感知して自動で水が流れる蛇口から手をどかし、水を切りながら、この人達は双子の女性をナンパしようとしてるのかなあと考える。それから鞄からハンカチを取り出して水気を拭う。
「やっぱり、帰り際の人気がなくなったところを狙った方が良いんじゃねえか?」
 手を止めて、思わず壁を見つめる。狙うだなんて、物騒な響きだ。こそこそするくらいなら、真正面から告白すればいいのに。
 そこで扉の開く音がして、誰かが新しく入って来たようだ。
「よう、首尾はどうだ?」
「ガキどもなら、呑気に茶を飲んでるさ。ひとまず、見失うことはねえだろ」
 しゃがれた低い声が、声をかけた男に返事する。
 瀬奈はハンカチを鞄に仕舞い、鏡で髪を手ぐしで整えつつ、何となく聞くともなしに話を聞く。
 双子は子供なのか……。ナンパじゃないのか?
「よし。じゃあやっぱり帰り際だな。へへ、エレメント系の双子なんてな。稼がせて貰えそうだぜ」
「馬鹿、こんな所で口にするな! 誰かが聞いてたらどうする!」
 最初の二人の片割れの呟きに、新しく加わった三人目が声を荒げる。ついで鈍い音がしたので、軽く殴ったのかもしれない。
「…………」
 瀬奈は表情を強張らせる。
 エレメント系。双子。稼ぐ。
 このキーワードから思い付くものといえば、今まさに一緒に行動している双子だ。ヒルは水、ヨルは風のハティナーであり、どちらも四大元素(エレメント)のハティンだし、男達の言う通りガキ(・・)だ。もし二人のことを指しているのなら、彼らは、ハティナー狩りに違いない。
 ハティナーは数が少ない為に希少な存在で、ヴェルデリア国内ではハティナーを売り買いするブローカーや、ハティナーを捕まえてブローカーに売りつけるハティナー狩りが横行しているのだ。
 双子と知り合ったのも、そんなハティナー狩りに捕まった時に、同じ場所に監禁されたせいだ。
(お、落ち着くのよ瀬奈……)
 瀬奈は静かに息を吸い、大きく吐く。
 もしかしたら、他にも双子はいるかもしれないのだし、そうと決まったわけではない。それにハティナー狩りではなくて、単なる探偵ということも考えられる。双子の何を調査しているのかは謎だけれど。
 そう言い聞かせながらトイレを出る。まるで人を探すように店内をゆっくり見回す。
 結果、店内にあの双子以外に双子の影は無し。
 瀬奈は冷や汗が浮かぶのを感じた。
(大丈夫よ、帰り際に狙うって言ってたし、帰り道にそれとなく第五警備隊に誘導すれば……)
 ちらちらと脳裏にフォールやリオの顔が点滅する。電話した方が良いだろうか。
 しかし、ここに双子だけならこっそりと警告することも出来るが、無関係のレクがいるのだ。迂闊な行動は出来ない。
 瀬奈は何でも無い顔を装って、皆のいる席につく。
「あれ、セナ、何か顔色悪くない?」
「へっ?」
 そわそわとお手拭きを手の中で折っていると、ヨルが怪訝そうな顔をした。思わぬ不意打ちに、瀬奈の心臓が跳ね上がる。
「もしかして具合悪いの? そういえば、噴水前でも少し顔色悪かったよね」
 ヒルに問われ、思わず天井を仰ぐ。
「えーと、昨日、バイトあって。ちょっと頭痛するのよ」
 そう答えた瞬間、双子の顔色が劇的に変化する。ヨルは厳しい顔になり、ヒルは心配そうな顔になる。
「なんだって? 頭痛? そんなに大変な仕事だったの?」
「それなら無理しないで休んでて良かったのに。何でここにいるの?」
 双子に揃って詰め寄られて、瀬奈はますます焦る。双子はハティンの使いすぎが招く結果を知っているので、余計に体調管理には厳しいのだ。いや、実際にはハティナー保護協会の管理具合に、だが。双子は協会が嫌いみたいで、仕事の依頼もことごとく拒否していると聞いたことがある。
「だ、大丈夫よ。一日寝れば治ると思ったから、今日のことはオーケーしただけだから。ちょっと片頭痛みたいな感じなだけだし……」
 取り成そうと試みるけれど、ヨルの不機嫌そうなしかめ面は元に戻らなかった。そして、双子で口を揃える。
「「セナの大丈夫は当てにならない」」
「…………」
 惨敗だ。何も言い返せない。
 がっくりうなだれる瀬奈。そんな瀬奈を、レクは不思議そうに見てくる。
「セナのバイトって、そんなにハードなの?」
 ヨルが頷く。
「そうだよ。なかなかハードなんだ」
 どんなバイトかは言わないで、そう答える。ハティナーはハティナーでない者には正体を隠す。それがハティナーとして平穏に暮らす為のルールだ。
 瀬奈の方はばれそうで気が気でなかったが。
 冷や汗混じりに苦笑しつつ、折り良く店員が運んできたヴィオラジュースを飲む。サイダーの底に薄青い色が沈殿したジュースで、味はブドウに似ている。
「ねえ、セナ。もう少し休憩したら、帰ろうよ」
「それがいいね」
 ヒルとヨルが口を合わせる。
「え、帰るの?」
 さっきの会話のことがあったので、瀬奈は大袈裟に驚く。
「だって、具合悪そうじゃないか」
 ヨルがはっきり言うので、瀬奈は頬を軽く撫でた。そんなに顔色が悪そうに見えるのだろうか。
「……分かった。帰ろっか」
 仕方が無いので、そう頷いて帰路についた。

      *

(あー、駄目だ。やっぱり追いかけてきてるみたい)
 ショッピングモール内の人混みの中を歩きながら、たまに店を見ると見せかけて、ショーウィンドウのガラスに映る人の姿を見ていたら、少し遅れて男二人が、ついてくるのが分かった。あと一人いるはずだが見当たらない。
 すぐ側を平たい円盤の形をした清掃ロボや、瀬奈の胸の高さくらいある大きさをした白い円筒形に赤い目玉がついた警備ロボが通り過ぎるのを眺めるフリをして、視線を彷徨わせるが、やはり見つからない。
「ねえ、三人とも。帰りに第五警備隊に寄って行っていいかな?」
「「え………」」
 双子は顔を見合わせ、意味ありげに頷きあう。
「じゃあ私達は途中でお別れするよ」
「うん、お邪魔しちゃ悪いし」
 邪魔……?
 瀬奈はパチパチと双子を見つめ、意味に気付いて頬を赤らめる。
「いや、ちがっ、別にイオリに会うわけじゃなくて!」
「? じゃあどんな理由?」
 不思議そうにレクが問う。
「あ、いやほら。ヨルの友達紹介したら、きっとカエデもリオも喜ぶと思うから」
 なんとか理由をこじつけると、三人は不思議そうにしつつ頷いた。
 ヨルは確認するようにレクに訊く。
「そういえば紹介してなかったね。いいかな、レク。連れてって」
「俺は構わないけど、邪魔にならない?」
「大丈夫よ、皆フレンドリーだから」
「「一人を除いて」」
 瀬奈の取り成しに、双子が声を揃えた。
「え? 一人って誰?」
「お兄さんに決まってるじゃん。柄悪いし、無愛想だよねー、ほんと」
 ヨルの言葉に、確かにと手を叩く。
「そうだね。イオリって機嫌悪いこと多いし、確かに」
 でもときどき優しいのも知っている。あと、付き合いだしてからは不機嫌顔以外もたまに見ている。なんか妙に押してくる感じの笑顔とか。
「ほんと、よく付き合う気になったよねえ」
 ヒルが心から謎だと言わんばかりに言うので、瀬奈も頷いた。
「そうよねえ。なんであんなに格好良い人が、私なんかと付き合おうなんて……。不思議だよね」
「違うよ、セナ。逆! お兄さん、見た感じは格好良いけど無愛想だし短気でしょ。セナがよく付き合う気になったなって思って。面倒くさそうじゃんか」
 ヨルがやれやれと肩をすくめて言う。
 イオリ、年下の子どもに面倒くさそうって言われてるよ。
 瀬奈は苦笑する。
「ええ、そんなにセナの彼氏って最低なの?」
 レクが怪訝そうに問うので、瀬奈はこれ以上イオリの評価が下がる前にと慌てて口を挟む。
「最低じゃないって! あんなんだけど、面倒見良いのよ? 文句言うけど、なんだかんだで勉強だって見てくれるし、厄介事に巻き込んでるのに解決してくれちゃうし。まあ文句言われるし説教されるけど……」
 というか、私が巻きこみ過ぎなんだけど。
 言いながらへこんできた。
「あれ、面倒なのってむしろ私じゃないの? イオリってほんと不思議だ……」
 いつの間にか好きになってたと言っていたけど、どうしてこんなんで好きになるのかやっぱり謎である。
「でも、セナって見た目普通だけど、性格良いからなあ。お兄さんには勿体ないよ」
「ちょっとヨル、失礼だよ。セナ、可愛いじゃない」
 ヨルよりも懐いてくれているヒルのキラキラした濃緑色の目を直視していられず、瀬奈は視線を泳がせる。
「そ、そうかな。ありがと……」
 ヒルの目には贔屓目っていうフィルターがついてると思うんだ。
 服装だってシンプルなのばかりだし、化粧っ気もないのだから、自分のことをあまり綺麗だとは思っていない。
 綺麗っていうのは、アンジェリカやリオみたいな人のことを指すと思う。カエデは綺麗というより可愛くて綺麗、かな。どっちも言えるなんてお得だ。
(休日なんて、油絵の具まみれのエプロンつけて、長袖のシャツとズボン姿だし。まあこれで外出はしないけど)
 油彩画が趣味だから、仕方が無いといえば仕方が無いが。
 そう考えてみると、やはりイオリの趣味が悪いのかもしれない。変な人だなあと思うが、ヨル曰く面倒臭いというイオリと付き合っている自分も変なのかもしれず、そう思うと、どっちもどっちで似た者同士なのかもしれないという結論に至った。
「あ、でもさ。前にちらっと聞いたんだけど」
 ショッピングモールを出て市街地を歩きながら、レクが思い出したように言う。
 なんだろうとそちらを見る。
「統計的に、良い男の所には悪い女が、悪い男の所には良い女が行って、それで結婚する確率が高いとか」
「ええー、なにそれ。ただの確率論だろ?」
 ヨルがむすっと口をへの字に曲げる。大袈裟に反応するヨルに対し、レクは冷静に返す。
「まあそうだけどさ、そういう考えもあるってこと」
「でも僕は受け入れられないね、その確率論。だって、それじゃあ、僕みたいな良い男は悪い女の人と結婚するってことだろ。嫌だな、そんなの」
「…………」
「……ヨルって頭良いけど馬鹿だよね」
 黙りこむレクと、冷たく言うヒル。ヨルはキッとヒルに噛みつく。
「それにこれがその通りなら、ヒルみたいな良い子が悪ーい男と結婚するんだよ!? 考えるだけで相手の男を殺したくなっちゃうよ!」
 妹大事発言丸出しに、レクは降参するように両手を上げた。
「ああ、分かった。俺の意見が間違ってた。じゃないと、ヒルさんの未来のお相手さんが気の毒だ」
「ほんと迷惑な話よね。だけど、確率論の話はそれなりに的を射てるんじゃない? いかにも生活力のなさそうな駄目そうな男の人って、もてるじゃない。母性本能くすぐられるらしいよ。ジャネットさんが言ってた」
「はあ? 室長がそんなこと言ってたの? あーでも確かに、室長の恋人は大抵駄目人間だね」
 ヒルの話にヨルは大袈裟に肩をすくめ、この世の終わりみたいな顔をした。しかし思い直して言う。
「室長限定っていうか、室長の好みの問題な気もするけどな」
「二人の仕事先の人? なんかすごいね……」
 瀬奈はどんな強烈な人物なのだろうと、話題のジャネットさんに思いを馳せた。双子、それもヒルとそれなりに親しいようだから、好人物ではあるのだろうとは思う。
「うん、美人なんだけど男運が悪いの」
「そ、そう……」
 ヒルの説明に、なんとも言えず複雑な気分になる。そこまで断言されると可哀想になるのだが。

「や、こんにちは」

 横合いから出てきた若い男が道を塞いで笑顔で挨拶をしてきたので、瀬奈はややたじろぎつつも反射的に挨拶を返す。
「こんにちは……」
 しまったと思ったがもう遅い。
 赤い髪と赤茶色の目をした長身の男は、更ににこっと笑った。深紅のシャツに黒いジャケット、黒いズボンに茶色い革靴という井出達は、いかにも伊達男という感じだ。顔の造形も悪くはない。ただ、イオリやリオで見慣れている瀬奈は何とも思わなかったが。
「おねーさん、可愛いよね。向こうから歩いてくるの見ながら気になってたんだ。どう? 小さいお友達じゃなくて、俺とお茶なんて」
 瀬奈はきょとんとし、他にお姉さんがいるのかときょろりと周りを見回し、真後ろにも誰もいないことを確認して、首を傾げた。
(この人、もしかして私に話しかけてるのかな?)
 真剣に考え込む瀬奈に、お兄さんは耐えきれないというように笑みを浮かべる。
「おねーさんって、君のことだよ。俺の前にいる、君。そういう反応っていいね、可愛い」
 含み笑いをしている男を、瀬奈はまじまじと見る。二十代前半くらいだろうか。民族的特徴のせいで若干若く見られがちな瀬奈に声をかけるなんて、このナンパの人、もしかしてロリコンなのか? それか目が物凄く悪いとか。
「眼科に行った方がいいんじゃ……」
 ナンパなんてされたのは初めてだったが、それによる困惑よりもずっと真剣に心配してしまった。
 瀬奈の言葉に、男曰く“小さいお友達”はぶっと吹き出す。
 何かおかしいことを言っただろうか。
「まさか! 俺の目は悪くないよ。君、可愛いじゃんか」
「……じゃあロリコンですか?」
 ぶふっ。更に吹き出す声がした。
 これには流石のナンパ男も顔をしかめた。
「ひどいなあ、そんなの心外だよ。君、十代後半くらいだろ。十七歳?」
「十八です」
「なら問題ない! 俺は二十二だから、ほら、たった四つしか変わらないだろ」
「でも……」
「社会に出たら四つ差くらい何でも無いって。ね、それよりお茶しよーよ。いいよって言ってくれると嬉しいな」
 攻めの雰囲気でずいと身を乗り出す男。オーケーすると強く信じているみたいだ。何故そこまで自信を持てるのか謎だ。
「ごめんなさい。これから寄る所あるので」
「じゃあ通信機の番号教えてよ。連絡するからさ」
 うわ、予想外にしつこい。だいたい、個人情報をおいそれと漏らすわけがない。ハティナーっていうのはそれだけ情報管理が大変なのだ。
 まさか自分みたいな地味な女がナンパされるなんて思わないから、対策なんて知らないや。どう断ったら角が立たないだろう。
「セナは彼氏いるの! あなたなんて出る幕じゃないわ!」
 瀬奈の後ろからぴょこんと顔を出し、ヒルがきつく言い放った。
「お嬢ちゃんは五年経ったら声かけてね」
 男は余裕たっぷりに返す。ヒルがむっとしたのが空気で分かった。
「あっ、警備隊だ! 警備隊員さーん、こっちにしつこいナンパ男がいるんですけどー!」
 やおらレクがあらぬ方を向いて叫んだ。
 ぎょっとたじろぐ男の横を、瀬奈はレクに左手を引っ張られて通り過ぎる。その後ろにヒルを引っ張るヨルが続く。
「あんなのいちいち相手にすることない」
「レクの言う通り! ああ言っておけば追ってこないって。それとも彼氏が警備隊員って言った方が効いたかもね」
「ええっ、でも追ってくるよ。ヨル」
 ヒルが後ろを振り向いて言うので、ヨルも振り返って目を丸くする。
「嘘だろ、人数増えてるし!」
 確かに三人に増えている。
(うわ、しかもあの二人、ハティナー狩りじゃない)
 なるほど。あの男は目が悪いわけじゃなかったらしい。一番年上の瀬奈を双子から引き離す為の方便ってところか。
「こっち! この辺なら地理分かるから。ついてきて!」
 瀬奈の左手首から手を放したレクは、そう言って路地裏に飛び込んだ。

     *

「わ、まずい……。このままだと行き止まりだ」
 道を挟むようにして追いかけてくるので、次々に道を折れていたが、どうやら追い込まれたみたいだ。
 レクが焦ったように呟く。
 走るにつれて流水音が聞こえてきた。鉄製の柵で囲まれた四角い穴が見える。
「ほら、ここから先は下水道なんだよ」
 五メートル近く下を流れる、下水の水を示し、レクが言う。走っていたので息が切れている。
「それにしても、奴ら、ナンパが失敗したくらいで、何で追いかけてくるんだろ」
 ヨルが不可解そうに呟く。
 瀬奈は額に手を当てて空を仰ぐ。このままでは捕まるのがオチだ。レクを巻きこんでしまうが、真相を打ち明けるしかない。
「あの人達、ハティナー狩りだよ。カフェでお手洗いに行った時に、男子トイレの会話が聞こえたんだ。双子狙いだって」
「「えっ」」
 双子の声が揃う。
「逃げた方がいいよ。前みたいに捕まるの嫌だもんね。私も闇オークションに出されるのはもう嫌だな」
「は? え? 何言って……」
 レクが目を丸くする。
 それをすぱっと無視してヒルは下水道を示す。
「じゃあ、あそこに逃げよう。いい、着地したら立ち止まらないで走って。立ち止まっちゃ駄目よ」
「え?」
「? 分かった」
 レクが再び目を瞬いた。その横で、瀬奈は首を傾げつつ頷く。
「じゃあ僕の風で行こう。覚悟はいいね?」
「えっ、何」
「いいよー」
「オーケー。準備出来たよ」
 混乱しているレクを置いて、話が進む。
 四人を風が吹き上げて、そのまま下水の方に降下する。
 着地するや、一番最初にヒルが水の上を走りだす。瀬奈はうろたえているレクの腕を掴んで引っ張った。最後にヨルがついてくる。
 走り続けろという意味が分かった。そうしないとすぐに足が沈むのだ。ヒルは何をしたんだろう。
「通信機のライトしかないんだけど……。あ、通路見っけ」
 下水道内のトンネルを走り続けることワンブロック程で見回り点検用と思われる通路を見つけた。すぐにそこへ移る。
 ずっと走り続けていたので、皆、ほっとして立ち止まって脱力する。不快な臭気が鼻をつくが、ハティナー狩りに捕まるよりはマシだ。
「ねえ、ヒル。何したの? さっきの……」
 瀬奈が問うと、ヒルは何でも無い様子で答える。
「水の表面張力を上げたの。走って踏むことで密度が増して歩けるってわけ。急ぎじゃなければ凍らせることも出来たんだけど」
 少しだけ不服そうだ。
「お陰で靴ににおいついちゃった」
「ヒル、靴だけじゃないよ。服も髪も汚水のにおいだらけ」
「嫌なこと言わないでよ、ヨル」
 頬を膨らませて抗議するヒル。うん、私もあんまり言わないで欲しい。
「ちょ、ちょっと待て。お前ら、ハティナーだったのか?」
 やや慌てた様子でレクが手を上げて声を張り上げる。
 三人は苦笑したが、すぐにヨルが返事を返す。
「だった、じゃなくて。ハティナーである、だよ。現在進行形でね」
「そうか……」
 なんだか気が抜けたように呟くレク。驚きすぎて呆けているようだ。
「僕が〈風〉で、ヒルが〈水〉、セナが〈治癒〉だよ」
「え、セナもなのか!?」
 どうやら話を理解していなかったらしく、再度驚かれる。
「うん、秘密にしてね。レクは大丈夫だと思うけど、一応。ハティナーであることは隠してるから」
 瀬奈が念押しすると、レクは呆け気味に頷く。
「ハティナー保護法のことなら知ってるから……。そうか、本当にいるんだな。ハティナーって……。協会なんて税金の無駄遣いだと思ってた」
「税金の無駄遣いじゃないの? 僕は協会なんか嫌いだよ」
「私も!」
 嫌そうに言う双子だが、すぐに表情を改めて瀬奈を見る。
「「ところで、セナ。さっきの話について訊かせてくれる?」」
 声が揃った。瀬奈は頬を引きつらせる。
「さっきの話って?」
「さっき言ってただろ、なんなんだよ闇オークションって!」
「そうよ! 初耳よ!」
「うう……」
 ここまで反応されるとは予想外だ。瀬奈は弱り果てつつ、こないだのことを語る。

「えっ、病欠じゃなかったの?」
 目を皿みたいに丸くするレク。
「「保護協会、最低!!」」
 声を揃えて協会を罵る双子。

 うーん、流石としか言いようが無い。
「まあまあ。イオリも一緒だったのに誘拐されちゃったんだもん、管理員さん達は悪くないよ」
 そう取り成すと、ヨルがやれやれと肩をすくめる。
「ほんといざって時に役に立たないよね、お兄さんってば」
「そうそう。銃の腕も最低だし」
「もう、二人とも。イオリのこと悪く言わないで。ちゃんと助けに来てくれたんだから、いいじゃない」
 苦笑気味にそう言って、通信機を鞄から取り出す。
「とりあえず、第五警備隊に連絡して迎えに来て貰おう」
「お兄さんだけじゃなくて副隊長か隊長も呼んで! お願い!」
「そうよ! 前みたいに銃オンチなせいで追いつめられるなんてもう嫌!」
 イオリ……、あんたどんだけ嫌がられてるの。
 結構、双子の相手をしてるのに……。いいお兄さんという立場と護衛としての安心感は比例していないみたいだ。
「だいたいねえ、あんた達。イオリはそもそも機械士であって、戦闘要員じゃないのよ! 全くもう!」
 ヨルが顔をしかめる。
「あんなに喧嘩強い癖して、非戦闘要員なんて馬鹿げたこと言わないよね?」
「イオリが喧嘩強いのは、あの無愛想さが災いして喧嘩ふっかけられまくって、それに対処して身に着いたって話よ。つまり非戦闘要員!」
「無茶苦茶よぉ」
 今度はヒルまでむくれる。
「もう、あんた達の不満は分かったから、静かにしてて。連絡出来ないでしょ!」
「「むうう」」
 ぴしゃりと叱りつけると、双子は不満げにむくれながらも黙った。それを見たレクは口元に手を当てて、笑いをこらえている。
「あ、もしもし……」
 対応に出たカエデに告げると、すぐに近くの出口まで駆けつけると言われた。それから、案内に従って動くようにとも。

      *

「お、ま、え、ら。俺だけじゃ頼りないから副隊長も呼べたぁいい度胸じゃねえか」
 リオとともに現れたイオリは、瀬奈と双子を恐ろしい目で睨んで低く言った。
 瀬奈は慌てて首を振る。
「ち、違うわよ! 私は言ってないわよ。双子が言ったの!」
「あっセナひどい!」
「私ちゃんと教えたよ? イオリは機械士であって非戦闘要員なんだから、役に立たないわけじゃないって」
「……お前ら、また俺を役立たず呼ばわりしたのか?」
 じろっとイオリが睨むと、双子は一瞬すくんで顔を見合わせたが、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「もう、嫌だなあ、お兄さんってば。お兄さんが機械でしか役に立たないのなんかよく知ってるよ。ていうか、年下相手に大人げなくない?」
「ほんとほんとー。お兄さん、格好悪ーい」
「お前らなぁぁぁ!」
 あっという間に逆上するイオリを、双子はけらけらと指を差して笑う。
 イオリと双子の遣り取りは無視し、リオはレクを見る。
「君は一般人だな? すまないが、本部までご同行願おうか。三人の秘密を守るよう、誓約書にサインして貰う。ちなみに約束を破れば罪に問われることになる」
 レクは不愉快そうに眉を寄せる。
「そんなの書かなくても、黙ってますけど」
「それでも、だ。形にすれば、人はそれだけ約束を守る。それとも、形にしたら守れない自信でも?」
「いいえ! ……分かりました。同行します」
 ふうと息を吐くレク。
「よし、では本部に行こう。たまたまとはいえ別々で良かったな」
 リオが警備隊の空遊車のドアを開けながら言うのに、イオリはエアーバイクの座席に置いていたヘルメットを取り上げながら言う。
「ああ。まあ俺は巡回先から直行したしな。……ところでセナ、ちょっと顔色悪いぞ。風邪か?」
 瀬奈は情けない顔をする。
「そんなに具合悪そうに見える? 昨日のバイトのせいかなあ。難病の治療したのよ」
 そう言った瞬間、リオの緑色の目がキラリと光った。
「ほう。あいつらにはきつく言っておこうか。ふふ……」
「別に管理員さん達のせいじゃ……」
「分かっているよ。単にあいつらに悪口言えるチャンスが嬉しいだけだ」
「……ほどほどにね」
 あんまりいい顔で言うので、瀬奈はそうとしか言えなかった。
 帰宅後、管理員達が謝罪の電話をかけてきて、更には遊園地の入園券まで送られてきた。しかもペアのやつ。
(リオ、何を言ったんだろう……)
 止められなくてごめんなさい。心の中で合掌する瀬奈だった。
 ちなみに、例の三人組はあっさり隊長に捕まえられたとか。こちらもこちらで情報戦に強すぎて怖い。

     *

 休日から二日後。
 半休だというイオリの夕飯を食べに外食した際、瀬奈は真剣に切り出した。
「イオリもさあ、眼科に行った方がいいかもしれない」
「……はあ? 眼科? つか、“も”って何だ?」
 この国の人は男女で行くディナーには服装に気を付けるらしく、イオリはシャツにジャケットというフォーマルな服装だ。瀬奈も珍しく青色のワンピースを着ている。レストランは若者向けのパスタ関係の店だから、そこまで重い雰囲気ではない。
「こないださあ、あの犯人三人のうちの一人にナンパされて」
「……………は!?」
「そしたらやっぱりナンパじゃなくて、双子から引き離すのが目的だったっぽくて。目がおかしいんじゃないみたいで安心したのよねー。思わず本気で眼科に行くようにすすめちゃった」
「…………何、眼科に行けと思うようなこと言われたのか?」
 しかめ面で問うてくるイオリに、瀬奈はくるくるとフォークの先にパスタを絡めながら言う。
「だって私みたいな地味なのを可愛いなんて言うのよ。おかしいじゃない」
「…………」
 真剣に言う瀬奈を、イオリは複雑そうに見つめる。
「でね、目が悪くないって言うから。つい、ロリコンですかって訊いたわ」
「ぶふっ」
 思わずというように吹き出すイオリ。
 何も食べてなくて良かった。
 口元を押さえて笑いをこらえているイオリを見つつ、瀬奈は一人頷く。
「とりあえず、その人は目的があったわけでしょ? だから、目は悪くないって思って。代わりに、イオリの目は相当おかしいんだろうと思うわけ」
 ね? 妥当でしょ?
 瀬奈の問いに、イオリはがっくりとうなだれる。
「お前、ほんと自分のこと分かってねえよな。俺は目は悪くないし、セナは地味じゃなくて可愛い。癪だが、そいつの目もおかしくない」
 あのナンパ男に言われても何とも思わなかったが、イオリに言われた途端、急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。やっぱり瀬奈もおかしいんだ。
「か、可愛いっていうのはカエデみたいな人のことでしょ」
 瞬間、イオリが嫌そうな顔になった。
「あれを可愛いと思うのか、お前は。どう見ても小悪魔だろ。裏で何考えてるか恐ろしくてたまらねえよ、俺は」
 なんてひどい言い草だ。しかも本気で怯えているのが余計にひどい。
「私もおかしいみたい。一度眼科に行こうかな」
「……おい、人の顔を見て言うなよ」
「だって、イオリの無愛想な顔が今日はなんだかカッコ良く見える気がする」
「失礼な奴だな」
 口では悪く返すが、イオリは少し嬉しげに笑みを浮かべた。炭酸のジュースが入ったグラスをひょいと掲げる。瀬奈もつられてペカナジュース入りのグラスを持ち上げる。この国では十八から飲酒出来るが、瀬奈はお酒は飲まないし、イオリは家で少し飲むことはあっても、外では急な呼び出しでも対応出来るように飲まないらしい。
「俺もお前もおかしいんだよ。恋愛ってのはそういうもんだって聞いたことあるぜ」
「じゃあそれもそんなに悪くないかもね」
 瀬奈も小さく微笑む。
 カツン
 そして、グラスを打ち鳴らす音が小さく響いた。

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