虹色のメロディ編 第五部 虹色の終息編

十七章 虹の女神の憂鬱 

 翌日、瀬奈はさっそく第五警備隊の本部に顔を出すことにした。
 またイオリが暴走するのは困るという理由もあったが、そろそろ皆と会いたかったことが大きい。
「こんにちは」
 出入り口で挨拶したところ、受付カウンターにいるカエデがにこやかに笑った。
「こんにちは、セナ。久しぶりね。聞いてよ、イオリったら、たった一週間あなたが顔を見せなかっただけで、腑抜けてやばかったのよ。幾ら付き合ってるからって、あれはないわよね。イオリとは長い付き合いだけど、こんなに分かりやすい単純男だとは思わなかったわ」
 笑顔で毒を吐くカエデ。
「るせーぞ、カエデ。お前に迷惑かけた覚えはねえんだけど」
 ソファーで図面をにらんでいるイオリが、顔を上げてカエデに言う。
「あら! かけられたわよ。鬱陶しかったもの。態度に出すのやめなさいよね、みっともない」
「まあまあ、カエデ。男っていうのは恋すると単純で分かりやすくなってしまうものなんだよ」
 一階奥にある作戦室から出てきたフォールがしみじみと頷いて言う。その後ろから、リオが冷めた目をして口を出した。
「それ、今日の新聞の小説に載ってた台詞だろ?」
「いやいや、なかなか的を射ていると思ってね。僕もそういう頃があったよ。懐かしいな」
「まだ三十二だっていうのに、ジジくさいこと言ってるんじゃないよ。老けるぞ」
 リオは手厳しく言い捨て、瀬奈の方に歩いてくる。その時にはおおらかな笑顔になっていた。
「セナ、一週間ぶりだな。あんまり来ないから、イオリと喧嘩でもしたのかと思ってつい締め上げてしまったよ」
「え、そうなの?」
 瀬奈はぎょっと目を丸くした。昨日、イオリが訪ねてきたのは、これにも原因がある気がした。
 リオの言葉に、イオリはカエデの方を向いて肩をすくめる。
「な? カエデ。俺は迷惑かけてない。かけられてるんだ」
「はいはい」
 カエデはおざなりに返事をし、相手にしない。
 そんな彼らを見ていて、瀬奈は吹き出してしまった。
「仲良いわね、皆」
「どこがだよ。仲良いんなら、シメたりしねえだろ」
 イオリは反論を口にしながら、ペラッと書類をめくる。
 そこで瀬奈は、イオリと対面する位置にイリスが座っているのに気付いた。
「あ、イリス。こんにちは。それともユーリエだった?」
 瀬奈が声をかけると、イリスはゆっくりとこちらを向く。ガラスのような薄水色の目が瀬奈を映した。
 見た目は人間なのに、動作は人形という表現に相応しく、瀬奈はたじろいだ。彼女はとても美しいけれど、現実味が欠けている。
「正確には、Iris型アンドロイド 試作品です。ですが、イリスと呼んで構いません。お父様もそう呼びます」
「なんだかその言動、前にも聞いた気がするわね。やっぱりイリスなんじゃない?」
 瀬奈を追いかけてくる謎の女性と同一人物ではないかと疑うと、イリスは僅かに首を傾げた。
「イリスはイリスです。あなたがどんな答えを得たいのか理解出来ません」
「うーん、違うの? 分かんないなあ。まあいいや、私は森里瀬奈。セナって呼んでね」
「了解しました、セナ」
 頷くイリスの姿に、瀬奈はなんだか感動した。野良猫が近寄ってきたような感動だ。
 イオリの方を振り返り、興奮気味に言う。
「ねえ、この人、良い人じゃない。アンドロイドなのが不思議!」
「俺は普通に会話してのけるお前が不思議だ」
「は?」
 呆れた様子のイオリに、瀬奈は面食らう。周りを見ると、他のメンバーも驚いた顔をしていた。
「え? どうしたの?」
「いや、僕達が質問しても、『Iris型アンドロイド 試作品です』の一辺倒の返事しかなかったから驚いてるんだ。セナ、彼女ともっと話してみてくれないか?」
 フォールが真剣な眼差しで頼んできたので、瀬奈は目を瞬いた。
「え? 普通に、友達に話しかけるみたいにしただけですけど……」
「なるほど。尋問が駄目だってことか? まあいい、セナ、続けてみろよ。話題は何でもいいから」
 困惑する瀬奈に、イオリが面白そうだと言わんばかりに口元に笑みを浮かべ、催促してくる。
 瀬奈には意味が分からなかったが、会話するだけだからともう一度イリスに向き直る。
「ねえ、イリス。隣に座ってもいい?」
「どうぞ」
「ありがと」
 瀬奈はイリスの左隣に腰を下ろす。
 そこでふと見ると、カエデが小型の機械をこちらに向けているのに気付いた。どうやら録画しているようだ。
「ねえ、私にも家族がいるんだけど、イリスの家族はどんな人なの? お父さんは優しい?」
「お父様は優しいです。最近は妹にかかりきりで寂しいですが、それでも私はお父様を敬愛しています」
 イリスは微笑んだ。些細で分かりにくい変化だったが、それが感情だというのは瀬奈にも分かる。
「あなたってロボットなのよね? 人間にしか見えないけど」
「ロボットです。ですが、データベースは人間ですので、人間なのかもしれません。質問しても構いませんか、セナ」
「何かな」
「ロボットとは、何でしょうか?」
「えっ」
 まさかロボットにそんな質問をされるとは思わない。瀬奈は目を丸くした。
「電気や磁気で動いてる、機械装置のことじゃないかな」
「その定義ですと私はロボットです。しかし、お父様は言いました。感情を持つのが人間だと。私にはそれがあるのです。それがユーリエ・オラニスの脳の半分を保有している為なのか、私がユーリエという人格を持っているせいなのか、分かりませんが。私はロボットであるのに、解答を持ち得ないのです」
 イリスは僅かに目を伏せた。
「私はゴミなのです、セナ。こんなどちらつかずですから、お父様は私を捨てたのでしょう」
 淡々と語るイリスの言葉に、瀬奈は胸をぎゅっと締め付けられる苦しさを覚えた。
 寄る辺なさを感じているらしきイリスに、瀬奈は少なからず親近感を抱いた。ザナルカシアの人々と同じ人間である瀬奈だが、この惑星の人間ではない。その頼りなさとイリスの境遇を重ねてしまう。
「お父さんは優しいんじゃなかったの?」
「優しいです。ですが完成品が生まれたので、試作品は必要ないのです」
「それが妹?」
「そうです、セナ」
 瀬奈はちらりとフォール達の方を見た。それぞれ真剣な目をしていて、瀬奈に頷いた。
「ねえ、私も質問していいかな、イリス」
「どうぞ」
「どうしてこの話を私にしてくれたの?」
「私はいずれスクラップにされるでしょう。あなたのような頭が悪そうで素直で騙されやすそうな人間なら、私の状況説明は有効かと思いました」
 きっぱりと返すイリス。言葉を失くす瀬奈の周りで、第五警備隊員達がぶはっと吹き出す音がした。瀬奈は眉を寄せる。
「なにそれ、私を騙したの?」
「客観的事実を述べただけです。騙したわけではありません。――私には感情があるのです、セナ。恐るべきことに、ロボットであるのに死が怖い」
 室内は静まり返った。
 ぎこちないような、どうしていいか分からないような、そんな空気が流れる。ロボットが廃棄を恐れるということを、瀬奈も初めて耳にした。ロボットと当たり前に共存しているザナルカシア人達の戸惑いは尚のこと深いのかもしれない。
 結局、イリスに何か言える者はおらず、緊急呼び出しがかかるまで、皆、凍りついたように立ちつくしていた。

     *

 それから、第五警備隊の皆は、イリスを腫物に触るように扱い始めた。
 彼らは、イリスを「ユーリエ・オラニスの脳を保有する機械人形」、それとも「機械の体を持つユーリエ・オラニスの人格を持つ人間」として扱うべきかで困っているようだ。
 特に、機械士であるイオリの悩みは深いようだ。
 瀬奈とイリスの対話以来、考え事に沈み込んで口数が減った。
 彼は、このままイリスをただの物的証拠として扱うのは倫理規定に引っかかるのかそうでないのか判断しかねているようで、フォールにたびたび相談していた。だが、これにはフォールやリオも頭を抱えている。
 皆が倫理観念の崩れからイリスから距離をとる中、身近にロボットがいなかった為、ロボットか人間かなど全く気にしない瀬奈は、種の壁を越えて、イリスを一つの人格と捉えて普通に扱った。
「ねえねえ、イリス。お腹空いてない? 何か食べる?」
 瀬奈は自分のジュースを注ぎながら、イリスに問う。
「私には飲食は必要ありません」
「食べられないってこと?」
「食べる真似は出来ますが、チューブから体内の容器に貯められるだけで無駄になります」
「だったらいいわね、はい、ジュース」
 瀬奈はのんきに頷いて、もう一つのカップを出してジュースを注ぐと、それをイリスの前に置き、自分は彼女の正面のソファーに座った。
 イリスはじっとジュースを見つめている。瀬奈は遠慮なくジュースを飲み、イリスの様子を不思議に思って訊く。
「あれ、迷惑だった?」
「――いえ。無駄になるのに、わざわざ飲み物を用意する意図が分かりません」
「意図? そんなの無いわよ。目の前に誰かがいるのに、私だけお茶するなんて悪いじゃない」
「コミュニケーションの一貫という意味ですか?」
「まあいいんじゃないの、それで。イリスが納得するんなら」
 質問するイリスへの瀬奈の返事は、かなり適当だ。
 無表情でコップを眺めていたイリスは、コップを取り上げ、口元に運んだ。ごくりと一口飲むと、またテーブルに置く。
「甘いですね」
「え、味覚あるの?」
「いいえ。舌にある計測器の数値から、そう判断しているだけです」
「へえ、すごーい」
 瀬奈は素直に称賛を口にした。イリスは首を傾げる動作をする。
「何がすごいのか分かりません」
「機械で測った結果から、甘いって言ってるんでしょ? その技術がすごいなって」
 ふんふんとしきりと頷く瀬奈をイリスはじっと見つめる。先程のカップと同じように見てくるイリスを、瀬奈も見つめ返す。やがてイリスが質問した。
「セナ、あなたは何故私を避けないのですか?」
「むしろ、どうして私があなたを避けるの?」
 瀬奈はきょとんと目を瞬く。イリスは何を考えているかさっぱり分からない無表情のまま、ぼそりと問題点を指摘する。
「周囲の皆さんは明らかに私の扱いに迷っています。ロボットか人間か、判断がつきかねている。あなたはどうなんですか?」
 イリスの質問を気にした警備隊の面々が瀬奈の方を見た。瀬奈は肩をすくめて返す。
「そうね、正直、よく分からない。考えるのが面倒くさい。いいんじゃない、イリスはイリスなんだからそれで」
「理解出来ません」
「イリスは、自分はどちらだと思っているの?」
「私はイリス型試作品です」
「……つまり?」
「私はアンドロイドです。ですが、感情を持つのは人間だけだとデータがあります。私はどっちなんですか?」
「うーん、そうだねえ」
 難しい問題だ。
 瀬奈にはこういう哲学的な問いかけは苦手だ。
「イリスはどっちがいいの?」
 瀬奈の質問返しに、イリスがどこかむすっとしたように返す。
「質問の答えになっていません」
「いいからいいから、答えてよ」
「私は人間……がいい。人間――ユーリエ・オラニスなら、きっと、お父様は私を捨てなかった」
 まるで落ち込んでいるかのように、ユーリエの姿をしたアンドロイドはうつむいてしまった。
 室内に張りつめた空気が漂う。イオリはフォールに目でどうすべきかと問いかけ、リオやカエデは困ったと首を横に振る。
 瀬奈はイリスを可哀想に思った。だがそのことは口にはせず、一つ頷いた。
「じゃあ、私はイリスを人間として扱うことにする」
 瀬奈の宣言に、イリスは無言で瀬奈を見つめた。
「理解出来ません。それにその答えは卑怯です」
「だってどっちでもいいんだよね、私にとっては。イリスはイリスでしょ?」
 瀬奈の答えの何かがイリスの琴線を震わせたのか、イリスは驚いたように目を丸くして瀬奈を見つめ、無言の後、やがてゆるゆると頭を下げた。
「感謝します、セナ。非常に納得がいきませんが、少なくとも嬉しいと感じています。それから、この間は頭が悪そうだと言ってすみませんでした」
「あはは、いいのよ、別に」
「あなたは頭が悪そうなのではなく、頭が悪いのです。認識を改めます」
「……わざわざ付け足さなくていいから」
 瀬奈はむすりと眉を寄せる。そして、笑いをこらえるイオリ達をにらみつけた。

    *

「それで隊長、第一警備隊隊長殿はどんな判断を下されたんです?」
 イオリは今しがた淹れたコーヒー入りのカップをフォールに手渡しながら問う。
「彼も困ってた。面倒なものを置いていきやがってあのクソジジイと愚痴っていたね。いやあ、僕も同感だ」
 そう答えながら、フォールの視線は床を向いている。
 イリスは、アンドロイドとしてなら物品証拠、人間としてなら犯罪者の身内で重要参考人ということで、夜間は地下の独房で休ませている。寝心地が最悪な簡易ベッドしかないが、特に不平は出ていない。
「つまり保留?」
「そういうこと。この問題は僕らだけで決めていい問題じゃない。もっと大きな、人間の根幹を揺るがすような問題だ」
「……本当に、厄介な爆弾を置いていきやがったよな、あの犯罪者」
「まったくだよ」
 イオリとフォールは同時に深い溜息を吐いた。なんともいえない感情をやりすごしながら、コーヒーをすする。
「それで俺はどう行動すれば? 現時点ではあのアンドロイドの解析は不可能だ」
 イオリは与えられた仕事をどうこなすべきか判断が付かない。こういう時は上層部に投げてしまえと、フォールに任せることにした。
「そちらも保留。君は彼女のメンテナンスだけ気を付けて、通常業務に戻っていい。今のところ、彼女と会話が進むのはセナだけだから、情報を探るのはセナに任せるよ」
「隊長」
「そんなに怖い顔しなくても、僕らの誰かが随時傍についてるから危険は少ない。突然、彼女が暴れだしでもしない限り」
 フォールはゆるく笑って、イオリの肩を叩く。そしてふっと小さく笑う。
「セナは本当に良い子だね。本当の意味で誰も差別しない」
「イリスはアンドロイドで、人間だと定義されても重要参考人だ。必要以上に親しくなるべきじゃないと思いませんか」
「君は、もし彼女がアンドロイドと定義されたらどうなると思う?」
「それは……」
 イオリは言葉を濁す。
 瀬奈と話しているイリスの姿を思い出す。完璧に表情が分からない顔が、一瞬だけ笑みのようなものに見える瞬間があった。
「彼女の言った通り、スクラップ。狂博士の作品なんて残しておいて良いことなんかない。彼女にとって今が一番楽しい時かもしれない」
「隊長……」
 イオリは考えないようにしていたことに気付いて、情けない気分になった。フォールは普段の柔らかな表情を引き下げて、厳しい顔になる。
「どうやらうちで一番感情移入をしているのは君らしい。もう少し距離をとりなさい」
「俺はロボットが感情を持つことは喜ばしいことだと思ってる。でも実際にそうなったらどうしていいか分からなくなったんだ」
「機械好きな君らしい返事だね。面倒なら判断は世論に任せておけばいい。でも、自分で考えたことが一番正しいことだってある」
「フォール隊長はどっちであって欲しいんだ」
「僕? 僕はもちろんアンドロイド、だよ。面倒事は嫌いだから早く片付いて欲しいんだ。――あ、これはセナには内緒だよ。嫌われてしまう」
 フォールは悪戯っぽく微笑んで、それではと言って作戦室へ入った。扉が閉まるのを見て、イオリは溜息を吐く。
(隊長に相談するんじゃなかった。あの人、優しそうなのは外見だけで、実際は合理的で冷静だからな……。被害が最も少ない安全でスマートな選択肢があればそれを選ぶ人だ)
 感情的なのはリオの方だ。カエデはフォール寄りの人間だ。安全を優先するだろう。
(ああ、くっそ面倒くせえ。俺もセナみてえに、面倒だって割り切れたらいいのになあ)
 金髪をぐしゃぐしゃと手で掻き回し、コーヒーを片手にソファーにどっかりと腰かける。
(定義ばかり考えるから迷うんだ。対処に移る為の最低ラインだけ決めておこう)
 何かあった時にすぐに行動に移れるように、イオリは考えに沈むのだった。
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