虹色のメロディ編 第五部 虹色の終息編

十八章 もう一人のイリス  

 その日のアカデミーの帰り道、瀬奈は茶菓子の入った袋を片手に、通りを歩いていた。
(皆、参ってるみたい。甘い物を食べて、ちょっとでも元気が出たらいいな)
 チョコレートクリームを挟んだ焼き菓子を、ちらと見やる。
 こんなものを差し入れたところで、気分転換にしかならないだろうが、ずっと眉間に皺を寄せているよりマシだろう。
 その時、瀬奈の頭上を、ブブブとプロペラ音を立てて、小型の宅配ロボが空を飛んでいった。
 何となくそれが曇り空にかすむのを目で追って、瀬奈は首を傾げる。
 正直なところ、どうしてイオリ達が深刻な顔で悩んでいるのか、瀬奈にはよく分からなかった。
 イリスが人間が良いと言うのだから、そうすればいいと思うのだ。
(そういえば、こんなに機械が発展してるのに、人間そっくりのアンドロイドはいないのよねえ)
 人型をしているアンドロイドはいるけれど、一目でロボットだと見分けることが出来る。
 今まで気にしたことがなかったが、何か決まり事でもあるのかもしれない。
 考え事をしているうちに、本部の建物が見える位置まで着いた。なんとなく速足になった時、左腕を取られた。
「えっ」
 振り返ると、イリスが立っていた。黒のレザーの上着と、紺のジーンズ姿だ。青銀色の髪を緩く後ろで一つに結んでいる。
 彼女は薄水色の目で瀬奈を見た。背が高いせいなのか、感情が希薄なせいなのか、瀬奈は何となくにらまれたような気がして、少しだけビビッた。
「すみません、一緒に来て下さい」
「へ?」
 瀬奈は目を瞬く。
「えーと、イリス、あなたって本部を出られないんじゃなかったの? もしかして抜け出してきたのかな。怖くて戻れないから、一緒に来て欲しいってこと?」
「いいえ、私はお父様の命令でお迎えに参りました。その話ぶりだと、試作品はまだ生きているんですね」
「……しさく、ひん」
 瀬奈は“イリス”をまじまじと観察する。
(試作品と呼ぶなら、この人は別人?)
 見た目は試作品の方のイリスと同じだ。ただ違うのは、温度の無い眼差しだけだった。
「ええ。初めまして、私はIris型アンドロイド 完成品です」
 彼女がそう名乗ると、物陰から警備隊員の男性が三人、飛び出してきた。手には銃を持っている。
「ええっ!?」
 瀬奈が驚いているうちに、彼らはイリスを威嚇し始めた。
「その女性を離せ!」
 三方から包囲している彼らを、イリスは目だけで確認する。
「いいのですか? 撃ったら、この人間が巻き添えになりますよ」
「わっ」
 瀬奈を後ろから抱えるようにして、イリスは左腕を瀬奈の喉元に回した。
「離れるのはそちらです。死んでもいいの?」
 イリスの腕はまるで鉄の塊のようだ。ぐっと押し込まれて、瀬奈の喉が圧迫される。息苦しさに腕を掴んだが、びくともしない。
(や、やばい、本気で死ぬ……っ)
 恐怖で冷たい汗が背筋を流れていった。
 警備隊員達はひるんだようだった。
「くそっ、人質の命が優先だ」
 一人が舌打ちして、左手を軽く挙げて合図を送る。包囲がじわりと広がると、イリスは腕の力を緩めた。
「げほっごほっ。きゃっ」
 咳き込む瀬奈を、イリスは荷物のように肩に担いだ。
「――なんてね、嘘ですよ。殺すわけがありません。大事なデータですから」
 平坦な声で冗談を返し、イリスは腰に手を回して、ベルトポーチから素早く取り出したものを、ぽいっと地面に放った。
「まずい、離れろ!」
 隊員達が慌てて逃げるような動作をした瞬間、閃光弾はまばゆい光を放った。


 まともに光を直視した隊員達は、よろよろと起き上がった。
 くらんだ目がどうにか見えるようになった頃、彼らは呆然とその場に座り込んだ。
 閃光弾の影響は、通り全体に及んでいた。
 突然の光は運転手の目をくらませたのか、あちこちで同時に起きた交通事故で、空遊車から煙が出ている。いかれたクラクションの音がビービーとけたたましく鳴り続けていた。目をかばってうずくまっていた通行人達が、惨状を目にして息を飲む。
 ざわざわと声があちこちから広がっていく。
「――くそ!」
 隊員の一人が拳を地面に叩きつけて悪態を吐き、通信機を手に取る。
 そして護衛の失敗を上司に告げた。


     *****


「イリスに瀬奈がさらわれたって報告が来た!」
 フォールの言葉に、第五警備隊本部内にいた面々の表情が凍りついた。
「はあ? イリスって、ここにいるだろ!」
 イオリが目の前にいるイリスを指差して返す。イリスが静かな声で言う。
「完成品のことでしょう」
「完成品……!?」
 皆の目が、イリスに集中する。
 イリスはこくりと小さく頷いた。そんな彼女に、カエデは混乱を隠せない様子で問う。
「どういうことなの? そちらのイリスも、あなたにそっくりなの?」
「違います。ユーリエ・オラニスの容姿に似せている、というのが正しいです」
「そういうことか、ちくしょう」
 イオリは金髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「でも、何だってニノ・オラニスはあいつをさらったんだ? 腕輪だけ持っていけばいいだろ」
「それは……私には解答権限がありません」
「またそのだんまりか!」
 苛立つイオリをよそに、フォールとリオはすでに行動していた。
 作戦室に飛び込んで、瀬奈につけている発信機を辿る。宙に浮かび上がった電子画面に、地図上を移動する赤い点があった。
 すぐに通信機で第一警備隊のクライトに連絡する。
「こちら第五警備隊フォール、ホシは西区に向け、十三番ストリートを西へ向かってる」
「了解! 連絡役に二人残して、あとは応援に来い!」
 クライトの手短な返事が聞こえて、通信が消えた。
「リオ、ここは頼む。手が足りない時は、牢屋番も引っ張り出していい」
「分かった。セナのことを頼んだよ、何かあればすぐに連絡する」
 フォールの命令に応じ、リオは出るように促す。フォールはさっときびすを返し、ロビーに出てきた。
「イオリ、カエデ、行くよ!」
「了解!」
「準備出来てます!」
 すでに出かける支度を終えていたイオリとカエデが、カウンターの前に並んで立っている。
 フォールは扉に向かおうとして、やめてイリスを振り返る。イリスはフォールの言いたいことを予測して言う。
「私は牢にいます。逃げませんので、ご安心下さい」
「そうじゃないよ。一緒に来て」
「何故? 私にはお父様についての解答権限はありません。行くだけ無駄かと」
 淡々と返すイリスに、カエデがつかつかと歩み寄る。
「今はそんな無駄な問答をしている余裕はないの! いいから来なさい!」
「しかし……」
 イリスが再び否定しようとするのを、カエデは右手を挙げて遮った。
「あなた、人間がいいと選んだわよね?」
 普段の温厚さはなりを潜め、低い声でカエデは問う。カエデの藍色の目は完全に据わっていた。医師として立ちまわっている時と似た、鋭い気配を漂わせている。フォールとイオリまで、その気迫に飲まれて様子見に回った。
「ええ」
 イリスが認めると、カエデはイリスの左肩を掴んで覗きこむ。
「いいこと、人間っていうのはね、友達や家族、仲間のことは、状況が許す限り、絶対に見捨てないの。あなたはセナを助ける為に、手を貸すべきよ」
「しかし、私には権限が……。私のマスターはお父様です」
 イリスは反論しながらも、水色の目を泳がせた。僅かな動揺が見えたことに気付き、カエデは畳みかける。
「あなたにとって、セナは友達なのか仲間なのか分からないわ。でも、あなたを『人間』だと認めたのは、彼女だけよ。スクラップ――死が怖いなら抗いなさい。手を貸せば、情状酌量の余地があると認めてくれるかもしれない。人間は、思うよりも優しいところもあるのよ」
 イリスはじっとカエデを見る。
「セナなら、私を弁護してくれる、と?」
「あなたの見立てはばっちりよ。最も泣き落しが有効なのは、彼女だわ」
 カエデは左手を差し出して、小首を傾げた。
「一緒に来るわよね?」


「俺、久しぶりにお前が怖いと思った」
 サイレンを鳴らして猛スピードで疾走する空遊車の助手席で、イオリがぼそりと呟いた。
 カエデはにこにこした笑みを浮かべて問う。
「うるさいわよ、イオリ。何か文句でも?」
「ありません」
 即答するイオリの隣で、フォールは苦笑を浮かべる。流石は、問題児のイオリの手綱をとれるからと、目付け役に抜擢されただけはある。イオリは完全にカエデに負けている。
 西区の廃墟ビルの一画に、警備隊の車両が集まっているのが見え、フォールは空遊車のスピードを落とした。
 停車するやすぐに空遊車を降りると、第一警備隊員達が話しているのが聞こえてきた。
「駄目だ、中には誰もいない」
「ただのボロビルだよ」
「だが発信機の場所はここだろ?」
 フォールは周りを見回し、指揮をとっているクライトを見つけてそちらに足早に向かう。
「クライト隊長、状況はどうなっています?」
 こちらに気付いたクライトは、肩をすくめた。
「見ての通りだよ。またしても奴にしてやられたな」
 うんざりしたように言って、灰色の髪をくしゃっと掻き回している。打つ手なしの状況に参っているようだ。
 仕事中は、フォールはクライトには敬語を使う。端的に指摘する。
「珍しいですね」
「え?」
「その仕草。焦ってますね?」
 クライトはぴたりと手を止めて、薄笑いを浮かべる。サングラスのせいで表情は分かりにくかったが、付き合いの長いフォールには、それが感情を誤魔化している時のクライトの癖だと分かっていた。
「まったく……嫌になるなあ、先輩は。何でもお見通しってことですか?」
「あなたが僕に厄介事を持ち込む数だけ、判断材料は増えていますからね」
「嫌味ー」
 クライトは口をへの字に曲げて、それから軽く息をつく。
「世間じゃ冷血漢呼ばわりだが、俺にも情くらいあるんですよ。気に入ってる女が、狂博士にさらわれたとあっちゃあね、流石に平然とはしてられない。先輩とは違って」
「ああそう」
 嫌味返しに、フォールは短く返事をして、現場を見回す。
「フォール・ダン・マシアス、クライト・バーミリオン」
 そんな呼びかけに、フォールとクライトはあっけにとられて振り返った。
「びっくりした。俺らをフルネームで呼び捨てにする奴は、そういない」
「僕もですよ。いつぶりだろう、すごく久しぶり」
 二人の物珍しげな視線を受けたイリスは、構わずに問いかける。
「私にチャンスをくれませんか?」
 イリスの問いかけに、フォールとクライトは素早く目を見交わした。
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